Ⅶ・傷心
「カワイイね~」
『エヘン』
そう言われて、ぼくは満足だった。
「いくつの時?」
「え~、幼稚園に入る前じゃない」
どうしてそんな事をしたのか?
特別、理由があったわけじゃないけど…ぼくは、自分の幼かった頃の写真を学校に持参して、隣りに座るM・Kさんに見せていた。
「おねーさんみたいな感じ」というわけではないが、一月「早生まれ」のぼくと、『こどもの日』生まれのM・Kさんとでは、八ヶ月ほどの歳の違いがあった。
髪は長からず・短からず。(ちょっとクセっ毛だ)。
背は高からず・低からず。(ホンノリ柔らかなカラダの線)。
顔立ちは、ぼくに言わせれば「日本的」。
「カワイイね~」
『へヘン』
ぼくは満足だった。
(自分で言うのも何だけど…ぼくは母曰く「女の子みたいに可愛い子供」で、「よく女の子に間違われた」んだそうだ)。
『なんだかとっても楽しいよ』
隣り同士になったM・Kさんとは、特に意識しなくても、気軽に・いろんな事が話せた。たとえば…
「うちのお父さんて、そういう仕事してるんだよ」
「え?」
ぼくは驚いた。
『ホント?』
ぼくはちょうど、『傷だらけの天使』のショーケンみたいな仕事…
「私立探偵ってカッコイイ」
そんな話を、しはじまったところだ。
(男なら誰でも一度は、映画やテレビの刑事や探偵みたいな、波乱万丈な仕事や人生に憧れるものだ)。
なのにM・Kさんは、アッサリそう言ったのだ。
『ほんとに、そんな仕事ってあるの?』
まあ、よくよく聞けば、いわゆる興信所ではなく、民間の調査機関らしい。
『へえ~、そんな仕事もあるんだ』
ぼくは思った。
どこかの会社が倒産した時など、負債額やらなんやら、「○○○○リサーチ調べ」という文句が新聞に載っている。その会社だ。
(そのくらいだから、「そっち方面」では最大手なのだろう。M・Kさんにその話を聞くまで、ぜんぜん知らなかったけど…ぼくの街にも、その支社か営業所があったわけだ)。
余談はさておき、とにかく…
『なんだかとっても楽しいよ』
でもべつに、前々からM・Kさんに気があったわけじゃない。
二年生で初めて同じクラスになって、もう十ヶ月。その間、特に意識した事などなかったのに…初めて、気の合う女性に出会ったような気がした。
(今までの・これまでの「好き」っていう気持ちは、単なる「あこがれ」だ。だってT子さんとは、小学校四年生以来、四年近くも言葉を交わした事がなかったんだから…)。
「好きな人には、自分の子供の頃の写真を見てもらいたくなる」
そんな話を聞いたのは、もっと・ずっと後のことだ。
とにかくぼくは、毎日学校へ行くのが楽しくて…帰りたくなくて…。
一番辛かったのは、座席が毎週一列ずつズレる事。ぼくの列が一番南側の窓際に来ると、当然、左隣りのM・Kさんの列は、一番遠い廊下側に行ってしまう。
そんなM・Kさんの姿を目で追っていると、「織姫」と離ればなれになった「彦星」みたいな気分だ。
(どんな気分だ?)。
まあ・それ以外は、いたって快適な毎日。
「ふ~」
そっちの方は順調だったけど、ケガの方はなかなか直らなかった。
(あれから数週間たつのに、レントゲンを撮っても、まだ着いてない。ぼくは二回ほど、ギブスを巻き直された)。
「若いのに…?」
お医者さんも、クビをひねった。
『しかたないよ』
ぼくにはわかっていた。だって…
退院して学校に行くようになった、最初の体育の授業。寒い曇り空の下、ぼくはみんながサッカーをやっているのを、ゴール裏で見学していた。
授業が終わり、遠くにみんなが引き上げるのを見ながら、ぼくも歩き出す。その時だ。
『ヤべッ!』
ぼくはつま先を、地面に垂れていたサッカー・ゴールのネットに引っ掛けた。
「!」
黒い地面が迫ってくる。とっさに手を着こうとしたのだが…左肩はギブスで固定されている。ヒジや手首は自由だけど、腕全体は動かせない。
それで、モロ前向きに、転んでしまった。
「イッテ~!」
ぼくは、ひっくり返ったカメみたいに…ただし、うつぶせだったけど…顔まで土にまみれて、もがいていた。
左腕を伸ばせないので、起き上がれない。遠くにいるみんなは、気づいてもくれない…というより、誰の姿も見えなくなっていた。叫んだって仕方ない。
『さて、どうしよう?』
ぼくは考えた。
まず右腕を着いて…グッと伸ばして…身体が横を向く…ここから一気に…ドスン…あおむけだ。
「ふ~」
次に腹筋に力を入れて…上半身を起す。あとは右手を着いて、立ち上がるだけ…文字にすると簡単だけど、この間、二~三分はかかったと思う。
でも・この時は、まだマシな方だった。
あれは、雪が降り積もった翌日の休み時間。みんなは、靴脱ぎ場を出た所で「雪合戦」をしている。
ぼくは…手が不自由なので、固めた雪を足で蹴っていたのだけど…ツルン。
「ドッスン!」
空の青が、一瞬黄色く見えた。
『イッテ~!』
ケガをしている左肩から、モロに落ちた。痛くて声も出ない。
『こんなんじゃ、着いた骨も離れちゃうよ』
そんなこんなの数週間後。
「あっち向いて」
さびしい一週間を堪え忍び、戻ってきたぼくは、M・Kさんのその言葉に、壁の方を向く。
(ぼくの列は、一番廊下側に回ってきた)。
左隣りのM・Kさんは、ぼくの背中をポンとたたく。
「もうつけてないんだね」
「うん」
その代わり、リハビリはまったくいらなかった。ギブスを取ったその日から、ぼくの左腕は・まったく問題なく動いた。若さの賜物だ。
(もっとも、水泳で鍛えた胸の筋肉は、すっかり落ちていたけど…)。
ぼくが振り返ると今度は…
「はい、コレ!」
M・Kさんはそう言って、ぼくが休んでいた頃の授業のノートを貸してくれた。
(一週間前の約束を、ちゃんと憶えていてくれたのだ。それにM・Kさんは、ぼくなんかよりずっと成績が良かった)。
淡い青色の大学ノート。そして、こう言う。
「シコンブ、一年生とかに、けっこう人気あるみたいだよ」
遅くなったけど「シコンブ」とは、この頃のぼくのアダ名だ。
ぼくの名前をモジッたのだろうけど…誰に命名されたのか、本人のぼくですら定かではない。
(なかには「ちょうしコンブ~」なんて、節回しをつけて呼ぶ女子もいた。べつに千葉県の「銚子」にも、海草の「昆布」にも、縁もゆかりもないし…そんなに「調子こんでた」おぼえもない)。
「え~、そんなことないよ」
ぼくはM・Kさんにそう言ったけど、まんざらデマでもない。
「誕生日はいつですか?」「好きな食べ物は何ですか?」…エト・セトラ。
一年の時から、そんなアンケートみたいな物を頼まれた事はあった。
相手もわかっていたけど…みんな話もした事がない人(上級生には、この言葉)や、女子(同級生以下は、こっちだ)ばかりだった。
「いっぱいもらったら、一個ちょうだいね」
「そんなことないよ~」
ぼくは謙遜したけど、チョッピリ期待。あしたは「2月14日」だ。
(『バレンタイン・デー』なんて、いったい誰のたくらみなのか…?。この頃には、そういった習慣が出来上がっていた)。
まあ・それで経済に活気が出るのなら、それは・それで良い事なのだろうけど…なんて理屈、あの時はぜんぜん考えてなかった。とにかく…
『もらえるものなら、もらおうじゃないか』
相手が誰でも、嬉しいに決まってる。だってぼくは、『バレンタイン・デー』にチョコをもらった事なんて、これまで一度もなかったのだから。でも…
『ぼくのファンは、みんな内気で困るよ』
2月14日の放課後。
ぼくはウロウロしてたけど、前評判とは裏腹に、一個ももらえなかった。もちろん、M・Kさんからも…。
(まだ「義理チョコ」なんて、言葉も習慣もなかったのだ)。
『おれは、チャラチャラしてるヒマなんてないんだよ』
硬派ぶる…それでイイじゃん。
そうこうしているうちに迎えた学年末試験。
勉強する事が習慣になっていたぼくは、驚くべき大躍進を遂げた。
「どうしちゃったの?」
M・Kさんも驚いた。
ぼくは良くても悪くても、点数を隠すような人間じゃなかった。だから、みんなぼくの点数を知っていた。
(ぼくは今でも、点数と給料の額を隠すような奴が大嫌いだ。もっとも、人の事などに関心はないけれど…「まあ、勝手にやってくれ」って感じだ)。
最後のひと科目を残した時点で、どうやらぼくは、クラスでトップのようだった。
「…休んでたのに」
M・Kさんに感心されるなんて、なんだか嬉しい。
でも、ぼくにはわかってた。最後の「数学」が返ってきて、成績上位陣は安心した。
『50点「満点」で24点』
半分にも満たない。。
『ゴメンナサイ。数学はやってませんでした』
(機械は好きだし、「技術・家庭」は得意なのに…どうもぼくは、「数学」と、あと「音楽」には向いてないんだよね)。
そして、生涯もっとも楽しかった学校生活は(と言っても、特別何かをやったというわけじゃないんだけど)、三月で終わった。
ぼくの心に着いた火は、はじめは小さかったけど、だんだん大きくなっていた。
迎えた新学年。
でもぼくたちは、別々のクラスになってしまった…ショボン。
M・Kさんから借りたノートの一番最後。裏表紙に書いてあった言葉。
(べつに、ぼくに贈られた言葉じゃないけど)。
今でもおぼえてる。
“I will never forget you” 「あなたのことを、わすれない」
それは誰の事なの?
ぼくはあなたの事、決して忘れないよ。
…M・Kさんの姿は、すぐに体育館の陰に隠れてしまった。もう、みんなで帰るところだったのだろう。
でも最後に、こっちを…ぼくの方を…見ていた気がした。
『うぬぼれかな?』
でもぼくたちは、とっても仲が良かった…はずだ。
「男の人は、ハンカチ五枚、持ってなくちゃいけないんだって」
「へえ~、どうして?」
「二枚は自分が使う物で、あとの三枚は、なにかあったとき…女の人がベンチに座るときに敷いてあげたり、泣いたときに貸してあげるんだって」
「ふう~ん」
ぼくはその日の晩、家にあったハンカチを引っ張り出し、一番マトモそうな五枚プラス予備アルファーの、白いハンカチを選び出した。
(ナゼかあの時は、『白じゃなくちゃダメだ』と思っていたのだ)。
そして丁寧にアイロンをかけ、「四つ折り」にした翌日…
「きょうはハンカチ、五枚持ってるんだ」
ブレザーの上着に二枚。ズボンのポケットに二枚。あと一枚はカバンの中。
「うん。わたしが泣いたら、貸してね」
「エヘへ」
ぼくはちょっとテレ笑い。でも…
『あなたが泣くときって、どんなとき?』
『そんなとき、そばにいられたらいいんだけど…』
I will never forget you”
「ハ~」
『思い出してると、タメ息が出ちゃうよ』
そんなやりとり、思い出していた。さらに…
『先生に指された時、まずはじめに「エッ、ト~」と言うのが、あなたのクセ。たぶん、あなたのそんなクセ、自分でも気づいてないでしょ? わかっているのは、世界でたったひとり…このぼくだけだよ。隣りで見てたから、よ~く知ってるんだ』
「ハ~」
出るのはタメ息ばかりだけど…ぼくは部活の後、学校のすぐ脇にある駄菓子屋(と言うよりパン屋)で、カップの氷アイスを食べていた。
夏は嫌いじゃなかったけど、暑いのは苦手だった。
(夏の運動の後は、いくら水分を摂っても足りない。基本的に、「汗っかき」でもあった)。
「ノブユキん家、行こうぜ」
副将のカトンブが言う。
(太めの「加藤」だから、そんなアダ名になったんだと思う)。
「今日は誰もいないんだろ?」
カトンブはノブユキに、念を押す。
ぼくは一度も行った事はなかったけど、中堅ノブユキの家は、ここから十分もかからない。
ノブユキは栗色の髪の毛、茶色の瞳、色が白くて「ロシアの血でも入ってるんじゃね~の」といった、きれいな顔をした男だ。
(詳しくは知らないが、「母子家庭」のようだ)。
「アレ見せてくれよ」とカトンブ。
「やだよ~」とノブユキ。
『どうせエッチな写真か雑誌だろ』
ぼくはふたりのやりとりから、そんな風に思っていたのだけど…。
(でも・その日は、ぼくにとって「運命の日」だったのだ。その時は・まだ、そんな事になるなんて、思ってもみなかったのだけど…)。
結局ぼくたち三人は、カトンブの強引さに押されて…ぼくも、特別・用事もなかったし…ノブユキの家に行く事になった。
『やめときゃよかったよ』
でも・もう、後の祭り…
ノブユキの家は、かつてぼくが小学生だった頃、サーキットに見立てて自転車で走り回っていた商業高校のすぐ近くだった。
一階のほとんどは駐車場になっていて、住居は二階だ。ぼくたちは…文字通り…ノブユキの部屋に上がり込む。
「アレ見せろよ」とカトンブ。カトンブは、しつこく催促する。それでノブユキも最後には「わかったよ」と言って、数通の手紙の束を、押し入れから引っ張り出してくる。
『なあ~んだ』
ノブユキ宛てのラブ・レター。べつにどうでもいい事だけど、せっかくだ。まあチョッピリ興味もある。差出人の名前は…「M・K」。
『え?』
ぼくは我が目をうたがった。でも、間違うはずがない。
イニシャルで「M・K」なんて書くとわからないだろうけど、珍しい名前で、特に「K」の名を持つ人とは、M・Kさん以外、出会った事がない。
『…』
ぼくは、脇で騒いでいる二人を横目に、チラチラと手紙に目を走らす。
はっきり言って、頭に血が昇ってしまい、細かい内容は頭に入らなかった。でも・それは、M・Kさんのノブユキに対する想いがこめられた、正真正銘の「ラブ・レター」。
『ノブユキとM・Kさんは、同じクラスだったんだ』
一年生の時の事らしいけど、その頃のM・Kさんなんて、ぼくは全然知らない。
『…』
気が遠くなる思いだ。ぼくの持っていたM・Kさんのイメージは、もっと大人っぽくて、「ラブ・レター」なんて書くような人には見えなかったんだけど…。
『こういう物、人に見せちゃいけないよ』
ぼくがT子さんに送った手紙は、その後どうなったんだろう?
『もう「過去」のことだから?』
ノブユキは最近、ぼくの家の近くに住んでいる、同級の子と噂がある。小学校の時の、ぼくのクラス・メイトだ。噂によると、向こうが押しているようなのだけど…。
カトンブは今、その件でノブユキに詰め寄っている。
『コイツらにしゃべらなくて、よかったよ』
男子の間でも、「誰が好きか」なんて話題はよくあがる事。
今のところ、ぼくのM・Kさんに対する想いを知っている奴はいない。もっとも知っていたら、こんな事しないだろうけど…。
『ぼくの知らないM・Kさんを、知ってるヤツがいる…』
『M・Kさんが好きになった男が、いま目の前にいる…』
「嫉妬」と「焼きモチ」。
こんな気持ちになるのは、生まれて初めて…でもノブユキは、カッコも良いし、中身だってイイ奴だ。『それも当然』って気もする。
特別「恨み」や「呪い」は感じなかったけど、なんだか複雑な気持ち…こんな、こんがらかった気持ちになるのも…今まで経験した事がない。
『いまM・Kさんは、ノブユキのこと、どう思ってるんだろ?』
その日・その後のぼくは、極端に無口になって、ノブユキの家をあとにした。
『あの時…部活の帰りがけ…あなたが見ていたのは、ノブユキのことだったの…?』
“I will never forget you”
『それはアイツのことなの?』
「失望感」と言うか、「喪失感」とでも言うのか…T子さんにフラれた時のような、ポッカリ穴の開いたような空虚な気持ち…
でも・それは、あの時よりずっと大きくて、持続性のあるものだった。
『こんな事がなければ、その後のぼくの人生、もっと違った展開になっていたかもしれない』
そんな風に思わせる、最初の経験だった。