俺の婚約者が婚約破棄をしたがっている
俺の婚約者は男勝りな令嬢だった。
猿のように木に登っては快活に笑い、カエルを捕まえては自慢げに目を輝かせ、紐で羽虫を軽くしばり散歩する、そんな女だった。
だがそれは、昔の話。
貴族の間ではその潔癖さと美しさから百合姫と呼ばれ、学園では成績優秀、母がひらく茶会では穏やかに微笑み話に相槌をうつ姿が確認できた。
あの山猿も立派な淑女になったのだ。人間、よくここまで変われるものだと感慨深く思ったし、一抹の寂しささえ抱いた。
抱いたはずなのだが。
「ディア……。こんな所で何をやっている?」
「あら、殿下。ご機嫌麗しゅう。そうそう以前、ベルドット様が勉学を教わりたいと仰っていましたわ。このような場所で油を売るより彼を救って差しあげてはいかがでしょうか。それでは」
颯爽とこの場から離れようとするクラウディアの手を慌てて掴む。貴族の女性とは思えない程に荒れている。なるほど、潔癖症だからというわけではなく、これを隠すために常に手袋をしているわけだ。
「ちっ」
「まて。キースの面倒を見る義理はないし、あいつも俺に教わりたいわけではないし、面倒くさいからって俺に押し付けるな。あと殿下と呼ぶな、騒ぎになる」
「むしろ騒ぎになればよいのではないですか?そうなれば殿下も街をうろつくこともできなくなるでしょうし」
「いや、やめてくれ!?」
いかにも冒険者です!と言わんばかりの風貌のクラウディアはヘルムガンド公爵家の長女とは気付かれないだろうが、いいとこのぼっちゃん気味の俺はたぶんすぐバレる。国民たちは遠目からだとしても俺の姿を見たことがあるだろうし。
「俺はただのハンスだ。どこにでもいる商家の息子だ」
「はいはい、ただのハンス様。家に帰って計算機をはじいてくださいませ」
「ああ。俺だって家に帰って現実から目を背けたい。婚約者が冒険者をやっている現実からな……!!」
「こんな所でなにをやってる、などと聞きながらご自分で答えを出すなんて世話がありませんわねぇ」
「お前が質問に答えないからだろ!」
こめかみの血管がはち切れそうだ。昔から猫かぶりが得意なやつだとは思っていたが、あの粛然とした姿全てが猫かぶりだったなんて。
そしてバレたというのに全く悪びれない。こいつの猫かぶりは俺には適用されないのが常なのだ。今回もバレても問題なかろうと思っているに違いない。
その考えにいたり呆れ果てているとクラウディアの向こう側から声をかけてくる大きな男が現れた。
「お、クロウじゃねぇか! いい所にいたな!」
「あ? ゲルトか。どうしたんだ?」
ゴロツキと見間違えるほどの筋肉ムキムキな男と話す我が婚約者を観察する。口調が180度回転している。百合姫とはなんなのか。みんな騙されてるぞ。
「この前のヘビードラゴンの報酬、ギルドで貰ってきたからな。お前もさっさと受け取れよ」
「あーわかった。この後いくよ」
「そうしとけ。それでまた助っ人を頼みたいんだが、と、もしかして取り込み中か?」
ゲルトと呼ばれていた男がこちらに気づいたようで視線を向ける。視線を向けられただけだが、睨まれたかのような感覚だ。
「あー…。まあ、大したことない」
「大したことないって、」
「そもそも、こんないかにも金持ちみたいなやつと知り合いだったのかよ」
「いや、知らない奴」
「はあ!? 借りにもこんやぐふっ」
思いっきり腹に拳をキメられ意識が飛びかける。婚約者の腕力がおかしい。もう山猿ではない、これはゴリィラだ。というか、3番目といえど一国の王子なんだが、俺。
「知らない奴に対する態度じゃねーけどな。ま、いいわ。護衛かなにかと思っておくことにするぜ」
「おう、そうしといてくれ」
「じゃあ俺はもう行くわ。助っ人の件、そのうちまた頼みに行くな」
「悪いな。またよろしく」
俺が腹を抑えて悶えているうちに男は去っていったようだ。ゲルトを見送っていたクラウディアがしれっとした顔でこちらを向いて口を開いた。
「それでは、ハンス様。さっさとお帰りになりやがれ」
「お前、もう取り繕う気皆無だろ!」
×××
「で?何か申し開きはあるか?」
「いえ、特には」
婚約者殿が悪びれたふうもなく、食事処の端にある椅子に腰かけ優雅に茶を飲む。所作だけなら完璧だが、その姿は一端の冒険者でありさらに場所は大衆向けの食事処でちぐはぐどころの話じゃなかった。
「全く……。一体いつからこんなことやっていたんだ」
「かなり前です。堂々とやり始めたのは学園に入学後ですが、それよりも以前からこっそりと」
「そのままこっそりやっていてくれたら、どんなによかったか……」
世の中には知らない方が良いことなどいくらでもあるが、これはその筆頭にあたる。俺的知らなきゃよかったランキングの2位にくい込んできた。ちなみに1位は姉上の本棚だ。
「いえ、ハンス様が仰ったのですよ。学園にいる間は自由にしてていいと」
「貴族令嬢としての最低限を守るならと、俺は確かに制限をつけたぞ」
「ええ、公爵令嬢として最低限のことはしていますわ」
「自分の胸に手を当ててよく考えてくれ」
クラウディアが素直に手を胸をあてて瞑目する。こうやって黙っていれば顔はいいのに。そんなことを考えていると彼女が目を開け真っ直ぐこちらを見てきた。
「してますね」
「してない。その姿で貴族令嬢とは言えない」
「む。成績は優秀。所作も完璧。そして、立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は菊の花。ほら貴族令嬢」
「自分で言うのかそれ。まあ確かにディアの取り繕いは完璧だったさ。だが、冒険者界隈にどっぷり浸っている時点でマイナスの極地だ」
「悪いものじゃないですよ、冒険者。楽しいですよ、冒険者」
「悪いものではないのはわかる。楽しいものであることもわかる。が、令嬢のすることではない」
「またまた。本当は殿下もやりたいんですよね?わかります」
「分かるな。あと俺はハンスだ」
「はいはい、ハンス様。商家の息子さんですわね。帳簿管理、ちゃんとできていらっしゃいます?」
「安心しろ。俺の父は完璧だからな、部下たちだってしっかりと掌握されてる」
「慢心はよろしくないと思いますわ。いつだって疑ってなんぼです」
「まあそれは、アレンハルト兄上もいるし。大丈夫だろう。……待て、話が逸れた」
「なんの話をしていたのでしたっけ?」
「ディアの貴族令嬢度についてだ」
「無駄に記憶力がいいですわね」
「無駄とはなんだ、無駄とは」
減らず口もいいところだ。人って変われるんだなと感動した俺のピュアさを返せ。
「そういえばハンス様、お願いなのですがここではわたくしのことをクロウと呼んでくださいまし」
「……なんでだ」
「あくまでディアと呼びたいのならよいのです。わたくしもフェルズ・フォン・ハルメニア第3王子殿下とお呼びするだけですので」
「ははは、クロウは強情だな」
「いえいえ、ハンス様ほどでは」
2人して乾いた笑い声をあげる。隣の席で食事をとっていた男が何事かとぎょっとした様子で顔をこちらに向けてきた。その様子を見て俺はクラウディアに顔をよせ小さな声で話しかけた。
「おい、魔法はちゃんとかかってるんだろうな?」
「ええ、かけてますよ。今のは殿下の笑いが大きすぎただけですわ」
「お前だって似たようなものだっただろう」
「あっ!クロウさん!」
こそこそと話していると冒険者らしい、しかしクラウディアより幾分か可愛らしい格好をした少女が驚いた様子で声を上げた。
「お久しぶりです!あーようやく会えましたぁ〜!」
「ああ、マリーか。元気だったか?」
「はい!それはもう!」
マリーと呼ばれた少女が朗らかに笑う。どうやら2人は知り合いのようだ。
「あ…ごめんなさい。お話の途中でしたか?」
「ううん、大丈夫。こちらはハンス殿、グローリー商会の方なんだ。ハンス殿、こちらは私の知り合いのマリーだ」
「よ、よろしく」
「はい、しがない冒険者ですがよろしくお願いします!」
驚いて思わずどもってしまった。グローリー商会って実際にある商会だよな?いいのか、関係者として紹介して。俺、何も知らないんだが……。
「マリーはこれでもなかなかの炎の魔法の使い手なんだ。何か困ったことがあれば頼るといい」
「やだ、私なんてまだまだですよぉ!この前のゴリィラ討伐依頼だって、クロウさんが剣1本で片付けてしまいましたし。その節は本当にありがとうございました!」
ゴリィラは付近の森に時々出現する成体になれば3mは超える黒い毛むくじゃらのB級モンスターだ。恐るべきはその腕力であり、木をへし折る姿が度々目撃されている。
我が婚約者殿、ゴリィラより強いらしい。タイマンはって勝利するとは……。規格外すぎて俺は言葉を発することはできなかった。
「ハンスさんはクロウさんにご依頼ですか?」
「ああ、そうなんだ。色々あってギルドは通してないんだけど」
「そうなんですね。大丈夫、クロウさんはとっても強いですからね!なーんにも問題ありませんよ、ハンスさん!」
「いや、マリーが自慢してどうするんだよ」
「だって私の憧れですもん!私、クロウさんのようなすごい冒険者になるんです!」
彼女はどうやらクラウディアを慕っているようだ。
それより、さきほどから彼女の口調や格好について気になってはいたが、これはもしかして……。
「あっお仕事の相談してたんですよね!すみません、お邪魔してしまいました」
「いや、大丈夫。気にしないで」
「お礼を言いたかっただけなので、私はいきますね。クロウさん、またパーティ組んでくださいね!ハンスさんもまた会う機会があればその時はよろしくお願いします!」
嵐のように去っていった。パワフルな少女だった。これくらいじゃなきゃ冒険者は務まらないのかもしれないな。
「なあ、クロウ。もしかしてさ、」
「ええ、男として冒険者やっていますわ」
その言葉に思わずクラウディアのつつましやかな胸部に目がいく。……まあ、そう言えなくもない、か。
「神の元にお昇りになりたいのですか?お手伝いならいくらでもいたしますわ」
「いや、遠慮しておく」
クラウディアがぐっと拳を握りしめたのが見えた。ゴリィラを討った腕力でやられたら本気で昇天しかねん。俺は慌てて首を振った。
「それにしても、剣なんか使えたのか。知らなかったぞ」
「ええ。ハールゲルト流ではなく我流ですので、殺ることに特化した剣ですが」
「お、おう……」
それにしても剣か。クラウディアは光魔法の適正値が異様に高い上に、学園でもトップの才能を持っている。てっきり魔法使いとして冒険者をやっていると思っていた。
「いえ、確かに光魔法でやった方がはやいのですけれど、それでは面白くないではありませんか」
「……そんなに顔に出てたか」
「ええ、不思議そうな顔をしていらっしゃいましたから。まだまだ甘いですわね、ハンス様」
「クロウの猫かぶりには負けるに決まってる」
あれにはきっと父上も母上も騙されているに違いない。特に母上はクラウディアのことを猫っかわいがりしていたから、度肝を抜くことだろう。母の心臓のためにも俺の心労を軽くするためにもこれはバレるわけにはいかないのだ。
「はあ、この前シェリーに淑女になりたいならお前を見習うといいなんて言ってしまったが、まさか本人がこんなだとはな……」
「おや彼女、冒険者になりたいと?」
「冒険者がお前の本業なのか」
逆だろう、逆、と呆れながら言う。
シェリーというのは下級貴族の娘だ。色んな事情が重なり平民として暮らしていたが、ネンデル男爵家に引き取られたらしい。そんな彼女が貴族子女たちに馴染むことができないと悩んでいたからそうアドバイスをしたのだった。
「まあ、あちらの方でのわたくしなら見習った方がいいのではないでしょうか。彼女、なかなかやらかしてるご様子ですし」
「俺もそう思ってお前に頼もうかと思ってたんだが、こうも昔と変わってないところを見ると変なことを吹き込みそうだなと思う」
「いやですわ、そのようなことしませんわよ。ちょっと遊ぶくらいはするかもしれませんが」
「悪質な冗談に踊らされる彼女が目に浮かぶようだ……」
言葉上だけならクラウディアがシェリーをいびりかねない言動をしているが、そんなことはない。というのも、その性格とは裏腹にクラウディアはかわいいもの、小さいものが好きなのだ。同時に、虫や爬虫類といった苦手な人が多いものも好きなだけで。
そして彼女は好きな人はからかってしまうタイプなのである。まるで5歳児。はっちゃけている様子から考えるに、この部分も全く変わってはいないのだろう。
「シェリーさんもハンス様なんかではなく私を頼ってくださればいいのに……。手取り足取りお教えして差し上げますわ」
「なんかとはなんだ。それにしても、キースに対する態度とシェリーに対する態度、変わりすぎやしないか?」
「わたくしにも選ぶ権利はあると思いますの」
「キースが憐れだ……。騙されている上に、こんな簡単にあしらわれて……」
クラウディアがその言葉を鼻で笑った。本気でどうでもいいらしい。どうにかして彼を別の道に進めるようサポートしなければ。その道は修羅の道もいいところだぞ、と。
「そもそもですね、友人の婚約者に色を向ける時点でわたくしはどうかと思うのです」
「ド正論。だが、お前は別に俺の事好きじゃないだろう?」
「ん、まあ確かにそうなのですが。しかし、その根性が気にさわります」
「俺は相談されたけどな。お前の婚約者のこととってもいいかって」
「へぇ、なんと馬鹿正直な。なんて答えたんです?」
「できるもんならな、って」
「腹立つ返事ですね。何様のつもりですか」
「クラウディア・ヘルムガンド公爵令嬢の婚約者様だな」
「人類の敵と認定させていただきますね」
「お前一人で人類全てを語るな」
人類の敵と言うならクラウディアの方がよっぽど似合う。魔王としてやっていく素質はあると思う。口には出さないけど。
「さてハンス様。もう充分話したでしょう。さっさとお帰りやがれください。わたくしにも用事がありますので」
「はあ、無礼に無礼が上乗せされていく……。わかった、今日のところはこれくらいにしてやる。冒険者業はやめろ、と言いたいがどうせ無駄なんだろうな……」
「わたくし、嬉しいです。そんなにハンス様がわたくしのことを理解してくださっているなんて」
「少しは否定しろ」
「否定する気も起きませんし」
開き直りもたいがいにして欲しい。本日何回目かも分からないため息をつき、俺は席を立ったのだった。
×××
「フェルズ様……私、クラウディア様からいじめを受けているんです」
「……ん、んん?」
授業も終わった放課後。勉強で分からないことがあるというためシェリーに付き合って図書館に来ていた。しかしどことなく上の空な様子に違和感を抱きどうしたのか聞いてみたのだ。
「……それは、本当?」
「本当です……。わ、私、辛くって」
するとシェリーは静かに涙を零し始めた。あわててハンカチを取り出し涙を拭う。
それにしてもクラウディアがいじめ……。彼女はそんなことするような人間ではない。嫌いならとことん関わらないようにするタイプだ。それにクラウディアのシェリーに対する好感度はそこそこに高いようだったため、そんなことするとは思えない。ただ、クラウディアとしては好きだからやったつもりだがシェリーにいじめととらえられた可能性はある。
「そうか……。一体何をされたんだい?」
「文句をつけられたり、ものを押し付けられたり……」
文句は学園生活のアドバイス、ものを押しつけるのは貢いでるつもりなのかもしれない。クラウディアは表情の変化が乏しいため勘違いを受けることが多々あるのだ。今回もその典型的なパターンだろう。
「ちなみに、具体的には?」
「殿下や他のみんなに近づくなとか、平民がこんな所にいるなとか……」
……ちょっとクラウディアが何言ったのかはわからないが曲解されたのかもしれない。彼女の意図が分からないためフォローできないが、おそらく親切心で何か言ったのだろう。
「……私、やっぱりフェルズ様のお近くにはいない方がいいですよね」
「いや、そんなことないぞ?」
学園では生徒はみな平等だ。それがここで生活する上での最低限のルールなのである。王子自らそれを破るのは良くないだろう。
「ほんとですか……?」
「ああ、本当だとも。クラウディアには俺が話しておこう。シェリーは心配しないでくれ」
「はい、ありがとうございます……!」
シェリーが柔らかく微笑み、俺はそれに頷いた。勉強にもどりシェリーに問題の解説をしていったのだった
×××
「ディアが断った?」
「はい。その通りでございます」
俺はシェリーの話を聞いたあと、クラウディアに事情を聞くべく手紙を出していた。
最近の頻度は減っていたが昔はよく一緒にお茶を飲んでいた。大抵俺がいつもクラウディアを誘う形であり、彼女も断ることは滅多になかったはずなのだが。
「理由は?」
「こちらをお読み下さいと預かりました」
側近であるクリスに封筒を渡される。封を切り中の手紙を取り出すと整った文字が綴られていた。
「……」
読んでみるとそこには形にのっとった挨拶や彼女の近況がたんたんと書かれていた。茶会を断った理由はなんなんだ?と思い読み進めた結果、最後の最後に一言だけ書かれていた。
『面倒だから誘わないでください』
その言葉に思わず頭を抱えた。彼女は嫌いになった相手とはとことん関わろうとしない。断る理由が雑すぎるのを考えるともしかしてこれは俺のことを嫌いになったという示唆なのだろうか。
クラウディアとは婚約者であるが甘い関係であったことはない。あるのは桃色の空気ではなく闘技場の空気である。だが、それでも友人として、婚約者としては上手くやっていたように思う。彼女と会話するのは少々疲れるが嫌いではなかったし、楽しかった。
俺はクラウディアに嫌われたかもしれないということに自分が傷ついていることに気づいた。幼なじみであり友人であるのだからショックを受けないわけがないのだが。
「……まあ、学園で会うか」
別に会おうと思えばいくらでも会える。隣のクラスだから明日昼に誘えばそこで話が聞けるはずだ。俺は沈んだ気分のまま回ってきた書類を捌くのであった。
翌日の昼休み、クラウディアを誘おうと彼女のクラスを覗いた。しかし彼女の姿は見つからず仕方なく近くにいた男子生徒に聞いてみた。
「君、クラウディアを知らないか?」
「で、殿下!? あ、クラウディア様は、えっと……」
彼から聞いた内容は驚くべきものだった。どうやらクラウディアは学園に来ていないらしい。
この学園の必要単位は多いわけではない。それは貴族子女は午後はお茶会を行うことが多いためだ。そのためお茶会を削れば確かに単位を全てとることは可能であった。クラウディアは必要単位を全て取得したのだという。卒業間近とはいえそんなことをしていたとは知らなかった。
「……もしかして、彼女はしばらく来ない?」
「おそらく……」
なんてことだ。これでは彼女に話を聞けないではないか。思わず額に手を当てる。俺は男子生徒に礼を言ってその場所から離れたのだった。
×××
今日は卒業パーティーである。そのはずである。
「クソっ! なんで開かないんだ」
俺は今、真っ暗な部屋に閉じ込められていた。魔法は使えるが俺は光属性の魔法は一切使えないため周囲の様子を見ることはできないがおそらく学園だろう。どうにか到達したドアノブが学園のものと同じだった
俺は学園で行われる卒業パーティーに来ていた。手洗いに行こうと少し会場を離れたところで突然背後から口元を抑えられいつの間にか気を失ってしまったのだ。
扉は全て内開きのため外に物が置かれている訳でもない。鍵も内鍵のため鍵がかかっているわけでもない。そうなると──
「魔法か」
俺は魔力の残滓を掴むため精神を集中させる。僅かに反応が感じられた。かなり綿密に構築されている上に魔力反応も薄いようにできている。魔法行使がとても上手い人間がこれをかけたのだろう。状況が状況でなければ宮廷魔法使いに任命したいほどだ。
「ふぅ……」
再び集中力を高める。高度な魔法だが俺に解除できない程ではない。時間は少しかかるだろうがいつかは必ず出れる代物だ。不安になる必要はない。
俺はそうして作業に取り掛かったのだった。
「よ、ようやく……」
ノブを回すと廊下の光が部屋に差し込んできた。どうやら会場の近くの小部屋に閉じ込められていたらしい。
魔法錠を解除しているうちに俺は少し違和感を覚えていた。これ程の魔法の使い手ならばもっと高度に、俺が開けられないまでにすることも可能だっただろう。さらに時間制限までついておりそれをすぎれば勝手に解除される仕組みになっていた。
正直、犯人の意図が全くわからない。制限時間もそこまで長かったわけではなくせいぜい1時間だ。この1時間で何をするというのだろう。
脳を使いすぎてぼんやりする頭を抱えながら卒業パーティーが行われている会場に近づく。そこで俺は会場内が騒がしいことに気づいた。
「何の騒ぎだ」
そう声を上げると真ん中を周りから見ていた生徒たちが道を開ける。俺は中に入っていった。
そこに居たのはシェリーと彼女と仲のいい公爵家子息のネルソン、そして髪をかきあげナイフを己の首元にあてるクラウディアだった。
「……は?」
「ごきげんよう殿下。殿下は婚約破棄をしたいですよね。なので婚約破棄をいたしましょう」
「はあ!?」
唐突な宣言に混乱する。少なくとも俺には婚約破棄をする意思はない。なぜそんな話になっているのだ。
混乱する俺を置いて、ナイフを首ではなく髪に押し当てるクラウディアの意図に気づきあわてて声を上げる。
「ディア止まれ! ナイフを下ろすんだ」
「ちっ」
舌打ちしながらクラウディアはナイフを下ろした。
顔を動かさないまま舌打ちする様子に完全に猫が剥がれていることを察する。彼女が猫を被っている時は終始笑顔なのだ。
貴族女性にとって髪は命だ。それを根元から切る事は貴族をやめるということ。市井や修道院に入ることと同義だった。
「でも、婚約破棄したいですよね?ほら、頷くだけでいいんですのよ。それ、破〜棄! 破〜棄!」
「ゴリ押し!? あとそのコールやめろ!」
真顔で手を叩きながらクラウディアが煽るように手を叩く。無性に腹が立つ。効果は抜群である。
「というかなんでここにいるんですか? わたくし、確かに殿下を──」
「卒業パーティーなんだからいるに決まってるだろ何言ってんだクラウディア。面白いこと言うなぁ、あっはっは」
早口で捲し立てることにより彼女の言葉を止める。今の発言からして十中八九クラウディアが俺を閉じ込めたのは間違いない。そして、それをこんな場所で言ってしまったらさすがに刑は免れない。それでもいいと思っての発言だろうが俺としては全く良くなかった。
「いやわたくしが──」
「はははははそんなことはどうでもいいんだクラウディア。大事なのはこの状況だ。説明してくれ」
遮ってもなお言い募ろうとするクラウディアをどうにか止める。クラウディアはかしこまりましたと頷いて再び口を開いた。
「わたくしが悪いことしました」
「知能が下がったか?」
説明になっていない。こんな状況でも彼女は俺をおちょくるのだ。毎日が楽しそうで大変結構である。振り回されるこちらの身にもなれよ。
「私から説明する許可をください、殿下」
ネルソンが1歩前に出て進言する。俺はそれを見て許そうと言いながら頷いた。クラウディアが口を開かなければこの際なんでもいい。
「クラウディア嬢がシェリーを悪質な手口でいじめていたのです。それをこの場で明らかにすべく彼女に事情を聞いていました」
「……なるほどな」
俺はあれから結局クラウディアに話を聞くこともできず今になっている。当然シェリーの誤解も解けていない。そしておそらくクラウディアはそれに乗っかろうとしているのだろう。
「クラウディア、君は一体何をしたんだい? 先程君は悪いことをしたのだと言ったよね。ぜひ具体的に説明してくれ」
「うっ」
笑顔でクラウディアを見る。思い切り目が泳いでいるのがわかった。この様子からおそらく彼女はシェリーが何をされたのか知らないのだろう。彼女にとって俺がここにいることは想定外であり、どうせ向こうから勝手に言ってくれると思っていたに違いない。
「……えー、物を隠したりとか階段から突き落としたりとか、ですか?」
「なんだって! それは本当かい? シェリー」
「い、いえ、物がなくなったことはありましたが、階段から突き落とされたことは……」
「なかったですわよね! うふふ、わたくしとしたことが失礼いたしました」
被せるようにクラウディアが発言する。さすがに無理があるぞ、クラウディア。ただ、ここまで狼狽する彼女は大変珍しく、少しばかり楽しくなってきた。
「物を隠したと言うがそれは一体何を? クラウディア教えてくれ」
「……教科書ですわ」
「何の?」
「……………………国語」
「そうなの? シェリー」
「国語の教科書はなくなってません。なくなったのは筆箱です」
「あら、そうだったかもしれません。筆箱と教科書を見間違えたのですね」
完全に適当なことを言っている。彼女がヤケになっているのが分かった。もしかしてそれはツッコミ待ちなのだろうか。
「ちなみにシェリー、それが起きたのはいつの事だい?」
「確か1ヶ月前の事だったような……」
「おや? それだとおかしい。クラウディアは1ヶ月前から学園には来ていないはずなんだ」
「え、そうなんですか?」
「そ、そんなわけない! 学園に来ていないなどそんなこと!」
「そうですわ! 別にダンジョンなんか潜っていません!」
「……聞きたいことは山ほどあるけど、まずはここにいる生徒諸君に聞こう。この1ヶ月間学園でクラウディアの姿を見た者はいるか?」
もう半ば諦めているのか、完全にクラウディアがボケに回っている。俺は絶対につっこまないからな。
生徒たちは俺の言葉に顔を見合わせる。しばらく待ってもクラウディアの姿を見たと言う者は現れなかった。
「さすがにいなかった人間を犯人というのもおかしくはないか?」
「確かに……。私もお話をしてクラウディア様ではないと思いました、ネルソン様やはり勘違いでは?」
「いや、クラウディア嬢には取り巻きがいただろう。その人たちに命令すれば可能だ!」
「はっ! そうですわね! よくご存知で!」
なんでクラウディアが嬉しそうにするんだ。ちょっとネルソンが引き気味だぞ。そんなヒーローを見るような目でネルソンを見るんじゃない。
「ええ、ええ。確かにわたくしが命じましたわ。なのでいじめの内容もよく知らないんですの」
「やはりか……! ゴロツキを雇ってシェリーを襲わせたのもお前だろう! 男たちのうち1人がクラウディア嬢に雇われたのだと証言していたのだ!」
「なんですって! そうです、わたくしです!」
何だこの茶番。敵対しているはずなのになんでこんな共同戦線はってるみたいな感じするのだろう。ひどい疎外感を感じた。彼女の意図に反するかどうかは置いておいて、一応俺はクラウディアを助けに来たつもりだったのだが。
「やはり許すことは出来ない!殿下、どうかご決断を!」
「はい、ネルソンは落ち着いて。クラウディアはごろつきを雇ったというけど、具体的にはどこの地区で雇ったんだい?」
「……」
「あいつらは──」
「ネルソンは黙ってて。で?」
「……西地区の冒険者たちですわ」
「本当かい? ネルソンどうなんだい」
「そ、それは」
「いえ、彼らは東に住むスラム街の方々でした」
シェリーがキッパリと答え、クラウディアに近づく。そして彼女の手を取った。
「クラウディア様、もしかしてどなたかを庇っておられるのですか?」
「いえ、そんなことは」
「本当のことを言ってください。今のお話から私もクラウディア様がやったとは思えないのです」
「そんな、」
俺も会話する2人に横から近づきクラウディアの隣に並び腰を抱く。この強情な婚約者はなんだかんだ諦めてはいなかったようだ。
「いえ、本当にわたくしが──ひっ」
「え、なんだいクラウディア。……うん、うんうん」
クラウディアが前方に腰を曲げる。俺は少し膝をまげ彼女の口元に耳を寄せ、話を聞くフリをした。
……まあクラウディアはくすぐったがっているだけなので笑い声が漏れるだけなのだが。
昔からクラウディアは脇腹がとても弱い。先程も腰を抱くふりをして少しくすぐったのだ。唯一と言っていい弱点であり、この後とんでもなく怒られ報復されるので普段はやらないが今回ばかりは仕方ない。
「やはりクラウディアはやっていないそうだ。誰かが罪に問われるようなら自分が、と思っていたらしい」
「ちょっ、でん──んひっ」
「おや、クラウディア、顔が赤いぞ? 熱があるんじゃないのか?」
「あ、後で覚え──」
「おや、具合が悪そうだ。今日はもう帰ろう。みんなすまない。私たちはもう帰るがこのまま楽しんでくれ。ではな」
そのままクラウディアを連れて退場する。ようやく諦めたのか素直についてきた。未だに手に持ったままだったナイフを自然に抜き取り後ろから着いてきていた護衛に渡した。そのまま距離を開けてくれるように頼む。
「……で、ん、か?」
声が普段より2回りも低く、怒っていることが伺える。けれど顔が赤くなっているし目も潤んでいるし、そんな顔で睨みつけられてもなにも怖くなかった。
「ふ、ふふ。ここまで腹が立ったのは久しぶりです。覚悟はよろしいですか?」
「いや、できてないから怒らないで」
「無理です」
あちゃー断られてしまった。これは怒りをどうにか鎮めるか逸らすしかない。俺は歩いていた足を止めクラウディアに向き直った。
「売られた喧嘩は買う主義です。いくらでも買ってやりますよ。ええ、これは戦争です」
「お前に本気出されたら確実に死ぬからやめてくれ。ディアはそこまで俺との結婚は嫌なのか?」
「……」
そこでクラウディアはおし黙った。えっまさか本当に嫌なのか。好きな人とかいるのだろうか。それは別に構わないけど、でもなんだか──
「……嫌だなぁ」
「何がです? 婚約ですか? 破棄します?」
「破棄しない。そもそも家同士の婚約なんだから勝手に破棄できないだろ」
「……」
俺はため息をついた。この様子では本当に嫌なのだろう。ならば……破棄することもできないわけではない。そもそもこの婚約にはそこまで深い意味はなかった。クラウディアがヘルムガンド家の長女であり第3王子の俺が婿入りをすればぴったり収まるってだけの、それだけの話だったのだ。
「……クラウディア、破棄しないと言ったけど本当に俺が嫌なら……」
「別に、嫌なわけではありません。殿下を嫌いなわけでもありません。ただわたくしが貴族を辞めたかった。それだけの話です」
嫌いなわけではない、か。その言葉にどこか安堵している自分がいた。自然と肩をなでおろす。
そして俺は少し考えて、僅かに笑いながらひとつの提案をした。
「なら、駆け落ちでもするか?」
「……は?」
怪訝な顔してクラウディアが顔を傾ける。それもそうだ。駆け落ちというのは結ばれない男女が結ばれるために行うものだろう。その点俺たちは既に婚約まで済ませているのだ。何をおかしなことをと思われても仕方ない。
「2人で冒険者になるんだ。未踏破のダンジョンに潜ってモンスターを倒しながらお宝を手に入れる。それで今まで育ててくれた分のお金を返していこう。ディアとならできる」
「え、いや、殿下がそこまでのことする必要はないでしょう。婚約破棄していただけるならそれで──」
「それが嫌なんだ、ディア」
面白くて破天荒な婚約者のことを覗き込む。心底わからないと目を白黒させている様子に笑いが零れる。クラウディアは好意に鈍感だったのか。ここに来て新たな発見だ。まあ俺も自分の気持ちに気づかなかったのだから人の事言えないけど。
「なあ、ディア。外に飛び出そうとするなら俺も連れて行って。俺はお前の隣じゃなきゃ落ち着かないんだ」
「……え、殿下も冒険者に興味がおありで?」
「いや、そうじゃない。ディアがこれから冒険者になって生きていこうとするならやぶさかではないけど」
「は? え、シェリーさんは?」
「シェリー? 彼女は友人だ」
何故そこで彼女の話が出てくるんだろう。クラウディアが額に手を当てる様子に俺は首を傾げた。
……あ、もしかして、実はシェリーに嫉妬していた、とか?
しばらく待ってみるがクラウディアは動く気配も喋る様子もない。耳まで真っ赤になっているのは俺の気持ちが伝わっていると考えてもよいだろうか。
「ディア、俺のこと嫌い?」
「…いえ、嫌いなわけでは」
「なら好き?」
「……す」
「聞こえないからもう一度」
「っ、あーもう、好きです!」
やけくそになったかのように声を上げてすぐさま両手で顔を隠してしまった。いつもは白い肌が真っ赤に染っているのが面白い。好奇心が溢れていつまでも赤い耳に口を寄せこっそりと囁いた。
「俺も好きだ」
「〜っ!」
「おっと」
その場に崩れ落ちるクラウディアをあわてて抱きとめて支えた。クラウディアが顔を真っ赤にしてこちらを睨みつける。だからこわくないんだって。
「お、覚えてなさいよ。この借りは必ず……」
「はいはい。それで結婚式はいつにする? 早く決めなきゃな」
「はやすぎません!?」
「卒業したんだからそんなもんだろ」
完全に素のクラウディアが少し顔を出した。先程から初めて見るようなクラウディアばかりだ。だんだん楽しくなってきてしまった。
「あ、それとも冒険者になるか? それでもいいぞ。色々準備しなきゃな」
「……もう、このままでいいです。はあ」
「そうか? まあダンジョンに行きたいようならいつでも言ってくれ。一緒に行こう」
「はあ!? な、何言ってるんですか」
「いや、実はあれから俺も冒険者ギルドに登録したんだ。あまり活動はできてないけどな」
「え、馬鹿です?」
「そっくりそのまま返すぞ」
冒険者に交じって活動をしていた公爵令嬢が何を言っているのだろうか。ぜひ自分の鏡と向き合ってもらいたいものだ。
俺はクラウディアをエスコートしながら歩きだす。彼女の顔はまだ赤い。緩む口元をそのままに彼女を見ていると目が合い、そのままプイッと背けられてしまった。
そんな様子も新鮮で心の底から温かい気持ちが溢れてくる。昔からずっと一緒にいたけれど、まだ知らないクラウディアがいっぱいだ。俺はこれからの生活に胸を弾ませるのだった。