1.アッシュ=ヴァレンティ①
キュリアバルト王国の首都クラウンローズ。
別名、花と水の街と呼ばれるこの国。名前の通り名産は生花で、街中にも数百種類にも及ぶ花々が三百六十度目に見える範囲全てに植え込みや花壇、植木鉢の中で目まぐるしく咲き乱れている。時折風によって花々の舞いが見受けられるのも一つの名物とも言えるだろう。
また、国の中心から大運河がバツ印を描くような形で作られており、東西南北国を四分割にするように流れている。この水路が数百種類もの美しい生花を作るのに必須な水源。
花々の彩を崩さぬよう街の建物も煉瓦作りではあるが、全ての家々は白や黄色、水色や赤といった淡い色で作られていた。
だがその淡い色合いを持つ街の北ブロックから続く二キロメートルもの橋の奥に異端ともいえる建物が存在した。黒を基調とした古びた洋館のような巨大な建物。いや、それは洋館というよりもある種の城といっても過言ではないかもしれない。
ではこの建造物は一体何なのか。クラウンローズの住民に尋ねれば、皆誰一人違わず即答で返ってくることだろう。
――この建物は図書館であると。
国内最大と胸を張って誇れるこの図書館の蔵書数は数百万冊を余裕で超えるとされている。一般人向けの雑学書から技術者向けの専門書、世界の歴史学書から空想のおとぎ話まで多種多様に渡る分野の書物がここに集結されているのだ。通常流通本であればここで探せない本はないとも言われている。
そして、一般人向けに解放された図書館を隠れ蓑にする様に、裏向きの魔法使い達のみが使用することが許されたが魔道書を専門に扱っている魔道図書館も同時に存在する。こちらこそ国内最大の蔵書数と品揃えをしていると言っても過言ではないかもしれない。
そんな二面性を持つ王立図書館の目下、図書館へと続く橋を守らんと北ブロックの全てを使い建てられた建造物が王立魔道アカデミア――イシュティアルである。
昼下がり、生徒達が自主練や昼休憩を過ごしている時間。
理事長室に砂金のように輝く金髪を持つ少年が呼び出されていた。しかし、綺麗な金髪とは裏腹に首元のネクタイは緩められ、シャツの裾も出しておりだらしない服装となっていた。
対峙するのは妙齢の四角いフレームの眼鏡を掛けた女性。机の上で手を組み、金髪の少年をじっと見据える。その瞳を見つめていると心の中を見透かされているような錯覚を覚えた。
「ご足労すまないね、アッシュ=ヴァレンティ」
「まぁ特にこれといった用事はありませんので。それより理事長直々に呼び出しなんてどういった用件で?」
アカデミアでも最高権力者と対峙しているはずのアッシュだが、今時の礼儀のなっていない若者らしく口調も適当だった。
だが理事長はそれを気にする様子はなく話を続ける。
「君に少し仕事を頼みたい」
「仕事……?」
奇妙な依頼に嫌な予感を覚えアッシュの目元が僅かに歪む
理事長は手元に置かれた数枚の紙を右手で掴み眼前にかざす。歳のため少々目が悪くなっているのか、首元に下げていた眼鏡を掛けた。
アカデミアのトップからわざわざ呼び出されて申し付けられる要件。基本的にこのような場合、とてつもない面倒事を押し付けられると相場が決まっている。
そんなことを考えながらアッシュは胸中で舌打ちをしていると、
「そう構えなくてもいい。簡単な仕事だ」
普段通りのポーカーフェイスを貫き通したつもりでいたが、どうやら理事長にはお見通しのよう。この場所でネガティブな事は考えない方がよさそうである。
「今日付けで我がアカデミア、イシュティアルに編入生がやって来る」
「編入生……。よっぽど優秀な奴だ」
自虐を込めて皮肉のような薄ら笑いを浮かべる。
イシュティアルの入学条件は魔力を持つことが最低条件だが、当然魔力を持つことだけで入学は出来ない。基礎魔法知識から世界情勢まで様々なジャンルから出題される筆記試験、自身の魔法と身体能力を駆使し試験官と戦う実技試験、理事長を含めた教師たちによる面接等々。全五つの試験で高得点を取った者だけが入学を許される。
口で説明する分には簡単に聞こえるかもしれないが、毎年世界中から約三百人近くが入試を受ける中、合格者は多くても半数。年によっては合格者が三割を切ることもあるという。
入試ですら困難極まる中で、さらに難易度が上がる編入試験をクリアしたというのならば特別優秀な生徒であることは間違いないだろう。
しかしどうしてここでその編入生とやらの話が出てくるのか。そんなものは考えなくても決まっている。
「ああ、お守りかよ……」
「ん?」
拒否の言葉を理事長の「何か言ったかね?」を含んだ一言で遮られた。
ゴホン、と咳払いを入れ今のやり取りを無かったことにしようとするアッシュは、取り繕う様に御託を並べ……ようとしたがどうせ無意味な事も分かっているのでストレートに答えた。
「面倒く……いや。丁重にお断りさせてもらいます」
「そうか、それは残念だ」
「申し訳ないんですけど、自分には荷が重いですね」
意外にもすんなり拒否を受け入れられアッシュは内心で大きくため息をついた。
優秀な編入生なら同じく優秀な生徒達に任せればいいものの。どうして自分に任せようというのか。
ただでさえ周囲から奇異な物を見る目で見られているというのに、編入生などといった祭りの中心人物みたいに目立つ生徒と一緒にいるなどとんだマゾヒストである。
「ならば、これを君に」
拒否した場合に用意していたのか、理事長は一枚の紙をアッシュに手渡した。
どうせペナルティの課題か何かだろう。自分の意にそぐわない回答をしたからといってこの処遇はどうなのか。完全に職権乱用である。
しかし、その紙は課題などではなかった。
書いてあるのはあまり見る機会のない五から始まりゼロが七ケタ連なる数字とその上に印字された、
「……請求書?」
思わず渡された紙と理事長の顔を何度も見返してしまう。
このタイミングでこの請求書を見せられた意味は一体何なのか。まさか拒否のペナルティとしてアカデミアの請求書を肩代わりさせられるとでもいうのか。
「変な心配をしなくてもいい。まぎれもなくそれは君の物だ」
「……はっ」
嘘も大概にしろと言わんばかりに軽く吹き出し苦笑する。
どうすれば一個人、それもこんな学生にここまでの借金がかさむのか。こんなチープな嘘では人を一瞬驚かすので精一杯だろう。
落ち着きを取り戻したアッシュは、次に理事長から飛び出してくる言葉をどう嫌味ったらしく蹴飛ばすか思考を巡らしていた。
「それは先日行った討伐戦で君が街に及ぼした被害総額だ」
「は?」
嫌味で跳ね除けようと開いた口をポカンと開けたまま手にしていた紙を床に落とした。