君のそばで
こんにちは。
そいつは、いきなり現れた。
そしてさようなら。
部活帰りの薄暗い道。人気のない路地裏で、全身が漆黒に包まれ、フードを目深に被ったそいつは、僕に別れを告げた。
・・・・・・えっ。
お腹に衝撃。何が起きたかわからなかった。触って確かめたら、手が血だらけになった。
――刺された。
理解したとたん、全身から冷や汗が噴き出した。
遠ざかる足音。僕を刺したそいつは、何事もなかったように去っていく。
意識を無くす直前に僕が見たのは、見えなくなる直前に振り返ったそいつの、いびつに笑った口元だった。
僕の名前は山下明。僕はここで、殺された。
この世に未練たらたらだった僕は、見事に自縛霊になった。
毎日自分が殺された場所で立ってる。どうやらここから離れられないようだった。
足元には、沢山の花束やメッセージが置かれている。
今だに血の跡が残るそこに置かれたそれらは、僕の両親、友達、それに近所の人達が置いてったものだ。
両手を合わせて、号泣する父さんと母さん。まだ小学生の弟は、実感がわいてないようだった。帰り際の、父さんが母さんの肩を抱く後ろ姿が、妙に小さく見えて、悲しかった。
クラスの代表で来たのだろう、おさげに眼鏡と、典型的な真面目っ子な山口さん。クラスの人気者でムードメーカーの樋口。クラス委員の二人は、花束と、びっしりとメッセージの書かれた色紙を持ってきた。
声を押し殺して泣く山口さんと、下を向いて下唇を噛んでる樋口。色紙を置く前に、樋口は大声でメッセージを読んでくれた。震えるその声は、僕の胸奥深くまで響いた。
一番の大人数で来たのは、サッカー部の奴らだった。
背番号七番。僕のユニフォームにも、メッセージが書かれていた。スパイクも一緒に置かれたけど、僕はもう皆とサッカーが出来ないことを思い、寂しくなった。
沢山の人が来た。先生、近所のおばさんや、たまに遊んでやった子供たち、知らない人だって来た。
『ここにいるよ。目の前にいるよ』
僕の声は、誰にも届かなかった。
僕が死んで一週間がたった。
色んな人が来たけれど、一番気になる人物が来てないのが、僕は気になっていた。
藤堂桜。僕の幼なじみであり、僕の好きな人。幼稚園の時からずっと同じクラスで、彼女を見るだけで僕は元気になれた。
来てはくれないのだろうか。
もう話すことは出来ないだろうけど、僕は彼女に会いたかった。
次の日、彼女が来た。両親に連れられて。
そしてこの日、僕は死んだことを一番後悔した。
いつも笑っていた彼女。僕と付き合ってるんじゃないかと冷やかされて、真っ赤になって怒っていた彼女。サッカーの試合で、いつも応援に来てくれた彼女。一緒に帰ろう、と恥ずかしそうに僕に言った彼女。
そして、僕の殺された場所で、泣き崩れる彼女。
その初めて見る姿に、僕の胸はたまらなく締め付けられた。
――僕はここにいる。ここにいるのに!
こんなに近くに居るのに、泣いて肩を震わす彼女に、寄り添うことも出来ない。
せめて、君が気付いてくれなくても。
僕は彼女が帰るまで、震える小さな肩をずっと抱きしめていた。
誰だ、僕たちの幸せを奪ったのは。
彼女の笑顔を奪ったのは誰だ。
僕の胸に、憎しみの炎が点るのを感じた。
その日から、僕の心は、僕を殺した犯人への憎悪で満たされていった。
そして、彼女がその日の出来事を報告しに来てくれる、その時だけが、僕の心が休まる時間だった。
そして、その日はやってきた。
いつものように、僕の前で報告をする彼女。僕もいつものように、彼女の前に座って話を聞いていた。
気づくと、いつのまにか彼女の後ろに一人の男が立っていた。
男は彼女に聞いた。ここで誰か死んだのですか、と。
はい、と彼女は答えた。好きだった人が死んだのだと。
僕は照れ臭くってにやけてしまった。
その男も笑っていた。
それを見た瞬間、背筋に電撃が流れたかと思った。
そのいびつな笑い、忘れるはずがない。
生前に見た最後の光景が蘇る。
さくらがその男に背中を向けた。
そして・・・。
僕は彼女の隣で泣き崩れていた。
血が止まらない。横たわった彼女の下に、血で出来た水溜まりが広がっていく。
彼女の顔から、血の気が引いていくのがわかった。
なぜ、なぜ、なぜ。
何故彼女がこんな目に合わなくちゃいけないのか。
僕は彼女に必死に話し掛けた。
さくら! 死なないでくれ!
彼女の瞳が少しだけ開いた。明らかに目が合う。
あきら君、やっぱりそこに居たんだね。
弱々しく喋る彼女。震える唇は紫になっていた。
最後の力を振り絞るように微笑むと、彼女は言った。
私も、そっちに行って、いいかな。
そんなこと言うな! さくらは生きててほしい。生きてるさくらが見たいんだ!
僕は願った。彼女が助かるようにと。幸せに笑う彼女をまた見たいと。
ふと、身体が吸い込まれるような感覚がした。見れば、彼女の中に僕が入っていくではないか。
僕は夢中で念じた。
死ぬな、と。
必死で彼女の名前を呼び続けた。
そして、僕の意識は光に包まれた。
一人の女性が、夕焼けが照らす川沿いの堤防に立っていた。
彼女は、昔好きだった彼のことを思い出していた。
ここは、思い出の場所。彼はよく、トレーニングだと言ってここを走っていた。
同じような夕焼け空の下、よく二人並んで下校した。
この堤防に一本だけ生えている、大きな桜の木。二人が小さい時は、よくこの木の下で遊んだ。
彼はこの木の下で、桜の花が好きだと言った。元気をわけてくれるらしい。私も、あなたが好きだよ。この一言は言えなかった。
彼はよく笑う人だった。
まるで向日葵が咲いたような、そんな笑顔。
彼と居ると、自然と元気になれる、そんな人。
彼のおかげで、私は今生きている。
そう彼女は思っている。
彼女の背中には、古傷がある。
昔、通り魔に刺された跡だ。
この傷が作られた時、彼女は死ねると思った。そうすれば、彼と同じ世界に行ける、そう思ったのだ。
でも、彼はそれを拒んだ。
朦朧とした意識の中、彼女は確かに彼の声を聞いたのだ。
凍えるように寒かった体が、温かくて優しいぬくもりに包まれたのを感じたのだ。
生きろ、と彼が必死に励ましてくれたから、彼女は生きることを諦めなかった。
そして今、彼女はここに居る。
大好きだったんだよ。
そう言葉を残して、彼女はこの場を後にした。
風が吹いた。
堤防の上、彼女がさっきまで居た場所。そこに、一人の少年がいた。
彼は空を見上げる。日は沈み、満点の星空が広がっている。
突然、彼の体が宙に浮かんだ。
しだいに高度を上げ、彼は町を見下ろした。
さようなら。
彼はそうつぶやくと、更なる高みへと上っていく。
どんどん加速して、彼は光の速さを超えた。
広大な宇宙の果てに、小さな光が見える。
あそこに向かおう。そして、もう一度生まれよう。
僕の大好きな、彼女の笑顔が咲く場所で。