第3章 第27話
「本当に凄かったです土神先輩も霧生先輩も! 僕感動しました!」
「陣野君、ここお店の中だからもう少し声を抑えた方が……」
ラーメン屋に入ってそれぞれ席について注文した後、陣野君が目を輝かせながら興奮気味に大声を出す。
その横で佐々木さんが窘めているがあまり効果は無いようだ。
「しかし最後のアレは何だったんだ? 完全に感覚を掴めたと思ったのにいつの間に後ろに回ったんだ?」
注文した料理が来るまでの間、戒が修也に尋ねる。
「ああ、アレな。なんて事は無い、始めから左側に回り込んだってだけだ」
「え、それだけ?」
あまりにもシンプルな理屈に戒は呆気にとられる。
「それまでは徹底的に右からカウンターを仕掛けてただろ? それで『カウンターは右から来る』って意識を植え付けておくんだ」
「あ……言われてみれば確かに土神くん、最後以外は全部霧生くんの右側に回ってたね」
華穂が先程の立ち合いを思い出しながら言う。
「そうすれば考えなくても体が反応するようになる。霧生みたいに頭でなく体で覚えるタイプなら余計にな」
「確かに……同じことを繰り返すと意識しなくても体が覚えますよね」
蒼芽が修也の言葉に頷く。
「そうして感覚が身に付いた所で逆方向に動いてリズムを崩せば対応が遅れて隙ができるって寸法だ」
「なるほどそういうことか……それなら次からは惑わされないようにもっと鍛えないとな!」
「いや待て何でそうなる。そんなだから脳筋って言われるんだぞ」
話を聞いたうえで導き出した戒の対策に呆れる修也。
「だったらどうすりゃ良いんだよ?」
「それは自分で考えろよ。俺がそれを教えてどうする」
「だから鍛えるって言ってるじゃないか」
「もっと具体的にだよ。鍛えるにしたって何を鍛えるんだよ?」
「え? えーっと…………」
そこで言葉に詰まる戒。
「………………筋トレとか?」
「それしか無いのかお前は」
ようやく導き出した答えにため息を吐く修也。
「『カウンターは右から』と意識させたのが今回の要点なので……そうとは限らないという意識を持てば良いのではないですか?」
「お、良い着眼点ですね美穂さん」
美穂の意見に対して感心して頷く修也。
「確かにそういう意識を持って柔軟に対応されるとこちらとしても非常にやりにくくなります。固定観念に捕らわれないってのは大事ですね」
「なるほど……じゃあ俺は柔軟をすれば良いんだな!」
「違ぇよ。お前は今の話をどう聞いてたんだ」
おかしな結論を導き出した戒に修也は突っ込みを入れるのであった。
●
「はいラーメンお待ち!」
しばらくして店員が注文したラーメンを持ってきた。
そしてそれぞれの前に並べられていく。
修也と美穂は普通サイズ。
蒼芽と華穂と佐々木さんはミニサイズ。
そして戒と陣野君は特盛りだ。
「えっと……佐々木さん、それで足りるの?」
色々と聞きたいことができた修也はまず佐々木さんに尋ねる。
蒼芽と華穂は先にクレープを食べているのでそれでも充分だろう。
しかし佐々木さんは何も食べていないはずだ。
佐々木さんが頼んだのはミニサイズと言うだけあって普通の半分程度しかない。
それで足りるのか心配になってしまう。
「は、はい。私にはこれくらいで十分なんです」
「……まぁ佐々木さんが十分って言うなら……じゃあ次は陣野君。君は逆にそれ食べ切れるのか?」
次に修也は陣野君の方を向く。
陣野君は戒と同じ特盛を頼んだ。
戒と陣野君では体の大きさにかなり差がある。
そのせいか陣野君の目の前に置かれた器が戒と同じサイズのはずなのに相対的に物凄く大きく見える。
「はいっ! これくらい食べられないと大きくなれないので!」
「ラーメンじゃそんなに食べても大きくなれないと思うけど……まぁ無理はしないようにな。で、最後に霧生。お前はお前でそれで足りるのか?」
以前学食で4人前にもなりそうな量を余裕で食べていたことを思い出す修也。
陣野君にとっては食べ切れるか心配になる量も戒なら逆に足りるかどうかが気になる。
「何言ってんだ土神、途中で追加注文するに決まってんだろ。最初から注文してたら麺が伸びちまうだろうが」
「ああ、そう……」
やはり戒はこれでは足りなかったようだ。
当たり前のように言ってのける戒に呆れる修也。
「凄い……流石です霧生先輩! やっぱりいっぱい食べると大きくなれるんですね!」
そんな戒を見て目をキラキラ輝かせる陣野君。
「……いや、これは体がデカいからたくさん食べるんであって、順序が逆のような気が……」
「うん、たくさん食べて大きくなるなら美穂ちゃんも大きくないと説明つかないよねぇ」
修也の呟きに華穂が同調する。
美穂は平均的な女子高生よりは食べる量が多い。
それでも美穂は超小柄な佐々木さんより大きいのはもちろんだが、蒼芽よりも少し背が高く華穂よりは気持ち低いくらいである。
戒みたいな平均より大きく外れた大きさではない。
「むしろそれだけ食べてどうやってそのスタイルを……」
「蒼芽ちゃんさっきもそれ気にしてたねぇ」
「やっぱり気になるじゃないですか」
「うんうん、気持ちは分かるよ。女の子にとって永遠の課題だよね」
割と真剣な面持ちの蒼芽と華穂。
華穂の言う通り女の子にとっては常に付きまとう問題なのだろう。
(……これは下手に話に混ざらない方が良さそうだ)
下手に立ち入ると面倒なことになりそうなので修也はその会話には混ざらず自分のラーメンを食べ始める。
「そういや霧生、お前財布は持ってんの? 見た感じかなりの軽装だけど」
ランニングをしていたというだけあって戒は身軽な恰好である。
所持品もほとんど無いように見えたので修也は聞いてみた。
「ああ大丈夫だ。この店スマホ決済に対応してるからな。財布が無くてもスマホがあれば問題無い」
そう言って戒は自分の服のポケットからスマホを取り出した。
「えっ!?」
「何だそんなに驚くことか? まぁ俺みたいなのがスマホ決済とかそういうハイテクなもの使ってるのは意外かもしれないが……」
「霧生お前、スマホ使えたの?」
「そこに驚いてんのかよ!? 俺だってそれくらい使えるわ!」
修也の驚いたポイントが自分の予想と違っていたことに突っ込む戒。
「あはははは! 面白いねぇ霧生くんは」
修也と戒のやり取りを見て笑う華穂。
これくらいならいつものように呼吸困難になるレベルで笑うことにはならないようだ。
「あ、そういや話は変わるんだけどさ、霧生……お前柔道やってたことあるか?」
「え?」
修也の急な質問に戒は面食らう。
「いやさっきの立ち合いの時の構えが柔道っぽかったからさ。もしかしたらと思って」
修也は先程の組手のことを思い出しながら言う。
修也の知る格闘技では大体かかとを浮かせて拳を握っている。
だが戒は地面にしっかりと足を付けて手は少し開いた構えだった。
これは柔道でよく見る構えだ。
「まぁだからと言って別にどうというわけでもないけど」
「……よく分かったなぁ。そうだ確かに俺は中学まで柔道をやってた。県大会に出たこともあるんだぜ」
「へぇー、凄いですね!」
陣野君が目を輝かせて戒の話に聞き入っている。
「高校ではやらなかったんですか? そこまでお上手なのに」
「美穂さん、やらなかったんじゃなくてできなかったんですよ。うちの高校何故か柔道部が無いんです」
『柔道をやってた』という表現から、今はやっていないと判断した美穂が戒に尋ねる。
それに対し以前蒼芽から柔道部が無いと聞いていた修也が答えた。
「あら……柔道は割とポピュラーな武道系の部活だと思ってましたが……」
「俺もですよ。先輩、何か理由知ってる?」
蒼芽たち1年生組は入学したばかりで詳しくないだろうし、美穂に至っては学校が違う。
なので修也は華穂に何か知らないか尋ねる。
「……あのー、土神? 俺が一番の当事者なんだから俺に聞くのが自然だと思うんだが?」
修也が自分ではなく華穂に尋ねたことに戒は疑問に思い修也に尋ね返す。
「だってお前、そんな細かいこと気にしなさそうなんだもん。『え、柔道部無いの? まぁいっか。じゃあ違う部活にするか』くらいで流してそう」
「いや俺だって柔道にそれなりに思い入れは……」
「でも柔道部が無い理由を気にしたことは?」
「…………無い」
「だろ?」
修也に論破されてぐうの音も出ない戒。
「で、先輩、何か知ってるか?」
「んー……私もあまり気にしたことはないからねぇ……でもそう言うのって大体入部希望者が少なくて廃部になっちゃったってのが定番じゃない?」
華穂も以前の修也と同じ考えを持ったようだ。
「でも柔道って結構学生の部活としては人気ありそうな気がしますけど」
「それにもっとマイナーな格闘技クラブってのがある訳だし」
「うちの学校、人数と顧問さえいればどんな部活でも成立するからねぇ……」
「ああ、そう言えば……」
白峰さんと黒沢さんの謎の集会も部活として成立しないのは顧問がいないからだけだったことを思い出す修也。
「じゃあ『土神先輩ファンクラブ』とか作っても認められるんですか!?」
「止めてくれ」
身を乗り出して提案する陣野君を制止する修也。
「そうだよ陣野君……」
佐々木さんがそう呟きながら陣野君の腕を引っ張る。
(お……佐々木さん、陣野君を諌めてくれるのかな?)
佐々木さんは1-Cで起きている謎の修也フィーバーに染まってないようだ。
「既に1-Cが土神先輩のファンクラブみたいなものじゃない。今更改めてファンクラブとか作る意味無いと思うよ」
「佐々木さん?」
……と思ったらしっかり染まっていた。
「……え、それって私や詩歌も入ってるの?」
蒼芽が自分を指さして佐々木さんに尋ねる。
「ん-……舞原さんと米崎さんはむしろ名誉会員的なポジションというか……」
「佐々木さん?」
しれっとおかしなことを言い出す佐々木さん。
「……と、とりあえず話を戻そう。この話はこれ以上掘り下げても何も面白くない」
「えー、私は面白いけどなぁ」
不満そうに頬を膨らませる華穂だが、声色は楽しそうである。
「とにかく、人数の問題で柔道部が無いってのはうちの校風的には考えにくい」
「じゃあどうしてなんでしょう?」
「うーん……」
蒼芽に問われて修也は唸る。
(人数の問題以外で割とポピュラーな柔道部が無い理由……ねぇ?)
修也は理由を考えてみるが、皆目見当がつかない。
そもそも部活が存在しない理由なんて人数不足か担当顧問が見つからない程度しか思いつかない。
しかも考えたところでそれは想像の域を出ないのだ。
「まぁ昔何かあったんだろ。これ以上想像であーだこーだ言ってても仕方ない。麺が伸びちゃうから早く食べようか」
そう結論付けてラーメンを食べるのを再開する修也。
「すいませーん、追加注文いいですかー」
「えっ? 霧生もう食ったのか!?」
気が付けば戒の器はもうほとんど空になっていた。
「いやー、腹減ってたから」
「だからって早すぎないか……?」
「ご馳走様。とてもおいしかったです」
「あれ!? 美穂さんも食べ終わったんですか?」
驚く蒼芽の視線の先には、空になっている美穂のラーメンの器があった。
「このラーメンがとてもおいしかったのでつい……」
「ですよね、うまいですよね! 俺もお気に入りなんですよ」
自分が気に入っているラーメンを褒められてご機嫌な戒。
「できるならもう1杯いただきたいのですが……」
「おっ良いんじゃないですか? 遠慮することはないですよ」
「! 良いのですか? 女性がそんなにたくさん食べることを良しと思わない男性は多いと聞きますが」
「? うまい物をたくさん食べたいと思うことに男女は関係ないでしょ」
不思議そうな顔でそう言う戒をじっと見ていた美穂だが……
「……そうですね。ではおかわりをいただけますか?」
柔らかく微笑んで店員に追加注文をするのであった。
●
「じゃあ俺はランニングを再開するから。また週明けになー!」
会計を終えてラーメン屋を出た後、戒はそう言って走り去っていった。
「では私たちもデートを再開します。一緒にご飯を食べられて楽しかったです」
そう言ってぺこりと頭を下げる佐々木さん。
「う……た、食べすぎた……」
その横では陣野君が苦しそうに呻いている。
やはり小柄な陣野君にあの量は少々辛かったようだ。
戒が完食した上に追加注文するから感覚が麻痺していたが、今の陣野君のようになるのが普通である。
「そりゃそうだ。俺でも空腹時じゃないとあの量はきついって。でも残さず食べ切った根性は評価するぞ」
「あ、ありがとうございます……」
「陣野君、ちょっと休憩していく?」
「ご、ゴメン……そうさせてもらっても良いかな?」
「そういう訳ですので、私たちは少し休憩できるところへ行きます」
「そうか。……陣野君、いっぱい食べて大きくなりたいのは分かるけど、無理しちゃダメだ。な?」
「は、はい……」
「でも一生懸命食べてる陣野君、可愛かったなぁ……」
そう言ってはにかむ佐々木さん。
「……ヘンゼルとグレーテルのお話に出てくる魔女ってこんな気分だったのかなぁ?」
「佐々木さん?」
たとえがおかしくないかと訝しむ修也。
しかし深く突っ込んで聞く気にはなれない。
聞いたら何か業の深い返事が飛んできそうな気がしたからだ。
「それでは失礼します。行こ? 陣野君」
「う、うん……」
佐々木さんに手を引かれてこの場を去っていく陣野君。
「……陣野君は無事週明けを迎えられるんだろうか……?」
「だ、大丈夫でしょ、流石に……」
蒼芽も先程の佐々木さんの呟きを聞いていたのだろう。
少し表情を引きつらせながらそう答える。
「さて、じゃあ私たちも帰ろうかな。御堂さん待たせっぱなしだし」
「あ、そう言えば……」
確かに修也たちが公園に着いてから結構な時間が経っている。
これ以上ぶらついて待たせるのも悪い。
「じゃあ駐車場まで行こう。それで今日は解散かな」
「そうだね」
修也の言葉に華穂が頷く。
その後駐車場まで2人を送った修也と蒼芽。
「今日は来てくれてありがとね、土神くん、蒼芽ちゃん。とっても楽しかったよ」
「私も楽しかったです。またいつでも遊びに来てくださいね」
リムジンの中からそう言って華穂は手を振り、美穂は丁寧に頭を下げる。
そしてリムジンは音もなく去っていった。
「さて、それでは私たちも帰りますか?」
「うーん……」
「修也さん?」
蒼芽の問いに曖昧に相槌を打つ修也。
その様子を不思議に思った蒼芽が小首を傾げる。
「……せっかくだったらデートを再開するか?」
「え? 良いんですか!?」
修也の問いかけに瞳を輝かせる蒼芽。
「まぁこのまま帰るにはまだちょっと早いしな。蒼芽ちゃんがまだ疲れてなければ、だけど」
「まだまだ全然余裕ですよ! じゃあ行きましょ、修也さん!」
そう言って蒼芽は楽しそうに笑いながら修也の横について歩き始めるのであった。




