表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
87/156

第4章 第3話

「お風呂上がりましたー……え、何この空気。何か前にも似たようなことあったな」


修也が風呂からリビングに戻ってくるとそこでは蒼芽があたふたしており、その様子をにこやかに見つめている紅音の姿があった。

少し前に似たような光景を見ていた修也は既視感を覚えながらそう呟く。


「紅音さん、また何か言ったんですか?」

「ええ。蒼芽がちょっと浮かれすぎだったので忠告を」

「はぁ……」


聞いてみたい気もするが、何だか墓穴を掘りそうな予感がするので修也は言葉を濁す。


「蒼芽ちゃん、風呂空いたから入ってきなよ」

「……え? あ、はい。それでは失礼します」


そう言って蒼芽はリビングを後にする。

去り際にちらちらと自分の方を見ていたことに修也は気づいていたが、言及は避けた。


「修也さん、ここでの生活には慣れましたか?」


蒼芽がいなくなった後、紅音がおもむろに尋ねてきた。


「ええ、はい。おかげさまで快適です。友人と呼べる奴も何人もできましたし」

「そうですか。それは良かったです」


修也の回答に満足げに微笑む紅音。


「ただまぁ……今の状況は落ち着きませんが」

「と言いますと?」

「先輩のボディガードの件は無事完了したんですが、そのことで俺の評価が怖いくらい爆上がりしたんですよ」

「あら」

「今までは蒼芽ちゃんのクラスだけだったのに、今では俺のクラスを除いた学校全体ですよ?」

「修也さんのクラスは違うのですか?」

「俺のクラスはいつも通りですね。今日もよく分からないことで騒いでました」


白峰さんと黒沢さんがおかしな話題で盛り上がってたのもいつものことだし、他のクラスメイトとのやり取りも今までと変わらない。

普段あれだけとんでもないがどうでも良いことで騒いでいるだけあって、修也の行いもさして目立たないのであろう。


「転校した時はホントに大丈夫かこのクラスは……と思いましたが、今に限ってはこれが落ち着きますね」


どこに行くにしても油断するとすぐ人に囲まれる。

長らく人の輪から外れた生活を送りそれに慣れていた修也はそれが非常に落ち着かないのだ。

なので転校してきた時と何も変わらないというのは修也にとってかなりありがたい。


「あ、もちろん蒼芽ちゃんも今まで通り変わらず接してくれているのでとても助かってます」

「ふふ、それは直接蒼芽に言ってあげてください。喜びますよ」

「そうですか? 代わり映えしなくて助かるなんて俺の都合の押し付けでしょうに」

「修也さんの支えになれているというのが嬉しいんですよ、蒼芽の性格的に」

「だったら良いんですが……」


紅音の言葉にイマイチピンと来ない修也は頭を掻きながら呟く。


「…………お母さんの言う通りですよ、修也さん」


風呂に入るために廊下を歩いていて偶然修也と紅音の会話が聞こえた蒼芽は、誰にも聞こえない小さな声でそう呟くのであった。



「お風呂上がったよ、お母さん」


しばらくしてパジャマに着替えた蒼芽がリビングに戻ってきた。


「ええ、分かったわ」

「じゃあ俺は部屋に戻りますね」


そう言って紅音と同じタイミングで修也はリビングを出る。

自然と蒼芽も修也についていく形となる。


「お母さんと何の話をしていたんですか?」


自分の部屋に戻る途中、蒼芽がそんな質問をしてきた。


「ここの生活に慣れたかって聞かれたよ。はじめは不安もあったけど今はもう随分と慣れたもんだ」

「だったら良かったです。何か不便なことがあったら言ってくださいね」

「……いや何か、そこまで気を遣ってもらうのもなんだか申し訳ない気がするんだが」

「見返りにってわけじゃないですけど時々デートしてくれてるじゃないですか。それで十分ですよ」

「……俺ホントに前世でどんな徳積んだんだ?」


可愛い女の子に身の回りの世話をしてもらい、何かの機会があればデートまでしてくれる。

前世でよほどの善行を積まないとこんな事にはならない気がする。

前世とかは信じない質の修也ではあるが、ここまでくるとそう思わざるを得ない。


「引っ越し前の生活を聞く限りではこれでもまだ足りないと私は思いますけど」

「これでまだ足りないの!?」

「ええ。修也さんはもっと報われるべきです」

「う、うーん……そうは言ってもなぁ……」


確かに引っ越し前の修也の生活は灰色そのものだった。

だからと言って今の生活がその苦労に見合っているものとは修也は思えない。


「……とりあえず宗教興すのだけは止めてくれ」

「あ、あはは……確かにそれは私もどうかと思います……」


修也の言葉に苦笑いする蒼芽。

階段を上り終え、修也は自分の部屋の扉を開ける。


「こんばんはー、おにーさん!」

「……え?」


すると誰もいないはずの自分の部屋から声がしてきた。

予想していなかった事態に修也は困惑の声をあげる。

部屋の中ではパジャマ姿の由衣が修也のベッドの上にちょこんと座っていた。


「……あれ? 由衣ちゃん?」

「え? 由衣ちゃん?」


自分の部屋に入ろうとしていた蒼芽が修也の声を聞いて戻ってきた。


「おねーさんもこんばんはー」

「うん、こんばんは……」

「どうしたんだ由衣ちゃん? というかどこから入ってきたんだ?」


夕食前に由衣は玄関から自分の家に戻ったはずだ。

その後再びやってきたような形跡は無い。

ならばどうして由衣は修也の部屋にいるのだろうか?


「窓から来たんだよー」

「窓?」

「うんっ! 私の家とおねーさんの家は窓から窓へ行き来できるんだよー」

「……あ、そう言えば何かそんなこと言ってたな……」


舞原家に引っ越してきた初日に蒼芽からそんな説明があったのを思い出す修也。

そして最近暑くなってきたので、帰宅したら自分の部屋の窓を開けるようにしているのも思い出した。


「……え、この枝を伝って来てる訳? 怖くないのか?」

「うぅん、ぜーんぜん」


修也の問いに対して大きく首を横に振る由衣。


「だってこんなに太い枝なんだよー? 乗っても全然揺れないもん!」

「私が乗ると揺れますけどね……一応弁解しておきますと、由衣ちゃんが軽いんです。私が重い訳じゃないですからね!?」

「あ、うん。はい」


必死に訴えかける蒼芽に対し、修也はどう返事をしたらいいか分からず曖昧に相槌を打つ。


「……あっ! その反応は信じてませんね!? 疑うのなら……はい、どうぞ!」


そう言って蒼芽は修也に向けて両手を伸ばす。


「え…………? もしかして抱き抱えろ、と?」

「流石に体重計に乗って見せるのは恥ずかしいので……」


そう言って頬をかく蒼芽。


(抱き抱えられるのは恥ずかしくないのか……流石は蒼芽ちゃん)


蒼芽ほどのコミュ力の持ち主になるとそう言うスキンシップもできるのか、と感心する修也。


(……いや、同性相手だけだよな? 流石に異性相手にそれはコミュ力云々じゃないような)


それと同時にちょっと引っかかりも感じた。

蒼芽が他の男相手にそのような態度をとることを想像するとなんだかもやっとする。


(…………いやいや、俺にそんなこと口出しする権利なんて無いだろ)


そう自分に言い聞かせて思考を振り払う修也。


「修也さん? どうかしましたか?」


何か思い悩んでいる様子の修也を不思議に思い蒼芽が首を傾げる。


「ああいや何でもない。で、どう抱えれば良いんだ? 誤って変な所触っちゃっても訴訟とかは勘弁してくれよ?」

「しませんよ!? 普通に正面からで良いですよ」

「それじゃあ……よっと」


修也は右腕を蒼芽の背中に回し、左腕を太ももの裏に回して支えて蒼芽を持ち上げる。

蒼芽も蒼芽でバランスをとるために修也の首の後ろに腕を回してしがみつく。


(……前に腕組んで歩いた時も思ったけど蒼芽ちゃん、柔らかくて温かくて良い匂いがするなぁ……)

(……やっぱり修也さんに触れてると落ち着くなぁ……なんならずっとこのままでいたい……)


お互い口には出さないがそんな思惑を抱く。


「……はっ! ど、どうですか修也さん? 私重くないでしょう?」


しかし本来の目的を思い出した蒼芽は慌てて修也に問いかける。


「あ、あぁまあな。じゃあそれも分かったことだし……」


いつまでも抱き抱えているわけにもいかないので修也は蒼芽を降ろそうとしたのだが……


「良いなーおねーさん。ねーねーおにーさん、私もだっこしてー!」


横から由衣がせがんできた。


「えっ、由衣ちゃんも?」

「うんっ! 私もおにーさんにぎゅーっってしたーい!!」

「あ、あの由衣ちゃん? 私は別に修也さんに抱き着いてたわけじゃあ……」

「えー? してたよー?」

「ま、まぁ……そう見えても不思議は無いような……?」


修也は先程の状況を客観的に分析する。

確かにそう見えてもおかしくない状況ではあった。


「でしょー? だから私もー!」


そう言って由衣は蒼芽を床に下ろした修也に飛びついてきた。


「うわっと!?」


勢いよく飛びついてきたのでよろけて後ろに倒れそうになるが何とか踏みとどまる修也。


「えへへー、ぎゅー」


そう言って笑顔で修也にしがみつく由衣。


(……まぁ確かに軽いわな……)


由衣を抱え上げながら修也は密かにそう思う。

蒼芽よりも由衣は一回り程小さい。

ならば由衣の方が蒼芽よりも軽いのは当然の話である。

しかしそれを口に出すのはデリカシーが無いどころの話ではない。

なので修也は何も言わず、しばらくの間由衣を抱き抱えた後床に下ろす。


「はい、じゃあ次は私の番です!」


すると蒼芽が再び修也の正面にやってきた。


「あれ!? また!!?」

「何度も言いますけど由衣ちゃんが軽いんであって私は重くないんです。修也さんにはそれをちゃんと分かっていて欲しいんです!」

「いや分かってるよ? 十分分かってるよ!?」

「じゃあその次はまた私ー」

「え、由衣ちゃんもまた!?」

「だってー、おにーさんにぎゅーってしてるとなんだか落ち着くんだもん。でね? ずーっとぎゅーってしてたいなーって思うのー」

「えぇ……何だそれ……」


由衣の説明に呆れながら呟く修也。


(分かる……分かるよ由衣ちゃん、その気持ち……!)


それに対して蒼芽は声にこそ出さないが由衣に激しく同意する。

結局修也は由衣が満足するまで蒼芽と由衣を交互に何度も抱き抱えることになったのである。



「……いやね、流石に軽いとは言っても何回もやると俺も疲れるわけよ」

「すみません、ちょっと調子に乗りました……」


由衣が自分の部屋に帰った後、疲れ果てた修也の呟きに対して申し訳なさそうに謝る蒼芽。


「まぁ俺も役得と思ってた所もあるから強くは言えないけどさ」


可愛い女の子に抱き着かれて喜ばない男などそうはいないだろう。

いたとしたらそれは白峰さんや黒沢さんが悦ぶような人種だと思われる。


「にしてもさぁ……由衣ちゃん、ホントに今日が初対面だよな? とてもそうは思えないくらいの懐かれ様なんだが」


出会って数時間しか経っていないのにパジャマ姿で部屋にやってきて飛びついてくるなど、懐かれ方が尋常ではない。


「元々の由衣ちゃんの性格もありますし、長年の付き合いのある私からの紹介なので信頼できる人だと思ったんでしょうね」

「いやまぁ……うーん……」


由衣の屈託のない笑顔を思い出す修也。

あそこまで無邪気だと本当に何の思惑も無く純粋に修也のことを気に入っているのだろうというのが分かる。

ただ、今までこんなに好意的な反応をしてきた人に修也は会った事が無いのでどういう対応をすれば良いのか分からない。

蒼芽もそこそこ好意的ではあったが、由衣ほどではなかった。


「嫌われるよりは良いじゃないですか。難しく考えなくて良いですよ」

「……うん、そうかもな」


確かに蒼芽の言う通りだ。

今までずっと避けられ遠巻きにされ続けてきた修也なので、その辛さは身をもって知っている。

それに比べればややオーバーではあるものの懐かれる方が数倍マシである。


「……では話も纏まったところで打ち合わせをしましょうか」


話がひと段落したところで蒼芽がおもむろにそんなことを言い出した。


「……打ち合わせ? 何の?」

「明日のデートについてですよ」


何のことか分からない修也に対し、当然といった表情で答える蒼芽。


「明日!? そんな話してたっけ!?」

「はい。さっきしたじゃないですか」

「もしかして1分以内に由衣ちゃんと仲良くなれたら……ってやつ? それ明日の話だったんだ!?」

「善は急げと言うでしょう?」

「でも明日は平日だぞ? 普通に学校があるじゃないか」

「放課後デートって良いですよねぇ。やってみたかったんですよ」


言われてみれば蒼芽とのデートは休日に丸一日使ったものばかりだった。

学校から一緒に帰ったことはあるが、それはデートとは言わないだろう。


「はぁ……まぁ良いか。で? 何やるんだ?」

「そうですね……暑くなってきましたし、モールに行って夏用の新しい服とか見に行きたいです」

「ああ、それは良いかもな」

「せっかくだったら水着も見たいかも」

「えっ……ちょっと待って、それは俺は同行しない方が良いやつじゃあ……」


壮絶に嫌な予感がした修也はやんわりと辞退しようとするが……


「何言ってるんですか。それじゃあデートにならないじゃないですか」


案の定蒼芽に拒否された。


「いやしかし、女性の水着売り場とか……」

「下着売り場よりはハードル低いですよ」

「大して変わんねぇよ!?」

「大丈夫、修也さんならできます!」

「えぇ……何その根拠の無い自信……」


力強く断言する蒼芽を見て修也は溜息を吐く。


(あぁ……またあの刺すような目線に晒されるのか……)


そう思い修也は憂鬱な気分になる。

……が、先日の下着売り場の件では周りからは『たとえ下着であろうとも彼女の買い物に付き合ってあげられる優しい彼氏』と思われていて、実は修也の思うような目線は皆無だった。

むしろ修也が必死に女性下着から目を逸らそうとする様が初々しくて、その場にいた客は皆微笑ましいものを見る目をしていた。

つまりはただの修也の考えすぎなのだが、当の修也は全く気付いていないのであった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ