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アシュラン祭前日、ギリギリで魔石機械はようやく全て完成し、あとはパフォーマンスの際に操縦するパフォーマーを決めるところまで来た。そしてここで、シャルロットは予想もしていなかった危機を迎える。
「シャル、お前やれよ」
隣で面倒臭そうな顔をしていたエヴァンが、明らかにテキトーにシャルロットを推薦したのだ。取り敢えず誰かを決めれば帰れるのだ、ただ自分にさえならなければよい。そんな思いを抱えた連中での会議である。一度矛先を向けられれば、全員でえいやとばかりに攻撃する。そう相場が決まっている。
「は?! 嫌ですよっ! そもそもこういうのは一班の方々に任せとけばいいじゃないですかっ」
やたら美形揃いだし、ベテランも多いんだから。そもそも今まで技術局の職員が表に出る場合は、ほぼ全て一班の人が仕事を担ってきていた。そのため、暗黙の了解で一班は広報担当になっていたはずだ。それがなぜ、このようなアシュラン祭という当国の年始の重要な祭りに限って三班に回ってくるというのか。
シャルロットの言いたいことを汲んだらしい班長が、不機嫌そうに口を尖らせた。
「仕方ねえだろうが、一班は今回全員国王まわりの魔法パフォーマンスの方に回ってんだよ。魔法使い様たちと協力してな。それとも何だ、俺らがそっちやるか?」
「それは無理っすね~~」
間延びした声で答えたのは、目の前の席に座っていたテナフだった。シャルロットは眠そうな目でコーヒーを啜る目の前の男を軽く睨み、長年使われていたせいで薄汚れた机の上に目を落とした。国王まわりのパフォーマンスは今年から始まったものだ。確かにそちらの方が責任は重いし、慣れている一班が担当した方が良いのだろう。そして二班は、と考えたが、二班は特に人見知りが多いようなイメージがある。四班は三班に比べて若手の割合が高い。少し任せるには不安である。
「ま、うちには技術局の技術者のうち二人しかいない女のコの一人が居るからね。使わない手はないデショ」
斜め前のリオがそう言うと、一斉に周りの人々が頷いてみせた。なんてことだ、と頭を抱えたいが、シャルロットは三班の中でも一番の下っ端である。そして曲がりなりにも女であるのは本当だ。
「……わかりました……」
ワッと会議室が沸き立って、シャルロットに拍手が送られた。こいつら徹夜明けでエネルギーあんま残ってないはずなのに、そうだったはずなのに。こういう時にはエネルギーを惜しまない。ようやく帰れると思って元気がでたのだろう。
(くそ~~……アシュラン祭終わったら奢ってもらう!)
「ちなみに言い忘れてたがあと一人決めにゃならん」
班長のその言葉で、ピタリと拍手が止み室温が二度ほど下がり空気圧が二割り増しになった。なんてわかりやすい連中なのだろうか。シャルロットが呆れていると、隣に座っていたエヴァンが手を挙げた。
「じゃんけんで決めましょう」
「何言ってんですか?」
思わず口にするも、隣の男は至って真剣な顔つきである。機械のメンテナンス時くらい真剣である。
「じゃんけんほど公平なものはないな」
班長が真剣な顔で頷き、周りの人々もそうだそうだと次々に参加表明を出し、そして最後には真剣熱血じゃんけん大会なるものが開催されたのであった。
その真剣さには、シャルロットもただただ気圧されるばかりであった。そんなに早く休みたいのか貴様らは。
ちなみに負けたのは、言い出しっぺの法則というやつだろうか、エヴァンであった。
*
「一時間後には、パフォーマンス練習が始まる。それまで仮眠を取るなり食事を取るなり好きに休息を取ってこい。」
そう言われたのは、二十分ほど前だ。シャルロットはシャワーを素早く浴び、髪をある程度乾かして新しい作業着に着替え、パフォーマンス練習が行われる技術局練習場2の方へと向かっていた。1の方は一班と魔法使いらが使っているらしい。
ちなみに現在、アシュラン祭当日の午前二時である。気づいたら年が明けていた。あけましておめでとうございますも今年もよろしくお願いしますも言う暇など無い。無縁だ。ふくろう便で親から魔法がかけられた祝新年手紙が届き、初めて「ああ新年か」と気づいたくらいだ。
「我ながら荒んだ生活送ってるわ~~……恋人もいないし」
はあ、とため息を吐くと、「恋人いねーんだ?」との声が前方から聞こえた。聞き覚えのある声である。顔を上げると、通路の前方に先ほどの無駄にイケメン失礼コーヒー男が立っていた。
「わ、こ、こんばんは……」
「こんばんは。なあ、お前いまフリーなの?」
「は、はあ……」
そうですが。そう呟きながらも後ずさる。彼は口角を少しだけあげ、壁に寄り掛かりながらも見下ろすようにシャルロットを見つめてきている。まつ毛が長い。隈が薄っすらと消えている。こう見るとやはり男前だ。目元がなんとなく色っぽい。
(瞳は、青色……)
何色と言えばいいのだろうか。光の当たり具合や睫毛の伏せ具合で、彼の瞳は晴れた空の色から深い海の色まで自在に変わるようだった。綺麗だ。思わずジッと見つめていると、気づいたら彼は近くに立っていた。思わず息を詰めて、シャルロットは半歩後ろに下がった。
「あ、の、何か用ですか?近いような……」
「近いな」
近いな、って、他人事じゃないんだから。それなら自分から離れてやろう、とシャルロットが慌てて後ろへ下がろうとすると、腰に手を回されて引き寄せられた。慌てて手を出し彼の胸に当て、突っ張るようにして距離を取る。
なんだ? どういうこと? 私、男だって勘違いされてるんだよね? なんでこんなことになるわけ?
彼が頭を俯かせたのがわかる。目の前が陰った。柔らかい黒髪が首筋に当たり、温かい吐息が頬にあたる。その感触がくすぐったくて思わず肩を震わせて目を瞑ると、耳元で微かに笑われた。
「お前、花みたいな香りがする」
「は、ああ、シャンプー、ですかね……? ていうかあの、離してください。からかうのも大概に……」
「俺わりと本気だけど。次はお前に決めたんだよ」
次……? 次ってどういうことだ。いや、それよりも、この際いいや!
「あ、あの、俺、男なんですけど!」
言ってやった。言ってやったぞ。これで大丈夫だ。どうだみたかとほくそ笑んでいると、いよいよ男は笑い出した。
「男でいいんだよ」
「……ハ?」
間抜けな声が出た。シャルロットがポカンとしていると、次の瞬間、柔らかいものが頬に当てられた。そしてそのまま、ペロリと舐められる。
「っ!!」
シャルロットは思い切り男を突き放し、すぐさま左頬を作業着の袖で拭いた。そして呆然と男を見つめ、「な、何した……?」と呟いた。
「なにって、味見」
男はペロリと唇を舐めて、妖艶に微笑んだ。色気が漂っているが、そんなことどうでもいい。味見だって?
「甘くてうまいな、お前」
「……っ」
甘い? 味見? なにそれ意味わからん。ていうか頬にキスしたあげく、な、舐めーーーー
意思とは反対にカッと熱くなる頬を隠すようにシャルロットは袖口で目から下を隠して男を睨んだ。男は面白そうに目を細め、瞳の色を濃くした。
「名前は?」
「言うわけないだろ。というか俺、男、なんだけど」
「知ってる。だから味見したんだよ」
「は??」
「俺、男が好きなんだ」
ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。それと同時に、やってしまった、と思った。女だと正直に言ってれば、そうすれば、あんなことにはならなかったのだ。シャルロットは困惑を隠そうともせずに男を見つめた。そこを、後ろからエヴァンさんに声を掛けられる。
「おーい、シャル!」
「あ、……」
「ふうん、シャルね。覚えとくよ」
「ちょ、待て……!」
彼はひらりと手を振り、そのまま歩いて行ってしまった。シャルロットが呆然とその背中を見送っていると、後ろからエヴァンがやってきて彼女の肩に手を置いた。
「オイ、お前ヴィンセント・アイルズランスとなに話してたんだ?」
振り返ると、怪訝そうな顔をしたエヴァンが立っていた。シャルロットはまだぼんやりとした頭を必死に働かせる。
「ヴィンセント……アイルズランス……?」
「おう」
「あの人……男が好きなんですか……?」
シャルロットが呟くと、エヴァンが目を見開いた。
「は? ……お前知らなかったの?」
「え?」
「周知の事実だけど。あの人、すげえ魔法使いなんだけど、まあ私生活ヤバいらしくて。気に入った男を片っ端から食ってるとかなんとか……。だから技術局とか魔法局の男の間では危険人物として有名なんだよ。あー、でも女には関係ねー話だし、お前二年目だし、知らなくても当然っちゃ当然か……」
そうなんだ。片っ端から食ってるのか。だから「次は」お前だなんて言ったんだ、あの人。へえ~~……最悪な男じゃないか。
「……エヴァンさんも食われたんですか」
「お前冗談でもそういうこと言うなよ!食われてねえっつの!」
エヴァンが目を細めてシャルロットの頭を軽く小突いた。それから少し心配そうに、「お前なんかされたのか?」と聞く。不意打ちの質問に、シャルロットの声は裏返ってしまった。
「へっ?! な、なんでですか?」
「いや、なんかお前さっきから変だし……あっ、まさか男に間違われて襲われたとかーー……」
はは、とエヴァンがからかうように笑った。が、シャルロットの顔を見てすぐに笑顔を引っ込めた。
「…………」
「…………」
「……マジかよ……」
エヴァンが顔を手で覆った。
自分はいま、どんな表情をしていたのだろうか。しん、と静まり返った廊下に、こほん、とシャルロットの小さな咳払いが虚しく響きわたった。
「いやあの、襲われたって言っても頬にキス……くらいなので、あの、別に問題はなくて……」
シャルロットからすれば問題は大アリなのだが、世間一般に見れば証拠のないセクハラだ。いや、あの人の外見を見たら役得だと叫ぶ女性も出てくることであろう。
「いやいやいや今はそれでもこれから更にヤバいことになるだろ……お前それロックオンされたってことだからな?」
「マジですか……」
「マジです……」
「……」
「……」
またも静まり返る、閑散とした廊下。窓の外は暗く、街の方角には橙色の光が星のようにポツポツと灯り輝いていた。ふと、微かに外からカラスのけたたましい鳴き声が聞こえた。エヴァンとシャルロットは無言で見つめ合っていたが、とうとうエヴァンがため息を吐いた。
「……よしわかった、お前さっさと胸触らせてこい。それであっちも目がさめるだろう」
「は?! 嫌に決まってるでしょうが! あんた乙女の胸を何だと思ってんですか!」
「そんな言葉遣いの女を乙女とは言わない!」
「うるさいです!」
二人で軽く睨み合っていたが、シャルロットはふと視線を外して薄汚れた白色の床を見つめた。基本的にこの技術局の建物は、雪反石という綺麗な白の耐久性に優れた石で作られている。雪反石は石の特徴的に疎らに青く透き通る空石が混ざっていることが多い。そのため、この建物の壁や床や天井にもところどころに青く美しい破片が混ざっていて、魔石灯の白い光を反射していた。
シャルロットは空石の輝きを見つめて、あの男の瞳を思い出していた。
「そりゃあ、こんな口調で挙句こんな格好で、男に間違えられる私が悪いんですけどね……」
はあ、とため息を吐くと、エヴァンが「まあお前のせいじゃねえよ……」と弱々しく言った。
「取り敢えずな、祭りに際して、お前、生まれ変わるように綺麗になるから。予定。」
顔を上げるとエヴァンが真面目な顔で人差し指をシャルロットに向けていた。
「どういうことですか」
「そのまんまの意味。魔法使い様がお前のことを着飾ってくれるってさ」
「……はあ……?」
*