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「俺の妹が、またお前に会いたいと言っている」
「また?」
記憶をたどってもリュシアンの妹に会ったという覚えがなかったので、怪訝な表情で聞き返した。
リュシアンはダリアが朝食をとっているところにやって来て、向かいの椅子に腰掛けてそう言った。ここは食堂で、ダリアはいつもここで食事をしている。この屋敷の当主とその妻は自分の部屋で食事をすることが許されるが、次期当主の妻であるダリアには基本的には許されていない。そういうしきたりなのだ。軽食やお茶を飲むときは別として、一階の厨房のほど近くにあるこの食堂でひとりきり食事をとる。テーブルには六脚の椅子が配置されていたが、この椅子が全て埋まることはないのだろう。
「一昨日会っただろう、王宮へ行ったときに」
ダリアが王宮へ行ってから二日が経っていて、リュシアンと会うのはそれ以来だ。昨日の夜も王宮に泊まり込み、早朝に戻って来たようだった。
「覚えがないけれど? というか、あなたの妹は王宮に居るの?」
「そうだ。お祖母さまから聞いていないのか? 十三のときから王宮の侍女として務めている。今はコリンヌ王妃の侍女をしている」
「あ、あー……」
そう言われればぼんやり思い出せる。他の人に仕える侍女と比べて、リュシアンに対して親しげな雰囲気を感じていたが、兄妹ならばうなずける。
「あなたの妹に会うなんて気が進まないし、会いたいならばこちらに帰ってくればいいんじゃない?」
「そう言うな。君が俺を嫌っているのは分かっているが、妹は別だ」
「まあ! この世には結婚したばかりの夫を嫌う妻なんているの?」
「今日も元気で、鼻持ちならない嫌みが絶好調だな。君らしい」
そう言って薄く笑うリュシアンが、こちらのことなどなにもかもお見通しだと言っているようで朝から不快だった。
「妹は……そうだな、いい娘なんだ」
「まあ、あなたの妹がいい娘だなんて、意外ね」
「どういう意味だ? と、ここで君と議論するつもりはない。とにかく、素直で気遣いができるいい子なんだ。そうでなければ王宮で、気むずかしい王族たちの侍女なんてやっていられない」
「なるほど、そうかもしれないわね」
「その妹が、君に会いたいと言っている。コリンヌ王妃のことで相談があるそうなんだ」
そう言われて、フォークを持っていたダリアの手が止まった。コリンヌ王妃のことは、昨日も一日中気になっていたのだ。だが、そのことは口にしない。
「そう、なにかしら?」
さして興味がないというふうに首を傾げる。
「会ってみれば分かる。今日は一緒に王宮に行ってくれないか? 今日も俺の手伝いを、と頼みたいところだが、まずは妹に会ってほしい」
「そうね、今日は特に用事がないから、行ってもいいわ」
「そうか、では準備ができたら呼びに来てくれ。部屋に居るから」
そうしてリュシアンが立ち去ると、ダリアは急いで朝食を済ませて部屋に戻るとさっそく出掛ける準備を始めた。
この前は助手だと聞いていたから、飾り気のない黒いドレスで行ったが、今日は夫の妹に会うのだからと鮮やかな赤いドレスを選んだ。たぶん相手は兄の嫁としてのダリアに会いたいのではないと知っていたが、義妹に会うと知っていてそっけない格好ではいけない。
そして準備を整えると玄関ホールに下りていき、リタにリュシアンを呼びに行ってもらった。今日はリュシアンの妹に会うのだから、侍女は当然必要だと同行を許すと、リタは感激のあまり飛び上がらんという表情となって、はりきってリュシアンを呼びに行ってくれた。
それからしばらくして下りてきたリュシアンと共に、ダリアは王宮へと向かった。
◆◆◆
案内されたのはコリンヌ王妃の居室から少し離れたところにある小部屋だった。中庭を望める、明るい部屋だった。丸い猫脚のテーブルの上には焼き菓子と紅茶が用意されていて、ゆっくりと話そうという雰囲気が伝わってきた。
「わざわざお越しいただきありがとうございます。本当はこの前にコリンヌ王妃の部屋に来たときにもっと話したかったのだけれど、あの状況では」
「ええ、そうね。リュシアンも人が悪いわ、あなたが妹だとは知らせてくれなかったの」
リュシアンの妹、レイチェルは青いストライプのメイド服を着ていた。この前会ったときよりも顔色が明るく、ふっくらとした頬には赤みがさしていた。焦げ茶色の髪に瞳は薄い青色で背は低く、かわいらしい印象の女性だった。ダリアとそう年は変わらないだろう。
「もう、兄さんっていつもそうなの。肝心なことは言わないのよ。でも驚いたわ。あなたが助手として来たから。考えられないわよね、自分の妻を助手にしようなんて。兄さんに強要されたのではない?」
「半分はそうかもしれないわね」
「そうだと思ったわ。兄さんはとにかく強引なのよ、こちらの意見なんて聞いてくれないことがあるから。他になにか困ったことはない?」
「ええ、問題はあるけれど……今のところは大丈夫よ、なんとかやっているわ」
「そうだったらいいけれど。ダリアさんがバロウ家に愛想を尽かしてさっさと出て行ってしまわないかと心配なの」
「ええ、おととい少し考えたわね」
「ダリア様!」
鋭い叱責の声が背後から飛んでくる。この場にはリタも居て、壁際に立って控えていたのだ。ダリアはゆっくりとリタを振り返る。
「あら、冗談よ」
「冗談でよかったわ。兄さんみたいな人にはダリアさんみたいな方がぴったりだと思うの。あまり大人しすぎる方だと、萎縮してしまいそうで」
「確かに、その気持ちは分かるけれど、あの男に似合っていると言われてもあまり嬉しくないわ」
「ダ、ダリア様……」
再び焦ったようなリタの声が上がったが、だから冗談だわ、と制しておいた。レイチェルはそんなふたりのやりとりがおかしかったのか、にこやかに笑っている。
レイチェルはずけずけとなにかを聞いてくるでもなく、こちらを気遣って言葉を選んでいる。会話を途切れさせないようにと配慮もある。明るい雰囲気だが、こちらを疲れさせるような明るさではなく、ほっとするような温かみがある明るさだ。
(確かにリュシアンとはまるで似ていないわ)
バロウ家に嫁いできて、初めて仲良くできるかもしれないと思った親族だった。まだ彼女のことをよく知らないから、心の奥では何を思っているか分からないが、少なくとも表にそれを出さない。配慮がある人だということだ。
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