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Ⅱ・夏休み

 ぼくは、並べた木製の「りんご箱」の上に板を張った、お手製のベッドに寝そべっていた。


「♪~♪」


 灰色の・デカクて古めかしい二つのスピーカーから流れる、軽快なリズム。

 ぼくは「サーフィン・ミュージック」や「ホット・ロッド」と呼ばれる音楽を生み出したグループ…「ザ・ビーチ・ボーイズ」の曲を聴いていた。もうかれこれ十数年前の楽曲だったけど、今、静かなリバイバル・ブームが起きていた。


「フン・フン・フ~ン」


 リズムに合わせて身体を揺するぼくの下では、「りんご箱」が、ギシギシと音を立てる。ぼくと同世代の人なら、まだ木造りの「りんご箱」という物が記憶の片隅にあるはずだ。


「ランプふたつ」


 木の「りんご箱」は、明かりの「ランプ」用燃料缶ふたつが、ちょうど入る大きさらしい。その昔…たぶん昭和の初期の頃だ…そんな風に呼ばれていたらしい。でも、ぼくがそんな事を知ったのは、もっとずっと·ずっと後の事だ。


「グオ~ン・ブオ~ン…」


 開けはなった窓からは、ひっきりなしに通り過ぎるクルマの騒音。ぼくの部屋は、大きな通りに面した二階の角部屋で、クルマの騒音はひどかったけど、ここで生まれ育ったぼくには、何の苦もなかった。


「♪~♪」


 なりばかり大きいスピーカーがふたつと、レコード・プレイヤーにチューナー。どちらも、もともと家にあった物で、壊れてしまった真空管のアンプだけは、ぼくの家から歩いて二~三分、今では北関東(いち)の家電量販店となった「コジマ」の、本家本元の本店で「TRIO(トリオ)」(現:KENWOOD(ケンウッド))を買ってもらった。

 でも・かえって、気がねなく深夜まで、ステレオの音を流せるので好都合だ。地方都市とはいえ、県庁所在地の、駅まで歩いて数分の所に、ぼくの家はあった。


「♪~♪」


 まだ午前中の涼しい時間。軽いビートは、この季節にはぴったりだ。でも、ぼくが「ザ・ビーチ・ボーイズ」を知ったのは、まだつい最近。そもそものキッカケは…


 夏休みの直前。封切られた二本立て洋画のメインは…『パニック映画の帝王』と呼ばれた「チャールトン・ヘストン」さん主演の…事故に遭遇したジェット旅客機の奇跡の生還を描いたパニック映画『エアポート75』だった。

 もちろんぼくの最初の目的は、そちらの作品だったわけで…だいたい・ぼくはそれまで、映画でもテレビでも、観る物はきまってアクションもの・怪獣もの・パニックもの・ヒーローものだった。架空で劇的なストーリーがないものに興味を抱くなんて事は、それまでなかったように思う。

 でも・ぼくは、そちらより、あくまで「おまけ」的に同時上映されたもう一本の映画の方に、心()かれてしまった。


 “American(アメリカン) Graffiti(グラフィティー)


「アメリカの落書き」とでも訳すの?


(戦争映画 『地獄の黙示録』で有名な巨匠「フランシス・フォード・コッポラ」氏のプロデュース。まだ『スターウォーズ』を撮る前の「ジョージ・ルーカス」氏が監督。大した役じゃないけれど、後の大スター「ハリソン・フォード」さんが出演している事に気づいたのは、ずいぶん後になってからだ)。


 そして事実その作品は、後々まで語り継がれる名作となった。


 1960年代初期。アメリカ西部の田舎街。


(『ベトナム戦争』以前。「ゆとり」と「余裕」のあった頃の「アメリカ文化」が、ぼくは大好きだ)。


 新学期前の、最後の「夏休み」。


(たぶん、「アメリカは九月新学期」だということは、このとき初めて知ったのだと思う)。


 友達や恋人、そして「ふるさと」との別れの前の晩の出来事。


「恋心」だっておぼえていたし、まだそれほど実感が()かなかったけど、人生で最初の岐路、「高校受験」も控えているし…きっとだんだん、そんな年齢になっていたのだろう。ぼくはいっぺんで、その映画が気に入ってしまった。


 そして・その作中では、全編、オールディーズのロックンロールが流れていた。


(まだ、ビデオなんて物が普及していない時代。ぼくはその映画の、「サウンド・トラック盤」のレコードを買った。サントラ盤とはいえ音楽映画。二枚組の、りっぱな音楽アルバムだった)。


 ぼくは「ロックンロール」が大好きだ。もともとの火着け役は、『王様(キング)』と呼ばれた「エルビス・プレスリー」様。


(ちなみにぼくは、「エルビス」王と同じ1月8日(ようか)生まれ。もちろん、年齢はぜんぜん違うけど…)。


 どういうわけか・ぼくの家には、一本だけ、8トラの「キング・オブ・ロックンロール」のテープがあった。


(この頃はまだ、「カーステレオ」と言えば8トラックばかりで、「エアコン」なんて物も無く、あと付けの「クーラー」だった)。


 ソイツはぼくのお気に入りで、ぼくの私物と化していた。小学校三~四年の頃から、父や母が運転するクルマに乗る時は、必ずソイツを持参していた。そして・この頃には、古くなった自動車用カーステ&スピーカーを部屋に持ち込んでいた。


(クーラー同様、今のクルマみたいに「埋め込み」ではなく、「あと付け」だったので簡単にはずせた。あとは、交流家庭電源用の「ACアダプター」をつなぐだけだ)。


『ビートにリズム感』


 小学生の時に「エルビス」の洗礼を受けたぼくが、「ロック大好き」になるのも当然だ。


(最近、「子供の知能の発達には、『クラシック』より『ポップス』系の音楽の方が効果的だ」という研究報告を耳にした。「クラシック」を否定するわけじゃないけど、「クラシック」は勉強が必要な「大人の音楽」だと思う。そんな・ぼくに言わせれば、「ロックは下半身で聴くもの」だけど、「クラシックは上半身で聴くもの」だ。「ロック」は思わず腰を振りたくなるが、「クラシック」はみんなが指揮者になってしまう。だから「エルビス」以前の大人たちは、「ロック」に嫌悪感を覚えたのだろう)。


 そしてフト気づくと、ぼくの家には一枚だけ、「ザ・ビートルズ」のアルバム『オールディーズ』があった。


(父は高校の英語の教師。「二世に習ったから会話もバッチリ」と豪語していた。若い頃には演劇のシナリオ・ライターを夢見た事もあったらしいが、今では「作家」ではなく「サッカー」漬けの日々。学校のサッカー部の顧問だったし、審判や役員も務めていた。知識人としての「見栄」なのか、単なる「新しい物好き」なのか…? とにかく・ぼくの家には、「エルビス」も「ビートルズ」も、すでにあった)。


 もうとっくに「ビートルズ」は解散していたけど、「ポール・マッカートニー」氏が結成した「ウイングス」が、大活躍を始めた頃。ぼくは、そういった音楽も聴くようになっていた。


(ちょうど、アルバム『ビーナス&マース』が発売された頃。そこからのシングル・カット「Listen To What The Man Said」…日本向けタイトル『あの()におせっかい』…は、たぶん、ぼくが初めて買った洋楽レコードだ。生まれて初めて買いに行ったのは…もっと子供の頃、「ウルトラン」などのソノシートを買ってもらったのを除けば…「桜田淳子」さんの『17の夏』だったと思う。女性歌手のレコードを、親に頼んで買ってもらうなんて、恥ずかしくてできないよ)。


 賛否両論はあったけど、一世を風靡(ふうび)したスコットランド出身のアイドル・ロック・グループ「ベイ・シティー・ローラーズ」の日本デビュー曲『バイバイ・ベイビー』が発売されたのも、この頃だ。


S・A・T・U・R・D・A・Y・Night!


 あの頃、英語が苦手だった中・高校生だって、「サタデー」の綴り(スペル)だけは書けたのは、彼らの『サタデー・ナイト』という曲のおかげだ。


(後々までぼくは、隠れ「ベイ・シティー・ローラーズ」ファンだったけど、「フィンガー・ファイブ」も好きだった)。


 今ではどうって事はないけど、当時としては早い方だった。最近やっと、そういった話ができる同級生が現われ始めたところだ。


(それから数年後。「アバ」が、レコード・セールスで「ビートルズ」の記録を抜いた…なんて騒がれたけど、時代が違うのだから仕方ない。レコード・プレイヤーすら普及していなかった頃とでは、購買層の幅が違うのだから。何でもそうだけど、経済の発展とともに、物ごとの低年齢化が進むものだ)。


「さてと…」


 あお向けになっていたぼくは、首だけ起こして、壁に掛かった時計の針を読む。

 南西に面したフローリングの部屋には、お手製のベッドと古びたステレオの他に、大きい物に買い換えて不要になった小型の冷蔵庫があった。


(と言っても、高さは1メーターほどはあっただろうか。当時としては、標準的な大きさだ)。


 中には、ビン牛乳とソーセージ。

 ぼくは、その前年、テレビで放映された「ショーケン」こと「萩原健一」さん主演の探偵モノ『傷だらけの天使』が、大のお気に入りだった。

 その一話・完結の連続ドラマの冒頭は、ちょっと気ダルイ、享楽的なテーマ・ソングに乗って「ショーケン」が、牛乳とソーセージ、ガッと塩をかけたトマトにかぶりつき、コーンビーフを食べる…そんな朝食を取るところから始まる。

 たぶんぼくは、当時の「フツーの中学二年生」より、ちょっとばかり早熟だったのだと思う。同級生の中に、その番組の存在自体知らない奴がいるなんて、ぼくには信じられない事だった。


(もっとも、「フツーの中学二年生」には、内容も複雑で、思春期の子供には刺激が強すぎる場面もあったから、親も良い顔はしないだろう。放映時間も少し遅くて、早い話、「子供向け」番組ではなかった。のちに夕方の時間、再放送された時には、そういった刺激的場面の多くはカットされていた)。


 よくある私立探偵の物語とは違って、カッコいいアクションや・ハデな立ち回りはないけれど、どこか憎めないふたりの若者。


(相方は、「アニキ~」のセリフが有名になった「水谷豊」さんだ)。


 そして、ちょっと切ないストーリー。


『世の中って、そうなのかな?』


 どうあがいても…太刀打ちできない・歯むかう事のできない、大人の世界や裏稼業。

 今まで見ていた「勧善懲悪」モノと違って、やるせない無常観を感じたものだ。


 いまだに、口だけで牛乳ビンのフタを開けられなかったけど…ぼくは牛乳で食パンとソーセージを流し込み、学校の制服を着る。

 (こん)のズボンに、素肌に白いYシャツ。

 ぼくは夏場、Yシャツの下に下着を着るのが嫌いだった。学校の行事があるとき以外はノーネクタイ。この上に、白っぽいグレーのブレザーがあるのだけど、夏はこれでオーケーだ。


(ぼくたちの、ひとつ上の学年から、このブレザーが制服になった。まだ他の学校…高校も含めて…すべての学校が「詰襟(つめえり)」の時代だ。なんでも・その数年前。陽の短い寒い季節。学校のすぐそばの、見通しの悪いカーブ。すっかり陽の落ちた、部活の帰り道。黒い「学ラン」を着た生徒が、死亡事故に()ったからだそうだ)。


 ステレオの電源を切って、部屋を出る。

 どういうわけか今日は、水泳部の連中と、学校のプール掃除をする事になっていた。水泳部員でもないぼくだけど、同学年の水泳部の連中とは仲が良かったし、良きライバルでもあったから…。


 時は1970年代中葉(ちゅうよう)

 ぼくは「junior(ジュニア) high(ハイ) (school(スクール))」…中学校の三年生(セニア)

 受験を控えた、最後の夏休みを過ごしていた。


 小さな街角から、もうちょっと大きな町へと、行動半径も交友関係も広がっていった時期。

 まだまだ「junior(ジュニア)」だったけど、見るもの何でも新鮮で、いろいろなものに、素直に「high(ハイ)」になる事ができた。


 そしてぼくには、「大人になったらやってみたい事」がひとつあった。


(今のぼくには、まだ不可能なこと。もっとも大人になっても、できるようになるかどうか、わからないけど…)。


「エルビス・プレスリー」様と、「藤岡弘、」さん演じる「仮面ライダー 本郷猛」や『日本レコ大』歌手「尾崎清彦」さん。そして、当時の日本のトップ・レーサー「鮒子田(ふしだ)(ひろし)」選手に共通するもの…ぼくはいっぺん、「もみあげ」を伸ばしてみたかった。


 ぼくは家を出た。

 まだ「夏休み」は、始まったばかりだ。


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