1-13
「……明日はどうやって過ごそうかしらね?」
ダリアは暖炉近くのソファに腰掛け、靴を脱いで足置きに置いていた。
「新しい本でも探しに行こうかしら? 幸いなことに、この侯爵家では女性が外出してもそううるさく言われないから。ああ、でもリタは付き合わなくていいわよ」
「え……どうしてでしょうか?」
それが不満という表情をしたので、窘めるように言う。
「ずいぶんと疲れた顔をしているからよ。いつもよりも足取りもゆっくりだったわ。無理をさせたようで申し訳なかったわね、明日はゆっくり休んでいるといいわ」
ダリアが言うと、リタは驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔になった。
「さすがダリア様ですわ。確かに言われてみれば、少し疲れているように思います。私が気づいていない不調に気づくなんて」
「人を観察するのは、中医学の基本だもの」
イルギス国の医学では病を見るが、翠蓮国の中医学は人を見る。
その癖、が出たとでも言うべきか、ついつい人を観察してしまうのはダリアのいつもなのだ。今日は執事の足取りがいつもよりも重いようだ、二日酔いだろうか、だとか、掃除婦の動きが緩慢だ、慢性の倦怠感でもあるのだろうか、だとか。その不調を治すためにはあの生薬と生薬を合わせて、などと考えるが、相手は患者ではないのでなにも言わない。だが、リタはダリアの侍女であるし、実はかつては患者であった。そのこともあり、リタの不調には特に敏感で、なにかあれば伝えるようにしている。
「夕食の時間まで続きの間で休んでいたらどう? 私の方には特にお願いしたいことはないから」
「ええ、そうさせていただきます」
リタは一礼して主室から出て行った。
そう言えば、婚家に来てからというもの、リタは休むことなく働いていた。しかもダリアと違って部屋にこもっていればいいというものではなく、この屋敷の使用人たちもかかわっていかなければならないのだ。きっと気疲れもあったのだろう。
(さて、明日街に出るときには誰に共を頼もうかしら? 屋敷に閉じこもりきりになっているのは、気詰まりなのよね。なにかやることがあればよいのだけれど)
妻として、バロウ家の次期当主の妻としての役割はなにも任せてもらえない。
本来ならば使用人たちを取り仕切るだとか、付き合いのある方達とのお茶会や晩餐会を取り仕切るだとか、財産の管理をするなど、仕事はあるはずだがイレーヌはそのどれも自分でやっており、ダリアに手伝わせるだとか、後々はそれを任せようなんて気はまるでないようだ。
今のままでは本当にただの居候なのだが、向こうがそう望んでいるのだからどうしようもない。それに、嫁の役割のどれも、ダリアはあまり好きではなく、積極的にかかわりたいとは思わない。やらなくて済むならばそれに越したことはない。
背もたれに身体を預け、薄く瞳を閉じていると、扉が遠慮がちにノックされた。
誰かが来たのかと立ち上がり、裸足のままで床を歩いて扉を開けると、そこにはサリーが立っていた。急に扉を開けたからか、目を丸くしている。
「若旦那様が戻られて、部屋に来るようにとおっしゃっていますが、どうされますか?」
「……用事があるなら、向こうから来ればいいのに」
そう文句を言いつつ、あの男に自分の部屋に入られることには抵抗があるので、出向いた方がいいだろうと考えて、一旦扉を閉めて仕度を調えてから、サリーの案内でリュシアンの部屋に向かった。
彼の部屋に来るのは初めてだった。
ダリアの部屋は三階にあったが、リュシアンの部屋は四階の外れにあった。ちなみに、イレーヌの居室もバロウ侯爵の居室も四階にある。普通ならば夫婦の部屋は近いところにあるべきだろうが、バロウ家の一員として扱われていないのだろうと諦めている。
「ああ、来たのか。その辺に座ってくれ。すぐに出るから」
自分で呼んでおいてなんて雑な扱いだと不満に思いつつ、この男についてはもうなんの期待もすることはやめようと決めていたので、なにも言わずに一番近くにあるソファに腰掛けた。
ここは彼の書斎であるようだった。本棚にはいっぱいに本が詰め込まれ、執務机の上には書類が雑多に詰め込まれている。ソファや椅子には衣類がかけられていた。掃除が入っているのかと呆れたが、恐らくは執務机の上はいじるなと申し付けており、衣類はこちらに戻ってから適当に放ったものなのだろう。なんてだらしない、と呆れる。
「君には、明日から王宮に同行してもらいたいんだ?」
「……。は?」
「は? ではない。今言ったことが聞こえなかったのか? 王宮に……」
「いえいえ、待ってちょうだい。ちゃんと聞こえているわ。王宮に、ですって? 一体なんのために?」
「実は、俺の助手をしてくれていた者が、事情があって故郷に帰ってしまってな」
「なんですって?」
急な話題変更についていけず、怪訝な表情を向けてしまうダリアだった。
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