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ダリアに悲劇は似合わない  作者: 伊月十和
第一章 ダリアの結婚
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1-1

「……あら、あなたがそうなの? 結婚式の直前で婚約者に逃げられたというから、どんな惨めな有様で嫁いでくるかと思っていたのに。しかも、外国人との混血で、この国の人と結婚することは難しいと思われていたあなたが、二十四歳でようやく見つけた婚約者で、伯爵家の次男坊だったかしら? あなたにとってはこれ以上ないほどの結婚だったのに、それが急に台無しなって、人生はなんてままならないのかと嘆いてやつれて生気がなくて、今にも死にそうな顔をしているかと思ったのに、そうでもないのね」


「……そんな女性を嫁に迎えようなんて、どんな物好きな一族かしらと思っておりましたが、なるほど、よく分かりました。なにはともあれ、私の事情をすっかり分かっているようで安心しました。ですが、なぜそんな私を嫁にと望んだのです?」


「仕方がないわ、もう三度目の結婚だもの。贅沢は言っていられないのよ。……ああ、二度目の結婚は無効にさせられたんだったわ。だからリュシアンは再婚、ということになるわ。そういうことで、よろしくねダリア」


 イレーヌ・バロウはダリアへと手を差し出した。


 ダリアはその手を取って軽く口づけをする。骨ばった、冷たい手。イレーヌはバロウ家の先代の妻であり、当代の母であり、ダリアの結婚相手の祖母である。年は六十近いであろうか? その割には声が張りがあり、動きもきびきびしている。白髪の髪をきちんと結い上げ、詰め襟の紺色のドレスを着ている。


 ここはイレーヌの居室、というより、執務室というべき部屋であった。扉を入って左手には書棚と書類が詰め込まれた棚があり、右手には暖炉、部屋の中央にはソファとローテーブル、正面にはどっしりとしたマホガニー製の執務机があり、その背後に大きな窓があった。もしかしてこのバロウ侯爵家の当主はイレーヌなのだろうか、と感じさせる部屋だった。


 屋敷にやって来るなり、大奥様がお待ちですと若いメイドに言われ、この部屋に案内された。大奥様に会う前に身なりを整えたいから先に部屋に案内して欲しいと言ったが、そんなもの、大奥様は気にされないので大丈夫ですと言われた。違う、ダリアが気にするのだ。しかしそれを言っても、バロウ家のツンとしたメイドには通じず、ダリアは旅汚れた姿のままでイレーヌの部屋に案内されたのだった。


「それにしても、見た目からして異国人なのね。黒い髪に黒い瞳にその肌の色。低い背丈も異国の血ゆえんなのかしら? そして喪にでも服しているようなその黒い服……」


 ダリアは漆黒の髪を三つ編みにして結い上げ、黒曜石のペンダントを身につけていた。イレーヌは黒と言った瞳は紫がかっていて、両親はアメジストのように綺麗だと言ってくれていたが、彼女は気に入らなかったようだ。黒いドレスは喪に服しているわけではなく、ダリアのいつもの服装である。黒が好きだから身につけている。ただ、それだけの理由だ。


 黒が不吉な色であり、嫌っている人がいることも知っている。だから大姑や他の家族との最初の対面時には、黒の次に好きな赤色のドレスを着ようと決めていたが、こんな不意打ちになってしまったので仕方がない。


「あなたのような見た目をエキゾチックと言う人もいるでしょうけれど、私に言わせればまるで魔女のような見た目だわ、我が家には相応しくない。あなたの血が我がバロウ家に入るかと思うとぞっとするけれど、それはないということは聞いていますね?」


 こちらに口を挟むような余地を与えないような、早口で話す。緊張のせいで早口になる人もいるが、イレーヌの場合は違う。せっかちで短気で、相手を自分の好きにしたいという願望があるように感じさせる。自分の好きな通りにできないと途端に不機嫌になりそうだ。

 ダリアは冷静にイレーヌのことを観察しながら、ゆっくりと頷く。


「ええ、もちろんです」

「それはよかったわ。こういうことは最初にはっきりさせておかないといけないから。誰もよかったのよ、リュシアンに三人目の妻となるのは。それなりの身分で、少なくともリュシアンよりも年下ならばね。あなたはただのお飾りで、名前だけの妻よ」


 初対面で酷いことを言うな、と思いつつ、ダリアはまた頷く。


「ええ、そのように聞いております」

「もちろんそうよね。あなたにとってはこの結婚は大きな利益があるはずよ。嫁ぎ先を失ったあなたにとって、名前だけでも妻となれるだから」


「はい、そうですね」


 ダリアは表情を変えず、そう応じる。

 この時代に、結婚できない貴族の娘は悲惨である。一生父親に頼って、父親亡き後は兄弟に頼って生きていかなければならない。働いて自分の食い扶持を稼ぐことなどほぼ不可能だ。父親はなんとか娘を嫁がせようとして、方々手を尽くす。その結果、妻を亡くして数十年、祖父のような年の人に後妻として嫁がされることもある。息子が自分よりずっと年上、なんて家にはできれば嫁ぎたくない。

 そう考えれば悪い条件ではないのだ、と自分に言い聞かせていた。ルネを失った今となっては、幸せな結婚を望むなど詮無きことだ。


「そうですね、弟に頭を下げて、頼って生きていくなんて、死んだ方がましですから」

「……死ぬよりはましだから、当家に嫁いできた?」


 イレーヌの形のいい眉がキッと引き上げられた。


「ええ、そうですね」


 自分の発言がイレーヌの不興を買ったことは分かったが、ダリアはそれを否定せずに頷く。


「なるほど、そうですか」

「お互いに利益のある結婚です。たとえ子供を儲けることができなくとも、妻として表立って行動することができなくとも、それは仕方がないことなのでしょう」


 それがこの結婚の条件であった。

 バロウ家では、次期当主であるリュシアンの子供をその次の当主にすることを諦めている。その次の当主はリュシアンの弟の子にすることが決まっている。

 リュシアンは二度の結婚に懲りたのか、もう家族を持つ気はないのだという。だが、それでは世間体がよくない。だから、形だけでも妻を迎えようということらしい。そこで白羽の矢が立ったのが、ダリアであった。


 愛のない、お互いの家のためだけの結婚。

 だが、この国ではよくあるであり、むしろそれが普通なのだ。それほど嘆くことではない、とは思うのだが。


「……なにか勘違いをしているようなので、ここではっきりとさせておきましょう」


 イレーヌは、大きくため息を吐き出してから、胸を大きく張ってダリアを睨み付ける。


「確かに当家は事情のある家ではあります。当主もその息子も宮廷医であり、普通の侯爵家とは勝手の違うところもあります。ですが、当主は現国王の侍医、国王陛下に信頼を受けている立場です。王都から遠く離れた地方都市で医師をしているあなたのお父上とは違います」


 ダリアがバロウ家の嫁として選ばれたのにはもうひとう理由があった。それはダリアの父が医師で、バロウ侯爵とは学友であったという理由だ。


「当家にはいくらでも嫁の来手があるのです。それでもあなたを迎えたのは、あなたを哀れと思ってのことです。……それがこんなふてぶてしい嫁が来るなんて聞いておりません」


 ダリアがイレーヌ前にひれ伏し『嫁の貰い手がない私を受け入れてくださっていただき、ありがとうございます。この家のために一生尽くします、大奥様』とでも言えば満足だったのかもしれない。


 要は、もっと自分の立場をわきまえてもらわないと困る。お前はお情けで結婚をさせてもらったのだと一生恩に着て生きていけ、と言いたいのだろう。

 なかなか手強いとは思ったが、夫亡き後、まだ成人しない息子を当主として、この広い屋敷にいる使用人たちを取り仕切り、郊外に持つ荘園を管理してきた女性である。このくらい当然なのだろう。それに、ダリアは内情はどうあれ、形的にはこの家の一員になるのだ。それは他方で心強いことかもしれない。


「ご期待に応えられず申し訳ありません」


 しかしダリアも気が強い。

 それは申し訳ありませんでした、とイレーヌに媚びるようなことはしない。


「そんな心にもないことは言わなくてもいいわ。もう部屋に下がってもいいわよ。……ああ、あなたと話していると頭が痛くなってくるわ」


 イレーヌは眉間を揉みながらそう言い捨てると、自分は執務椅子に座り、眼鏡を鼻にかけて、積み上がっていた書類へと目を通しはじめた。これ以上ここに居ても、仕事の邪魔だということだろう。


「ひとつ質問させていただいてもよいでしょうか?」

「……言ったでしょう? もう行ってもいいわ」


 もう用事は済んだから、自分に話しかけることも許さないということだ。

 ダリアは肩をすくめ、イレーヌにくるりと背を向けて扉に向けて歩き出した。

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