1話 鬼ごっこ
一週間ほど前のこと、俺は異色の友人に出逢った。友“人〟ではないかもしれない。彼女は猫だ、友猫と呼ぶのがふさわしかろうか。まあそれは些細なこととして、異色というのはもちろん彼女の毛色が黒であることだけではない。出会ってから今日に至るまでの7日間、俺は彼女に毎日会いに行っていたが驚くべきことに彼女は人間の話す言葉を理解できているように思えた。こちらから話しかけるとニャーニャーと会話をするかのように返してくれたり、会話に沿った行動をとったりもする。そういった類稀なる賢さと妖しく美しく光る黒い毛皮をもって異色なのだ。
時は平成、夏休みの最終日。快晴の空の下で日射に焼かれながらベンチ下の猫に声をかける高校生(受験生)がひとり。このベンチ下が俺こと杜宮玲と友人の黒猫の待ち合わせ場所になっていた。黒猫のほうの名前はティウ――勝手に俺がそう呼んでいる。
「ティウ、おはよう」
ティウと呼ばれた黒猫は美しい琥珀色の眼で俺を一瞥してから静かに嘶くとひらりと身をひるがえしてベンチの上に飛び乗った。そして遠くを見るように眼を細めながら
「あなたは毎日毎日、暇なのかしら」
そんな意味を込めて一言。
「いやぁ、今日で夏休みも終わりだからティウともしばらくは遊べないかもなぁ」
「...そう」
「あれれ?いま、寂しそうな顔し――うげっ」
なぜか嬉しそうな玲の首筋に猫ぱんちを一発。男の嬉しそうな顔に自分までつられて表情が緩んでしまったことに少しだけ悔しさを覚えつい脚が出てしまった。前脚を降ろすとそこには玲の身に着けていたネックレスがあった。――これでこの男をからかってやろう。そう考えティウはネックレスを持ったまま森に向かって走り出した。
「ティウちょっと待って!そのネックレス――」
「捕まえてみなさい」
――捕まえられるもんならね。慌てて追いすがる玲を尻目に逃走の足を緩めることなくまっすぐに進む。しかし玲の脚は女のように生白くて細い身体からは想像できないほどに速く、ティウも全力で走らざるを得なかった。
「はっはー!これでも俺はフットサルやってて...ぜぇ」
瞬発力こそあれ持久力には難があるようだった。すでに鬼ごっこ開始地点のベンチからはだいぶ離れたところに来ているのでそろそろ捕まってやるかと脚を止めた。しばらくして息も絶え絶えの玲が追い付いて抱き上げられる。次の瞬間にまるで赤子をあやすかの如く玲の頭の上まで掲げられ
「よしっ捕まえた。恐れ入ったかー」
「捕まってあげたのに、なによそれ」
戦いに勝って勝負に負けた気分のティウだった。
「それにしても随分と走って来たな。街の西側の森は初めてだよ、ティウもだろ?」
「私の行動範囲はもっと広いわよ」
「まあ猫の行動範囲はもっと広いか」
言葉が通じないにも関わらず適当な予想で心の内を言い当てられてティウは驚きと多少のうれしさを交えて玲の細い腕を甘噛みしてやった。そのまま玲は微笑を浮かべながら道の脇の神社へつながる石段に腰を下ろしてティウからネックレスを回収した。
「このネックレスはね、幼馴染に貰ったんだ。いまはもうこの街にはいないけどこいつはあいつとのつながりの証明でもあるんだ。だからこんな飾り気のない石のネックレスだけどなにものにも代えがたいほどの価値があるんだ。俺の宝だよ」
「そう...。私はあなたに出逢うまではずっとひとりだったわ」
ひとりで完結している世界。そこに他者の居場所はなく、つながりなどもてるはずもなかった。故に玲の言うつながりの価値というものはいまいち理解できずにいた。顔を上げてその表情をのぞき込むと首から下げた青い石を見つめるその眼には不思議に吸い込まれそうな光を宿していた。
石段に座り時の過行くを眺める一人と一匹。友と友。陽がティウの眼を映したような琥珀色に染まった頃、神様に行き会った。