ガラスの釣鐘(つりがね)
家のウラには、野原のような庭があり、その向こうにはお寺がある。
おでんの、大根とちくわぶとたまごと厚揚げを小さい土鍋に入れて、こぼれるといけないので鍋にはダシをちょっとだけ入れ、別の保存用パックにダシを入れ、さあ今から持って行きましょう、と長靴を履いたそのとき、「ガラス工房」のものなのですが、という人が、勝手口から入っていらした。
実は、こちらのお宅のウラのお坊様のところへ、打ち合わせに来たのですが、どうもお寺の入り口がわからない。それにしても、かなりな雪ですね、という旨のお話である。このあたりはあたたかいときいてきた、この地域でこんなに雪が降るとは思わなかった、と繰り返していらっしゃる。ウチの周辺は特別なのです、とお話しをする。
ちょうど今から、ウラのお坊様のところへ、おとどけものに行くところでしたから一緒に参りましょうと、おでんの小さい土鍋を持って、「ガラス工房」の人と一緒に家を出た。
昨日降った雪は、40センチほどになり、今朝長靴でつけておいた長靴の足跡にそのまままた足を入れるようにして、お坊様のところに着いた。
お坊様はこの雪の中、どこかから小僧さんとともに、間伐材の長いのを運んでいらした。
小僧さんは、学校に行くのをやめて、ときどきお坊様のお手伝いに来ている。お坊様も間伐材の長いのを運ぶというような仕事は、小僧さんがいるからこそできるのだと大変喜んでいらっしゃる。たまに、小僧さんはお坊様にしかられて、ウチの庭の方を向いているお寺の塀のあたりで、ぼんやりしているときがある。
さて、ガラス工房の人をお坊様のところまでご案内し、小僧さんもいらしているならもう少し持ってくればよかったと思いながら、おでんの小鍋をお寺の板の間の上がり口において、私は失礼することにした。
翌日の朝、お坊様は空いた土鍋を返しにいらして、お礼を言われた。お礼の言葉の具合ややりとりからして、どうも持って行ったおでんはほとんど小僧さんの口に入ってしまったのではないかと思えた。
せっかくだから追加のおでんを持ち戻ってもらうため、おみやげの支度をすることにした。小僧さんは今夜もお寺に泊まっていくという。まだまだ残っているおでんをまた土鍋に入れて、あとは、油揚げと大根の炊いたのを別に持ってもらうことにした。
ああそれから、マカロニサラダ。
マヨネーズの入れ物の口には、フタの代わりにアルミホイルが巻いてある。それを外してマカロニサラダに追加のマヨネーズをかけようとすると、お坊様が作務衣の懐をごそごそやり、
「今来るときに見つけました。お庭の雪の上に落ちておりました」と、マヨネーズの赤いフタを手の平にのせて出された。
まあ、ありがたや。フタがわりにしているアルミホイルは、なんども使っているうちにちょこちょこ破れてくるので、めんどうで、やはりマヨネーズのフタは大事である。
この赤い小さなフタは雪の上に落ちていたというけども。昨日も、今朝も庭には出たのに、私の目には見えなかった。見えるものと見えないもの、見えるときと見えないとき、見える人と見えない人があるのだなあ、と思った。
マカロニサラダの上には、ちゃんとフタのあるマヨネーズの入れ物から、マヨネーズが少し足されて、今日は小僧さんのおゆうはんのおかずになる。
追加のおでんを温めている間に、お坊様になにげなく気になっていることを訊いてみた。
「昨日の人はガラス工房の方とおっしゃっていたけれども、あの方は?」
「そうなのです。この雪のつもりようを見て、これほど降るのなら、雪の重みを計算に入れなくてはならない、もう一度設計をやりなおしてみると、今日話をしていたところです。」
ほほう、何を作るのかをなんとなく聞いてみた。
「お寺の鐘、釣鐘です。」
「ガラスで?」
「はい」
おでんが煮詰まってしまいそうなので慌てて火を切り、お坊様がお好きなちくわぶを三つ入れ、大根とたまご2つと厚揚げとこんにゃくを盛り合わせて、お汁は別の密封パックで持って帰っていただけるようにした。
それから、マカロニサラダ。
おでんの鍋、煮物、お汁のパック、マカロニサラダ。これでは持ちきらない、お坊様の手が足りない。マカロニサラダと大根とお揚げの炊いたのは、私が持って、お寺までお供することにした。
お台所の方に、おでんと大根とおあげとマカロニサラダを置いてきて境内に戻ると、小僧さんが黙々と柱を彫っている。昨日の間伐材のような木に、いつの間にか、りっぱな龍がぐるぐると巻き付いた彫刻になっている。まあなんとすばらしい、と言おうかという瞬間に、お坊様が小僧さんをお叱りになった。
「こんなに細くまで彫り込んでしまっては、木が折れて、鐘が落ちてしまう!」
いつものおだやかなお坊様とは少し違った様子でびっくりして、私は家に戻って、ちくわぶとじゃがいもとたまごのおでんとマカロニサラダを、気持ちを取り繕うように食べた。
午後になって、小僧さんがお寺の塀にもたれて、太陽を見ているのに気がついた。お坊様は、今日は、入れ物を返しにはいらっしゃらないようである。
またその、翌日の朝、小僧さんの乗るバイクの音が遠のいてしばらくすると、お坊様が入れ物を返しにいらっしゃった。
小僧さんがお坊様から言いつけられた仕事は、釣鐘を釣るための櫓を作ることであったのに、小僧さんは昨日、それを忘れ、落書きに夢中になる子供のように、腕にまかせて龍を彫ってしまったのだという。お坊様は、それを叱ってしまったことをじんわり気にされているようだった。
本日、小僧さんは、小僧さんを別の方向からお世話している監督のような、身元引受人のような人の元に定期的な報告に行かれたという。
本日のお坊様は沈んだお坊様である。どうしたらいいものか、小僧さんのご機嫌ならば、マカロニサラダがあればなんとか取り戻すことができると思うのだが、お坊様そのものに対する対策は、どうしたものかわからない。ご機嫌の悪いときが少ないからである。
そこで、苦肉の策として、少々お待ちいただいて、冷蔵庫からウインナーソーセージを出し、タコのウインナーを作ってゴマで目をつけ、玉子焼きを焼いて、たらことゆかりのおにぎりをし、あ、野菜がないと思ってほうれん草のゴマあえの残りを入れて、お弁当を作った。
バタバタと料理を作っていて、話もフライパンのじゃーじゃーいう音でとぎれとぎれになってなかなか続かず、結局、お坊様は料理を待つ間に私のそばを離れ、切り干し大根にする大根をバラバラとカゴに並べて、ウチの軒先に吊してくださった。
できあがって。お弁当です、お昼にどうぞと、フタを空けたまま、タコウインナーが見えるようにして渡したら、お坊様は少しニコッとしていらしたので、ほっとした。
お坊様はいつもなら長居はされないのに、今日は小僧さんもお出かけでゆっくりされていく。お茶を出す。今年はよく雪が降りますねという話から始まって、釣鐘の話になった。来年の年末の除夜の鐘は新しいガラスの釣鐘で撞かれるのでしょうか?と訊いて、そうだよね、ガラスは割れる、壊れる、どーんと突いたらガラスの釣鐘は百八つのうち百七つを残して、役目を終えてしまうだろうね、と思った。
お坊様はおっしゃった。
「釣鐘は撞かないのです」
それから、お坊様は語られた。
もとより、ガラスの釣鐘は撞くために作るのではなく、普段人の目に触れることのない釣鐘の裏側に、目を向けてもらうために作るのであると、お坊様はきっぱりとおっしゃる。
鋳物の釣鐘は、外から中が見えない。釣鐘の裏側を見ようとすれば、釣鐘の下へ回って覗いて見なければ見えない。下から覗く(のぞ)鐘の裏は暗くて、例え龍の浮き彫りが一面に施されていても、よく見えないし、しかも、安珍清姫の話の影響からか、お寺にお参りされる方々は、いつ何時かに釣鐘が落ちて、釣鐘の中に閉じ込められるかもしれないと、なかなか、釣鐘の裏側を見ようとはしない。まして、万が一にも釣鐘が落ちたら、取り返しがつかないと思う心もあって、わたくしもあえておすすめはしていない。しかし、こんなことが続いていたら、釣鐘の裏は、釣鐘が一生を終えるまでに、どなたの目にも触れないということになり、自分自身、個人としても、お寺としても、大変残念であると思う。私もいい年になったので、このあたりで心を定め、ガラスで釣鐘を作ることにした。
ガラスならば、釣鐘の下へ周りこまなくても、裏側が表側から見える。ガラス工房の方には、いろいろと考案してもらっており、ときどきどんと雪が降っても、耐えられるように作っていただこうとは思っているが、万が一。万が一に、ガラスの釣鐘が落ちたとき、その中になにかが。ウサギであれ、雉であれ、なにかが封じ込められたときにもすぐに外から様子がわかり、すぐに救出する手立てを打てるのです。そんな役目を持った釣鐘は、あえて撞かなくてもよいかと思います、と一息におっしゃった。
お坊様はここで、はっとされ、少しおろおろされ、ウサギや雉等という生き物は少々例えが悪かった、気分を害されはしませんでしたかと頭を下げられ、しばし時間を置いて。
「たとえば、マヨネーズのフタ」。
この先ガラスの鐘をしつらえて、先々なにがあるかはわからない。あるとき突然どさっと降った雪で、ガラスの鐘を結わえている綱が切れ、そのまま下に落ちて先ほどの、マヨネーズのフタが、鐘の中に閉じ込められても、透明なガラスの鐘なら、外から赤くフタが見え、ありかがすぐにわかりますでしょう?
と、最後はおちついてやさしくおっしゃった。さすがにお坊様である。
数日後、雪がだいぶ溶けてきたので、お寺のとなりにお住まいのおじいさまのところに雪が降る前に借りたノコギリを返しに行った。ついでに、ウラのお坊様からきいたガラスの鐘とその役目についての話を聞いたままに話した。
するとおじいさまは、座りなおして、きりりとされ、
「それはな。マヨネーズのフタが釣鐘の外から見えるというのは、ええことと思うかもしれん。しかしな。もしマヨネーズの入れ物の途中の、胴のところの上に鐘のフチが落ちてきたなら、中のマヨネーズが出てしまうやろう。そこは、よう(よく)気をつけておかなあかん(おかなければならない)」とおっしゃった。
なるほど。お坊様にもきちんと伝えておこうと思う。