渡辺公平とチョコレートケーキ #1
父母の遺言どおり、死亡届を出しただけで、葬式はしなかった。墓も永代供養をやっているお寺と既に話がついていた。火葬のあとに一緒に骨を拾ってくれたのは、前原さんと行雄だけだった。兄は裏で何かをやっているだろうし、弟は、下手すると父母の死も知らないかもしれない。
ごたごたが済んだ、十一月の中旬、私は前原さんに呼び出された。時間は十五時過ぎ、場所は駅前のファミレスの喫煙席だ。我々の他に客はいない。
前原さんの身長は、一九〇センチを超えている。年齢の割りに肥満とは無縁だ。髪型はオールバックで、目つきは尋常じゃないぐらい悪く、今日は三日分ぐらいのまばらな無精ヒゲを生やしている。 服装はいつもの喪服みたいなシングルのヨレたスーツに革靴だ。もう少し寒くなると、それに痛んだカシミヤのコートが加わる。
対する私の格好は、グレーの縦縞のワークシャツにデニムのペインターパンツにワークブーツ。それと、裏地がブランケットになっているブラウンのチョアコートを着てきたが、失敗だった。一連の出来事で少し痩せたとは言え、デブにはまだ時期的に早い。
「お前の兄貴の公成なんだが」
煙草の煙を吐き出しながら前原さんが言った。声は、人のそれよりも荒い金やすり同士をこすり合せている音に近い。
「はい」
私は渡辺家襲撃の黒幕と、兄の所在の調査を前原さんにお願いしていた。
「あれから何人も殺してる」
腹に重いものを落とされたような感じがした。
「渡辺家襲撃の関係者を全員殺すつもりだろうな。たぶん、黒幕にかなり近づいてる」
「ストイックですね。兄貴らしいな」
軽口を叩いた私を、前原さんはじろりと見た。おそらく、兄は屍術を使って死者から情報を無理やり引き出したんだろう。
「屍術だけじゃねえな。あれは裏に誰か付いてる」
その先は察することができた。
「心当たりはないです、ごめんなさい。知ってると思いますけど、親密ではないので」
兄は内にこもるタイプで、誰にも心を開かない。
「だろうな。じゃあ、公成が婚約してたことは知ってるか?」
「初耳です。兄が結婚てのが、想像付かないな」
兄は特定の女性と真剣な関係になるようなタイプではない。よっぽどいい人に出会ったんだろう。
それでも、結婚となると……。考えながら、ぞっとした。その人は今、どうなってる?
前原さんは何も言わず、じっと私を見ている。
ああ。
「その先は、言うのが憚られるみたいですね」
本当に動揺している時の習慣で、私は無理やり笑顔を作った。
「殺された。妊娠していた」
私は天井を見上げた。
「お前はどうしたい?」
しばらくして、前原さんが言った。
「たとえば、兄が黒幕を殺したとして、それで終わるんですかね。そんな簡単な話なんですか、これ」
私は言った。前原さんは何も言わない。兄がこのまま進めば進むほど、状況は複雑になる。
「お前の希望に沿うよう努力はしてやる。連絡しろ」
そう言って前原さんは席を立った。
何も注文していなかったので、チョコレートケーキとドリンクバーを頼んだ。
店員が注文を取りに来なかったのは、呼び鈴を押さなかったせいもあるが、前原さんがいたからだ。よくあることだ。
心を落ち着けようと、ココアを飲んだが、効果がなかった。チョコレートケーキはとても食べる気が起きなかったので、持ち帰りにしてもらった。
兄と兄の婚約者のことはいったん考えるのをやめ、 コーヒーを飲みながら今後のことを考ようとした。
私はまた、妻と一緒に暮らしたい。それも、安全に。
両親と兄の妻と子供を亡き者にした黒幕は許せない。死んだ方がいい。そう思ったときにもやもやするのは、あくまで感情ではそうだというだけだからだ。復讐と憂さ晴らしは近いが、違う。
思考がまとまらない。どうしても、兄のことを考えてしまう。今どんな気持でいるのか、とか、次に会うことがあれば、なんて話しかけるか、とか。考えても意味がなく、気が滅入るだけのことだ。
父母の死は仕事柄、覚悟していた部分があった。言い聞かされてもいた。だがもし、私の妻が殺されていたら? そして妊娠していたら?
すべてが真っ黒に染まったような気分になった。
後書きはいつも悩みそうですね。