1-8
「……何事かしら?」
リタに声を掛けると、彼女は不安そうな表情をして首を横に振った。私が見てきます、と言ってサリーが部屋から出て行く。
そして、しばらくしてから血相を変えてサリーが戻ってきた。
「玄関ホールにある彫像が倒れて、お客様とメイド長が大怪我を……! 辺りが血の海で」
それを目の当たりにしてショックを受けたのか、サリーははへなへなとその場に座り込んでしまった。
「リタ、サリーを頼んだわね」
ダリアはそう言い置いて部屋から出て、玄関ホールへと急いだ。
長いドレスの裾を掴みながら、階段を駆け下りていくと途中で血だまりの中で倒れているメイド長の姿と、その側に座り、苦痛で顔を歪めている若い男性の姿が目に入った。恐らくはイレーヌの友人の息子であろう。
「まさか死んだの……?」
「あんなに血を出しているのよ……一瞬のことだったでしょう」
「お医者様は……? こんなときに旦那様か大旦那様がいらっしゃったら……」
「もう呼びに行っている……しかし、もう手遅れかもしれないが」
倒れているメイド長を遠巻きに見ながら、人々がそう囁きあっていた。
倒れてきた、人の背丈と同じほどの女神像が頭に当たり、鋭く彼女の頭を傷つけたようだった。かなりの出血量だ、床が彼女を中心にして血だまりになっていた。
そして側に座っている若い男性は、腕から血を流していた。
ダリアは階段の最後の段を勢いよく蹴り、ドレスが汚れることなど気にせず、メイド長の側に座り込み、まずは彼女の口元に耳を近づけ、それから手首の脈を取った。
「まだ死んでいないわ、脈がある。ショックで気を失っているだけよ」
そしてメイド長の怪我を確かめようと、血だらけの顔に触れる。手が血だらけになるが、ダリアはそんなもの気にしない。だが、周囲の者は気にしたらしい。はっと息を呑むような音が聞こえてきた。
頭の傷は深いが、致命傷とまではいっていなかった。それから腕に裂傷があった。頭を打った衝撃で気を失っているようだ。恐らくは骨を折るまではいっていない。ただ、このままにしておいたら命の危険がある。速やかな対処が必要だ。
「すぐに止血をしなければいけないわ。医者の家でしょう? 包帯くらいない? なければ、なにか布を持ってきて。シーツを裂いたものでも、テーブルクロスを裂いたものでもいいわ」
ダリアが鋭く声を上げると、側で見守っていた使用人の女性が駆け出した。それを見届けてから、今度は怪我をしている男性の方を見た。
「あなたは大丈夫? 怪我は腕だけ?」
ダリアの呼びかけに、彼は苦しげな表情をしつつ視線を下げた。
「腕よりも脚の方に痛みが」
「ちょっと失礼」
そう言いつつ、彼の脚衣をまくった。
右脚が大きく腫れ上がり、赤紫色になっていた。左脚には異常がない。
「少し痛むかも、ごめんなさいね」
そう言いつつ彼の脚を確かめた。彼は痛みのせいなのが、うめき声を上げた。
骨は折れている可能性が高かったが、骨の位置がずれて周囲の筋肉に食い込んでいるといったような、複雑な骨折ではない。これならば充分に冷やしてから固定すればまずはよいと判断した。
「彼は厨房に運んで、たらいに冷たい井戸の水を入れて冷やして。それから彼女は暖かい部屋に運びたい。誰か手伝って! ほら、そこに突っ立っているあなた、手を貸して」
せわしなく手を振って、彼に足を持つように指示して、その間にやって来た他の男性とも力を合わせてメイド長を持ち上げた。怪我を負った若い男性の方は、他の使用人の手を借りて立ち上がり、怪我をした右脚を上げ、左足を床について厨房の方へと歩いて行った。
「その執事の控えの間には暖炉に火が入っているでしょう? とりあえず彼女はそこに運びましょう。それからお湯を沸かして」
ダリアが指示すると、怪我人を遠巻きに見つめることしかできなかった者達がせわしく動き始めた。
それを見ながらダリアは怪我人の頭をできるだけ動かさないようにと慎重に、しかし迅速に、玄関ホールに面した部屋へと彼女を連れて行った。
メイド長をソファに横たえると、その間に包帯をいっぱいに抱えたメイドがダリアの側にやって来た。
「ありがとう、そんなにたくさんはいらないけれど」
そして慣れた手つきで脇の下をきつく包帯で巻いて止血をした。
それから頭と腕に包帯を巻いた。すると彼女が苦しげに呻いたので、襟元を緩ませて、靴を脱がせた。
「あのぅ、ダリア様」
執事がおずおずと声をかけてきた。
「厨房へ行った彼の方は? 言われた通りに足を冷やしておりますが」
「そのまましばらく冷やしておいて」
「どうか、彼の方を先に手当を。大切なお客様のご子息です。なにかあっては」
大量出血で意識がないメイド長よりも、身分の高い男性の方を助けろと言っているのだろうか。ダリアはそんなことは受け入れがたく、呆れたように言う。
「骨折くらいで死にはしないわ。でも、彼女には命の危機があるわ」
「いえ、しかし」
「こちらの方が重傷! 私は先に命の危機がある方を助けるわ!」
「は、はあ……。承知いたしました」
執事が圧倒されたように言って、部屋を出て行った。
それから荒い息を吐きながら、青白い顔をして横たわっているメイド長を見つめつつ、ダリアは彼女の手をとった。
脈拍が弱い。大量に出血しているためだろう。なにか気付け薬でも飲ませた方がいいだろうかと考えていたときだった。
玄関ホールがまた騒がしくなった。なにがあったのかと気にしていると、部屋の扉が勢いよく開かれた。
「……なにがあった?」
部屋に入って来たのはリュシアンであった。そういえば、今夜帰ってくるかもしれないと聞いていた。切羽詰まった顔をしている。玄関ホールの血を見て、ただ事ではないと誰に言われなくても気づいて駆け付けてきたのだろう。
「あら? あなたが来て嬉しいなんて思うことが私の人生にはないかと思っていたのに、あったのね」
怪我人を診るためにしゃがんでいたダリアは、皮肉げに笑って立ち上がった。
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