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Ⅲ・プール

 霧が晴れ上がった夏の日の午前中。もう、夏の強い陽射しが射している。

「関東平野」の北のはずれ。内陸性の気候は、夏はとても蒸し暑く、冬はまとわりつくような寒さだ。積もるほどの雪は年に一~二回だけど、夏は濃い霧が出る日がある。田んぼの多い平野部だからだろう。昼間蒸発した田んぼの水分が、夜間に冷やされて朝方の霧になる。ぼくはそう思っていた。


 ぼくは歩き出す。街のメイン・ストリートからは外れているけど、商店が建ち並ぶ。学校までは、徒歩で20分といったところ。

 家の目の前を南北に走る道は、数年前、道路が拡張された。両側二車線だった車道が、片側二車線、計四車線になった。対岸の家々は少し遠くになったが、渋滞の緩和にはなっていないようだ。道幅は広くなったが、そのぶん通行量も増えた。


(でも今では、街並みは寂れがち。車の量が増えたぶん、人足が減り、かえって商売には適さない地になってしまった)。


 ぼくの家は、旧「奥州(おうしゅう)街道」沿い。もともとの「国道4号線」だ。

 今では街の郊外に「4号バイパス」が走っていたけど、かつては「昭和天皇」が、隣りの「高根沢(たかねざわ)町」の「御料(ごりょう)牧場」に行く時、すぐ近くの「国鉄宇都宮(うつのみや)」の駅から、クルマに乗ってここの前を通っていた。ぼくはスモークの窓越しに、「昭和天皇」の顔が見えた事をおぼえている。「東日本駅伝」も、ここを通っていた。そんな時ぼくは、配られた「日の丸」や、新聞社の名前の入った紙の旗を振っていた。


(現在、さらにその外側に、「新4号バイパス」が通っている)。


 でも、文化や芸術の育たない県だった。目立った文化人や有名な芸能人は、ほとんどいない。後に地元で「国体」が開催された時には、サッカーの「選手強化委員長」も務めた父は、「まとまりのない」県民性をなげいていた。

 西方には「東照宮(とうしょうぐう)」で有名な「日光(にっこう)連山」がそびえ、北方には「九尾(きゅうび)のキツネ」の伝説のある「那須(なす)」の山々も控えているけど、ぼくの街のあたりは、だいたいが起伏の無い平野で占められている。


『平坦な場所に生まれ育つと、感情の起伏もなくなるんだ』


 ぼくは、そんなふうに思っていた。実際ぼくも、遠くばかりを眺めて、足元を見ないようなところがあった。

 後年、ぼくが大人になった頃には、河川敷にある公園やサイクリング・ロードなどもずいぶんと整備されたが…


(何か理由があって、そういった所のお金をかけなくてはいけないのだろう)。


 郊外で不便なせいもあるのだろうが、利用者は少ない。まあ・もっとも、ぼくにしてみれば「空いてる所でノンビリ」できるので良いのだが…。


(他の県から移ってきた人に言わせれば、日曜など、「出もしないパチンコ屋ばかりが混んでいる」そうだ)。


 だいたい、中途半端に首都圏に近いのがいけないのだ。

「生まれた所を遠く離れて」、ひと旗挙げるには近すぎる。刹那的に意を決して、中央に打って出ようなんて気骨は必要ない。いつでも帰って来られる距離だ。

 また、文化の中心に対抗して、独自の文化を築こうなんて気概も無い。テレビのチャンネルは「東京」と同じだし、文化的なもの…美術館や博物館、劇場など…本格的・格式高いものは、都会に出れば事足りる。


(何も無いくせに、何でも揃っている気になっている。あるいは無関心。たぶん…そんな感じだ。今ではそう思う)。


 もう高く昇った夏の太陽は、校庭を白く照らしている。

 ぼくの通う学校は、旧制の頃から、ここにあったそうだ。ぼくが入学した頃には、まだ木造の校舎が残っていたけど、三年生になる頃には、すべてが新しくなっていた。

 東側から校庭を横切り、西のはずれのプールに向かう。


「よお!」


 プールの入口の所で、ぼくは声をかける。ぼくのクラス・メイト「ユージ」。

 彼は「自由形」の選手だが、中・長距離を得意としていた。そのせいか、色は黒かったけど、水泳をやっているわりには細身で、はっきり言って50メートルくらいなら、ぼくのほうが速く泳げる自信があった。それに同じクラスだから、「校内水泳大会」でも、直接のライバルとはならない。


(彼はなかなか良い選手だったようで、何かの大会で入賞した事もあった。工業高校に進んだが、マジメな人柄と水泳の実績が認められ、どこかの大学に推薦入学したらしい)。


 今回の「お手伝い」は、彼に頼まれたというのが一番の理由だったけど…。


(中に回ってみると、もうプールの水はすっかり抜かれていた。こんな状態になったプールを見るのは初めてだ)。


 裸足になって腕まくり。蛇口につないだホースから水を流し、デッキ・ブラシで床面をこする。コケやノロでヌルヌルしている。


「ゴシ・ゴシ・ゴシ」


 午前中とはいえ、もう気温はかなり上がっていた。でも、()かれた水が蒸発する時、「気化潜熱(きかせんねつ)」を奪っていく。それで温度が下がるのだ。夏に「打ち水」「撒き水」をするのはそのためだ。だからそんなに悪くない。ぼくはセッセとブラシを動かす。


「ゴシ・ゴシ・ゴシ」


 ぼくが生まれ育った「栃木県」は「海無し県」。今のように、そこら中に「室内温水プール」がある時代じゃない。でも・ぼくは、水泳が得意だった。小学生の時には、学校の代表で市の水泳大会にも出た。たしかに、泳ぐのが好きで、夏にはしょっちゅうプールに通っていたけど、たぶんそれは、ぼくが持って生まれた「血」だ。

 ぼくの運動神経は、完全に母親譲り。「満州」生まれの母は、スキー・スケートが得意で、水泳は背泳(バック)の国体選手。


(そのせいかどうか、上手・下手は別として、ぼくは誰に教わるでもなく、ただその場にいるだけで「滑れる」「泳げる」ようになったものだ)。


 はっきり言って、短距離の自由形でぼくにかなう奴は、そうはいない。でもぼくは、二年連続で敗れていた…


「ぜったいに、お前の方が早かった!」


 度の強い、黒縁のメガネ。細くて色白で、インテリ・タイプの先生だった。

 ぼくの一年の時の担任の先生。G先生。見ての通りの、穏やかな先生だった。その先生が、白い頬を紅潮させて、ブツブツ文句を言っていた。


「ぜったいに、お前の方が早かった!」


 先生はぼくの方を見て、興奮でちょっと潤んだ目で、つぶやくようにそう言う。


『あの先生が…』


 先生は、判定にクレームを付けに行き、戻って来たところだったけど…ぼくの担任の先生のクレームは、受け入れられなかった。

 一年の時の「校内水泳大会」。ぼくはタッチの差で、水泳部の奴に負けた。


『来年があるさ』


 ぼくはそう思っていたけど、二年の時も、すんでの所で勝利を逃して二位だった。

 でも・あの時の、大会本部から戻って来る時の、G先生の姿が忘れられない。先生は、とっても熱くなっていた。そんな先生の姿を思い出すと、今でも何だか、とっても嬉しくなる。

 そして今年も、夏休みの最後には、「校内水泳大会」がある。


『今年こそは…』


 ぼくには、そんな思いがあった。


「フ~」


 汗を拭いながら、腰を伸ばす。ブラシを持った前傾姿勢は、中学生だって腰にくる。

 顔を上げたぼくは、チラリと視線をそらす。ぼくたちがいる所の、プールのちょうど反対側。同じクラスの女の子たちが数人、かたまっている。今日はぼく以外にも、ぼくのクラス・メイトが大勢来ていた。ナゼだかぼくのクラスは、みょうにまとまりがあった。


「?」


 その中のひとり。Y・K子。一瞬目が合う。ぼくはすぐに床に目を落としたけど、顔を上げ、そっちを向くと、いつも目が合う。別に、今に始まった事じゃない。

 K子とは、三年生のクラス替えで、初めて同じクラスになった。小柄で丸顔。マッシュルームと言うより「おかっぱ頭」。大騒ぎをするタイプじゃないけど、無口でもなくて、まあフツーの子。

 それまで…同じクラスになるまで…その存在に気づきもしなかったけど、同じクラスになったきわめて初期の頃から、ぼくはK子の視線を感じていた。普通におしゃべりとかはしたけど、なんだかあの「視線」があったから、こちらからは声が掛けづらくて…


「ね!」


「ん?」


「目、悪い?」


「ううん…」


 ぼくは首を横に振る。ぼくは視力がとっても良かった。「視力検査」は「二・○」までしかないから「二・○」だけど、もっと見えるんじゃないかと思っていた。


「どうして?」


「目が悪い人って、目がきれいだって言うから…」


『なに言ってんだコイツ?』


「目がきれいだから、目、悪いのかと思った」


『ハ?』


 そんなやりとり、おぼえてる。


「ヒャ~!」


 誰かが奇声を上げる。そちらに視線を移すと…

 プールの底というのは、水の汚れを目立たなくするためなのだろうか、塗られた青い塗料は、水が着くとよく滑る。それに、排水のためだろう、両側からまん中に向かって、まっすぐ平らに低くなっている。


「ウヒャヒャヒャ~」


 少し走って勢いをつけ、ホースの先から水が流れている斜面に入ると、両足で立ったまま、面白いように滑って行く。


「おもしろそうじゃん!」


 掃除なんて、もうじゅうぶんだ。ぼくはデッキ・ブラシを放り出す。


「ヒャ~」


 そのうち転んでズブ濡れになりながら、ぼくたちは飛沫(しぶき)を飛ばして転げ回っていた。

 プール・サイドに上がった女子たちは、そんなぼくたちを見下ろしている。あきれ顔の子もいたけど、K子のように、熱い視線を注いでいる子も…。


「ヒャ~ホ~!」


 ウキウキだ。ぼくは、自分の身体が「空間移動」するようなものなら、何だって好きだった。


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