3話
第一城塞『哀しみの妖精郷』――
そこはエルフの森に近い雰囲気を持つ場所だった。
整然と木々が生い茂り、そこいらには花や精霊が飛び回っている。
光の粒や花びらが舞い、風はきらめき、どこからともなく音楽が聞こえ、鼻孔には甘い匂いがとどいた。
たしかに幻想的だ――そうティアは思う。
このエリアで一番大きいのは、『第一城塞』とパンフレットにある城だろうか。
いや、城というか――塔だ。
白と金でできた、周囲に精霊たちの飛び回る細長い建造物。
外周部には建物に巻き付くように階段があり、それを伝って最上階まで行くのだろう。
だが――塔には一階ごとに、様々な罠が待ち受けているらしい。
みんなも宝剣『ティターニア』を手に、囚われしエルフの姫を助け出そう! とパンフレットには書いてある。
というか……
「……宝剣『ティターニア』とは、我がエルフ王家の家宝ではないか!?」
世界に一つしかない宝である。
決して『みんな』が手にできるほど多くはないし、貸し出せるようなものでもないのだが。
「クックック……お困りのようだなお客様よ!」
バサァ! と隣にいた魔王がマントをひるがえす。
さすがは『悪夢と絶望の園』の支配者。人の困惑を決して見逃さないようだ。
ティアは周囲を整然と木々に囲まれた場所から、遠目にある塔を指さす。
そして、パンフレットを示しながら、言う。
「これはどういうことだ!? 宝剣『ティターニア』は世界に一つしかない我が王家の家宝! それを『みんなも』手にするとは、いったい……?」
「安心するがいい。模造品だ」
「レプリカ!? エルフが何百年もかけ、一つの概念を編み込んだ魔法剣の、レプリカだと!?」
「かたちだけのな。その代わりに、お客様が剣を振ったのを確認し、壁やキャストの衣装に光の筋が現れる仕組みになっている……!」
「…………光ってどうする? 斬れるのではないのか?」
「光るのだ。実際に斬れては危ないのでな……! 当城は幼いお子様にも安心して攻城していただける悪夢と絶望の園なのだ……!」
喉奥で押し殺したように、魔王が笑う。
ティアは困惑した。
凶悪な魔王のすることなので、それはあくどい策謀に決まっているのだが、話を聞いただけでは全容がさっぱり見えてこない。
「……くそ、実際に行ってたしかめるしかないのか」
「本当にいいのか?」
「……どういう意味だ?」
「あれに見える『ティターニアの塔』は第一城塞『哀しみの妖精郷』の目玉アトラクション……! このエリアには他にも様々なアトラクションをご用意させていただいている……! それらを遊び尽くさぬのは、スタンプ的にももったいないと思わぬか!?」
「たしかに……だが、まずは妹の無事を確認せねばならない! スタンプを集め、貴様を倒した時に『救うべき者がいなかった』では話にならん! だから私は妹の無事を確認するため、まずは『ティターニアの塔』を攻城する!」
「クックック……それもよかろう! では列の最後尾に案内する!」
バサァ! と魔王がマントをひるがえす。
そのように、ティアは『ティターニアの塔』を目指した。
↓
『ティターニアの塔 二時間待ち』
「…………………………………………………………列を蹴散らして進むか!」
ティアは最後尾の立て札を見て、そのように決定した。
すぐ目の前に……目の前といっても長蛇の列を超えた先に、妹がいるかもしれない。
二時間も待っていられるか。
しかし――
列を蹴散らそうと思い足を踏み出した瞬間、体がまったく動かなくなった。
いや、動かないというか――
体全体が、不可視の障壁にはばまれていて、進めない?
「クックック! お客様よ! 列への割り込みはご遠慮願おうか……!」
「これも貴様の力か、魔王め!」
「そうだ! 我が『まおうじょう』において、他のお客様へご迷惑のかかる行為は一切禁止となっている! もし禁止事項を破ろうとするならば、我が定めたルールが貴様を支配し、行動を停止させるであろう……!」
「卑劣なり、魔王……!」
目の前(長蛇の列の向こう)に妹がいるかもしれないのに、行くことができない!
その悔しさにティアは歯がみする。
なにも言えないでいると――
ざわざわと、列にいる人たちが、騒ぎ出すのがわかった。
並ばされている、捕虜、というかおそらく『魔王を倒すためにアトラクションを攻城中の人々』の視線がこちらに集まるのがわかる。
彼ら彼女らは、魔王を見てなにかをささやき合っているようだった。
魔王様だ、魔王様だ、という声がティアの耳にも届いた。
――『魔王様』?
なぜこれから倒そうという相手に『様』なぞつける?
ティアは不可解な気分になる。
魔王は――
「お客様どもよ! 今日も悪夢と絶望の園『まおうじょう』へよくぞ来た!」
マントをひるがえす。
そして、大きな、芝居がかった声で、列に並ぶ人たちへと演説を始めた。
「我こそがこの『まおうじょう』の主! 支配人である!」
と、そこでなぜか歓声があがる。
悲鳴や怒号ではなく、男女入り交じった歓声だ。
ティアは不思議に思い、列に並ぶ人たちを見る。
そして――ある見過ごせないものを、発見した。
「お、おい魔王!」
「……どうしたお客様よ。演説の出鼻をくじかないでいただきたいのだが」
「ドワーフの男性とエルフの女性が、手をつないでいるぞ!」
「……ククク……! それがどうした! 仲むつまじくて素敵であろう!」
「馬鹿な! 異種族で、しかも年若い男女が手をつなぐなど……! そんな不純な行為が許されていいのか!?」
「クックック……そういうことか……貴様らエルフはみなそうだな」
「なんだと?」
「男女で手をつなげば『子供ができる』だの、異種族同士で仲よさそうにしていれば『不純異種族交友だ』だの……そのような狭き了見で、この『まおうじょう』を制覇できると、貴様は本当にそう思うのか!?」
「……どういう意味だ!?」
「人間の軍勢も! ドワーフの兵器も! そして、エルフの王族すらも! この『まおうじょう』においては無力! この我に傷一つつけられん!」
魔王のマントがばさばさとはためく。
どこからともなく、彼にだけ強風が吹き付けているようだ。
「この我を倒す方法はただ一つ! 『すべてのアトラクションを制覇し、スタンプを集め尽くすこと』! ……しかし我が『まおうじょう』は一筋縄ではいかんぞ? 六つの城塞の他に、本丸たる我が居城……総アトラクション数は三十を超える! しかも刻々と新たなアトラクションが増えていく……」
「馬鹿な!? アトラクションが増えるだと!? それではいつまでも終わらないではないか!」
「そうだ! ――一人ならば、な」
魔王がニヤリと笑った。
ティアは冷や汗を浮かべ、魔王をにらみつける。
「そういうことか……なんと卑劣な、魔王……!」
「クックックック! 気付いたようだな! ここでは協力が必要不可欠! 種族だの男女だの細かいことを言っていられないのは、必然! 一人では回りきれないアトラクションも、仲間とならば回りきることも可能だ!」
「つまり、この場所で初めて出会った相手と手をとりあって攻城せよということか……! なんという不純でみだらなことを強制してくるのだ……! 卑劣なり、魔王!」
「しかも、入城手形と一緒に配られた端末で、『パーティー登録』をしなければ挑めないアトラクションも存在する! 手のひら大の、薄く四角い箱を、貴様も入城手形カウンターでもらったはずだ!」
「……これか」
ティアは胸の谷間からそれらしき物を取り出す。
手のひら大の、薄い箱だ。
中に物をしまえるようにはなっていなさそうだが……
「そうだ! 端末を起動して『パーティー登録』を済ませることで、お互いが城内のどこにいても端末に居場所が表示される仕組みとなっている! しかも――パーティーは人数が増えれば、より大きな集団、『クラン』を形成できる! より攻城は効率的になっていく! もちろんグループチャットも可能!」
「……くそ! 仲間を募らない理由がない! ぐるーぷちゃっとがなにかは知らんが!」
「そうであろう、そうであろう! だからお客様同士で仲間を募り、アトラクション情報や『隠れまおうさま』の情報を交換し合い、絆を深め――我を倒せ!」
おおおおー! という歓声が沸き起こった。
ティアには理解できない。今の魔王の発言で、悲鳴や怒号が起こらず、なぜ人々は歓声をあげるのであろう?
こんなみだらな、人と人を無理矢理協力させようだなんて取り組み、非難されて然るべきだと思えてならないのだが……
「しかもこの端末にはパーティー登録する以外の使い道もあるのだ……!」
魔王はさらに語る。
これ以上のみだらで卑怯な仕掛けがあるというのか。
ティアは頭がくらりとしてきた。
さすがにもう、百年間引きこもってきた自分には、想像さえできない。
「……魔王め……想像の埒外を行ってくれるな……!」
「クックック! お褒めにあずかり光栄だ……! では貴様にとどめを刺してやろう! この端末は、カメラ機能も搭載しているのだ!」
「……なんだその機能は?」
「簡単操作で、視界に収めた光景を、一瞬で精巧に描き、保存する機能だ! その写実性はどのような名画家も及ばず、その模写速度は人として限界まで速筆を極めようとも敵わぬ! そうして描かれた絵画を指して『写真』と言うのだ!」
「なんだと!? そんな尋常ならざる機能が実在するのか!?」
「撮った写真はパーティー内、クラン内、望めば城内の端末を持っているお客様全員で共有できる……! しかも写真コンテストも少なくない頻度で開催される……! 悪夢と絶望の園『まおうじょう』で写真を撮って、素敵な思い出を残してもらおう……!」
「写実性の極めて高い絵画を、全員で、共有……?」
「ちなみにこれが前回ベストカップル賞をとった二人の――おっと、貴様には刺激が強そうだから見せぬ方がいいか?」
「いいや、魔王の挑戦ならば、私は受けて立つ!」
「そうか? では――これだ」
魔王がどこからか取り出した端末を、ティアの顔の前に示す。
そこには――
そこには。
巨人族の少年の頬にキスをする、精霊の少女の姿が……!
「っづ、ぐっ、ふっ……!?」
ティアは鼻をおさえてよろめき、三歩後退した。
鼻血が出そうだ。
――刺激が強すぎる。
異種族。
男女。
しかも、しかも――『手をつなぐ』なんていう段階は軽く飛び越している。
みだらにも、ティアの手のひらほどしかないサイズの精霊少女は、その尻を巨人族の岩のような肩にのせ、淫蕩な笑みを浮かべ、頬に口づけしているではないか……!
ティアは信じられなかった。
エルフの森にはエルフ、精霊、妖精などが多くいるし、ティアの世話役もそういった種族から選ばれた、可憐で清廉なる少女たちだ。
その世話役たちに今の『写真』を見せたら、きっと、顔を真っ赤にして卒倒するだろう。
この『写真』は本当に、現実にあったことを映しているのか?
猥褻な創作物ではないのか?
しかし――
こんな精緻な絵、モデルもなしに想像だけで描けるとは、とても思えない。
つまり。
「……恐ろしきは悪夢と絶望の園、『魔王城』ということか……! この場所が、ここで過ごす時間が、清廉なる精霊族をこのようにみだらな存在に変えてしまうと、そういうことか!」
「クックック……肩に乗ってほっぺにキスぐらい、いいではないか……! 微笑ましいという理由でベストカップル賞なのだぞ……!」
「き、き、キスとか言うな! みだらな! 不潔な!」
「エルフはみな固いが、貴様は特にとてつもなく固いようだな……」
「……くっ! 否定できない……!」
そもそも、男性を見ること自体が百年間なかった。
書物に出てくる異性の気配に、侍女たちと盛り上がったり語り合ったりしたことは、なかったとは言わないが……
実物を見たり、手を握ったり、まして――あんなことなど。想像さえしたことがない。
「やはり魔王、貴様を倒し、この乱れた性の城を破壊し尽くす必要がありそうだな……!」
ティアは決意を固くする。
魔王は喉奥で押し殺したように笑った。
「それもよかろう! ならば――しばし待て。なに、案ずるな。『ティターニアの塔』は目の前だ。我はしばらく外すが、貴様ならば堪え忍ぶこともできよう……」
「ど、どこに行く気だ!? 私をこんな衆人環視の中一人にする気か!?」
「申し訳ないが……お客様どもが我との記念撮影を望んでいるのだ!」
「記念撮影!?」
「そうだ! 城内には我の他に、我の五人いる四天王がうろうろしている! そして我らキャストは、お客様の希望があれば一緒に写真に写ることも役目……! しかしせっかく並んでいるお客様に列から外れていただくのはよろしくない! ゆえに我自らが希望されているお客様のもとまで出向くのだ!」
「……そうやってよこしまな教えを流布するのか!?」
「クックック……貴様もいずれ、我に写真を撮ってくれとせがむようになる……! なぜならば、魔王及び五人いる四天王との記念撮影をすると、スタンプ欄が埋まるからなあ!」
「……卑怯……なんという卑怯な……!」
「そういうわけでしばし列に並んで待つがいい! なにかあれば端末を起動し『スタッフへ連絡』と書かれた場所を指でタッチするのだ! さすれば城内キャストかスタッフがすぐさま貴様の元へと来て、悩みを聞き解決策を示すであろう!」
ハーハッハッハ!
そう勝ち誇ったように笑い、魔王はマントをはためかせながら、列のそばを移動していく。
時折立ち止まっているのは、記念撮影をしているからだ。
それも魔王や列に並ぶ勇者たちが撮っているのではなく、どこからともなく現れた魔王側の尖兵とおぼしき者が、勇者の端末を受け取り、撮影している。
ティアはしばしその光景を見て――
なんだか、周囲から視線を向けられているように感じて――
仲間を募るべきか、と考えた。
しかし……
「……無理だ……今日初めて会ったばかりの他人とどう話せというのだ……!」
無力感を噛みしめ――
居心地が悪いので、魔王が戻ってくるまで端末をいじることにしたのだった。