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その夜、ダリアはいつものようにひとりで夕食をとってから自室へと戻り、お気に入りになった窓際のソファに腰掛けてしばらくぼんやりとしてから、寝支度を調えてさっさと寝台に入った。
そろそろコリンヌ王妃の様子を見に行った方がいいだろかと考えて、目を覚ましたのは恐らく夜半過ぎだ。
なにかの気配を感じる。
天蓋付きの寝台の、薄い斜のカーテンの外に誰かがいるような気配がするのだ。
まさか、前々妻の幽霊?
昼間にそんな話を聞いてしまったために、身を固くしてしまう。月明かりもない夜の中を、格子窓を叩く風の音が響く。心なしか、周囲の温度が下がったような気がする。
そういえば、最初の妻からずっと、同じ部屋を妻の部屋としているようだった。前々妻が命を絶ったとしたらこの部屋なのだろうか。そうか、自分の部屋を後からやって来た者が勝手に変えたから怒っているのか? そんなことまで考えてしまう。
ダリアが上半身を起こし、自分の身体を自分の腕で抱くようにしていると、コツ、と足音のようなものが聞こえた。寝台の周りを徘徊しているのだろうか。
「……誰? 誰かいるの? リタ?」
とりあえずそう声を掛けてみる。リタならば急に寝室に入ってくることはなく、扉をノックし、それでも反応がないと夜中だろうと構わずにドンドンと扉を叩くか、ダリア様、と大声を張り上げると知っているのに。
すると、不意にカーテンが動いた。
いやだ、本当にカーテンの向こうに誰かいるの? とダリアが身体を硬くしていると。
「ああ、起きたのか。ちょうどよかった」
天蓋カーテンを開け、呑気に声を上げたのは、リュシアンだった。
ダリアは脱力して、その場に倒れ込みそうになる。
「……ちょうどよくないわ。こんな時間になんの用事? 非常識ではない?」
「夫が妻の部屋を夜に訪ねてくるのは普通だろう?」
「そんなつもりないくせに!」
ダリアが大きな声を出すと、リュシアンは薄く笑った。どこまでも腹立たしい男である。
「急ぎ支度をして王宮に一緒に行ってくれないか?」
「どうしてこんな夜中に? 朝になってからもいいじゃない」
「別に君がそう頑なに言うならば強制はしない。コリンヌ王妃が自殺を図ったんだ」
「え……?」
リュシアンがなにを言っているのか分からず、困惑の表情を浮かべてしまう。そんなこと、まったく予想していなかった。
ダリアがなにも言わずに固まっているので、リュシアンは大きく嘆息してから、もう一度同じ事を言う。
「コリンヌ王妃が自殺を図った、天井の照明にシーツをくくって、首を吊ったんだ。すぐにレイチェルが見つけて俺に連絡したので、大事には至らなかった。ただ、興奮状態で泣いてばかりでどうにもならない。君を呼んでほしいとはレイチェルが言った」
「……すぐに行くわ」
ダリアはすぐさま寝台から出ると、寝間着の上に外套を羽織っただけの格好で馬車に飛び乗った。すると、リタが一緒に乗り込んできた。きっと騒ぎを聞きつけたのだろう。
「私も同行します」
小さく言ったリタに頷いて、リュシアンを含めた三人で王宮へと向かった。
◆◆◆
「……どうですか? 少しは落ち着かれましたか?」
ダリアが言うと、寝台に入っているコリンヌは弱々しく頷いた。
ダリアが来ても、コリンヌはしばらくはひどく取り乱した様子で泣いていた。気付け薬を飲ませたが無駄だった、とはリュシアンが語った。
ダリアはとにかく暖炉の近くに腰掛けて、温かい飲み物でも飲みましょうと言った。白湯を飲ませ、それから持参した心を静める効能がある生薬を飲ませると、コリンヌは横になりたいと言って寝台の中に入った。ダリアはコリンヌの手をずっと握っていた。手はひんやりと冷たく、そのまま黄泉の国まで落ちていってしまうのではないかと感じた。
「……あの子の幽霊がいるの」
やがてコリンヌは、聞こえるか聞こえないか分からないくらいの声で囁いた。
「幽霊、ですか?」
「やはりあの子は私のことを許していなかったの。私のせいで命を落としたようなものなのだから……。私は健康な体になんてなるべきではないのよ……。とんでもない罪を犯した私が」
「罪、とはどういうことでしょうか?」
「私の存在自体が罪なのよ……」
そう言って自嘲し、そのままコリンヌは寝入ってしまった。
ダリアはコリンヌの手を掛布の中に戻してから、自問する。
(また幽霊……? 一体なんだっていうのかしら?)
ふと小鳥の鳴き声が分厚いカーテンの向こう側から聞こえた。もうすぐ夜が明ける。
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