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「え? 私が買ったのと同じものを? そう言って買いに来たの?」
美術館通りの奥にあるいつもの漢方薬局に来たダリアは、来るなり店主に話しかけられた。なにかと思って応じると、どうやらダリアのおかげで客が増えたという話なのだ。王宮で話題になっていて、ダリアが使っているのと同じ漢方薬を欲しいと言われたらしい。
「私と同じと言っても……。いつもいろいろと買っているから」
「そうなのです」
赤ら顔の店主はそう応じる。
「ですからそのようにお話ししたんです。それに漢方はこの国で売られているような、下痢止めですとか解熱剤とかと違います。ご自分の体質によって薬を選んだ方がいいとお話したのですが、理解できなかったようで」
「そうでしょうね」
「ですが、どうしても売ってくれとしつこくて。それで、最近あなた様がよく買われていく漢方をいくつかご用意しました」
「売ったの?」
「商売ですからね、買うと言われれば売ります。私が、症状を言ってくれればそれに合う漢方薬を用意しますよと言ったのですが、あなた様と同じものがいいと言い張って」
「困ったものね……」
コリンヌ王妃の一件があってから、どうやらダリアの薬は劇的に効くらしい、と噂が広がった。医師も諦めていた患者を治すことができた、と。それはリュシアンを見返したようで嬉しかったが、だからと言ってコリンヌ王妃に使った薬をそのまま使いたいという者が現れるのは困りものだ。
「次に同じように言って漢方を買い求めようとする人がいたら、もっとちゃんと止めてちょうだい。私の名前を使われるなんていい迷惑だわ」
「分かりました。こちらとしても、ちょっとした興味でやって来られる一見のお客様よりも、常連客を大切にしたいですから。あなた様のお名前を出されても、どの薬を買い求めたかはお教えしないことにします」
「ええ、そうして」
それで少し安心して、店内を回って買い物を再開した。欲しかった生薬がなかったので店主に聞くと、ちょうど昨日仕入れたものが倉庫にあったかもしれない、と店の裏に見に行ってくれた。
それから間もなくして、店の扉が開かれた。なんともなしにそちらを見るとそこには尼僧姿の女性がいた。
まだ若い女性だった。尼僧と言えば物静かなイメージでいたが、彼女は明るく溌剌とした雰囲気だったので、珍しい、とつい気になって見てしまった。すると彼女の視線がこちらに向いた。
「……あなたね、噂になっているダリア・バザンと言うのは」
不意に尼僧に話しかけられて驚く。しかも自分の名前を知っているとはどういうことか、と一瞬言葉に詰まってしまった。
「いえ、分かっているのよ、あなたこそダリア・バザンに間違いないわ。その黒い髪に、紫がかった瞳に低い鼻と身長……。聞いていたとおり、黒ずくめのドレスを着ているのね、誰か親戚でも死んだの?」
その尼僧の口から出て来た言葉が、とても尼僧らしくないくだけた口調だったことに驚いた。それから、もう一つ。
「確かに、私がダリアだけれど……バザンは旧姓よ。今はダリア・バロウ」
「……はん! もうバロウ家の嫁として認められたとでも思っているの? ずうずうしいわね」
ますます尼僧らしくない言葉だ。
彼女は鼠色の尼僧服を着て、頭に深くフードをかぶっていた。身分を隠すための変装として、尼僧の姿をしているのかと勘繰ってしまう。
「少し話があるのよ、付き合ってくれない?」
「……買い物で忙しいのよ」
不審者だ、離れた方がいい。
ダリアは彼女からふいっと視線を逸らし、とりあえず店主に助けを求めようと歩き出した。リタは今日は同行しておらず、バロウ家の使用人は店の外で待って貰っていた。
しかし店主の元に辿り着くよりも前に手首を強い力で掴まれてしまい、その歩みを妨げられてしまった。
「言い遅れたけれど、私の名前はマリアよ。知っているでしょう?」
「いえ、残念だけれど」
「ちっ、そのくらい覚えておきなさいよ。リュシアン・バロウの前妻よ」
「え……? あなたが?」
ダリアが言うと、マリアはにやり、と笑った。
「どう? 一緒に来る気になった?」
「そうね……一緒に行ってもいいけれど、ここでの買い物が終わってからね」
「……。あなたって話には聞いていたけれど、本当に自分本位なのね」
「急な申し出に、自分の都合を後回しにしてまで従う必要はないと思っているだけよ。待つつもりなら、付き合ってあげてもいいわよ」
ダリアが言うとマリアはいけ好かない、というような表情をしつつ、店の端に寄って、ダリアが買い物を終えるのを大人しく待っていた。
リュシアンの前妻といえば、婚姻の無効を申し出た女性だ。どんな我が強い、強烈な女性かと思っていたが、案外素直なようだった。
そしてダリアが買い物を済ませると、マリアに連れられて街の中心にあるカフェにやって来た。
街の中心にある円形の噴水広場に面したカフェは、店内も店外の席も人でごった返していた。カフェは王都に住む人達の社交場になっていて、見るからに高貴な身分な男性たちが真面目な顔をして話しており、どこかの令嬢が明るく語り合っている姿も見えた。
ちょうどテラス席が空いていたので、ダリアとマリアはそこに案内された。
彼女が確かにマリアであることは、店の外で待たせていた使用人に確認した。彼もたいそう驚いて、どうしてあなた様がここに? 郊外の修道院に入ったと聞いていたのに、と目を瞠った。今も油断ない目つきでマリアを見つつ、店の入り口近くに立ってダリアを待っている。
「ああ、相変わらずここは騒がしいわね。落ち着く」
マリアはそう言いつつ、かぶっていたフードを取った。途端に、金色巻き毛の美女が現れる。さすがに尼僧ということがあり、化粧はしていなかったが、それでも美人であることは分かる。
「修道院なんて、よくよく考えたら私に一番似つかわしくない場所だったわ。朝から晩まで話さない、沈黙の日なんてあるのよ。しかも一週間に一度も。もう絶えられないわ」
「あら。ならどうして修道院に?」
「仕方がないじゃない、他の婚姻を無効にする方法がなかったのだから。……ある日突然、神の啓示を受けて神に仕えることになったのです!」
マリアは突然、芝居がかったように大袈裟に腕を振りながら言う。
「私は神に嫁ぐことになりました……! これ以上バロウ家にいるわけにはいきません、私は神の家に行くのです。この婚姻は、残念ながら無効になります……! なにしろ、私は神に選ばれたのですから!」
「……。離婚するためには修道院に入るしか手がない、というのはやはりおかしいわよね」
「そうなのよね……」
ふたりで顔を突き合わせながら、深々とため息を吐き出した。なんだか、マリアとは気が合いそうだわ、と思っていたところで、突然マリアはテーブルを叩いた。
「そうなのよ! あなたも早くあの屋敷を出た方がいいわ」
「でも、まだ結婚してわずかよ」
給仕が運んできた珈琲に口をつけつつ、ダリアは冷静に言う。
「いえ、早いほうがいいわ。あなたもとりつかれてしまうわよ」
「とりつかれる?」
「ええ! バロウの屋敷には幽霊が出るでしょう?」
マリアは言い、まるで気付け薬でも飲むように、珈琲を一気に飲み干した。
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