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「……ねぇ、やっぱりやりすぎたのではないかしら?」
ダリアがそんな声を聞いたのは、王宮内の中庭近く、恐らくは厨房へと続く通路の途中だった。ダリアは疲れてひと息つこうと中庭で風にあたり、コリンヌ王妃の部屋へと戻るところだった。リタも一緒だ。ふたりで顔を見合わせ、しかし声を上げるような愚は犯さずに壁際に寄って、耳を澄ませた。
「そうかしら? 結局あの女は失敗したわけだし……」
「かなり錯乱しているという噂よ、せっかく元気になったのに、また寝付いているらしいわ」
「ええ、このまま衰弱死でもしてくれればいいけれど、あの東洋女が付きっきりで見ているというから心配だわ。あの女、本当に余計なことを……」
(東洋女って、たぶん私のことよねぇ? そう、王宮の裏でそう呼ばれているのね)
ダリアはそれを冷静に受け止めつつ、悪口にしてもどうせならもっと別の呼びがいいなと思っていた。隣のリタは今にも爆発しそうな、憤然とした表情をしている。
「もう一度、ダメ押しで脅したら、その場でショック死でもしてくれないかしら?」
「ええ? またやるの?」
「主の望みを叶えるのが、私たちの仕事でしょう? やるしかないのよ」
「え、ええ……」
主とは誰なのか気になる、その名を口にしないだろうかと思っていたら、どこかからか扉を開けるような音が響いてきた。それに彼女たちは驚いたのか、早足で歩くような足音が聞こえてきた。
ダリアはリサに合図をして、もう一度中庭に出るようにと促した。
◆◆◆
「まったく、あの者たちはコリンヌ王妃になにをしたのかしら?」
ダリアたちは中庭の真ん中に立って話していた。見通しがよい場所で、ここならば人目には付くが、近くに誰かがいたらすぐに分かる。内緒話は、あんな通路の暗がりではなく、明るく広い場所でするべきだろう、とはダリアの主張である。
「やりすぎた、と言っていたけれど、なにかしらね?」
ダリアは腕を組み、首を傾げた。
「毒を盛った、ですとか? それでコリンヌ様が体調を崩された」
「そうね、その可能性もないとはいえないけれど……脅したら、と言っていたでしょう?」
「ああ、思い起こせばそうでした。脅す、とはなんのことでしょう? 脅迫状を書いたですとか?」
「そんなものを受け取っていたら、当然レイチェルは知っているだろうし、こちらにそれを教えてくれるのではないかしら?」
「脅された内容があまり好ましくないことで、私たちにも隠していた可能性はあるのではないでしょうか?」
考えてみればリタの言う通りだった。なににしても、レイチェルに相談するのがいいだろう。
◆◆◆
深夜、ダリアはコリンヌの部屋に居た。
部屋に居るのはいつものことだったが、今日は場所が違う。コリンヌの寝台にいて、頭まで掛布をかぶっていた。コリンヌは、今日は別の部屋で寝てもらっている。
部屋にはダリア以外は誰もいない。レイチェルは実家に帰っており、他の侍女もいない。ただ、なにかがあったらすぐに控えの間から人が駆けつけてくれる手はずはつけてあった。
(上手く引っかかってくれればいいけれど……)
こうしてコリンヌの身代わりをしているのにはもちろん理由がある。一番の侍女であるレイチェルが不在で、今日は月のない夜で、と条件は揃えたが、それに向こうが乗ってくれるかは分からない。空振りに終わる可能性は充分にある。
そうして寝台の中でまんじりともせずに待つが、異変が起こる気配はない。風も穏やかな夜で、ふくろうの鳴き声が聞こえてくるだけだった。
気を張っているのも疲れてきた。もういっそ寝てしまおうか、と思っていたときだった。
ぎぃぃ……と軋むような音が部屋に響きわたった。気になったが、ここでは身体を起こすようなことはしなかった。
「おかぁさーん……おかぁさーん」
やがて、か細い声が聞こえてきた。女性のような、子供のような声だ。
「ここは……寒いよぅ……お母さん、どこにいるの? お母さん……」
そこでダリアは上半身を起こし、声がした方を見た。
そこにはぼんやりとした白い影があった。
暗がりに目をこらしてよくよく見ると、子供ほどの背丈の者が、頭からシーツをかぶっている。
ダリアは寝台から勢いよく飛び出して、その者に飛び掛かった。
もちろん、幽霊などではなく、しっかりと手首を掴むことができた。相手は『ひぃ』と声を上げて、その場に倒れ込んだ。
「来て! かかったわ!」
ダリアが鋭く叫ぶと、控えの間から灯がともった燭台を掲げたリタが出てきた。
そして倒れ込んで、その勢いでシーツが剥がれたその者の姿を照らした。
見覚えのない女性だった。子供のように背が低いが、顔つきから成人している女性である。格好からして、侍女などではない下働きの者と思われる。
「……とりあえず、話を聞かせてもらおうかしら?」
その者を見下ろしながらダリアが言うと、怯えた表情で、僅かに頷いた。
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