文章下手の練習帳 その14 お題『安眠させたいのか、永眠させたいのかどっちなんだ』or『ポケットには飴玉 』【うっかりもの】
「ぶはあっ!」
少年は、あまりの息苦しさに跳び起きた。
荒い呼吸で、空気を吸い込む。べちゃりと何かが床に落ちたが、そんなものを気にしている余裕はない。
とにかく酸素を、と、頭痛すら感じながら酸素を取り込んだ。
「あ、先輩、起きたんすか?」
「あ!?」
死にそうになっているところに、気楽そうな声がやってきた。自分との心の温度差にキレそうになる。
おかしい。なんで自分はこんなに追い詰められているのだろう。
やっと頭に血がめぐってきた気がする。だんだんと落ち着いて息をしながら、少年は今日の自分を思い出した。
今日は平日、今日も学校。いつも通りに授業を受けて、放課後に部活を開始。
文芸部部長の最後の仕事として、エッセイを書いていた。ただ、少し眠くなってきたので仮眠を取っていた、はずだ。
壁の時計を見ると、寝てからそれほど時間は経っていなかった。ちょっと寝るわ、と宣言してから十五分ほどだろうか。
「おい」
向かいで、ノートパソコンを叩いている少女、少年の後輩をにらみつける。
「なんすか?」
二年下の後輩は、何事もなかったかのように、きょとんとした顔でこちらを見てくる。
「俺に、何した?」
「え?」
「寝てる俺に、何した?」
寝ていた自分に何かするとしたら、この後輩しかいない。部室には、少年と後輩二人きり。文芸部は二人しか部員がいないので、犯人は後輩に決まっている。
「なにって……、別に、たいしたことはやってないっすよ?」
「本当か?」
「ホントですって。先輩が、寝苦しそうに天井向いて大口開けてたんで……」
「で?」
「ちょっと汗を拭いてあげて……」
「で?」
「吹き終わったハンカチを、先輩の顔にかけました」
「それだけか?」
「うっす」
意外だった。口調の雑なこの後輩に、寝ている少年を気遣うことができるとは。
それに、特に何もしかけてこなかったらしい。イタズラでもされたかと思ったのだが。
少しずつ落ち着きを取り戻していると、床に、後輩のものだろうハンカチが落ちていた。
拾い上げる、と、少し重い。布だけの重さでないのは、
「あ、それあたしのっす」
「……これ、濡れてんだけど」
決して、少年の汗だけではない重さに、嫌な予感がしてくる。
「濡らした方が、冷たくて気持ちいいっしょ?」
「そうかそうか……。俺を殺す気かコノヤロウ!」
「えっ? えっ?」
状況が理解できていないらしい後輩に、怒鳴りつける。
普通、
「濡れたハンカチを顔にかけんな! 息できなくて死ぬだろうが! 俺を安眠させたいのか、永眠させたいのかどっちなんだ!?」
「ちょっ、待ってくださいよ先輩!」
「あぁん? 言い訳する気か?」
「えっと、えーっと……、ポケットに入ってた飴ちゃん上げますから!」
「いらんわ!」
この後輩、さらりと少年を殺そうとしたらしい。悪意は、一応、持っていないようだが。
起きなければ確実に殺されていた。凶器となったハンカチを後輩に投げつける。
「うわっ、つめたっ」
自業自得だ、と、後輩の悲鳴を無視する。頭をすっきりさせようと仮眠を取ったのに、いら立ちばかりですっきりどころではなくなってしまった。
これでは、物書きなどできないではないか。
自作のエッセイは、文化祭で頒布するつもりだった。しょせんは高校生のものだが、文芸部にいた三年間の集大成ともいっていい。それを出さずに、死んでなるものか。
というか、人生まだ十八年。大学への進学は決まっているし、こんなところであっさり死ぬつもりは全くない。
「……すんません」
こちらが本気で怒っていると、後輩もやっとわかったらしい。うなだれて、素直に頭を下げてきた。
一応少年は先輩であるし、悪意はなかったようだし、ちょっと可愛いと思っている後輩なので、許してやる。
顔では厳しい表情を作ったまま、
「もう、二度とするなよ? マジで死ぬかと思ったわ」
「うっす……。先輩の語彙力が無くなるほどマズいことだったんすね」
「そうだ」
「もともと、あんまり持ってないけど、語彙力」
「やかましい!」
余計な一言は、怒声で切り捨てた。
自分のノートパソコン、書きかけのエッセイを見ても、今の頭では続きが書けそうにない。どうしたものか。
顔を渋くして、文章の続きを考える。あれこれと単語は浮かんでくるものの、どれもしっくりとこない。完全に、煮詰まってしまった。
「あー、くそ」
窓を見やると、空は見事な夕焼けに染まっている。これ以上、頭をひねっている時間はなさそうだ。
続きは家でやろう。少年は、ノートパソコンをたたんで、ため息とともにカバンへ突っ込んだ。
「……先輩、帰るんすか?」
「ああ」
まだシュンとしていた後輩も、がさごそと片づけを始めた。
「んじゃ、あたしも帰るっす」
濡れたハンカチを椅子の背にかけて、後輩は素早く帰り支度をまとめた。
「ハンカチは?」
「乾かさないと。明日まで置いておくっす」
「……二度と」
「や、やりませんよ、もう」
にらみつけると、後輩はおとなしくなった。ちゃんと反省しているようだ。
「んじゃ、帰るか。鍵は?」
「あたしががかけるっす。鍵、先生に渡してくるんで、先輩は校門あたりで待っててください」
「あん? なんで待たなきゃ……」
「いいからいいから」
追い出されるようにして部室を出た。後輩は鍵をかけると、職員室に向かって走っていってしまった。
置き去りにして帰ってもいいが、そんなことをすると、後輩にすねられるような気がする。
しかたない、と諦めて、昇降口へと歩いていく。
窓は段々と夕闇の色へと変わっていく。靴を履いて外に出ると、空は思った以上に暗かった。
原稿の続きもある。早く帰りたいとは思いつつ、
「ったく」
スマホで適当なネットニュースを見ながら、時間を潰す。
後輩が追いついたのは、十分ほどしてからだった。
「お待たせっす、先輩」
「おう」
「それじゃ、一緒に帰るっす」
「ああ」
歩き出そうとすると、後輩が隣に並んだ。すると、空いていた右手が取られ、温かく柔らかい感触で包まれた。
「……なんで、手をつなぐんだ?」
「いいじゃないっすか。たまには」
「いや、たまにどころか、初めて……、って、だから」
「先輩、細かいこと気にしすぎっすよ。ほら、帰りましょうよー」
後輩に手を引かれる。強引だったが、少年は振り払わなかった。
「しかたねえなあ」
一緒に歩ける帰り道は、駅まで徒歩五分。そこから先は、それぞれ別方向の電車に乗らねばならない。
後輩は、駅の改札まで、しっかりと少年の手を握っていた。
少年は、後輩の手が離れるまで、恥ずかしくて指一本動かせなかった。
一人称、三人称。どんな視点が書きやすいのか模索中です。






