第176話 解放と粛清 ⑦ 事後②
楽太郎が居間から出て行くと皆一堂に息を吐いた。
「はぁ~、怖かった・・・」
キャシーが気が抜けた様に突っ伏すと、それを皮切りに次々と椅子の背に凭れたり、テーブルに崩れ落ちたりした。
張り詰めた空気が一気に抜け、弛緩した空気が暫し流れる。
「はぁ、エリクさん。今回の件は軽率だったんじゃないですか~?」
エリーが恨みがましい声を上げると、エリクも申し訳なさそうに口を開く。
「すみません。
妹との再会に思いの外、舞い上がっていたようです。
しかし、楽太郎さんがあれ程怒るとは思いませんでした」
そう言って肩を竦めるが、その言葉をエマが咎める。
「エリクさん、旦那様が今始められている仕事は王位の簒奪なのですよ?
私達は旦那様の奴隷だからこそ情報漏洩は出来ない。
だからこそ旦那様も遠慮なくご相談下さるのです。
私達やボコポ様以外の方との交流において旦那様は常に思慮深く行動為されております。
その証拠にこの屋敷に旦那様がご招待されたのはボコポ様とミーネ様のみではありませんか。
それに門番の皆様にもボコポ様以外の訪問者が来ても中に入れず旦那様にお伝えするように言われている筈です。
主人がそれ程に気を使い行動していると言うのに、その奴隷であるあなたがこのような軽率な行動をとるなど・・・
もし、私が旦那様の立場であればエリクさん、あなたと妹さんは始末していたでしょうね」
エマの発した冷たい言葉にエリクの表情が固まる。
それと同時に『王位簒奪』と言う言葉が各々の心に重く響いた。
王位簒奪は王の弑逆よりはマシだが、それでも失敗すれば族誅は免れられない大罪である。
楽太郎はこれまで言葉を巧みに操りミーネを旗頭に何をするかを直接的な表現を避ける事で何でもない事の様に柔らかく話していた。
だからこそエリクも妹と一緒に居たいと言う思いから王都へと同行させてもらえないかと気軽に提案してしまった。
楽太郎が奴隷の心の負担にならない様にと配慮して言葉を選んでいたことが仇となってしまった形だ。
「まぁ、エリクは完全に失態だったけど、リゼルさんもいいとばっちりを受ける事になってしまいましたね」
セルマがポテチを齧りながら話しの矛先を変える。
「はぃ?」
頓狂な声を上げ、リゼルは意味が解らないと首を傾げる。
「いやいやいや、楽太郎さんがエリクの妹さんを雇わない様にエリクを説得していたのに楽太郎さんの邪魔をしていたじゃないですか?」
「え? そんな事を言った覚えはありませんが?」
「ほら、楽太郎さんがエリクに妹さんを巻き込む場合の不都合を説明して諦めさせようとしていたのに、エリクの後押しをするような発言をしていたじゃない」
・・・
「え? あれって、ご主人様は妹さんを雇用したくなかったのですか?」
「え? わからなかったの?」
「はい、でも皆さんもわからなかったと・・・」
そう言いながらリゼルは周囲を見回すと、エリクを含めた全員が無言で視線を逸らした。
そこで漸くリゼルも理解した。
自分以外はみんなわかっていたのだと。
「そ、そんな、それじゃ、私、また・・・」
リゼルは青い顔で後悔の声を上げるが、どうにもならない。
「あー、リゼルさん。
あなた、空気読めないって言われない?」
「?!」
エリーが放ったその言葉に何か思い当たる節があったのか、リゼルがテーブルに突っ伏して撃沈した。
「確かリゼルって前も旦那様を怒らせていたよね?
何やったの?」
そう言って『どうなの?』と水を向けつつポテチを齧るキャシー。
「キャシーさん、こんな状態で追い打ち掛けるなんて鬼畜ですね」
そう言って同じくポテチを齧るエリーにゲルドは無言で唐揚げを頬張っている。
「ご主人様にとあるものの販売をしてはどうかと提案して却下されました。
私は納得できず、あれほど素晴らしいものであればお金だけではなく、何れ地位や名誉も手に入れる事も出来ると提案したのですが、旦那様には『お前が欲しいからと言って俺にそれを求めるな』と言われ、不興を買ってしまいました。
結果、私はそのとあるものを食すこと以外、関わる事はおろか他者にその事を伝える事も禁じられてしまいました」
ゆっくりと顔を起こしたリゼルが俯いたまま答える。
「うわぁ・・・」
「あちゃぁ・・・」
「確かに空気が読めてない。
と言うより盛大に相手の神経を逆撫でしてるな・・・」
面々の感想にリゼルが泣きそうになりながら反論する。
「確かに私自身、お金や地位・名誉と言ったものを欲しています!
でも、それは身を守るのに必要だからです。
お金があれば!食べる事に困らず、護衛を雇ったり問題が起こっても解決し易くなります。
地位があれば!社会的身分が保証され、侮られる事も無くなり身の安全も高まります。
名誉があれば!尊敬を集める事が出来、敵対する者も減るでしょう。
だからこそ・・・
だからこそ私は、ご主人様の身を守る為に必要だと、ご注進申し上げたのです」
リゼルは不本意だと思い本心を吐露したつもりだが、その考えを聞いた面々の表情には微苦笑が浮かぶ。
「いやいやいや、あの旦那にゃぁそんなもんで身を守る必要なんてねぇだろ?」
「その通りですね。
旦那様であれば国を相手にしても鼻歌混じりで一捻りでしょうから」
ゲルドとキャシーの意見にリゼルは意味が解らないと言った表情で返す。
「あ~、リゼルさん。
少し質問しますが、楽太郎さんが率先して犯罪を行うような人間に見えますか?」
「いえ、見えません。
むしろ、かなり高潔な精神をお持ちだと思います。
人種や立場による差別意識も無ければ、私達奴隷にも差別意識は無く。
それどころか普通の使用人よりも好待遇を頂いております。
神殿関係の方に対しては少々、忌避されているようですが、
ご主人様がこれまで被った被害を考えますと当然の対応と思われます」
現代の価値観がそれなりにある楽太郎はこちらの世界の基準で言うとかなりの善人と言えるらしい。
「つまり、リゼルさんの言葉を要約すると楽太郎さんは清廉潔白で公明正大を地で行く生き方をしていると言う事だね」
リゼルが真剣に頷くが、何人かは『清廉潔白』『公明正大』と言う言葉に笑いを堪えている。
「そんな楽太郎さんが身を守らないといけない状況ってどんな状況かな?」
「え?」
エリクの質問にリゼルがしばし固まる。
どういった状況?
・・・そもそも、楽太郎が危機に陥っている状況が思い浮かばない。
それでもリゼルは何とか思い付いた状況を言葉にする。
「た、例えば貴族に無理難題を押し付けられた時とかでしょうか?」
「つい最近、王の勅命を第3王女を抱き込んで無視したわね」
エマが淡々と答える。
「商人から買い叩きや買い取り拒否、貸し渋り等の理不尽な扱いをされた時とか・・・」
「つい最近、商業ギルドのマスターが引き摺り下ろされたわよ?
それに関係していた商人達も一緒に捕まってるわね。
しかもその元ギルドマスター、今そこに転がってるみたいだけど、確認する?」
セルマの言葉にリゼルは目を見開き言葉が途切れる。
そして床に転がされていた頭陀袋は一瞬ビクリと跳ねた。
「・・・辻斬りに襲われたりとかは?」
「それをした冒険者ギルドのマスターを含む、冒険者一同は今この街の牢屋の中に入れられています」
しばし沈黙が場を支配する。
「まぁ、リゼルさんは良かれと思って助言されたのでしょうが、
楽太郎さんは地位や名誉が無くとも既に多くのものを持っているんですよ。
だからあなたの言う、世間一般的な地位や名誉は必要ないのです。
寧ろ楽太郎さんからしたらそう言ったものは足枷にしかならないと思いますよ?」
エリクの説明にリゼルは何とも言えない表情で下を向くと小刻みに震えていた。
「まぁ、嬢ちゃんも悪気は無かったんだろう?
旦那は普通の物差しじゃぁ測れねぇんだよ。
普通の奴なら嬢ちゃんが言った事も間違いじゃねぇ。
間違いじゃねぇんだが、旦那相手には悪手にしかならねぇのも事実だ。
まぁ、やっちまったことはどうにも出来ねぇんだ。
気持ちを切り替えて次失敗しない様にすりゃぁ良い。
ほれ、旦那が用意してくれたご馳走がこんなにあるんだ。
しっかり食って忘れな」
そう言ってポテチが盛られた器をリゼルの前にドンと置くと、塩サイダーの入ったコップも引き寄せる。
女性陣から「「「あぁ!」」」と言う声が上がったけど、ゲルドが無言でジトーッとした視線を向けると渋々諦めてそれぞれ他のツマミに手を伸ばした。
「も、申し訳ありません」
そう言ってリゼルはポテチを無言でパリパリと食べ始める。
「気にすんな、今そこに嬢ちゃん以上にやらかした男が平然とした顔で飲み食いしてんだ。
嬢ちゃんのやらかしなんざ、大したことないさ」
ゲルドの言葉をものともせず、見詰めて来たリゼルにニッコリと笑いかけるとエリクは美味しそうにジンジャーエールを呷った。




