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「一旦、お屋敷に戻ってはいかがですか? コリンヌ様になにかったら、またすぐにお呼びしますから」
レイチェルが朝食をとるダリアの横に立ち、心配げに言う。王妃の部屋の近くにある、侍女達の控えの間で食事をとらせてもらっていた。
結局、昨日はあれから一睡もしていない。ずっとコリンヌの寝台の横に座り、彼女の寝顔を見守っていた。幸いなことに、と言うべきか、深い眠りにつくことができたらしくあれからコリンヌは目を覚ましていない。明け方になってから一旦退室したリュシアンがやって来て、お前が変なものを飲ませたから、このまま意識が戻らないなんてことはないだろうな、などという戯れ言を言い出したので、足を踏んでおいた。
「私がずっと張り付いていたら、あなたは迷惑かもしれないけれど」
「迷惑なんてことはありません! 心強いです」
レイチェルは肩が上下するほど嘆息した。
「まさかコリンヌ様があのようなこと。以前と比べてずっと元気を取り戻していたのに。このまますっかり元気を取り戻して、お子様とも会えるようになって、第三王妃として幸せな日々を送れると思っていたのに」
レイチェルの顔には疲労の色が濃い。一日で三年はふけてしまったのではないか、と思われるほどだ。
「あなたこそ少し休んではどう? 急なことに驚いただろうし、疲れているでしょう?」
「ええ、もうしばらくしたら休ませてもらいます。あの、ちょっとこちらに腰掛けても?」
「もちろんよ」
ダリアが応じると、レイチェルは倒れ込むようにダリアの向かいの椅子に腰掛けた。
「このところ……コリンヌ様が幽霊が見えると言って怯えていたのは知っていたのです」
「その幽霊は、あなたも見えるの?」
「そうですね、影を見たことがあります。声や足音を聞いたことも」
「コリンヌ様はあの子、と言っていたけれど?」
「ええ、きっと亡くなったダニエル様のことだと思います。こちらに嫁いで来る前に病死した、前夫との子供です」
コリンヌは子供がいるからと国王との結婚を断っていた。しかしその子が急死したから、結婚を断る理由がなくなってしまった、と。
「コリンヌ様はずっと疑っているようなんです。ダニエル様は殺されたのではないか、と」
レイチェルは困ったような表情でそう吐露した。
普通の状況だったらこんな話はしないだろう。なかなかに物騒な話である。ダリアを信用してくれてのことか、今回のことですっかり疲れ切っているからあれこれと気遣う余裕がなかったのか、レイチェルはぽつぽつと語っていった。
「ダニエル様は健康そのもので、病死したなんて俄に信じられないというのです」
「病死に見えるような毒を盛られただとか、そのようなことかしら?」
「それは分かりません。ただ、コリンヌ様はどうしてもご実家を離れなければならないご用事ができて、三日家を空けている間に、ダニエル様は急な流行病にかかって、亡くなってしまったというのです。コリンヌ様が帰ったときにはすでにお墓の中だったというのです」
「それは、他の人に病気をうつしてはいけないから、急いで埋めただとか、そんな理由で?」
「ええ、そう説明されたそうです。伝染病だと。ですが、コリンヌ様は納得されていないようで。母親に無断で子供を墓に埋めてしまうとは何事だ、と抗議したそうですが、もう埋められてしまったものは仕方がないとお父様に言われただとか。それで、コリンヌ様は疑っているのです。病なんて嘘で、別の原因で亡くなったのではないか、と」
レイチェルは本当はこんな恐ろしいこと、口にしたくはないのだと躊躇っているような気配を漂わせたが、大きく息を吐いてから、思い切ったように語った。
「お父様が、陛下と結婚させるために邪魔だと思ったお子さんを殺してしまったのではないか、と」
ダリアはさすがに言葉を失ってしまった。
だが、考えればありそうなことである。それほど国王との結婚とは重大なことである。田舎貴族に過ぎないコリンヌの父にとって、王妃の座は、喉から手が出るほど欲しいものだっただろう。だが、娘は自分に子供がいることを理由にその求婚を断ろうとしている。それを良しとせずに、強硬な手段に出たとは考えられることである。
「ですから、コリンヌ様は自分のせいで我が子が殺されてしまったかもしれないと、ずっと自分を責めてらっしゃるんです。自分には幸せになる資格などない、と。それが、病後の回復を遅らせてしまっていた気もします」
「……なるほど、そういうことだったのね」
自分が産んだ、国王の子供と会おうとしないのも、体調不良ももちろんだが、自分のせいで死んでしまったかもしれないダニエルに悪いという気持ちもあるのだろう。もしかして、ダリアの薬で健康を取り戻したことで、逆にコリンヌを追い詰めてしまったという事情もあるかもしれない。
「そうなると、ますます目が離せないわね。コリンヌ様の部屋には常に誰かに居るようにした方がいいわ」
「ええ……。コリンヌ様は信頼をおける侍女以外は部屋に入れたがらないけれど、そんなことを言っている場合ではないですから。侍女の数を増やしてもらえるように、交渉します」
「私もできるだけこちらに居るようにするわ」
「それはとてもありがたいわ! でも、どうしてそこまでしてくれるの?」
「コリンヌ様は私の患者だもの。当然のことでしょう?」
さらりとそう言うと、レイチェルはとても奇妙な顔つきになってから、ぷっと噴き出した。
「患者のためって、まるで兄さんみたい」
「え? やめてよ。あの男と私は違うわ」
「いえ、似ているわ。兄さんは患者にはとても優しいのよ。他の人には無愛想で、つれない態度を取るけれど」
「患者に優しくない医師なんて、医師失格だわ。当然のことよ」
「だから、シェリーさんは誤解してしまったんでしょうね」
「シェリー……?」
ダリアが聞き返すと、レイチェルは余計なことを言ったとばかりに口を噤んだ。それからすぐに立ち上がり、食後の紅茶を運ばせるわね、と言って部屋から出て行ってしまった。
そんな言われ方をするととても気になる。
だが、あの男にかかわることをわざわざ尋ねるのは、こちらがあの男のことを気にしているように取られると困るので、聞きたくない。
しばらくそれについては分からないままね、と思いつつ、ダリアは朝食を平らげた。
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