第147話 空回りしものの抵抗
瀟洒な貴族街は街灯が点くこともなく闇の帳に包まれ、時が止まったかと錯覚する程の静寂に包まれた中、それは起こった。
闇の帳を切り裂く勢いで閃光が幾つも走ったかと思うのも束の間、爆音が静寂を吹き飛ばす。
その爆心地はとある屋敷。
塀が壊れたかと思うと、大きな咆哮が上がり次々と屋敷の壁に穴が開く。
そして穴に群がる醜く歪んだ牛面の魔物。
流れるように変化する状況は誰にも制御することは不可能だろう。
そして辺りにまき散らされる死の恐怖。
それを全身に浴びせられた牛面の魔物は恐れ戦き我先にと一目散に逃げ出した。
離れていた牛面の魔物は見つからぬように遠ざかり、近くまで寄ってしまっていたもの共は身を隠す場所を求め屋敷に開いた穴へと走り出す。
そして死を撒き散らす元凶は牛面の魔物が屋敷内に入るのを確認すると後を追うようにゆっくりと屋敷へと向かい、壁に開いた穴を塞いだ・・・
サムソンからの指示を受け、マケールは待機している小隊の元へと走り近くにいる2部隊の隊長に声を掛け、任務について手短に説明する。
「フレデリク、リュカ、悪いが付き合ってもらうぞ」
「わかった」
「はぁ、今回は死ぬな、俺・・・」
「リュカ!仮にも隊長が言って良い言葉じゃないぞ」
肩を竦めて愚痴を溢したリュカをフレデリクが窘める。
「いや、だってよぉ、食料が底を尽くのはわかってんだから脱出を考えるのはそうなんだけどよぉ。流石にこの状況はねぇんじゃねぇか?」
「「・・・」」
やるせない思いを吐き出すリュカに誰も反論できなかった。
どうしてこうなったのか、なぜ自分達の足元が崩されているのか、誰の所為なのか、誰も答える事が出来ない。
ただ、誰もが分かっているのだ。
今の状況が、どれほど困難で、絶望的な状況なのかを。
ミノタウロス達は強すぎる。強さの次元が違い過ぎるのだ。
それでも、たとえ全滅するのだとしても、最善は尽くすべきだと、マケールが叱咤の声を飛ばす。
「リュカ!軽口を叩く暇があるなら動け!まずは階段に防御柵を築く!机や椅子に箪笥、何でもいいから階段を塞げるものを運んで来い!」
「はぁ~、了解しましたぁ~」
「「リュカ!」」
「はいはい!わっかりましたぁ!そんじゃ行くぞお前等!」
リュカはマケールとフレデリクからの叱咤に部下を連れてそそくさとその場を立ち去った。
「フレデリクは小隊を連れて大楯と長槍をかき集めて来てくれ」
「わかった」
こうして防衛戦の準備が始まった。
牛面の魔物達は屋敷へと侵入を成功させると、死の恐怖が突然消失したことに戸惑うことになる。
突然去った命の危機に安堵をしたのか暫く呆けるように脱力していたのだが、やがて獲物の臭いを感じとったのか狩猟者の本能が刺激されたのか、それとも狩猟者としての誇りを傷付けられたことへの代償行為を求めてなのか、牛面の魔物は屋敷内を彷徨い始める。
そうしてさ迷い歩くこと暫し、獲物の臭いが続いている階段を見付け上を見上げると、獲物を見付けたのか威嚇するように咆哮する。
はたしてそれに反応するように階上からカタカタと物音が響いた。
牛面の魔物はその音を聞き、厭らしく顔を歪めると行く手を阻む障害物が積みあがった階段を目指し駆け上がる。
そして牛面の魔物が障害物へと迫り、吹き飛ばさんとこぶしを振り上げた時、その裏側より声が上がる。
「槍!突けぇぇぇ!」
「「「おぉぉ!」」」
掛け声と共に障害物の隙間から幾本もの槍が突き出され、牛面の魔物に襲い掛かる。
虚を突かれた牛面の魔物はその槍を悉く受けてしまうが、どれも魔物の表皮に傷を付けるのが精一杯のようで浅い傷が残されるだけであった。
一方、攻撃を受けた魔物は驚き体勢を崩したものの数歩後退したに留まり、驚きから立ち直ると怒りの咆哮を上げ、続く仲間と共に一層激しく駆け上がる。
こうしてとある屋敷内で人と魔物の激しい攻防が始まった。
・・・のだが、階段での攻防は暫く続いていた。
思った以上にミノタウロスの知能が低いのか、サムソン達の作ったバリケードが頑丈なのかはわからないが事態が膠着していることに気配を殺して見ていた楽太郎は時間が経つと共に更なる怒りが湧いた。
これが出来るならなんでお前等がミノタウロス達と戦わねぇんだ!
わざわざ実力のない冒険者なんかを嗾けたことに怒りが再燃したのだ。
そして遂に我慢できなくなった楽太郎は小石をバリケードの中央付近の隙間に投げ込んだ。
すると爆発が起こり、バリケードが爆散。
その裏で盾を構えていた兵士やバリケードに突っ込んでいたミノタウロスも吹き飛んだ。
兵士側は盾を構えていた為、吹き飛ばされたが大きな怪我やダメージは無い。
そしてミノタウロス達も吹き飛ばされはしたが、元々の頑丈さもあり爆発によるダメージは殆どなかった。
しかし突然の出来事に両陣営が一瞬固まる。
だが、楽太郎は止まらない。
バリケードが吹き飛んだのを確認すると最後尾にいたミノタウロスの尻を優しく蹴り上げ、強制的に階上へと放り込む。
「ぶもぉぉ?!」
悲鳴じみた間抜けな声を漏らしたミノタウロスだが、蹴り上げられ階上に着地すると、状況を把握するよりも早く本能で兵士へと襲い掛かった。
そして場が動き出す。
「盾ぇ、囲め!奴等を囲むんだ!陣形を立て直せぇぇぇ!」
マケールの必死の声に兵士は答えようとするが、ミノタウロス達の突進は止まらない。
盾を構えた兵士目掛けて突進したミノタウロスは盾ごと兵士を突き上げる。
兵士にとって幸運だったのは思いの外盾が頑丈でミノタウロスの角がその体を貫かなかったこと。
そして兵士にとって不幸だったのは盾が頑丈だった所為で後ろにいた兵士諸共壁へと圧殺され肋骨が盛大に折れたこと。
ミノタウロスに壁へと圧殺された兵士達が吐血する無残な姿をその光景を目の当たりにした他の兵士達に戦慄が走る。
だが、もう遅い。
ミノタウロス達と自分達を隔てていたバリケードは既になく、ミノタウロス達は次々と階段を駆け上がる。
既に勝敗が決まった戦いに、全く勝ち目のない生存競争に、逃げる事の出来ない運命に・・・
絶望に飲まれ逝く兵士達の悲痛な叫び声が屋敷の中に響き渡り、その光景を歪んだ笑みを浮かべて楽太郎は見続けた。
とまぁ、そんな感じでサムソン達の絶望的な戦いの中、俺は吹き飛ばされ意識を失って戦線離脱した兵をこっそりと回収して近場の部屋に放り込んでいる。
※ 勿論死なないように危ない兵士には回復魔法を最低限だけ掛けている。
まぁ、死んでも無理やり生き返らせるけどな!
そんな感じで兵士達を回収しながらも俺の視線は必死に抵抗してミノタウロスに殴られ吹き飛ばされる兵士の姿を捉え、その光景に思わず笑みが零れ、「ざまぁみろ」と言いたくなってしまう。
塀に穴を開けられた直後は『屑は死ねばいい』と思ったが、屋敷へと吸い込まれるミノタウロス達をぼんやり眺める事で少し冷静になった俺はふと、『このまま見過ごせば俺が殺したことになるのかな?』と考えてしまった。
屑が勝手に死ぬのは問題ないし何も感じない。それどころかスッキリした気分になれる気がしたが、今の状況をよく考えてみると俺が屋敷に穴を開けてミノタウロス達を殺気で追い込み屋敷に嗾けたように見える。
と言うより、意図的に嗾けた気がするな・・・
そう考えた時、何とも言いようのない気持ち悪さが腹の底から込み上げてきた。
うーん、不味い。
俺が殺すのはいやだ。
人殺しにはなりたくない。
そう強く思った。
土壇場での肝の据わらなさと言うか、ヘタレっぷりに俺自身呆れてしまうが、どうしようもない。
やっぱり俺は小心者の小物なのだろう。
と言う事でやっぱり人殺しはしない方針でできるだけ面倒がなく俺の怒りが収まる方法を・・・と考えて思い付いたのは、ミノタウロス達に程良く痛めつけてもらって恐怖を植え付ける事だった。
動物も人間も痛みを伴わないと学習しないのだ。
咄嗟の事とは言え殺気で遠ざけたミノタウロス達が俺の思惑通りに都合よく屋敷に開いた穴の方へ行ってくれたのも何かの縁。
ミノタウロス達には一方的な言い分ではあるが引き続き協力してもらうことにした。
さすがに自分の留飲を下げる為に直接手を下すのは万が一バレた時のことを考えて諦めた。
まぁ、そんなこんなで適度にボコられたら退場してもらっているのだが、見極めが中々に大変でね。
何故かと言うと、ボコボコにされる連中を見ていると気分がスカッとして心が晴れる。
そして『もっとやれ!』と内なる俺が叫ぶのでついつい退場させるタイミングが遅れるのだ。
幸い、今のところ死んだ奴はいないので無問題だと思っている。
そうして兵士が半分くらい退場して減った頃、流石に人数が減っていることに気付いたのか声が上がる。
「倒された奴等がいない?
お、おい!どこだ? 逃げたのか?」
その言葉に兵達に動揺が走るがミノタウロス達にとっては関係ない。
動揺した兵達の陣形が乱れた後は一気にミノタウロス達が優勢となり一方的な蹂躙劇へと様変わりして行く。
あ、こりゃ終わりか・・・
加速度的に叩きのめされて行く兵達が死なないように慎重に後方へとフェードアウトさせつつ見守り、最後の一人になったところで後ろから殴りつけて気絶させる。
その後、一斉に襲い掛かるミノタウロス達を往なして数発殴りつけて殺気を浴びせ、この場から追い散らす。
そして廊下に残った伸びた兵士達はサクッと近場の部屋へと放り込み土壁で入り口を塞いで出てこれないようにすると再度隠密スキルを使いこっそりとミノタウロス達の後を追った。
中央階段で指揮をするサムソンは身動ぎもせず静かにその時を待つ。
指揮するべき兵士達の衣擦れの音も雑音になりかねない程度には静かであった。
そうして暫しの静寂も束の間、遂にミノタウロス達の重い足音と共に嘶きが近付いてくる。
気付かず通り過ぎてくれ。
サムソンの必死の思いとは裏腹にミノタウロスの一匹がこちらを捉え、箪笥越しにサムソンと目が合う。
短い時間でかき集めた家具を仮の防御壁として階段を封鎖するように固めたが、如何せん高さが足りなかった。
サムソンと目が合ったミノタウロスはその場で大きく息を吸うと視線はこちらを捉えたまま合図を送る様に首をゆっくりと回して咆哮する。
ミノタウロスの声が途切れたかと思う間もなく咆哮を放ったミノタウロスは防護壁へと突撃を仕掛ける。
それに対してサムソンは一瞬虚を突かれた格好となったが、それでも直に声を上げて対応する。
「来たぞ! 前列、壁支えぇ!槍兵は奴の胸から上を狙え! タイミングを合わせろ! まだ、まだ、まだ、突けぇ!」
サムソンの掛け声に合わせ盾持ちの兵士は防護壁に盾を密着させて勢いを殺そうと前傾姿勢となる。
そして槍兵は突進して来るミノタウロスを眼前に収めたことで恐怖で身が固まりそうになるのを何とか堪えサムソンの号令により気合とも怒号ともつかない声を上げて槍を突き出す。
防御壁から鈍い打撃音が響いたが盾兵が支えたお陰か防護壁は崩れる事は無かった。
そして槍兵が突いた槍はサムソンの思惑通りミノタウロスの上部へと当たりミノタウロスが仰け反る。
「そこだ!もう一突き入れろ!やれ!」
サムソンの怒声に呼応するように槍兵の槍が再度突かれミノタウロスが見事に階段から転げ落ちる。
「よし、いいぞ!いい動きだ!この調子ならやれる!俺達はまだなんとかやれる!」
サムソンの激励に兵達から『おぉ!』と言う力強い返事が返る。
そうして中央階段では暫し騎士団とミノタウロス達との攻防は拮抗し、半ば膠着状態の様相を呈していた。
この停滞によりサムソンの中で希望が生まれる。
『これなら何とかなるのでは?』と言う希望が・・・
東と西からもここと同じように争うような物音が響いてきている。
と言う事はかなりの数のミノタウロスが今屋敷の中にいるだろう。いや、恐らく屋敷の外にはミノタウロス達はもう居ないのでは・・・
そう考えると、俺の中に希望が生まれる。
我々が引き付けている間に三階に回した護衛兵と魔法兵にミーネ様と共に脱出することを命じれば行けるのでは?
三階には以前試した縄梯子がある。それを使えば3階から直接下に降りられる。
塀は魔法兵の魔法で穴を開けられる。
そして脱出を見届けた後は我々が同じく3階から縄梯子を伝って滑る様に降りればミノタウロス達から逃げられ、外に脱出できるのでは?
・・・
咄嗟の思い付きだが悪くない。と言うより現状ではかなり良い。いや、これ以上は無い!
思い付いてから行動するまでの判断は迅速であった。
「マシアス!」
「は!」
「脱出する手立てを思い付いた!説明する暇は無い!なので俺の代わりにここの指揮を任せる!」
マシアスとコーキンは俺が指示した仕事を終えるとそのまま戻って来たのだ。
流石にミノタウロス達を遠ざけろというのは無茶な指示だったようだ。
彼らは正直に無理だったと俺に伝えてきたが、勿論俺はそのことを咎める事はしなかった。
少し頭が冷えた俺は彼らに出した指示がよくよく考えなくてもかなりの無茶だったと理解できたし、逆に無茶な指示を出したことを反省した。
なので改めてコーキンには部隊を連れて西側の増援に回ってもらったし、マシアスには俺の元に残ってもらったのだが、それが功を奏した形となった。
俺は指揮をマシアスに任せると偵察役を2名選びそれぞれ西と東の様子を確認させに向かわせ、異常があれば即座にマシアスに伝えるように指示を出す。
「暫く頼むぞ!」そう声をかけて俺は3階へと駆け上がりミーネ様の部屋へと急いだ。
状況と脱出の方法をマリオンとオレリーに伝えると彼女達の顔に希望の灯が点る。
幸いなことに戦えなくとも自力で動ける者達は先に3階へと避難させていたこともあり、脱出にはあまり手間はかからないだろう。
自力で動けない負傷者に関してはあえて説明はしなかった。
食料は無いが扉さえ開けなければ暫くは生存することは出来るはずだ。
大人しく救助を待ってもらうしかない。
そんな事を考えたからか、サムソンの表情は一瞬沈痛な面持ちとなったが、自身の頬を叩き直ぐに表情を取り繕う。
「よし、切り替えていこう」
頬を叩いた音に反応したのかマリオン達がこちらを窺うように見ていたのでサムソンはは誤魔化すように彼女達を叱責して作戦実行を促し自身も2階の戦場へと向かう。
そして2階に戻ると丁度東側の階段の状況を偵察させていた兵が慌てて戻って来るところだった。
「ほ、報告ぅー!東側、ミノタウロス達に突破されましたぁ!」
「な、なんだとぉ?!」
あまりの事に俺は怒鳴り返していた。
まずい。まずいまずいまずいまずいまずいまずい。
なんとかしないと・・・
「何故突破された? マケール達はどうなった?」
「は!東側の防衛部隊は善戦しておりましたがバリケードが爆音と共に崩れたのを切欠に防衛陣を崩され、徐々に防戦一方へと追い込まれ最終的にはミノタウロス達に囲まれて脱出することもままならず恐らくは・・・」
サムソンは最後まで言わせず即座に指示を出す。
「マシアス!今階下の対応をしている者達はそのまま防衛を続けろ!今後交代は無い!体力を温存しろ!
ジェシー!予備兵を纏めろ!予備兵は盾を持って東側に対する防壁とする!急げ!」
「「は!」」
次に偵察兵を呼び止め、今度は西側の階段を防衛している部隊への伝令を命じる。
「セブランへの伝令だ。ここから脱出する計画を立てた。次の伝令が来るまで持ちこたえろ!
伝令が来たら速やかに中央階段まで撤退しろ! 以上だ。行け!」
状況はかなり悪いが全く希望が無いわけじゃない。
こうしてサムソンはマリオン達からの伝令が早く来ることを切に願いながら必死に防衛に当たり続けた。




