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「昨日のあの様子では、君を口説くにはずいぶんと時間がかかると思っていたが。気を変えてくれて嬉しいよ」
「その言い方だと、私がすぐに落ちる、尻軽女のようじゃない? 失礼だわ。素直に感謝だけしていればいいようなものの、あなたってばなにか余計なことを言わないと気が済まないのね」
「まあまあ、そう怒らずに。君はどうやらすぐにカッカする性格のようだな」
「別にカッカなんてしていないわ。冷静そのものよ。今回のことを引き受けたのは、せっかく王都に住んでいるのだから、一度王宮を訪れてみたいと思ったからよ」
ダリアとリュシアンは、王宮へ向かう馬車の中に居た。
あれからよくよく考えたのだ。言われてみれば、屋敷に閉じこもりきりになっているのは退屈だ。
それに故郷の友人に、王都に行くのならば王宮に行くこともあるだろう、その様子を手紙に書いて教えて欲しいと頼まれていたのことを思い出したのだ。
親戚にすらお披露目されていないダリアが、王宮で開催される晩餐会や舞踏会に同行を許されることはなかなか難しい。リュシアンは、二度目の結婚は裁判所によって無効にされたとはいえ、三度目の結婚である。三度目の妻を周囲に紹介するのは躊躇いがあるかもしれない……と、この厚かましい男がそんなことを気にするとは思えないが、ダリアへの嫌がらせとして晩餐会には連れて行かないということはあり得る。
ちなみに、リタも同行したがったが、今回はリュシアンの助手として行くのであって、その助手に侍女がいてはおかしいだろうと断った。泣く泣く諦めてもらって、別の機会を待ってもらうことになった。
(それに、この男に恩を売っておくのは悪くないわ。なにか言うことを聞かせるときに、今回のことを持ち出せるかもしれない)
そんな企みがあることを、この男はきっと分かっていないだろう。ダリアは心の中でほくそ笑んでいた。
ただ、当然のことながらイレーヌは今回のことに猛反対だった。妻が医師の助手として同行するなんて聞いたことがない、それが、どこかの田舎の往診医だったら人手不足のために仕方なく、ということもあり得ることかもしれないが、当家は伯爵家である。しかも、患者は王族をはじめとした身分の高い人たちばかりだ。そんな診療に、妻を立ち会わせるなんてとんでもない、とのことだった。
常識的な意見だと思ってダリアは聞いていたが、リュシアンはそんなイレーヌを言い含めてしまったのだ。あの人に勝てる人はそうそういないと思っていたが、イレーヌはどうやら孫には弱いらしい。そのことも、助手の件を引き受けてよかったと思うことのひとつだ。これからはイレーヌになにか頼み事があるときにはリュシアンを通した方がいいと分かった。彼も大人しくこちらの主張を聞いてくれるとは思えないが、イレーヌよりはましである。
リュシアンには、王宮内ではまずは黙って自分に付いてくればいい、と言われた。
王宮内は不慣れであり、どんな人がいるか分からないし、どんなしきたりがあるかも分からないので、まずは様子を見るべきだろう、と考えたダリアは大人しく頷いておいた。
馬車は王宮の門を通り、王宮の敷地内へと入っていった。
敷地内に入ったというのに、馬車はしばらく進み続けた。王宮は王宮の敷地内だけで小さな街ほどはあるくらい大きく、大小二十ほどの建物があり、教会や図書館や劇場があり、果樹園や植物園もあるそうだ。そして王宮の裏手には森があり川が流れているとも聞いた。
「これから行くのは、王族や高級貴族が住まう建物だ。特別に許可された者しか立ち入れない。それをわきまえてくれ」
言われなくても分かっているとばかりに頷くと、間もなくして馬車が止まった。
馬車から降りて見上げると、輝くような白い壁の宮殿がそこにはあった。宮殿は三階建てで、同じ形の長方形の窓が整然と並んでいた。その窓には神話に出てくるような天使の彫像があった。
その見事さに目を奪われていると、いつの間にかリュシアンの姿がない。見ると彼は建物の入り口へと入っていくところだった。ダリアは慌ててその後を追う。
そして王宮へと入ると、女性を連れていることなどまるで忘れたように早足で歩くリュシアンの後にぴったりくっつくように歩いて行った。
さすがはイルギス国の王宮である、見たこともない豪奢な調度類があり、天地創造を描いた天井画があり、目が眩みそうだったが、うかうかしていると置いていかれそうだったので、ゆっくり見ているような余裕はなかった。
そしてリュシアンの後ろを歩くダリアを見る人々の目も気になった。とあるメイド服を着た女性は、羨望の眼差しでリュシアンを見た後に、それに付いて歩くダリアを見てカッと目を見開き、恨めしい視線を送ってきた。
彼女の心の内を代弁するならば『私のリュシアン様と一緒に歩く、この背の低い黒髪の女は誰? 邪魔なのよ』といったところだろうか? 上背で見た目が悪くない、その上医師であるリュシアンは王宮では人気があるようだった。本性を知れば夢から覚めるだろうに。
「今日は助手一日目だ、なにも分からないだろう。まずは見学だと思って、俺の診察を見ていればいい」
「……分かったわ」
そうしてリュシアンは王宮のあちこちを歩き、患者を診ていった。
胃痛を訴えている者には胃薬を処方し、咳が酷い者には咳止めを処方していた。今は冬の終わりでまだまだ寒く、体調を崩している者が多かった。先日火傷をしたという者の火傷の様子を確かめて軟膏を塗って包帯を巻き、腰が痛くて動けないと言う者は仰向けに寝かせて、痛む部分を確かめてから腰を固定してしばらく動かないようにと言い、痛み止めを処方した。
手早く、しかし丁寧に診察していて、これは信頼される医師だと思われているだろう、と分かった。
(忙しくて、なかなか家に帰れないというもの分かるわね。悔しいけれど)
まさか、それを理解させるために助手として連れてきたのかと思ったが、恐らくは違うだろう。
「詰め所に行って薬を取ってこい。は? 場所が分からないだと? ちっ、一緒に行ってやるから、一度で覚えろ」
「しっかりと圧迫して血がちゃんと止まるか見ておけ。俺はちょっと別の患者のところへ行ってくるから」
純粋に手伝いが欲しくて連れて来たのだろう。妻として扱われているようにはとても思えなかった。助手としても酷い扱いだ。本当に助手として雇われたなら、一日分の給金をもらって夜逃げする。
そして、貴族相手だけかと思っていたが、そうでもないようだ。
途中で呼ばれて、怪我をした厩番の手当てに向かった。馬の背後に立って蹴られ、腕を骨折したようだった。
「しっかりと患者の腕を押さえておけ、手当がしづらいだろう」
命令口調で言われたのにむっとしてしまう。しかし、患者の前で嫌だとはとても言えなかったので大人しく従う。診療の手伝いをするのはやぶさかでもないが、偉そうな物言いが気に入らなかったのだ。
(やはりこの男の助手、というのが気に入らないわ)
思えば、中医学の師匠について診療を手伝って居た頃にはまるで気にならなかった。自分が認めていない者の手伝いをするのが嫌な、気が強いダリアであった。
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