15話
『哀しみの妖精郷』――
どことなくエルフの森を思わせるそこを、サラは案内されることになる。
もちろん、最初は警戒していた。
だって謎の男が、急に思いついたように誘ってきたのである――警戒しない方がどうかしている。
ただ、フラフラなのは、事実だった。
体力や魔力を回復させる必要はあったし――
それに、サラは面白いことが、好きだった。
むしろ退屈が嫌いだったという方が正しいだろうか。
エルフの王宮は退屈があふれていた――妹はかわいい。姉は真面目。お付きの侍女たちは美しいし、ほしいものはだいたいなんでも手に入る。
自由だけが、ない。
あと、異性も。
……まあ、だから異性の語る『面白いこと』に多少なりとも興味があったのは事実で。
あとはこの男の、見るからに人畜無害そうな、どことなく女性っぽい容姿のせいで油断もあったのかもしれない――性格は合わないけれど警戒するほどでもないと、次第に、そう思えてきたのだ。
「そもそも、一旗あげるって、どういうことなんですか?」
明るく綺麗で、甘いにおいがして、軽快な音楽が流れる城内を歩いていく。
周囲にはたくさんの人がいた――お一人様もいたし、家族連れもいたし、恋人なんかも、いたのかもしれない。
楽しそうな人が多いように、思う。
それはもちろん、緊張し、警戒した表情で、異形の者に連れられている、サラみたいなのもいたけれど。大多数、特に団体でいる人たちはだいたい楽しそうに、サラには見えた。
よくわからない。
自分は全人類の敵と言われる魔王、その城に来たのではなかったのか?
これでは空気が、あまりにも――軽すぎる。
「……魔王を倒して世界を平和にしたら、有名になれるでしょ。一旗あげるっていうのは、有名になるってことよ」
言葉には、使命感とか、熱意とかが、欠けていた。そう自分で思う。
だって『魔王を倒して世界を平和に』なんて、今この魔王城で言ったって、まったく説得力がない。
見える景色はすでに平和で。
自分がなにかしようものならば、この平和な景色が変わってしまうのではないか――そうとしか、思えないのだ。
「つまり有名になりたい?」
「それもあるけど、ただ有名になるだけじゃないわ。っていうか、あたし、すでにもう一部界隈ではかなり有名だし」
「そうなんですか」
「……エルフの森ではね。あたし――」
王族、と。
今までうっかり、口をすべらせてはいないはずだ。
それを述べてしまってもいいのか、少しだけ迷う。
だからサラは隠した場合どうなるか、明かした場合どうなるか、それぞれ考え――いや、考えようと思って……
「――王族なの。だから、エルフの森では、有名」
考えるのは、やめた。
もともとそんなに考えて行動するタイプでもないので、損得とか考えるのは苦手だ。
あと――こんな、和らいだ空気なのだ。
周囲には笑い声があって、はしゃぐ子供とか、幸せそうな恋人とかがいて、美味しそうなものを食べたり、立ち止まって話したりしている。
こんな中で色々とこざかしく考えるのはバカバカしいと、そう思った。
「なるほど、王族だからすごいんですね」
男は感心したように言う。
……相変わらず、悪気はなさそうなのに、神経を逆なでする言動だけ選んでやってるんじゃないかというぐらい、その言葉はサラの心をひっかいた。
「王族だから、すごいんじゃないわよ。すごい王族が、すごいだけ。……あたしはすごくない方の、王族」
「でも、あなたの剣は僕を斬りかけたじゃないですか」
「アンタみたいに弱そうな人間一人斬りかけて、なにがすごいのよ!」
「ああ、すいません。なにか気に障ってしまったみたいで」
彼は謝罪する。
サラは彼をにらみつけた――謝るという行為も、タイミングとかを間違えるとここまで感情を逆なでするものなのか、となんだか勉強になったような気分だ。
「……とにかく、姉は初代エルフ王の『強さ』を受け継いでるし、妹は初代エルフ王の『愛される』っていう才能を受け継いでるの。そのあいだのあたしは――なんにもない。三つあると言われた初代エルフ王の才能を、あたしだけ受け継げなかったの」
「まあ、三人いたら、だいたい次男とか次女は出がらしみたくなりますから。元気を出して」
「…………アンタ、わざとやってる?」
「あれ、フォローしたつもりだったんですけど……全国の次男次女を敵に回すようなことしてまで……お気に召しませんでしたか?」
どうやら、馬鹿にする意図はなかったらしい。
それでここまで人の神経を逆なでできるのは逆にすごい、とサラは感心した。
「……まあ、そんなんだから、一旗あげたいのよ」
「意地悪なお姉さんと妹さんを見返したいということですか?」
「……意地悪? なんで?」
「才能のある人が、才能のない家族を馬鹿にする――という物語は、多いような気がしましてね。特に王侯貴族が主役だと、『才能はあるが性格の悪い兄』と『才能はないが優しい弟』が一人のお姫様をとりあう、なんていう物語の型は、多いように思います。あなたのところも、そういう類型なのかと」
「……別に、意地悪はされてないわよ。ただ、あたしが勝手にいたたまれない――っていうかなんでアンタにこんなこと話さなきゃならないの!?」
「僕は別に、なにも聞いてませんけど……」
「わかってるわよ!」
勝手にしゃべっただけだ。
この男の言動は、本当にいちいち、心をひっかく――固い殻で覆われた柔らかい中身を、刺激してくる。
だから、いらないことまで、口をつく。
本当になんなんだろう、とサラは男をにらみつけた。
「……とにかく! あたしは魔王を倒すわ。倒して――自分で自分を、認めたいのよ」
「はあ、なるほど。でも――困りますね」
「……なんでアンタが困るのよ」
「あなたはたぶん、世界で唯一、ルールにのっとらず魔王を倒せる人材だ」
「……」
「ところが――僕は、倒されたくない。倒されては困る、事情があるのです」
「……アンタ」
サラは男から一歩離れる。
そして、腰の『ティターニア』の柄に手をかけた。
男はニコニコと害のない笑みを浮かべて――
「申し遅れました。僕は、このテーマパークまおうじょうの支配人をしている、『まおう』です」
大仰に――役者のように、礼をする。
サラは『ティターニア』を抜き放つ。
「……騙してたの、あたしを」
「騙してません。名乗らなかっただけです――というのは、まあ、騙していたのと変わりませんよね」
「……」
「あなた、実は先ほど惜しかったんですよ。この世界に来てから『殺されるかも』と思ったのは、先ほどが初めてです。普通、ここでは暴力行為、迷惑行為を自動で感知して障壁が発動し、その障壁は決して破られない――そういう、神様との契約のはずですから」
「……今度は、外さないから」
「まあ、お待ちを。実は僕――弱いんです」
「……はあ?」
「敷地内にいる限り暴力にさらされず、また好きにアトラクションを生成できるので質量爆弾みたいなまねもできはしますが、基本的には、無力です。なので、戦闘するような展開になると非常に都合が悪い」
「……」
「そしてあなたはこのテーマパークの『暴力禁止』というルールを無効化できる様子だ。だから――あなたに、聞いてもらいたい話があります」
「……」
問答無用!
と、姉のティアなら斬りかかるだろうが……
「聞こうじゃない。ただし、飽きたら斬るわよ」
サラは、話ぐらい聞いてもいいかなと、そう思った。
まあ、『飽きたら斬る』発言は、自分で述べて自分でどうかと思うぐらい山賊チックだったのだけれど……
ようするに、そういうことには、違いない。
相手が魔王である以上、どのような悪辣な罠があるか、わかったものじゃない。
……それに、サラはこの魔王を、どうしても悪いヤツとは思えない。
もちろん、性格が合わないのは、さっきから思っている通りだが――
――場所。
主の性格は、その者が支配する場所に出ると、サラは思っている。
だからエルフの王宮は、窮屈で、息苦しくて、退屈だった。
……ここの主が本当に目の前の男であるならば、この和やかで楽しげな空気を作り出すような人の話を聞くのは悪くないと、なんとなく、思ったのだ。
「ありがとうございます。では、『まおうじょう』の地下に行きましょう」
「地下?」
「はい。地下です。そこで――本物の魔王をご紹介します」
男は笑う。
サラは眉をひそめ、やっぱりすぐに斬るべきかどうか、ちょっとだけ悩んだ。




