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ダリアはマリアがなにを言っているのか分からず、首を傾げるばかりである。幽霊の存在は否定しないが、ダリアは一度も、バロウ家だけでなく、他の場所でも一度も、幽霊と呼ばれるものを見たことがない。自分には霊感と呼ばれるものがないのだろうが、見える人には見えるのだろう、という認識である。
「私にはよく分からないわ」
「あら、ずいぶんと鈍いのね。ところで、あなたはどの部屋を与えられたの? 三階にある、北側の部屋?」
「ええ、そうよ」
「やっぱりね。あの屋敷の人達にはデリカシーというものがないのかしら? 前妻と同じ部屋を使わせるなんて」
「あの部屋は次期当主の妻の部屋だと決まっているのではないの? 私は別に気にしていないけれど」
「……あなたって変わっているのね。聞いていた通りだわ」
「修道院にまで私の噂が?」
「ええ、古い友人に聞いたのよ。正確には手紙を受け取ったのだけれど。修道院では手紙のやりとりは禁じられていないから」
「こうして街中に出て、人と話すのは禁じられていないの?」
「もちろん禁じられているわよ。見張りの修道士に咎められて、普段は自由に出入りできないわ。でもね、修道院でも賄賂というものは通じるのよ」
「素晴らしいところね、あなたのいる修道院は」
ダリアはわざとらしく胸の前で十字を切った。
「そんなことはどうでもいいのよ。友人の話からすると、あなたはずいぶんと王宮で噂になっているらしいわね」
「……なるほど」
それでは、リュシアンがダリアを助手として王宮を連れ回していることも知っているし、もしかしたらコリンヌ王妃のことをも知っているかもしれない。
「私、あなたのことが可哀想で……」
「可哀想……あら、私に同情してくれるの?」
冷静に応じておいたが、ダリアは可哀想と言われるのが好きではなかった。そこはかとなく上から目線を感じるからだ。私はそんなに侮られていい人間ではない、と不愉快である。
「ええ、もちろん。あなたのことは、いつも気にしているのよ」
マリアはテーブル越しに手を伸ばし、ダリアの手を取った。どんな魂胆でいるのだろう、と、その手をすぐに振りほどきたいところだったが、とりあえずそのままにしておいた。
「リュシアンは……そりゃ見た目と頭脳に恵まれていて、その上医者だなんて、素敵だと思うわ。彼の妻になれるなんて、結婚が決まったときには天にも昇るような気持ちだったわ。でも、現実は違ったわ。でも、滅多に家に戻って来ないし、来たとしても部屋に籠もって出てこないし。いないようなものよ」
マリアは不機嫌そうな表情で口を尖らせる。
「親しい人とのお茶会で、リュシアンってどんな人なの? 新婚生活はどうなの? と聞かれてもなにも答えることができなかったわよ。その上、仕事が忙しいとかで王宮で開かれる舞踏会にも晩餐会に出席することもないの。信じられる? 招待はされているのよ? 晩餐会の主催者にしつこく言われたようで、私が結婚していた間に一度だけ出席したことがあったけれど、そのときに私は連れて行ってもらえなかったの……! 信じられない! なんのために彼の妻になったのか分からないじゃない」
「気持ちは分かるけれど……私に昔の愚痴を聞かせに来たの?」
ダリアはやんわりマリアの手を離し、珈琲に口をつけた。
「違うわよ、言ったでしょう? 私はあなたが可哀想だと思って忠告しにきたの」
「それはありがとう」
そっけなく言うと、マリアはそれが気に入らなかったのか、更に語気を強める。
「とにかく、リュシアンの妻に対する態度は酷いのよ、妻どころか、女性に対するのとは思えない扱いを数々されたわ。きっと私の前の妻もそうだったんだと思うわ! それで自ら命を絶った……」
「……。病死だと聞いているけれど」
リュシアンの一番目の妻は元々病弱で、結婚して間もなくして病気で亡くなった、と聞いていた。なんの病気で亡くなったのか、持病のせいだったのか、仔細をダリアは知らされていない。
「自死をそのまま自死って言うわけないでしょう? 病気だと誤魔化すのはよくある話よ。しかも、夫に不満があって命を絶ったなんて知れたら、リュシアンの元へ嫁いでくれる人なんていなくなるでしょう? 私だって知っていたら嫁がなかったわよ。あなたもそうでしょう?」
「そうね、少なくともお父様はもう少し考えてくださったかもしれないわ」
「そうでしょう? 前妻が自殺したなんて……しかも、自分をちっとも構ってくれなかったリュシアンに死んでも恨みをもって、夜な夜な現れるのよ! リュシアンが自分のことなんて忘れて、さっさと次の妻を娶ったことが気に食わないんだわ。私、もう本当にこのまま取り殺されるかと……」
マリアは首を自らの両手で絞める仕草をした。
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