第144話 取り残された者達
遅くなりました。
貴族屋敷からの悪魔のダンジョン攻略が失敗して騎士団が屋敷に囚われた初日。
その囚われの屋敷内にてカタリナ=スフォルツェンドは深く長い息を吐きだした。
どうしてこうなったのかしら・・・
カタリナは頭を抱えながら自身がどうして囚われの身となったのかを思い出す。
悪魔のダンジョンの変遷が起こり貴族屋敷からミノタウロス達が湧き出てきた日が始まりだった。
あの日、カタリナの目の前に『あの方』の使いを名乗る黒ローブの男が突然現れた事でカタリナは以後ウェルズの街を奔走することになった。
たった1つの任務、『悪魔のダンジョンから溢れ出ている魔物を街中へ引き入れろ』と言うものを実行する為に。
カタリナとしてはその任務を実行することに忌避感は無い。
そもそもこの程度の任務に忌避感を持つような者では『あの方』の元では働けない。
カタリナは『あの方』に対して忠誠を誓っているわけではない。
ただ、自身が生きる為に『あの方』の元で働かなければならなかっただけなのだ。
裏切れば死。逃げても死。逆らっても死。
そんな純粋な死への恐怖がカタリナを任務へと駆り立てていた。
カタリナはその任務について幾つか質問をした。
『任務を全うするためにどこまでしても良いか?』『現在就いている商業ギルドのギルド長の座は捨てても問題ないか?』等々、任務達成について細かく質問して行くと、カタリナの言葉を男は面倒くさそうに遮る。
「黙れ、任務が成功するなら他はどうなっても問題ない。貴様に任せる」
カタリナは反射的に舌打ちをしそうになるのをなんとか堪え、それならばと任務成功後に街を離れる許可を求め、自己保身を図る。
「では、最後に1つだけ。
任務達成後、私はこの街を離れても問題ないでしょうか?
法を犯すことになりますし、何より私は弱い。
私の実力ではミノタウロス達が闊歩するような環境では生き残れません」
「ふむ、そうだな・・・
お前の実力では無理だ。それに無駄に手駒を減らすのも意味がない。
いいだろう。任務達成の暁にはここを離れてマスフォードの街に行け」
マスフォードの街とはゴルディ王国とミルス共和国の国境沿いの街の名前で港があり、船を使えば東にあるサディウス王国や西のジルキル帝国へ行くこともできる為、陸路と海路の要衝となっている街だ。
つまり、今回の任務を成功させた場合、ゴルディ王国ではカタリナが戦犯扱いされる可能性が高い為、海外への逃亡も容易になる場所での待機と言う事だろう。
カタリナは欲しかった言葉を手に入れると感謝の言葉と共に首を垂れる。
そして頭を上げた時には黒フードの男は消えていた。
そうしてカタリナは任務達成に向けて策を練り実行した。
1回目の攻略は失敗してしまったが、何とか2回目の攻略を実行させた。
今回失敗したら3回目はないだろう。
失敗は許されない。
既に攻略に参加する冒険者の中に何人か配下の者を仕込み、頃合いを見計らって塀を壊して外に逃げ出すように指示も出した。
それでも心配だったので不測の事態に備えようとできるだけ現場の近くに居ることにした。
一応、最悪の事態に備えて危険な魔道具である爆炎仗も用意した。
爆炎仗とは火魔術クラスの魔法を1回だけ使える使い捨ての魔道具で威力は城の城壁に穴をあける事も出来る。
ただ、作成には大変高価な素材が必要で1本作るのにも材料費だけで白金貨1枚は下らない、その上、作成できる職人がほぼ絶滅している為、完成品は市場に流れれば天井知らずの値が付くことだろう。
カタリナは仕込んだ者がミノタウロスに殺されて壁が壊せなかった場合も考え、本当に最後の手段としてこの爆炎杖を用意した。
任務の失敗が許されないカタリナはこれまで培った人脈を十全に使い、商人ギルドの資金も使ってなんとか手に入れることが出来たのである。
入手できた時点で相当な幸運に恵まれている事は言うに及ばないだろう。
そしてカタリナはこの超が付く高価な杖を他人に預ける事が出来なかった。
人は欲に溺れる生き物だ。
最悪の事態に陥った際、この爆炎仗を持ち逃げされたら任務の失敗は疎か自身の命にも関わるのだ。
そんな事情もありカタリナとしては現場に近く、比較的安全が保障されている場所として騎士団が詰めている屋敷を選んだ。
ここならば騎士団がいるのでいざと言う時の防衛力があり、その上情報も直に入ってくる。
最悪の場合、どさくさに紛れて現場に同行して爆炎仗を直接行使して逃げる事も出来る。
状況を見守るには最適な選択をしたと思えた。・・・のだが、実際はその判断が裏目に出てしまい現在屋敷に閉じ込められている。
カタリナの現状を思えばミノタウロスは例の貴族屋敷から出ているのだ。
任務は成功したと言えよう。
しかし、カタリナはその屋敷の中に囚われ身動きが取れなくなってしまった。
己の詰めの甘さに、間抜けさに自嘲の笑いがこみ上げ、空しく笑った後、口からポツリと言葉が漏れる。
「後は私がこの街から逃げ出すだけ・・・」
そう、後はこの屋敷から無事生還し、逃げ出すだけなのだ。
まずはここから無事逃げ出し生き残る!
カタリナは決意を固めるとまずは情報収集から始めた。
翌日の夜には大体の状況が把握できた。
そもそもなぜ籠城する羽目になったのか、その原因は騎士団所属の副長 デブニー=ホフマンだった。
彼が軽率にもミノタウロスに余計なちょっかいを掛けたせいで怒りを買い塀を壊された為、敷地に侵入されてしまったらしい。
幸い、その時謎の人物による助力があり、死傷者は最低限に抑えられたとの事だが、壊された塀や出入り口が塞がれ、敷地の外から孤立してしまったと言う話だ。
幸いミノタウロスに壊された屋敷の壁や1階の窓も塞がれた為、屋敷内の安全は何とかなっている。
現在屋敷にいる騎士団については戦闘可能な者が120人程で負傷者は70人。
死者は9人で行方不明者が1名。
元々屋敷に勤めていた者が20人。
後はミーネ=フォルマー=ゴルディラン王女殿下とお付きの侍女が2人に近衛騎士のサムソン、そして私となっている。
サムソンは何度か外の状況を確認しようと騎士団に相談して2階の窓から縄梯子で兵士を外に出したようだが屋敷から出た途端にミノタウロスに察知されるようでこっそりと抜け出すことはほぼ不可能らしい。
水は幸いにも中庭の井戸が使える為問題ない。
しかし食料に関しては把握できなかった。
籠城の要となる食料の備蓄状況は今の状況では最重要なので教えてはもらえなかったが、『暫くは持つ』と言う事だった。
そうした状況を踏まえてカタリナは幾つかの策を思い付くが、カタリナが直接提案することは憚られた。
ミノタウロスに包囲されている現状ではカタリナは一介の商人に過ぎない。
そんな彼女が王女や騎士団の命運を掛けるような作戦を提案しても彼らの誇りが邪魔をして実行されない可能性がある。いや、実行しないだろう。
カタリナは今までそう言った王侯貴族を山ほど見てきた。
中には自身の進退が極まっていると言うのに名誉を選んで死に逝く者もいた。
カタリナからすれば彼らは名を捨てて実を取る事が出来ない非常に不条理で滑稽に思える存在なのだ。
そんな不条理に巻き込まれるのでは意味がない。
誰に話を持ち掛け、提案させるか。
カタリナは考える。
ある程度の地位があり、今窮地に立たされている人物。
野心や欲と言ったものが人より強そうな人物・・・
出来れば女にだらしがない方が楽に話が進められそうね・・・
都合の良さそうな人物像を思い浮かべていくと、やがて1人の人物に辿り着く。
彼にやらせるのが良さそうね・・・
カタリナは決心すると、足早に実行へと移した。
「くぅ・・・」
苦悩に満ちた表情でサムソンは頭を掻き毟る。
「どうしてこんなことに・・・」
世の不条理を嘆く声が口から漏れだすが、嘆くだけでは問題は何一つ解決しない。
わかってはいるが、吐き出さなければやっていられない。
思わず酒に逃げ出そうと手が伸びるがなんとか思い止まる。
今、酒を飲んでいる姿を誰かに見られたら俺は終わる・・・
なけなしの自制心を絞り出しサムソンは現実と向かい合う。
現在、王都第1騎士団200名余りと共にラグン子爵が用意した屋敷に閉じ込められて3日が過ぎている。
しかも屋敷を囲む塀は閉じ込められる前の倍以上の高さになっており、屋敷の敷地内はミノタウロスが闊歩する魔境と化している。
この3日の間、外の様子を窺うように何度か斥候を出したが屋敷から出るとすぐにミノタウロスに見つかる為、屋敷を囲む塀にも辿り着けず、情報収集は全くできていない。
サムソンはこの3日でわかっていることを頭の中で整理する。
1.ミノタウロスとは戦っても勝てない。
2.昼夜問わず屋敷から出ると直ぐにミノタウロスに見付かる。
3.ミノタウロスはダンジョンでの習性を踏襲しているようで、建物の中には入って来ない。
4.外部との連絡は出来ず、助けは望めない。
5.直接的な危機はまだ訪れていないが、あと数日で食料が尽きる。
次にサムソンは克服するべき問題を考える。
第1に王女であるミーネ様の安全確保。
第2に自身の安全確保。
第3に騎士団の安全確保。
第4にウェルズの街の安全確保。
第5に悪魔のダンジョン攻略。
自身で上げた5つの任務について考えを巡らせる。
まず、近衛騎士として第1に王族の安全が最優先であり、次に直接王族を守る任にある自分の安全が次いで重要と考える。
もし出来るのならばミーネ様と共に一刻も早くウェルズから脱出したいのが本音ではあるが、騎士として王命に背くことは出来ない。
サムソンとしてはこの状況を打破できたとしても悪魔のダンジョンが攻略されるか王命が解けるまでウェルズに留まる事になり、危険極まりない都市に留まる事となる。
ミーネ様の安全の為、今回の件を詳細に報告し、一刻も早くミーネ様が王都へ帰還できるようにしなければ・・・
次に第1騎士団の安全について。
方法はまだ思い付かないが今の状況を打破する為には大小の差はあるが犠牲を強いる事になるだろう。
それでもミーネ様の直接的な護衛ができる騎士団は必要だ。
出来るだけ犠牲を減らしミーネ様の安全を確保しなければならない。
そしてウェルズの安全などは閉じ込められた現状ではどうすることもできない。
それどころかどうなっているのかさえ分からない。
最悪、街が放棄されている可能性さえある。いや、既に放棄されているのでは・・・
そう考えるだけで得体のしれない不安に心が押し潰されそうになり体が震える。それを何とか歯を食い縛って堪え、『そんな事は無い』と自身に言い聞かせるように繰り返し呟き、悪い考えを振り払うように頭を何度か振るう。
最後に悪魔のダンジョン攻略は・・・正直、不可能だ。
ウェルズに出てきたミノタウロスは私の感覚では魔王と言っても過言ではない存在感なのだが、ダンジョンから複数体が出て来ている現状を考えると、非常に、非常に認め難い事実ではあるが、ダンジョンを徘徊する一般的な魔物と認識するしかない訳で、こんなものが徘徊するようなダンジョンのボス等は既に想像もできない強さで、私自身で対処できるレベルを遥かに超えている。
もし無事に現状から脱出出来たら今回の件を詳細に報告し、悪魔のダンジョン攻略が如何に絶望的な状況であるかを伝えて何とか穴を塞がなければゴルディ王国の存続も危うい・・・と思考を巡らせていると、ふとテイル=マッサーがウェルズに来た日の会話を思い出す。
『その国の王は暗愚であるだろう』
・・・途中までしか言葉に出さなかったが、実直そうなテイルが言葉に出しかけ、自身も察して納得してしまった事だ。
正直、前回の報告書を見れば悪魔のダンジョン攻略がどれだけ無謀な挑戦であるかがわかる筈だ。
事実、報告書ほど詳細ではないが状況を軽く説明しただけでテイルは攻略が無謀であることを理解した。
私が上げた報告書を隊長が見ていたら、どれだけ無謀かを理解した筈だ。
そして理解したならば実直で知られる隊長が王に攻略の中止、及び穴を塞ぐ事を進言しないわけがない。
そこで初めて疑念が生じた。
私の報告書が届いていない?
その考えに至った時、背筋に冷たいものを入れられた様な怖気が走る。
私の報告書が誰かに止められたか、改ざんされた・・・
そしてもう1つの問題を思い出す。
穴の開いた土地の召し上げに対する補償金の問題だ。
大金貨1800枚の土地に対して補償が金貨30枚。
召し上げるのに1/600の金額しか用意できなかった。いや、用意しなかったと取られるだろう。
運が無かったのは自国民ではなく、相手が冒険者だった事だ。
冒険者ギルドは国外にも存在し、冒険者は国境を越える者が多い。
つまり国外への情報が伝わるのも早い。
普通は場末の酒場の与太話としか思えない内容でも、今回は事実なのだ。
そんな話が拡散されればゴルディ王国の信用は地に落ち、そんな国と取引をしたがる者は居なくなるだろう。
『好事門を出でず、悪事千里を行く』
そんな諺が出来る位、悪行は人に伝わり易い。
現状、ゴルディ王国が食料を諸外国からの輸入に頼っている部分が大きいのは近隣諸国では周知の事実である。
そんなゴルディ王国が国際的な信用を失うと言う事は国の死活問題ではないのか?
生粋の武官として生きてきたサムソンではあるが、貴族達と全く関わらずに今の地位に就けたわけではない。
良い意味でも悪い意味でも貴族が如何に体面を気にかけ、誇りを重んじるかはよく知っている。
また、サムソン自身も武官として面子や体面は非常に重要であることも知っている。
故に仮令損をしてでも体面を保たなければならない場面があるのも知っている。
正直に言えば、今回の件がこれに該当しているとサムソンは考えている。
それなのにこの件について王は完全に無視した形での勅命を出した。
おかしいと思う点を挙げて行けば行く程、自身の報告が王に届いていない、もしくは何処かで歪められている可能性が濃くなっていく。
ゴルディ王国を貶めようとする何者かの暗躍? それとも利権に目が眩んだ愚かな貴族の横槍?
壮大な陰謀論へと脱線しかけたところでサムソンは思い直す。
そんな未来の事より、今はここから抜け出さないと・・・
何はともあれ、今はこの屋敷から脱出することを考える。
「はぁ、もういっそ穴でも掘るか・・・いや、間に合わずに餓死するだけか・・・」
乾いた笑いと共に気力まで抜けていくような気がする。
考えすぎて脳みそが煮詰まってしまった。
どうにもならない。そんな不条理を噛みしめていると、扉がノックされた。
「・・・誰だ?」
「王都第1騎士団第1大隊所属第3中隊 副長のデブニー=ホフマンであります」
今、一番会いたくない男の声にサムソンは胡乱な表情になる。
「今は忙しいんだが?」
「早急にご相談したい件がございます。どうかお聞き頂けないでしょうか?」
サムソンは更に顔を顰めながら溜息を吐くと入室を許可した。




