3.邂逅
――《魔法》。
生まれながらに魔力を内包した生物のみが使える固有の異能力のことを指す。
当然発現した固有魔法には当初から優劣は付いているが、どんな弱小の魔法でも研鑽を重ね極めれば最強種と呼ばれる魔法すら凌ぐこともある。
また魔法にはいくつか種類が存在し、大分類として物質に変化を起こす《変幻魔法》、自然界の力を使う《属性魔法》、空間移動や読心のように特殊な力を発揮する《特異魔法》の三種類。そこからさらに細分化され、現在確認されている魔法の名称は数百にも及ぶと言う。
雲一つない青空の下、アッシュ仏頂面でアカデミア敷地内にある噴水に腰かけて古びた黒い本を開いていた。
何度も読み返したのか角は削れて丸くなりところどころに手垢が付いている。また『魔法大全』と書かれた文字も掠れて読み辛い。よほど大切にしている本なのだろう。
その割には噴水から時折跳ねる滴が飛び、本に染みわたっているが。
理事長との脅し……もとい話し合いのオチとしては最後の脅迫……もとい提案に関してアッシュは首を縦に振るしか選択肢がなかったことは言うまでもない。
そもそも実体験も含め、耳にした話ではあの理事長の申出を断れた者はいなかった。絡まれた瞬間結果が決まっている何とも恐ろしい縦社会である。
(っていうか、編入生の情報を全く寄越さないとかどういう神経してんだよ……。押し付けんならそれなりの準備とかしとけよな……!)
湯水のように湧き上がる怒りを覚え、本を掴む手に力が入っていく。親指で押さえるページにシワが出来ているが気にする様子も無かった。
理事長に屈した後、とりあえずどんな生徒なのか聞き出そうとしたところ。
『悪いがその手の資料は手元に全くない。情報が欲しいなら本人から直接聞いてくれたまえ。逆に情報が入り次第報告書を作成し提出をしてくれればいい』と、職務怠慢を隠すことなく言い放ち、その後の対応も全て投げられた。
しかし、さすがに編入してきたのだから特徴くらいは知っているだろうと食って掛かったが、『君に伝えられるほど私には表現力がなくてね。そもそも私は試験官を行っていない』と、それで話が打ち切られた。
要約すると編入生のプロフィールが記載された書類は自分の手元になく、試験官ではないため姿など見ていない。だからお前にやる情報は一つもない、といった感じだろうか。簡単に理解はできるが、納得することは容易には出来ない内容である。
そもそも名前も姿も分からなくては探しようがないではないか。編入生側は当然アッシュ達に自分を押し付けられている事実など知るはずがないため、向こうからのコンタクトはあり得ない。ならばこちらから探す以外手段がなかった。
一番手っ取り早いのは担当試験官からプロフィールと写真を預かることだが、何の嫌がらせか編入試験終了後すぐに出張で他国へと出向いてしまったらしくそれは望めない。八方塞がりの中、諦めて理事長室を後にしたという状態。
(とりあえずキャロルは呼んだし、あいつに相談してから今後の行動を決めるとするか……。あー、クソ面倒くせえ……)
アッシュが大きなため息をついていると、視界の端に人の気配を感じ思わずため息を飲み込む。
本から僅かに目を上げると、ちょうどアッシュの目の前を銀髪の少女が通り過ぎようとしていた。
(これはこれは)
まるで星の粒が輝くかのように光る銀の髪に思わずアッシュは目を奪われる。
肩にややかかる銀色の髪に、太陽すら透かす雪の様に白い肌、宝石のような存在を放つ大きな深緑の瞳。そして、その美しさに似合わない左腕の包帯とどこか浮かない表情に獲物を探すかのような鋭い目つき。
一瞬で特徴を読み取れるほど幻想的に美しい彼女にアッシュは意識をごっそり持って行かれた。
こんな美少女はそうお目にかかることはないだろう。
目を引かれようが、ただ通行人としてすれ違うだけの大多数の一人の少女に過ぎない。
だからと言ってアッシュに声を掛ける気などさらさらないのだが。
しかし、運命とは数奇な道を辿る物である。
(こんな恵まれた容姿のやつなら悩み事とかあんまりないんだろうな……)
羨ましい限りだ、と再度大きくため息をついた……瞬間。
どこからともなく突風が巻き起こった。
「うわっ!」
危うく読んでいた本を噴水の中に落としかけるが、なんとか持ち前の握力で風からの奪取を防ぐ。
「きゃっ!」
若干余裕を奪われていたアッシュは耳に届いた小さな悲鳴に反射的に反応し顔を戻した。……戻してしまった。
その視線の先では、銀髪少女のスカートが舞い上がり、端からは淡いブルーの下着が僅かに姿を晒す。布地が晒された時間は僅か一秒ほどだが、その姿はアッシュの網膜にきっちり焼きついたことだろう。
慌てて裾を両手で押さえた少女は、数秒恥ずかしさに固まるが、すぐに獲物を射殺さん涙で潤んだ鋭い視線を近くにいたアッシュに向けた。
その視線に危機感を覚えたアッシュは咄嗟に右手を前に突き出し、
「……待て。俺は何もしてないぞ」
当然アッシュ本人は自分の魔力を使って発生させた魔法ではないことを知っている。そもそも呪文など唱えていないのだから。
だが、そんなことは関係ない。事象として突風は巻き起こった。
――銀髪美少女のスカートを捲るように。
真っ白な肌を夕日のような朱色に染めた銀髪少女はワナワナと震えたかと思うと、稲妻の如きスピードでアッシュに近づき、
「問答無用!」
と、右手でアッシュの頬に平手打ちを喰らわせようとしたが、危機察知能力を見せたアッシュの本による盾で防がれた――。
「黄金の左っ!」
かと思われたが銀髪美少女の左ストレートを抵抗虚しく額に直接受け、噴水の中へ背中から飛び込んだ。
雲一つない青空の下で暖かい陽気に包まれていようと水の循環を留めることなく動く噴水の温度は低い。アッシュはゆらゆらと揺らぐ水面を見つめながら徐々に体温が奪われていくのを体感する……とは相反して先程から再三湧き上がる怒りで逆に体温が上がっていった。
水にしっかり浸かり完全に読めなくなった本を握りしめ、水面から勢いよく体を起こす。
「てめえ何しやがる!」
「何って……当然の報いでしょ」
アッシュの起き上がりで飛び散る水滴が顔や服に付着し、銀髪の少女は嫌そうに顔を歪めた。
「ふざけんな! 俺は何もしてねえって言ってんだろうが!」
「あれだけ盛大に私のスカートをめ……捲っておいて何言ってんのよ! この期に及んで言い逃れする気?! この変態スカート捲り魔!」
「誰が変態スカート捲り魔だ! お前こそそんな格好してどうせ男共の視線を集めたいだけだろうが。この見せたがり痴女が! とんだ奴に巻き込まれたな……」
「はぁ?! 誰が見せたがり痴女よ! あんた今全世界の女子のファッションを敵に回したわね! 何が巻き込まれたな、よ! 私のスカートが短いのをいいことに偶然を装って魔法でスカート捲ったくせに!」
「誰がお前みたいなやつのスカートなんて捲るか! いくら顔が整っててもなそんな猛獣みたいな目してるやつなんて魅力的に思えねえよ! しかも何だよその右手の包帯。何か抑えきれない暗黒の力でも封印されてるんですかねぇ。ファッションの前にそのダサい包帯取ったらどうだ!」
次の返しではどこを責めてやろうかとアッシュは続々と嫌味ったらしい言葉の引き出しを開けていく準備をしていたが、銀髪の少女は包帯の巻かれた腕を抱きしめるだけで言葉をすぐに返しては来ない。歯を食いしばり怨敵を見つめる刃の切っ先のような視線をアッシュに向けていた。
さすがのアッシュもこの彼女の様子には動揺を隠せずに開いた口を閉ざす――なんてことはなくこのチャンスを逃すかと言わんばかりに攻め込む。
「この本どうしてくれんだよ! ふやけて完全に読めなくなっただろうが! 言っとくがこれ初版だからな初版。もうここいらには売ってねえからな」
浸かっていた噴水から完全に体を出し、銀髪少女の前に水分を含んでデロデロになった書物を突き付ける。
これで罪悪感に駆られた少女が一言でも謝ればアッシュの勝ち……なのだが、
「それがどうしたってのよ! こっちは多大なる精神的苦痛を受けてるんだからね! 裁判起こしたら確実に勝てるわよ。逆に慰謝料もらわなきゃ割に合わないっての!」
「はんっ! 自分から痴態さらすようにケツ振って歩いてる痴女に払う金なんてビタ一文ありゃしない。その銀髪だって男を誘うための道具なん――」
「銀髪は……関係ない!」
周囲の気温が一気に奪われ、アッシュの体に身震いが起こる。それと同時に銀髪の少女が手にした杖を眼前に突き付け叫んだ。
「《空虚な氷手》!」
音も無く銀髪の少女の両肩横から巨大な氷の両腕が伸び、人など軽く握り潰せるほどの手を広げてアッシュへ襲い掛かる。