第2章 第10話
「あ、いたいた。詩歌ー!」
「あ、お姉ちゃん、アキ君……」
午前の授業が終わり、昼休みとなった。
詩歌は朝爽香に言われた通り、学食棟の入り口で待っていた。
しばらくしてそこに爽香と彰彦がやってきて今に至る。
「ご、ゴメンねアキ君。こんなことに巻き込んじゃって……」
「良いって、気にするな詩歌。今に始まった事じゃない」
「お詫びになるか分からないけど……アキ君の分のお弁当も作ってきたから……アキ君、和食が好きだったよね?」
「お、マジで? 詩歌の料理は美味いし安心して食えるからありがたいよ」
「美味しいはともかく……安心って何か複雑だよ……気持ちは分かるけど。お姉ちゃんがいつもゴメンね?」
「大丈夫、もう大体慣れたよ」
人見知りが強く、さらに男が苦手な詩歌ではあるが、家族を除くと唯一彰彦にだけは普通に話すことができる。
長年の付き合いがある幼馴染というのもあるが、彰彦は姉や母のように変に揶揄ったりしないからだ。
むしろ巻き込まれる側の苦労人なので、どこかシンパシーを感じているのかもしれない。
「何よ、それだと私の作った料理は安心できないって言ってるみたいじゃないの」
「そりゃあ、どれか一つに『爆弾』を仕込まれたら安心はできんだろうが」
「食べられるものなんだから大丈夫でしょ」
「いや、食い合わせってものがあってだな……それを抜きにしたって、一昔前のバラエティ番組じゃないんだからさぁ……」
爽香が作る料理は不味いわけではないが、必ずと言って良いほど『爆弾』が仕込まれている。
例えばおにぎりなら一つだけワサビ入り。
クッキーならハバネロパウダー混入。
食べられないわけではないが、予想しない味覚が急に襲ってくるので心臓に悪い。
「何事にもスリルと刺激があった方が楽しいじゃない」
「食事にスリルと刺激を求めるんじゃねぇよ……変にアレンジを加える割には一応食えるってのがある意味奇跡だ」
深いため息とともに彰彦が呟くが、爽香に届いているかどうかは不明だ。
そんな話をしているうちに、彰彦は落ち着きなく周りをきょろきょろ見回している詩歌に気づいた。
「ん? どうした詩歌。そんな辺りを見回して」
「え……えっと、ね? アキ君、そ、その……」
「ああ、土神か? ちょっと用があるから少ししてから合流するってさ」
「あ、そ、そうなんだ……」
彰彦の言葉に、安心と残念が混ざった表情で息を吐く詩歌。
「何? 土神君に早く会いたかった?」
「そ、そんな事は言ってないよぅ……!」
爽香の言葉に顔を真っ赤にさせて縮こまる詩歌。
「はいはい、良いからさっさと席取りに行こうぜ。全員弁当なら何も買わなくて良いだろ」
彰彦が話を打ち切り、学食に入るように促す。
「……それもそうね。ここで待つよりも先に席を取っておいた方が良いわね」
彰彦の言葉に納得した爽香がそう言って学食の中へ進む。
「……あ、ありがとう、アキ君……」
うまく爽香の意識を逸らしてくれた彰彦に詩歌は礼を言う。
「気にすんな、いつもの事だ。でもまぁ詩歌はもうちょっと胸張って生きても良いとは思うけどな。窮屈じゃないか?」
「う、うん……でも……」
「……まぁ、あのおじさんとおばさんと爽香だもんなぁ……無理も無いか」
「…………うん……」
揃ってため息を吐く彰彦と詩歌であった。
●
「遅いわよ、何やってるの」
彰彦と詩歌が学食に入ると、既に爽香が席を確保していた。
「悪い悪い。で? 土神が来るまで待つのか?」
爽香が確保した席に座りながら彰彦が尋ねる。
「まあ流石に先に食べるのは良くないでしょ。そんな時間がかかるわけでもないでしょうし、待ちましょ。それで、詩歌?」
「え、な、何……?」
「土神君の分のお弁当は作ってきてるの?」
「え……つ、作ってない、よ……?」
爽香の問いかけに詩歌がそう答えると、爽香は額に手を当ててため息を吐いた。
「はぁ、何やってんのよ……ここでアピールしとかないと何も進展しないじゃない」
「し、進展って……!」
「いやいや待て待て。いきなり弁当作ってくるとか重いって。何事も順番ってもんがあるだろ」
「何言ってんのよ、詩歌の手料理よ? 彰彦、アンタその価値が分からないわけじゃないでしょ?」
「そりゃ俺はそうだけどさ、土神は何も知らないわけだし」
「まだるっこしいわねぇ、アピールポイントがあるんだからグイグイ押していきゃ良いじゃない」
「いや押すだけじゃダメだろ。ちゃんと機を見て様子を見ながらだな……」
あれこれ言い合いを始めた爽香と彰彦をオロオロとしながら見ている詩歌。
と、そこに……
「あ、そこにいたのか」
「っ!」
背後からこちらに向けてかけられた声に、詩歌は飛び上がりそうになった。
「お、来たか」
「思ったより早かったわね」
声の主に気づいた彰彦と爽香が応える。
「こ、こん……に、ちわ……つ、つ、土神先輩…………」
詩歌は慌てて立ち上がり、言葉に詰まりながらなんとか挨拶をする。
しかし、振り返って修也の方を見た時、詩歌の意識は修也から外れた方に向いた。
「えっ……舞原、さん……?」
修也の横に蒼芽が立っていたからだ。
「悪い、席ひとつ余ってるか?」
「え? ああ、それは大丈夫だけど、その子は誰?」
「クラスの友達の……舞原さん、だよ」
彰彦の質問に、詩歌が答える。
「へぇー……詩歌、友達できたんだな。ちょっと心配してたんだけど、良かった良かった」
「いやそれよりも、どうして土神君と一緒に来たのよ」
「ああ、それは……」
●
ー少し前ー
「さて、今日は何にしようかな……?」
彰彦たちから少し遅れて学食棟に着いた修也は、今日は何を食べようかと考えながら中に入ろうとしていた。
「あれ? 修也さん?」
そんな修也に声をかける人がいた。
「ん? おお、蒼芽ちゃん。どうしたこんな所で」
蒼芽だった。
修也を見つけた蒼芽は小走りで修也のそばにまでやってきた。
「いや、お昼に学食棟にいるのは珍しくも何ともないんですけど」
「まぁそれもそうか」
「修也さんはお昼は学食ですか? それとも購買にするんですか?」
「クラスの奴に誘われて学食で食べるんだよ」
「あ、そうなんですね」
「いやぁ、昼一緒に食べようなんて声かけられるなんて前の学校では全く無かったから……」
「だから悲しくなるような事サラッと言わないでくださいよ!」
何の脈絡も無く始まる修也の灰色エピソードを蒼芽が無理やり中断させる。
「で、蒼芽ちゃんはどうするの?」
「いつもは購買なんですけど……ご迷惑でなければ修也さんとご一緒しても良いですか?」
「え? 俺は別に良いけど、蒼芽ちゃんは大丈夫なのか? 全く知らない、しかも学年が違う奴らと一緒に食べるとか緊張しない?」
「大丈夫ですよ。私そういうのは全く気にしないので」
「流石蒼芽ちゃん。コミュ力高っけぇ……」
蒼芽のコミュ力の高さに感心する修也。
「じゃあ行きましょうか。修也さんのクラスの方をお待たせするのも悪いですし」
「そうだな。あ、そうそう、米崎さんもいるぞ」
「え、米崎さん?」
「いや何、一緒に昼食べようと声かけてきたのが姉の方とその幼馴染でな」
「ああ、お姉さんと同じクラスでしたねそう言えば」
「で、話の流れで同席することになったんだ」
「なるほど……だったら尚更私がいた方が良さそうですね」
「だな。友達がいれば緊張も和らぐだろ」
「はいっ」
そんな話をしながら、修也と蒼芽は学食の中に入る。
「俺は今日は……唐揚げ定食にしようかな」
「私は……鯖の味噌煮定食で」
「渋っ! にしても……青魚……か」
「いやいやそこまで青にこだわってる訳じゃないですよ!? 単純に美味しそうだったからですよ」
食べる物を決めた二人は、白米と味噌汁を追加して会計を済ませる。
「…………」
「? どうしたんですか修也さん、レシートを見て難しい顔してますけど」
微妙な表情をしてレシートを見る修也を気にして蒼芽が声をかける。
「蒼芽ちゃん、それいくらだった?」
「え? 定食は定価が一律350円なので、それが半額になって175円ですけど……」
「……これ見てみ」
そう言って修也は自分のレシートを蒼芽に見せる。
「えっと…………えぇ!?」
そこに書かれている金額を見て、蒼芽は驚きの声をあげる。
「35円……!? どうして……」
「先週末に不法侵入者をぶっ飛ばして連行した事による謝礼で、理事長が俺の学生生活に掛かる費用全てを9割引にしたらしい」
「きゅ、9割!? それで経営成り立つんですか?」
「俺も疑問だったんだが、どうもこの学校、未来への投資の意味合いが強くて、利益は求めてないらしいんだ」
「だからって……」
「まぁその辺は俺らが気にすることじゃない。待たせてるから早く行こう」
「あ、はい」
修也に促され、蒼芽は修也の横に並んで歩き出した。
●
「……という訳だ」
「どうしよう、ツッコミどころが多すぎるわ……私、ツッコミは得意じゃないのよ……」
修也の説明に頭を抱える爽香。
「あ、9割引の事は言いふらさないでくれよ? 無いとは思うけど、集られるかもしれないから」
「いや、それも衝撃的だったけど……不法侵入者をぶっ飛ばしたって何だ?」
「いや、言葉通りの意味だが」
「あ、それ聞きたかったのよ。詩歌から少し聞いてたけど。土神君、何か武道の経験でもあるの?」
「武道なんて大層なもんじゃない。護身術の真似事ができるってだけだ」
「それであの身体能力とか……」
「と言うか、そもそもの疑問が残ってるわ。土神君、その子と知り合いなの?」
湧いてきた疑問を口にする爽香。
修也は学校に通い出してまだ二日目だ。
それに詩歌のクラスメートという事は学年も違うので、接点など無さそうなものなのだから当然だろう。
「えっと、俺が引っ越してお世話になってる家の子」
「あれ? 修也さん、話しちゃって良いんですか?」
「まぁ別に隠す様な事でもないだろ。敢えて言いふらすことも無いけど。蒼芽ちゃんも聞かれたら答えるくらいで良いから」
「修也さんがそう言うなら……では、私、舞原蒼芽と言います。修也さんには、うちに居候していただいてるんです」
そう言って蒼芽は彰彦と爽香に挨拶する。
「居候していただいてる……って、何か変わった表現だなぁ」
「……ってとは土神、お前この子と同じ家で暮らしてるって事か? お前こそどこのラノベ主人公だよっ!?」
「いや俺に言われても」
彰彦が修也に詰め寄ってる横で、爽香は何かを考え込んでいた。
「これは予想外ね……同じ家で暮らしてる子がいたなんて……しかもお互い名前で呼び合う仲とはね……」
「あ、あの……お姉ちゃん? また何か良くない事考えてる……?」
「流石に同じ家で暮らすのは無理よね……」
「あ、当たり前だよぅ……!」
「だったら……土神君!」
爽香は彰彦に詰め寄られてる修也を呼ぶ。
「なんだ、どうした?」
「詩歌の事、名前で呼んであげてちょうだい」
「お、お姉ちゃん……!?」
「え? 急に何だよ?」
爽香からの唐突な提案に修也は疑問を呈する。
「ほら、苗字だけだと私と区別がつかないじゃない」
「米崎妹とかは?」
「何かイヤ」
「えぇ……」
「まぁ実際問題、そういう呼び方って何か無機質な感じがするよな」
「そういうもん? よく分からんけど」
「何かついでとか、おまけとかそんな感じがしないか?」
「そう言われてみるとそんな気も……」
「あっ! じゃあ私も名前で呼んで良い?」
「えぇっ? ま、舞原さんまで……?」
そこに蒼芽も会話に参加してきた。
「んー……俺の時もそうだったけど、蒼芽ちゃんって結構フランクな性格してるよな。速攻で名前呼び要求してきたし」
「でも、男の人には修也さんだけですよ? 修也さんは一緒に暮らす訳でしたからね」
「……ほら見てみなさい詩歌。ここで日和ってたら競争のスタートラインにすら立てないのよ?」
「き、競争って……私は、そんなつもりは……」
「別に何か損がある訳じゃないんだし良いじゃないの。だから土神君、よろしくね。私の事も爽香って名前呼びで良いから」
「いや流石に本人が嫌がってるのに強行する訳にはいかんだろ」
「っ!」
そう言って詩歌に視線を向ける修也。
修也に見られる事で、詩歌は全身が緊張で強ばる。
「ほら詩歌、後はあなたが了承するだけで良いんだから」
「え、えっと……その……」
「詩歌、別に難しく考えなくても良いんだぞ? 俺だって名前呼びしてるんだし、そんな特別な事でもないって」
爽香が急かし、彰彦が説得に回る。
「あ、あの……だったら、私は……その……好きに……呼んでくれて、構わない、です……」
「じゃあこれからは詩歌って呼ぶねっ!」
「えっ? あ、うん……で、でも、私からは……今まで通り、舞原さん、で良いかな……? まだ、ちょっと……抵抗が……」
「うん、それは好きにして良いよ。強要するものじゃないしね」
「それじゃあ話も纏まったところで……早いとこ食べないと昼休み終わるわよ」
「あ」
気がつけば昼休みも半分が過ぎていた。
午後からの授業に間に合わせる為、修也たちは急いで昼食を片付けるのであった。




