16話
けっきょく、サラは魔王を斬らないことにした。
そもそもが一度、フラフラになるまで力を振り絞ってようやく刃が通っただけなのである。そういう全力は『いざという時』まで残しておきたいのが人情だった。
……まあ。
その『いざという時』がひょっとしたら、もうとっくに過ぎていて――
もはや後戻りのできないところまで、来てしまっているのかもしれないけれど。
サラは『従業員通用口』なる扉を通り、長い階段をくだっていた。
らせん状の階段だ。
かなり、古い――補強はされているが、地上とは雰囲気からなにから一線を画す。
地上が明るく楽しい、『魔王城』と聞いてとても思い浮かばない場所だとするならば――
地下こそが、サラの想像していた『魔王城』そのものであった。
最近鉄材で補強されたとおぼしき、木製の階段を降りていく。
深い。
魔王はなにも告げずどんどん先に行ってしまう。
引き返そうか――サラが四度ぐらい、そんな迷いを抱いた時だった。
ようやく、階段が終わり、土の地面が見えた。
湿り気のある、肌寒い空間。
魔王は立ち止まり、サラが完全に階段を降りるのを待っている。
サラはゆったりと階段をおり、ようやく地面を踏む。
そして――正面に見えたものに、言葉を失った。
「……」
それは、氷漬けになった人、だった。
いや――人、と呼んでいいのだろうか。
まがまがしい、男性だ。
真っ白い肌。
背中には六枚の翼が生えていて、頭にはねじくれたイビツな角が生えている。
両腕で自身を抱くようにした体勢で目を閉じるその、裸の男性――
怖い。
でも、つい、目が釘付けになるような、不思議な魅力があって――
「氷には触れないでください」
――肩をつかまれ、自分がふらふらと、氷漬けの男性に近寄っていることに気付く。
サラは呼吸を再開した――そうだ、息さえ止めて、引き寄せられるように、その男性へと近付いていたのだ。
「……アレは、なに?」
彼は誰?
ヒトガタだし、男性であることもわかるのだから、そう問いかけるのが正しいのだろう。
でも、サラはその人物を、どうしても、人とは思えなかった。
そして――印象はどうやら、正しかったらしい。
魔王は、言う。
「これが、本物の魔王です」
「……じゃあ、アンタはなんなの?」
「僕は偽物の魔王です。世界を滅ぼしたり、人を滅ぼしたり、そういう目的のない――ただの遊園地の支配人です。『勇者と魔王』がテーマのテーマパークなので、魔王役のキャストとして催しにも参加していますが」
「意味がわからないわ。つまり、自分は偽物で、こっちが本物だから、自分のことは斬らないでって、そういうこと?」
「それもありますが、もっと大事な話をしたくて、この魔王を見ていただきました」
「もっと大事な話、ねえ。アンタの命より大事な話――っていう意味じゃないわよね?」
「僕の命より大事です」
支配人は真面目な顔で言う。
なんだろう、ヘラヘラしていた彼が急に表情を正すと、サラはちょっとだけひるんだ。
「……聞こうじゃない」
「僕はある日、突然、このあたりに放り出されました」
「……? 子供のころ捨てられたっていうこと?」
「いえ、異世界から、この場所に、放り出されたんです」
「…………まあ、いきなり色々言いたくなったけど、あとにしましょう。まずは、最後まで聞くわ」
「恐縮です。……中古屋で買ったテーマパークシミュをやっていたら、画面に吸い込まれて、この世界に落ちてきました。当然、僕は戸惑い、恐怖し、元の世界に帰りたいと思いましたが――そんな時に、このあたりに済んでいたご老人たちが、僕を世話してくれたのです」
「……」
「僕はお世話になった恩返しとして、畑仕事を手伝ってみたりしましたが――そうしていたある日、僕は老人たちから、彼らの秘密を打ち明けられました」
「……」
「彼らは『勇者』の末裔だったのです。はるか昔、魔王と戦い、それを封じた勇者は、この地で子孫たちに封印を守り続けるよう言い渡し――しかし年月とともに勇者の伝説は忘れ去られ、今では跡継ぎもない過疎村と、老人が残るのみとなってしまった。そこで老人たちは、僕にその『魔王の封印を守る役目』をたくしました」
「……じゃあ、アンタ、魔王っていうか、魔王とは対極の存在なんじゃない」
「そうですね。恩義があり、また元の世界に帰る方法を探す手がかりさえない僕は、その頼みを聞き入れました。……そして、できる限りを、しています」
「……つまりそれが地上の有様ってこと? 魔王を名乗って、敵を集めて、その敵を――楽しませてるんでしょ?」
「伝わっているようで恐縮です。……魔王は、人の絶望や嘆きを糧に復活するそうです。復活を防止するには、世界が平和で楽しくなければならない。ですが――この世界、今、だいぶギスギスしているみたいですね」
「……まあ」
そう言えなくもない。
種族は仲のいい種族だけでコミュニティを形成し、基本的にひきこもり、仲の悪い種族との交流は断っている。
それに――お互い監視している。
魔王城を巡る対応に、彼の言う『ギスギス』は表れているだろう――人が軍隊を派遣し、ドワーフが兵器を派遣し、次はエルフがなにかやれ、というような空気がある。
まあたぶん、いつか姉あたりが『エルフの兵器』として派遣されそうな気がするけれど。
……そういうのもあって。
才能のない自分が姉の代わりになれたらと、そんなことを、ちょっとだけ、考えたりもしたのだ。
「勇者の末裔たちの話が正しければ、人が絶望したり嘆いたりしない世の中である限り、魔王は復活しないということになります」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「だから僕は世界中の人を笑顔にしたいんです」
「……」
「寂れていたこの場所に、今、活気が戻りつつあります。ですが――まだ足りない。まだ、笑顔が足りない。もっと笑顔を、歓声を。希望を。……今はあんまり種族同士仲良しとは言えないみたいですけど、人はもっと仲良くなれると思うんです。だから、その後押しをする場所であればいいなと――そう思って、僕は『まおうじょう』をやっています」
彼は語る。
それは、青臭い理想論でしかなかった。
サラは自分があまり小難しいことを考えるのに向いていないとわかる。それに、フラフラして生きてきたから、真面目ぶったり、現実を説いたりということは、苦手だし、できるならしたくない。
そんなサラでも――彼の発言は、夢物語にすぎると、そう思えた。
誰かが止めてあげなければいけない、とサラは思う。
――一方で。
その試みは。
果てのない、なにから手をつけていいかもわからない、その試みは――楽しそうだと、そのようにも、思ってしまった。
「あなたも、どうですか?」
彼は言う。
……さっきからずっとこうだ。彼はいつでも、サラの心を読んでいるみたいなタイミングで、読んでいるみたいな言葉をかけてくる。
「僕はあなたと戦いたくない。あなたは、僕を倒せる可能性を秘めている。ですから、あなたを仲間に引き入れたいと思います。どうでしょう、僕と一緒に、魔王の復活を食い止める活動をしませんか? ――世界を笑顔で、満たしませんか?」
手が、出される。
サラは彼の手を見た。
エルフの倫理観とか。
彼に抱いていた悪い印象とか。
そういう色んなものが、ぐるぐると頭を駆け巡る。
これは絶対に大事な決断だと思った。
よく考えた方がいいぞと、サラの中の理性が声をあげる。
でも。
理性なんか、生まれて初めてわき上がる強烈な興味の前に、消し飛んだ。
「わかったわ。手伝う」
手をとる。
彼は笑う。
「では、採用ということで。これからよろしくお願いしますね」
その言葉を聞きながら、サラは思った。
――なにもない、王家の次女。
王宮での窮屈さ。自分の居場所じゃないような違和感。絶対に自分がいるべき場所がどこかにあるはずだ。成すべきことが、自分だけに成せることがなにかあるはずだ。そう思い続けてきて――こうして採用? されてみて。
なにもなかった。
自分だけに成せることなど、なんにもなくって。
あるのは、ただ、自分が成したいと思うことだった。
――これはそんな過去の話。
世界の敵を自称して、世界を守ろうとする人と、サラが出会った当時の記憶で――
未だ叶わぬ、いつ叶うかもわからない、夢と希望にあふれた、テーマパークの裏側である。




