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「それで、調子はいかがですか?」
リュシアンはコリンヌ王妃の寝台近くの椅子に腰掛けた。ダリアはその斜め後ろに立つ。
「そうね、変わりないわ。頭痛があって、あまり食べられないし、あまり眠れないわ」
「失礼、脈を取ります」
そう言ってコリンヌ王妃の手を取って手首に手を当てて、もう片方の手に懐中時計を持ち、脈を測った。それからまぶたの血色を確かめ、聴診器を胸に当てて、喉の奥をのぞき込み、ひと通りの診察を終えた。
「いつもと変わりありませんね。軽い貧血に食欲不振、というところでしょうか。特になにが悪い、ということはなく、なんの病気ということはありません」
「ええ、そうね……」
「産後の肥立ちが悪く、長く寝付いたせいで体力がなくなったのでしょう。散歩にでも出掛けたらいいとおすすめしていますが……」
「とてもそんな気にはなれなくて」
「少し無理してでも、体力をつけた方がいいでしょう。陛下も心配されております。それから、王子もそろそろ物心がつく頃です。お母様に会いたいと思っているのではないですか?」
「ええ、そうなのよね……」
そうして緩く微笑むコリンヌ王妃は、蝋燭に灯された炎のように、そよ風でも吹いたら消えてしまいそうだった。
「それでは、また一週間後に来ます」
そしてリュシアンはさっさと聴診器を自分の鞄に入れ、立ち上がった。
「……え? もう終わりなの?」
診察の場では黙っていようと決めたのに、ダリアは思わず声を上げてしまう。途端に、リュシアンの咎めるような視線が飛んでくる。
「なんだ、助手のくせに俺の診察に不満でも?」
「もちろん!……と、いえ、なんでもありません」
こちらを気に掛けているコリンヌ王妃とその侍女に小さく笑みを向けると、リュシアンの腕を引っ張って、コリンヌ王妃の部屋を出て行った。
そして扉をふたつ通って廊下に出たところで、声を荒らげる。
「私にはどう見ても治療が必要な患者に見えたわ。身体を確かめるだけで、なにもしないだなんて」
「コリンヌ王妃は産後体調を崩し、肺炎を起こして一時命が危うかったが、それは完治している。その後も、小さな風邪は何度も引いたが、今は咳もなく熱もない。他に俺ができることはなにもない、定期的に往診することくらいだ。胃薬を処方することはできるが、食事もままならない状態で胃薬を与えても負担になるだけだ」
「患者の身体を診て、健康な状態にもっていくのが医師ではないの?」
「病気を診るのが医師だ。病気ではない者にはなにもすることがない」
「この国の医療ってそうよね。翠蓮国では違うわ。中医学の医師は病気じゃなくて患者を診るのよ。患者が不調を抱えていたら、はっきりとした病名がついていなくても治療するわ」
「では、お前にはコリンヌ王妃を健康体にできると言うのか?」
「方法はあるわね」
意気込んで言うが、リュシアンはしらけた表情をしている。
「いいか、相手は王妃だぞ。翠蓮国の中医学だかなんだか知らないが、そんな昔の、埃まみれでカビでも生えていそうな民間療法のようなことを王妃相手にできるか。俺が陛下の不興をかう。王宮に出入り禁止になるかもしれない。そうなったら、代々王家の侍医として仕えてきたバロウ家はおしまいだ」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟ではない。陛下はとても苛烈な方だ。未亡人を王妃に迎えるような方だということからも分かるだろう? 周りは皆反対したと聞いているが、それを押し通すような方なのだ」
「けれど、あなたは陛下からコリンヌ王妃のことを頼まれているのではないの? このままでいいと思っている?」
「いいとは思っていないが、どうしようもないだろう」
そう一方的に言い切って、リュシアンはこれ以上議論する気はないとばかりに早足で歩いて行ってしまった。
その後ろについて行くことは躊躇われたが、慣れていない王宮で、ここに置かれていったら迷うだろうし、ひとりで歩いていたら警備兵に咎められるだろう。仕方なくその後に続いた。
◆◆◆
「今日は君が来てくれて助かった」
「ええ、そうでしょうね」
診療を終えてバロウ家へと向かう馬車の中である。リュシアンとダリアは向かい合って座っていたが、ダリアは馬車の外へと視線を向けていて、リュシアンの方を見ようともしなかった。
「それに今日は余計な話を聞かなくて済んだ。君のおかげだ」
「余計な話ですって? どういうこと?」
「俺が診察に王宮を回っていると、なにかと呼び止められて、自分の主人の具合が悪いのだけれど診てくれないかと、延々と病状を説明されたり、診察の邪魔になるほど侍女に話しかけられたり。女性は話が長くていけない、さっさと用件を言えば入ればいいのに、それまでの前置きが異常に長いんだ」
「ずいぶんと女性におモテのようで」
「困ったものだ」
否定しないところを憎らしく思うが、事実そうなのだろう。この見た目でこの若さで、国王一族やその重臣たちに信頼を受けている医師なのだ。女性は放っておかないだろう。それが未婚だろうが既婚だろうが。
「……もしかして、それで早足で歩いていたの?」
「ああ、それもあるな。俺は早く患者の元へ行きたいんだ、途中で呼び止められてそれを邪魔されては困る」
「確かに、私が居ることで、話しかけようとしたのに話しかけられなかった、と恨みがましい視線を何度か感じたけれど」
「君は女性避けにぴったりだ。安易に話しかけづらい雰囲気をまとっているし、眼力が強い。一睨みされただけで大概の女性は怯むだろう。そして、患者の侍女たちも今日は余計な話はしなかった、君が不機嫌そうに俺の後ろに突っ立っていたからだ」
「……そのような目的があって連れて来られていたとは」
「俺の診察を滞りなく行うための助けになるのだ。助手の仕事だろ?」
おかしそうに笑うリュシアンに、近くにあったクッションを投げつけた。そうすると、彼は更におかしそうに笑う。
「まあ、それももちろんあったが、やはり今日は君がいてくれて助かった。君みたいな目つきが悪い女性でも、診察の場に女性がいるとほっとするようだ。患者たちの顔が今日はくつろいでいるように感じた。それに作業の手際もいい」
「目つきが悪いは余計だけれど、役に立ったのならよかったんじゃないかしら?」
「そんな他人事のように」
「他人事だったらどんなにいいか」
今日はリュシアンに利用されたようでとても悔しかったが、それを口にするのはもっと悔しいのでやめておいた。
「ところで、コリンヌ王妃のことは?」
「そのことには口を挟むな」
「なによ、自分で彼女の部屋に連れて行ったんじゃない」
「そうだな、連れて行かなければよかったと後悔している」
それからは会話が途切れ、馬車の中は沈黙に支配された。慣れない場所で歩き回り、さすがのダリアも疲れてコクリコクリとしてしまった。
バロウ家に到着すると、まずはリュシアンが馬車を降り、それからダリアへと手を伸ばして馬車から降りるのに手を貸してくれた。さすがにこういうところはわきまえているようだ。
そして、ダリアと入れ違いになるように、リュシアンは再び馬車に乗り込んだ。
「あら、どこかへ出掛けるの?」
「王宮に戻る。今日は気になる患者がいるからな。怪我をした厩番も、熱が出ていたから少し気にかかるんだ」
そう言い残し、すぐに馬車は元の道を引き返して行ってしまった。
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