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第3章 第30話

「くそっ、アイツめ……下級庶民のくせに生意気な……!」


猪瀬は憤りながら足音と鼻息を荒くして走る。

猪瀬にとって先程の出来事は屈辱でしかなかった。

美穂が自分の婚約者として名乗り出て格の違いをあの場にいた修也たちに見せつけ、姫本家との繋がりを強固なものにする。

……そんなシナリオを猪瀬は本気で頭に思い浮かべていたのだ。

ところが蓋を開けてみればどうだ。

自分は完膚なきまでに振られ、さらには目の前で別の男に告白してカップルになる始末。

しかも、いつもの様に金にものを言わせて無理やり自分の思い通りに事を運ぶことも封じられた。

猪瀬は自分の思うように展開が進まないことに非常に苛立ちを感じていた。


「アイツさえ……アイツさえいなければ……!」


猪瀬は怒りの矛先を修也に向ける。

美穂にアプローチされたのは戒なのだが、それも修也の仕組んだことと脳内変換されていた。


「もう一刻の猶予も無い。どんな手を使ってもアイツを排除しないと……!」


猪瀬は頭をフル回転させて考える。

修也に言われた『金輪際華穂と美穂に言い寄らない』というのは始めから頭には無いらしい。

先程は勢いで言ったものの、決闘をするつもりは毛頭無い。

それは武術の経験が全くない自分と1対多数でも無傷で勝てる修也とが戦ったところで万に一つも勝ち目が無いから……という考えではない。

上級国民である自分が下級庶民ごときに手を汚すなんて馬鹿げていると考えているからだ。

いざ対峙したら圧倒的な身分の格差に修也が恐れおののいて土下座で謝ると猪瀬は本気で考えていた。

しかしそれでは怒りが治まらない。

どうにかして修也に痛い目を見せてやりたい。そして身の程を思い知らせてやりたい。

猪瀬はそう考えていた。


「だったらアイツ……スケルスと名乗ってたっけか……に任せて……いや……」


スケルスに闇討ちさせることも考えた猪瀬だが、すぐにその考えを打ち消した。

猪瀬はどちらかというとスケルスは参謀ポジションにあたると考えていた。

そういう立ち位置の人間は荒事には向いていないイメージが猪瀬の中に定着している。

実際スケルスは直接荒事に関わることは避けている節があった。

命令したところでやんわりとはぐらかされるのがオチだろう。

猪瀬はそう推察する。

それ以前に実はスケルスはもう猪瀬に見切りをつけて猪瀬の元から離れているのだがその事実を猪瀬はまだ知らない。


「……! そうだ、これなら……」


何かを思いついたらしい猪瀬はスマホを取り出しどこかに電話をかける。

数秒のコール音の後にかけた相手が電話に出てきた。


「遅い! 僕からのコールは即座に出ろといつも言っているだろ!」


開口一番電話口で叫ぶ猪瀬。


「……まぁ良い。無駄な時間を費やしている暇は無い。明日の朝6時に僕の通っている学校の校門まで来い。お前たち全員でだ」


電話の相手にそう命令を出す猪瀬。

急な命令に相手は戸惑っているようである。


「勘違いするなよ? これは命令だ。駒のお前たちに拒否権は無い。むしろ1回失敗したお前たちにもう1度チャンスを与えてやる僕の優しさに感謝してほしいくらいだ」


猪瀬の言葉に電話の相手は口を噤む。


「理解したな? じゃあ早々に行動に移れ。明日1分でも遅れたらその時は……分かっているな?」


そう念押しして猪瀬は相手の返事を待たずに電話を切る。


「クク……クククク……思い知らせてやる……思い知らせてやるぞ……!」


猪瀬は邪悪な顔でそう呟きながら再び歩き出すのであった。



「………………」


通話が切れたスマホを片手に1人の男が神妙な顔つきで道端で立ち尽くしていた。


「今の……猪瀬さんからか?」


その男の隣にいた別の男が問いかける。


「ああ……明日の朝6時に猪瀬さんの通っている学校の校門まで全員で来い、だとさ」


その答えを聞いて、隣にいた男が嫌そうな顔をする。


「うぇえ……もしかしてこの前のアイツに関係することか?」

「かもな」

「お、俺はもう嫌だぞ! あんな得体のしれない奴とやり合うの!」

「俺だって嫌だ。今思い出しても震えが止まらない……!」


先日のことを思い出して身震いする男たち。

彼らは先日猪瀬の命令で修也を襲撃し、返り討ちにあった男たちだ。

やはり実害が出ていない以上刑務所に入りたいという男たちの希望は叶わず、厳重注意で終わり釈放されてしまった。

いつ依頼失敗のペナルティが課されるか戦々恐々としていた時に先程の電話が来たのである。


「でも行かないと今度こそ廃人にされるかもしれない……お前も噂は聞いたことがあるだろ?」

「あ、あぁ……でも本当なのかあの噂?」

「……実際顔を見なくなった奴が何人かいるだろう」


その言葉を聞いて生唾を飲み込む男。

頬には冷や汗が流れている。


「……俺たちは既に1度失敗して恩赦を受けている身だ。従うしかないんだよ」

「で、でもよぅ……」

「……仲間全員に声をかけろ。もし招集に応じなくてもそいつを責めるのはやめてやれ。その時の責任は……俺が取る」

「お、おい……正気かお前!?」

「形だけでもリーダーだったんだ。最後くらいカッコつけさせてくれよ」


そう言ってその場を去る男。

その背中は悲壮な決意で満ち溢れていた。


「…………馬鹿野郎、どうしてお前はいつも……!」


そんなものを見せつけられては覚悟を決めるしかない。

残された男は他の仲間に声をかける為スマホを自分のポケットから取り出した。



翌朝6時。

リーダーの男は内心で安堵のため息を吐く。

校門前には仲間全員が集合しており、招集に応じない者が出たことの責任をとらずに済んだからだ。

ああは言ったもののやはり廃人にはなりたくなかったのである。


「お前ら……」

「お前だけに責任取らせるなんてマネさせねぇよ」

「そうだそうだ! なんだかんだ言っても俺たち仲良くつるんでたじゃねぇか。逝く時は皆一緒だぜ」


口々にそう言う男たち。

上下の人間関係は金で繋がった仮初のものだったが、横はそうでもなかったらしい。

今更ながらそのことに気づき、リーダーの男の胸の内が熱くなる。


「揃ってるな」


そこにリーダーの男の背中から声がかけられる。

振り返るとそこには猪瀬が立っていた。


「猪瀬さん、今回の集合は……」

「は? そんなことも分からないのか? これだから下級庶民は……」


男の問いに苛立ちながら文句を言う。


「この上級国民である僕を散々コケにしてくれたアイツに目に物言わせてやるんだ。いくらお前らのような下級庶民でも全員でかかればできるだろ」

「…………」


猪瀬の言葉に押し黙る男たち。


「やり方はお前たちで勝手に考えろ。ただ万が一失敗しても僕は一切関知しない。お前らが勝手にやったことだからな。ただ……責任は取ってもらう」


そう言い残し猪瀬は去っていった。


「な、なぁ……本当にやるのか?」


猪瀬が去った後、昨日一緒にいた男がリーダーの男に改めて問う。

あれだけの目に遭ったのだ。及び腰になるのも無理のない話である。

集まった他の男たちもそれを分かっているのか責める声は出ない。


「……そうするしかないだろう。でないと俺たちは人として生きられなくなる」

「でもまたアイツを襲撃してもきっと返り討ちだ。そうなったら結局……」

「……」


その言葉にリーダーの男は黙りこくる。

こうして仲間たちは全員集まってくれたが、結局辿る道は1つしか無かったのかもしれない。


『……浅はかな欲望で身を滅ぼす事態になったことを後悔するんだな』


リーダーの男の脳裏に修也の言葉が浮かぶ。


(そうだな……目の前に金をちらつかされてついていった結果がこれだ。つまりこれは自業自得ってわけだ……)


自嘲気味に頭の中でそう呟く男。


「なぁ、今思ったんだけどさ……」


その時、集まった男たちの中から声が上がる。


「何だ?」


リーダーの男はその声に耳を傾ける。

そのことが後のこの男たちの運命を大きく変えることになるとはその時この場にいた面子には予想もつかなかったのである。



「んー…………むぅ…………」


いつもの登校時間、いつもの道を修也はいつも通り蒼芽と並んで登校している。

いつもと違うのは修也が難しい顔をしながら歩いていることだ。


「あの……どうしたんですか修也さん? 何かずっと難しい顔してますけど」


隣を歩いている蒼芽が不思議そうな顔をして修也に尋ねる。


「あ、そっか、蒼芽ちゃんに聞けばいいんだ」

「? 私で答えられることなら答えますけど」

「なぁ蒼芽ちゃん、昨日陣野君は無事登校してきてたか?」

「それずっと気にしてたんですか!? きちんと登校してきましたよ!」


修也の問いに蒼芽は呆れながら答える。


「そうなの? あぁ良かった……佐々木さんが不穏なこと言うから……」

「確かにたとえがおかしいとは私も思いましたけど、流石に……」


そんな話をしながら歩いていると、校門付近で妙なことが起きていた。

人の流れが不自然なのだ。

まるで何かを避けているように大きく膨らんでいるのである。


「ん? 何だろアレ」


いつもとは違う光景に修也は眉根を寄せる。


「何でしょうね……? 何かあったんでしょうか」

「ちょっと見てみるか……蒼芽ちゃんはここで待っててくれ」


始業時間まではまだ十分に余裕があるので修也は状況を確認してみることにした。

修也は人の流れをかき分け、問題と思われる場所に分け入っていく。


「ん? あれは……」


そして人の流れを抜けて視界が開けた時、目の前の光景に修也は眉を顰める。

何やらガラの悪そうな男たちが校門のすぐそばに陣取っていたのだ。

男たちの醸し出す雰囲気を恐れ、登校してきた生徒は距離を取って校門を足早に通過する。

人の流れの不自然さは間違いなくこれが原因だろう。

そして修也にはその男たちの何人かに見覚えがあった。


(確かあれは俺と蒼芽ちゃんに襲い掛かってきた猪瀬の手下……)


一部見覚えの無い人物もいるが、それは単に前回いなかったというだけのことだろう。

何にせよこんな所にいるということは懲りずにまた襲撃に来たのだろうか。

数を増やせばどうにかなるだろうと思われたのだろうか。

面倒なことになったと修也は辟易する。

向こうも修也に気付いたようだ。

リーダー格の男が修也に向かって歩いてくる。


「…………よぉ、ちょっとツラ貸してくれねぇか」

「……何の用だよ、こんなところまでやってきて他の生徒にまで迷惑かけて」


男と修也の間に漂う剣呑な雰囲気にざわざわと辺りが騒がしくなる。

足を止める生徒も出てきて、校庭の一角はいつの間にか人だかりが出来上がっていた。

その様子を校舎内からにやついた顔で伺っている人物がいた。


「……ふふん、今更後悔しても遅いぞ。僕をコケにしたこと、身をもって思い知るが良い」


猪瀬だ。

校門から遠く離れたこの場所で状況を見物していたらしい。

先日は手下の中でも腕の立つものを選んで襲撃させたが失敗した。

ならば今度は数に物を言わせて袋叩きにするつもりなのだろう。


「……頭の悪い下級庶民にしてはよく考えた方か」


謎の上から目線で手下の作戦を評価する猪瀬。


「荒事は駒共にやらせて自分は高みの見物。上級国民にのみ許されたエンターテイメントというやつだ……ククク…………ハーッハッハッハ!!」


周りに誰もいない校舎内で高笑いする猪瀬。


「さて、それじゃあアイツがボロ雑巾のようになって地面に這いつくばる姿を見に行ってやるとするか」


そんな独り言を呟きながら猪瀬は入口へ向かう。

その途中で校門の方からどよめきが起こり、そして歓声が沸き起こった。


「……ふっ、どうやら下級庶民にもこの世の真理というものが分かったらしい。結局最後に勝つのは身分の高い者なのだと。そして勝った者が正義なのだと」


その歓声が猪瀬を優越感に浸らせる。

気を良くした猪瀬はわざとゆっくりと歩きながら歓声の中心である校庭の一角へ足を進める。

歓声を上げていた生徒の1人が猪瀬の存在に気付き、嫌悪感を前面に押し出した表情で猪瀬から距離を取る。

それを見た他の生徒も連鎖的に猪瀬の姿を見て離れていく。

その結果猪瀬の周りと進行方向だけ人がいない状態が出来上がった。


「……くっくっく、これも上級国民の特権だな」


しかしそれも猪瀬にとっては優越感に浸らせる要素となっているようだ。

自分の為に下級庶民共が道を開けている。

その事実に猪瀬はさらに舞い上がる。

変に気取った足取りで人だかりの中心へ向かう猪瀬。


「……ふっ、これで分かっただろう? 下級庶民が上級国民様に楯突くからこんな目に遭うんだ。それが分かったなら一生僕の目の届かない日陰で身分相応の惨めな生活を送るんだな」


嫌味と余裕をたっぷり乗せて人だかりの中心で倒れているであろう修也に向けて勝ち誇る猪瀬。


「…………はぁ? お前何言ってんの?」

「……は?」


だが、聞こえてくるはずの無い声が猪瀬の耳に入ってきたことでその余裕は崩れる。

修也は人だかりの中心で倒れてなどいなかった。

それにボロ雑巾どころか傷ひとつついていない。


「なっ……!?」


目の前の状況が理解できず猪瀬は言葉を失う。

先程まで優越感に浸っていたのだが、一気にどん底に叩き落とされた気分だ。


「馬鹿な……あり得ない……! 何であの状況から無傷でいられる……!?」


怒りと悔しさが入り混じった顔で呟く猪瀬。

先日の襲撃が失敗したことで修也は相当腕の立つ奴だという認識を猪瀬は持っていた。

だからこそ今度は手下全員を呼び寄せたし、手下も全員で袋叩きにするという作戦をとったのだろう。

なのに結果的に修也は全くの無傷。

つまり全員でかかっても手も足も出なかったのだろう。


(……ということはさっきの歓声は……)


先程湧き上がっていた歓声は自分を称えるものではなく、逆に修也を称賛するものだったと気づいた猪瀬。

目論みが外れたことと自身の勘違いに怒りと羞恥で顔を真っ赤にさせる。


「いやもうホント大概にしとけよお前。自分で自分を追い込んで楽しいか?」

「うるさい黙れ! 下級庶民の分際で上級国民の僕に意見するなっ!!」


呆れ顔で呟く修也に猪瀬は怒鳴り散らし、どすどすと足を踏み鳴らしてその場を立ち去っていく。

来た時と同じように人だかりが割れて道ができるが、猪瀬の気分は来た時とは真逆だった。


「いやもぅ、ホント何なんだよ……」


修也は頭を掻きながら猪瀬が去っていった方向を見やる。


「ゴメンね土神くん。私がフラグ立てたばっかりに……」


そんな修也に人だかりの中から見ていたらしい華穂が声をかけてくる。


「あ、華穂先輩。いや別にそれは関係無いかと」

「修也さん、大丈夫でしたか?」


そこに蒼芽もやってくる。


「うん、まぁ……というか俺何もしてないし」

「まぁそうなんですけどね」


修也の言葉に頷く蒼芽。

そう、今回修也は本当に何もしていないのである。

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