11話
「初代エルフ王には、三つの大きな才能があったわ。その一つが『誰からも愛される』という才能で、ノイン様はその才能を最も色濃く受け継いでいるのよ」
切羽詰まった様子で店員エルフは語る。
ドラコ3号の中の人は、首をかしげた。
「……いいことじゃないですか」
「そうね。いいことだわ。彼女と目が合っただけで卒倒したり、彼女と少し触れ合っただけで永遠の忠誠を誓ったり、彼女の香りをかいだだけで鼻血を噴いて気絶したりしないのなら」
「…………なんですか、それ」
「そういう冗談みたいなことが、本当に起こるのよ。彼女を目にしたら、彼女のために動きたくてたまらなくなる――だから彼女はずっと宮中に秘められてきたし、人前に出る時も、なるべく顔や目などは隠して、声を発することを禁じられてきたわ」
「…………」
「私は、もともと王宮内でサラ様のお世話をしていたの。その時から、危なかったわ」
「……あのサラの世話ですか……お疲れ様です」
「本当にそうね。でもサラ様はもうどうでもいいの。いえ、ノイン様の前ではすべてがどうでもいいのよ。我々はノイン様のために生きるのだから……」
「……なるほど。そういう感じになるんですね、みんな」
「…………そうね。特にエルフや精霊、妖精なんかには、ノイン様の力は強く働くわ」
「自分は――ドワーフだから、まだなんともないんですかね?」
「なんともない、というほどじゃないと思うわ。やけにかわいく見えたり、尽くしたくなったりはしているはずよ。ただ、ノイン様のために動く時は幸福で、まるで自分が望んでやっているような気分になるから……」
「……」
「あとで思い返してすごく恥ずかしくなるわ」
「…………えっと」
「私が人生で『踏んでください。なんでもしますから』と言った相手はノイン様だけよ」
「……あの、暴露はしないでください。次からどう接していいかわかんなくなるんで」
「そ、そうね……とにかく、もう正常じゃないわ。こうしてノイン様から顔を背けている今も、彼女の顔を見たくてたまらないの。胸が苦しいの」
「……そこまでですか」
「禁断症状が起こるのよ。……だから、ドラコ3号、お願いがあるんだけれど」
「なんですか?」
「うまくノイン様を、『まおうじょう』から帰してくれない?」
固まる。
それからドラコ3号は、ノインを見下ろした。
先ほどから店員が背中を見せつけ続けているからだろう、不思議そうな、困ったような顔をしていた。
すがるような――目をしていた。
「……せめて『妖精と不思議なお茶屋さん』だけでも連れて行くのは、駄目ですか?」
「この『哀しみの妖精郷』はエルフと精霊と妖精ばかりの城塞なのよ? そんな場所を彼女が歩いたら、どうなることか……」
「……みんなメロメロになりそうですね」
「その程度ですめばいいけれど」
「……じゃあ、すぐ帰せって?」
「それが一番よ。お互いのために」
お互いのために。
……まあ、言わんとすることは、わからないでもなかった。
もちろんスタッフ、キャストの側も卒倒したくはないだろうし――
ノインの側だって、道行く人すべてが自分を見て卒倒などしたら、気分はよくないだろう。
わかる。
帰ってもらうのが、一番だ。
でも――
「いいんですか、それで」
納得できなかった。
ここは――『まおうじょう』は、そういう場所ではないはずだ。
お互いのために一番、だとか。
誰も損をしない賢い提案、だとか。
……そういう大人ぶったつまらない意見なんか、この場所ではいらない。
悪夢と絶望――夢と希望の園なのだ。
遊びたい子供がいる。
それを追い返せなんて――
「それでも、『まおうじょう』のスタッフですか?」
「……あなたの職業意識には敬服するけれど、現実的にどうするの? 従業員だけじゃなく、お客様まで巻きこむのよ?」
「それは……」
「他のお客様のご迷惑になることはしてはならない――それが、この『まおうじょう』でお客様に課せられる数少ないルールの一つだって、忘れてはいないわよね?」
「……」
「だからお願い、私も考えるから、どうか穏便に、ノイン様には帰っていただきましょう?」
店員エルフの言葉に、ドラコはうなずくしかない。
だって、他のお客様のことなんて、考えていなかったからだ。
……たしかに、これは、呪いなのかもしれない。
周囲が見えていなかった。
知らないうちに、ノインのことだけ、考えていた。
でも。
この『納得できない』という気持ちは、本当に、ノインに魅了されているから沸き起こっているだけなのか?
遊びたがっている子供を、遊ばせず、帰さなければならない。
そう考えた時に胸を刺す痛みは、本当に、ノインに魅了されているだけが理由なのか?
「……やっぱり、自分は嫌です。この子を遊ばせてあげたい」
ドラコは言う。
店員エルフは沈黙する。
それは落胆のようでもあり、次なる説得を考える時間のようでもある。
その沈黙はどれほど続いただろうか。
破ったのは、ドラコでも、店員エルフでもなかった。
「いいではないか。お連れしろ」
マイクに突如とどいた男性の声。
それは――
「支配人!? 聞いてたんですか!?」
ドラコはつい大声を出す。
ノインが不思議そうな顔で見上げてくる。
『僕じゃないよダンス』を踊り――
「支配人、なんで……聞いて……」
「クックック……貴様が『超かわいい子』を連呼するから、誘拐でもしないか心配になり、貴様の通信をすべてこちらでも聞いていたのだ!」
「自分の信頼度が低い……! い、いやまあ、たしかに、こんな気持ちになるのは初めてで、誘拐しそうだったかと言われたら危ないとこでしたけど……!」
「ともかく! お客様がアトラクションに行きたいと言っているのだ! お連れしろ!」
「……っていうか従業員への通信まで魔王っぽいしゃべり方はいらないような……」
「愚かな! 就業中に素でしゃべると役作りをやり直しになるであろうが!」
「……意外と大変なんですね、魔王も」
「とにかく、お連れしろ。予想される被害も、危険性も、なんとなくは理解した。だが、そんなものは問題でもなんでもない。かまわんから、やれ」
「……けど、いいんですか?」
「すべてはお客様の笑顔のために」
「…………」
「ただし――すべては、『すべてのお客様の』笑顔のために、だ。他のお客様に配慮はせねばならんな」
「……じゃあどうするんですか」
「もう一つ作ればよかろう」
「は?」
「だから、作るのだ。別な場所にもう一つ『妖精と不思議なお茶屋さん』を。我が、今すぐ」
↓
『妖精と不思議なお茶屋さん』――
そこは迷路を脱出するアトラクションだ。
アトラクションに参加するお客様は、まず七色に光る不思議な回廊を案内される。
そこをしばらく『お茶屋さん』と『協力を求めに来た妖精』に扮したキャストの寸劇を楽しみつつ歩いていくと――いよいよ、アトラクション本番だ。
回廊を抜けた先には、薔薇園が待っていた。
薔薇とツタの壁で区切られた迷路だ。ここを『お茶屋さんを追いかける』という設定で抜けることが、このアトラクションのメインである。
この迷路を総当たりで抜けるもよし、迷路にたどり着くまでに回廊でたっぷり出されたヒントを利用するもよし、また他の方法を用いることも、可能だ。――飛んだり壁を焼き払ったりということは、障壁によってはばまれるけれど。
入城手形と一緒にもらった端末にはオートマッピング機能もついている。それを利用すれば攻略難易度は格段に下がるだろう。
そしていよいよもう無理だとなれば、端末の『降参』をタッチして、正解ルートをナビゲートしてもらいながら抜けることも可能となっている。
ドラコ3号とノインは、手をつなぎながらこのアトラクションに挑んだ。
ノインは『竜の守護セット』を身につけており、頭にはフワフワの大きな二本角が、手はモコモコの鍛冶で使うようなグローブ……ではなく爪が、そしてお尻の方には、太く長い、竜の尻尾が生えていた。
ただでさえかわいいノインが、守護セットによりもっとかわいくなっている。
そんな彼女は、悩んだりしながら、迷路を抜けるべく、考えていた。
ドラコも協力してあげたいが――あらゆる理由でできない。
まずはしゃべってはいけないという制約がある。
そして、そもそも、ドラコは迷路の構造を――正解のルートを知っているのだ。
迷路は何パターンかを決まった順番でローテーションしているので、長く勤めている従業員ならば、内部構造を把握することは不可能ではない。
まして、ドラコなどの『キャスト』はお客様を直接ご案内することも多い。
ドラコ3号の中の人だって、この迷路に挑んだことは初めてではなかった。
……そう、初めてではないのだ。
見たことのある構造である。
支配人は本当に、まったくなにもなかった場所に、本物の『妖精と不思議なお茶屋さん』と同じアトラクションを出現させてしまった。
他のお客様のいない、ノインのためだけに用意されたアトラクション。
キャストは選りすぐりで、ノインの魅了にもやられないだろう――という職業意識の強い者たちが選ばれている。
「……いいんですか、こんな、特別扱いして」
ドラコ3号の中の人は、申し訳なさから、マイクで支配人にたずねる。
マイクの向こうで支配人は押し殺したように笑った。
「クックック……我はすべてのお客様を平等に特別扱いしている……! お客様のためにアトラクションを作ることなど造作もないわ!」
たしかに、『まおうじょう』のアトラクションはだいたい魔王の手製だ。
これは『殲滅行進』の時など、観覧車をいきなり出現させたり、ジェットコースターをいきなり出現させたりするのと同じような――『無からアトラクションを生み出す』という魔王の能力の成せる業である。
……そうだ、作り出すこと自体は、難しいことではないのかもしれない。
だから問題は――
「……本来は四十分待ちのアトラクションじゃないッスか。こんなことして、他のお客様に申し訳ないような気が……」
発端は、自分のわがままだ、とドラコ3号の中の人は思っていた。
店員エルフの言っていた『すぐにノインを帰す』という判断は、反発こそしたが、間違ってはいなかったと思う。
むしろ正しいからこそ反発したかった、というか――
夢も希望もない、普通の社会で普通にとられる、現実的な判断だったと、そう思うのだ。
少なくとも、『一人のためだけにアトラクションを用意する』よりは、現実に即している。
これは『アトラクションを用意』というのが現実離れしている、という理由ではない。
だって――一人のためにアトラクションを用意するだなんて、不公平だ。
一人だけを特別扱いをしているようで、他のお客様に申し訳がない。
まあ、気付かれなければいいというような話なのかもしれないが……
一人だけ特別扱いしたことが発覚すれば、きっとみんな、いい気分にはならないだろうとドラコ3号の中の人は、思う。
しかし――
「我が『まおうじょう』は、お客様に対し不公平であってはならんのだ」
魔王は、そんなことを言う。
ドラコ3号の中の人は、迷路を抜ける方法を一生懸命考えるノインを見ながら、耳につけたマイクに話しかけた。
「……いや、現状、ノインちゃんだけ特別扱いしてて、間違いなく不公平ですよ。まあ顔も見てないし声も聞いてないから、支配人が魅了されてるってことはないと思いますけど……」
「魅了などされてはいない。しかし――不公平、か。ふむ、では、そのお客様だけ帰したらどうなる? それは、勇者ノインにだけ損をさせる『不公平』ではないのか?」
「……そりゃそうですけど」
「勇者ノインにマイナスを背負わせて公平性をたもつなど、そんなものはテーマパークではない。いいではないか、どんどん特別な待遇をしてしまえば。それにだ。一人に対し他の全員よりも特別な扱いをしてしまったのならば、他の全員に対しても、同じような特別待遇をすればいい」
「…………」
「マイナスとゼロでバランスをとろうとするな。プラスとプラスでバランスをとるのだ」
「……ちなみに、その『他の全員に対する特別待遇』はどうするんですか?」
「クックック……それはこれから考えるのだ!」
「ええええ……」
「あとから我ら従業員が悩めばいいだけの話! お客様に沈んだ顔でお帰りいただくよりも、よほどいい!」
「……」
それは、間違いなく、そうだった。
ドラコはノインの方を見る。
端末に表示されているオートマッピング――自分たちが通った通路を見つつ、一生懸命、寸劇のヒントから正解の通路を見出そうと頭を悩ませている。
眉根は寄っているけれど。
口元を引き結んでいるけれど。
それでも――
「ドラコさん、あのね……あっち、いってみよう?」
こちらを見上げる視線は、楽しそうで。
……だからまあ、この笑顔のためだったら、あとで自分たちが悩むぐらいどうってことないなとドラコ3号の中の人は、思うのだ。
迷路は続く。
ノインに連れられて、ドラコは行く。
……そして、ちょっとだけ考える。
――満点以上のおもてなしをしたかった。
もしも、今日ご案内したお客様が、こんな『誰からも愛されてしまう』ような、ノインみたいな子じゃなかったら――
自分は、こんなにお客様のために尽くしただろうか?
……きっと、尽くしたと思う。
ようするに自分は根っからのテーマパークキャストなのだと――
ドラコ3号の中の人は、そう理解して、笑った。