地下深い洞窟の奥底で
「まさか、初対面でここまでの力を発揮するとは、思ってもみなかったよ」
独り言のようにフィーネは呟いた。仄暗い洞窟内を照らすヒカリゴケの上にクルトを寝かせ、フィーネ自身も座り込む。
「フィーネさん?」
クルトの意識が回復し、言葉を発する。それを見て安心したのか、フィーネはほっと胸をなでおろした。
「クルト、ありがと」
フィーネは自身ができる最高の笑みをもってクルトに感謝の心を伝えた。それを受けたクルトはキョトンとしながらもどういたしましてと言葉を返す。
――あれ、空中に飛び出したはず......なんだけどな?
クルトは自身の最後の記憶と現在の状況が一致しないことに脳内が『?』で埋め尽くされるが、疲れ果てているのか何も考える気になれなかった。そんな状態のクルトを見て、フィーネは
「休んでていいよ」
と声をかける。
「う、ん」
クルトはその言葉に甘え、睡魔に誘われるままに夢の中に落ちていった。
「さてと......」
フィーネは子供のように無邪気な顔で眠るクルトを床に寝かし、ハングリーベア巨種の倒れていた場所へと視線を移した。先ほどまで体を真っ二つにされた死体が転がってた場所には一輪の赤い花が咲いていた。
死体が消え、花が残る。フィーネは薄っすらと恐怖を覚える。が、死体が消えるというのはここでは日常茶飯事であることをすぐに思い出し、生まれた恐怖心を即座に振り払う。
「それにしても、綺麗な花......」
フィーネはその花が醸し出す美しさに惹かれ、その花に近づいた。その花は真紅のように輝き、花弁内を液体が流動していた。フィーネはそっと花に手をかざす。
――暖かい。
まるで生きた動物のようにその花は熱を発していた。
「こんなの......私の知識にない......」
初めて見る植物にフィーネは興味を持った。フィーネは優しくその花を掌で包み込み、地面から引き抜く。その植物は、根という概念がないのか、簡単に地面から引き抜くことができた。
「フィーネさん?」
その直後、クルトがパチッと目を覚まし、フィーネの手元へと視線を向けた。
「花、好きなんですか?」
クルトにはフィーネが花を愛でているように見えた。それを理解したフィーネは小さく頷き、その赤い花をクルトにも見せた。
「なんて言う花なんですか?」
「それが、私にもわからないの」
クルトは花を見て黙りこんだ。だが、またすぐに口を開く。
「なら、ふ、二人で調べてみませんか?」
クルトはフィーネの顔を見て、わずかに頬を紅潮させながらそんな提案をした。結構な声量で出された提案は軽く洞窟内を反響し、消えていく。
「二人で?無理よ」
フィーネはその提案を少しも考えずに拒否した。そのあまりにもつけ入る隙のない返答に唖然とした表情をクルトは浮かべる。が、それも一瞬のこと
「な、なんでですか?やる前から無理なんて......」
クルトはフィーネの説得に入る。
フィーネはため息を一ついた。クルトの喉まで出かかっていた言葉は再び体の奥へと戻っていく。
「クルト、私はね。あなたと違って何百年という時を過ごしてきたの」
そう言ってフィーネは翡翠の双翼を再度開いた。幻想的な光が洞窟内を照らし、クルトの視線も羽にくぎ付けになる。
「エルフ種......」
クルトはおとぎ話に出てくる男女ともに美形で緑色の翼をもつエルフ、という種族を思い出した。だが、フィーネをエルフ種とすると一つ合わないことがあった。
「そんな昔話に出てくるようなのよく覚えてたね」
少し驚いたように目を開いた後、フィーネは深呼吸をした。
「そう。私はエルフ種。もっと正確に言うなら、ハイエルフ不死種特異個体。それが私」
つまり、と続けようとしたフィーネの言葉を遮り、クルトは目を輝かせて
「いいなあ」
そう呟いた。
「な、何言ってるの?不死なんだよ?特異個体なんだよ?みんなと違うんだよ?嫌いでしょう?みんなと違う見た目、能力、さらにそのうえ死なない。仲間のエルフからは見放され、親兄弟からは疎まれた。こんなのの何がいいのよ!
死なないことがどれだけ辛いと思ってるの!?大好きな友達が死んでいく中で取り残される孤独、どれだけ深い傷を負っても死ねない絶望、ただただ無為な時間を過ごさなければならない虚無感。ずっとずっと、何百年もこんな苦しみに耐えてきた。あなたにはわからないでしょう!?永遠を生きる寂しさが!」
感情が昂ぶるのを理解しながらも、フィーネは抑えることができなかった。止まらない感情の流出をクルトはその場で見続ける。
「フィーネさん。フィーネさんのその個性はフィーネさんだけにしか味わえません。それと同じように僕の個性も僕にしか味わえません。
他人の個性を味わうことは誰にもできません。だから誰にも理解されないときもあります。でも、理解されないからと言って世界中の人に見放されたわけではありません。フィーネさんのその個性を嫌う人もいれば僕のように憧れる人もいます。
僕が何をいいたいかわかりますか?」
フィーネは何の反応もしない。クルトもただただフィーネの眼を見続けるだけだ。
「フィーネさんはおかしいんです。僕も、おかしいんです。みんな、おかしいんです。だから、フィーネさんは何もおかしくないんです。
......あ、あの、ちょっと、何言ってるか僕もわからなくなってきちゃった。」
クルトは背中と脇をじっとりと湿らせている汗を不快に思いパタパタと手で仰ぎ始める。その間もフィーネは何も反応しない。
「みんなおかしい、ね」
不意にフィーネが呟いた。顔には軽い笑みが浮かんでいる。その笑顔を見た瞬間、クルトの心の中に一つの種が芽生える。だが、クルトは「?」と頭に浮かべるだけでそれを見過ごす。
「そうですそうです。どこかの吟遊詩人が言ってました。『みんなちがって、みんないい』って。」
「正直、何も解決した気にもなれないし、心の中にあるもやもやが晴れた気もしない。でも、心なしか体は軽くなった気がするよ。ありがと、クルト」
破顔し、フィーネは手元の花に視線を落とす。
「あ、そうだった。この花を二人で調べるのが無理って話ね。それは私の故郷であるエルフの里に私が入れないからよ」
少し赤面し、うつむいていたクルトはそれに何が問題あるのかと疑問を浮かべる。その様子を見てフィーネはだから......と補足を入れる。
「エルフは自然と共生してきた種族よ。調べるならあそこ以外に選択肢はないの。でも、エルフの里は追放者を容易にいれてくれない。結論、私たちがエルフの里でこの花を調べることはできないってこと。いい?」
その補足を聞いてクルトは顔から火が出そうになるほど恥ずかしくなった。彼の調べる、とは二人で冒険し、いろいろな人から情報を仕入れたり、といったものだったのだ。妄想の加速した中で提案をしていたことにクルトは赤面し、フィーネの顔をまともにみれなくなってしまう。
「あ、もしかして......」
その様子をみてこれまた何かを察したフィーネは上に軽く視線を向けて頬をかく。
「私と冒険とかして調べたいってことだった?」
流石にないか、と思いながら言った言葉にクルトが小さく頷くのを見たフィーネは一瞬マヌケな顔をしそうになる。この子は何を聞いていたんだろうとさっきの会話を思い出すフィーネだったがクルトが一切自分を嫌うようなセリフを言っていないことに気づきぽかんと口を開ける。
「その、ぼ、僕と......ぱ、パーティを組みませんか」
手汗びっしょりのクルトの右手を同じく手汗びっしょりの手で握り返し、フィーネは視線を逸らす。
「この花の名前がわかる保証はないし、いつまでもパーティ組んであげれるわけでもないからね」
――やった、やった!
――これで、独りじゃなくなる......
地下深い洞窟の奥底で人とエルフの特異なパーティが誕生した。
その数十分後、迷宮の入り口から翡翠色に煌めく一対の巨翼が飛び去って行った。