翡翠の巨翼
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『クルト、右に走って』
どういうことなのか理解できず、隣にいるフィーネに問いかけようとするクルトだったが、脳内に木霊したフィーネの声に強制力を感じ、質問を飲み込む。クルトは即座に体を転換させ、突撃してきたハングリーベア巨種の右側面へと回り込む。
――!?
今までに体験したことのない速度で移動したことにクルトは目を見開く。刀身が桃色に光り始めたことと関係がある。クルトはそう確信する。理由などない。
刀身が再度震える。淡い桃色が濃くなっていく。
『何も考えず、全力で行くぞ。そうすれば活路は自然とうまれる』
そう脳内に語り掛け、フィーネは腰を落とし、青龍刀を構えた。適当すぎる、とクルトは思ったが、語り掛ける方法も見つからず、不承不承といった様子で剣を持つ。
視界から消えたクルトとフィーネを追うように首を回したハングリーベア巨種とフィーネの視線が衝突する。
「ザ・ラヴァ―ズ!」
空気を震撼させる声量でフィーネが叫ぶ。同時に二つの刀身が紅紫色に発光する。直接その光を見たクルトは太陽を直接見たような痛みに襲われ、思わず目を背ける。次の瞬間、目も向けられないほどに強く光る刀身にクルトは体全てを引っ張られる。
前を見られないジェットコースターに乗せられるような恐怖を感じ、クルトは叫んだ。だが、次第に縦に、横に乱暴に振られる体の動きに、クルトはある結論を導き出し始めていた。目の奥の痛みを堪え、クルトは片目を開ける。
開けた視界には茶色い剛毛とそれを所々寸断する桃色の剣閃が映る。ふとさらに奥を見たクルトはもう一対の緋閃が舞っていることを確認する。クルトの描く剣閃とフィーネの描く剣閃は真逆の軌道を描いている。
――ラヴァーズは、二者の動きを対にさせる魔法?
操られたまま放つ剣撃に少しずつ自分の動きを被せながらそんなことをクルトは考え始める。
次第に剣に泳がされることが少なくなり、まるで自分の意志で攻撃を繰り出しているような感覚をクルトが覚え始めた時、脳内にフィーネの声が届く。
『今からこいつを左右に真っ二つにする。動く剣に呼吸を合わせてくれ』
その声を聴いた瞬間、クルトは思わず耳を疑った。何度斬っても出血が一切見られないこの強靭な体を真っ二つにすると聞こえたからだ。しかし、クルトは今フィーネに何かを言ったりすることができない。無茶だと知りながらクルトは動き続ける剣を強く握りなおす。
直後、上下左右だけだった剣の動きに前後が加わりクルトは文字通り縦横無尽に振り回される。しかし、その動きにもクルトはすぐに慣れ始めた。天性の運動神経か、はたまた別の何かが働いているからなのかクルトの攻撃が重く、鋭くなっていく。
『行く』
短く脳を刺激した言葉にクルトは無意識に反応し、強烈な一撃をハングリーベア巨種に打ち込んで飛び退く。その動きはフィーネと真逆、反対側でフィーネは強引にハングリーベア巨種の足に突撃していた。
毛深く、丸太のように太い足に刃をひっかけ、地を走るのとさほど変わらない速度で再びハングリーベア巨種の上を取る。クルトは光る剣に引かれるままハングリーベア巨種の真下に滑り込む。上と下の挟み撃ち。ハングリーベア巨種は最たる脅威であるフィーネにすべての意識を注ぎ込み、上からどんな攻撃が来ても対応できるように身構える。
「朱雀襲撃」
空中で身を反転し、フィーネは頭から落下する。青龍刀の重量ある刀身がハングリーベア巨種の脳天に差し込まれるようにフィーネは落下の最中にも自身の位置を調整し続ける。
朱雀のように華麗に空中へと飛び上がったフィーネとは対称に、クルトは地中深くに眠る龍の如くハングリーベア巨種の股下で力を溜めていた。無論、この行動も剣に引かれるままの行為だ。
剣に引かれ、攻撃に入ると感じた瞬間、クルトは叫んだ。自分の初めて使う知らない技名を。
「青龍昇撃」
直後、一筋の光がフィーネの青龍刀とクルトの剣を結ぶ。ハングリーベア巨種の胴体を貫通して繋がる光。二人の呼吸が一寸のぶれなく一致する。
――ここだ!
素人判断でクルトは地面を蹴り、ハングリーベア巨種の股間目掛けて剣を振りかぶる。同時、フィーネは落下する最中に半回転し、ヒップドロップでもするかのように高速で落下を再開した。
落下のタイミングをずらされたハングリーベア巨種だったが、そんな些細な変化は大した意味を持たないのだろう。一切体勢は崩れない。
フィーネとハングリーベア巨種の顔が接近し、ハングリーベア巨種は凶悪な牙がずらりと並んだ口をガバっと開ける。その口の中に吸い込まれるようにフィーネは落下していく。
深淵を思わせる口内。フィーネは再び体勢を変え、槍投げのように青龍刀をハングリーベア巨種の口内へと投げ込む。音を置き去りにして直進する青龍刀はハングリーベア巨種の体内を蹂躙していく。
「おりゃあああああ!」
その反対側から剣に引っ張られるようにクルトが現れ、勢いそのままにハングリーベア巨種を縦に分断した。
物凄い地鳴りの後、高度10mから落ちてくる血塗れのクルトをフィーネは優しく空中で受け止める。
宝石のように光を乱反射させる翡翠色の巨大な双翼がふわりと花園の土埃を払った。