第136話 テイル=マッサーの受難
王都第1騎士団、第1大隊所属、第3中隊長である俺ことテイル=マッサーはサムソンからの要請を受け、ミーネ様の滞在されている屋敷に引き返して警備に当たる。
幸いミーネ様が居られる建物は高い塀に囲まれた頑強な建物だったので入り口の門周辺と建物の出入口を封鎖し、やや広い敷地内を部下に定期巡回するよう指示を出す。
無能な冒険者共の尻拭いをする羽目になるとは、全く以て遺憾だ。
逃げ出す位なら潔く死んでくれた方が街への被害もなく、俺の仕事も終わってさっさと王都へ帰れただろうに…ついてない。
俺は周りに誰もいない事を確認すると長い溜息をつく。
面倒だと思ってもやることはやっておかないと後々俺達騎士団の責任問題になる。
そう割り切る事にして問題の長期化も視野に入れた対応として副官に小隊毎の警備のローテーションをするよう伝え、とりあえずの警備体制を整えると、俺は真っ赤なマントを羽織り、精鋭50名を連れて慌ただしくミノタウロス討伐へと繰り出す。
王都では最精鋭とも言われる我が騎士団が、ミノタウロス如きに遅れを取る事はない。
平均レベルも50を超えているのだ。
ミノタウロスの2、3匹程度は余裕で討伐できる筈だ。
街中のミノタウロス共を掃討した後は奴等が街に解き放たれてしまった責任を冒険者ギルドに押し付けてやる。
………
……
…
そんな愚かなことを考えていた自分をぶん殴ってやりたい。
時間を遡ること少し前、魔物の掃討に乗り出し、ミーネ様のいる屋敷を出て暫く街中を探っていると、ちょうどミノタウロスが3匹見つかったと斥候役の部下から情報が齎された。
俺は斥候役の部下にミノタウロスをこちらに誘導するよう命じると道を封鎖するように陣形を組む。
大盾持ちの部下7人を最前線に配置し、その後ろに長槍を持った部下を5人、盾役が敵を受け止めたと同時に槍を突き刺せるようにする。
そしてその後ろには剣を持った部下を5人配置し、遊撃とする。
最後に念の為、魔法を使える3人を後方に配置して残りの部下に弓を構えさせた。
後はミノタウロスを待つだけだ。
陣を敷き、暫く待っていると斥候がミノタウロスを3匹引き連れて戻ってきた。
予定通りだ。
斥候が陣地に気付くとその足が加速した。
ミノタウロス達も獲物を逃すまいと更に加速したが、斥候は素早く盾役の間をすり抜ける。
それを確認し、俺は素早く指示を出す。
「盾構えぇー!」
「「「おう!」」」
俺の号令で盾役が一斉に盾を構え、前傾姿勢で待機する。
まずは奴らの突進を抑え、勢いを殺す。
後は槍を突き立て仕留めるだけの簡単な仕事だ。
そう思いミノタウロスと盾役が激突する瞬間を少し緊張した面持ちで見守る。
そして、激突の瞬間。信じられない光景を見た。
盾役の騎士たちが野太い悲鳴を上げて蹴散らされていた。
盾役の後ろにいた槍持の騎士も吹き飛ばされた仲間によって身動が取れず、あっという間にミノタウロス達に蹴散らされてしまう。 遊撃の騎士で咄嗟に斬り掛かったものは吹き飛ばされ、ミノタウロスの圧倒的な力に呆けていたものはあっという間に宙を舞う。
不覚にも俺はそれらを眺めているだけで、ミノタウロス達が通り過ぎるのを横目で見送ってしまった。
そして視界の先でミノタウロス達が振り返り再び突撃姿勢を取るのを見て我に返る。
「総員撤退!撤退だ!!
足並みを揃えるなんて悠長なことはするな!
生き残ることだけを考えて逃げろ!」
俺はそう大声を上げると、その意味を理解した部下達が一斉に逃げ出した。
中には負傷した者を引き摺るように必死に逃げようとする者もいた。
その光景を見て、逃げ出そうとしていた俺は腹を括る。
部下の前で不甲斐ない姿は見せられん。
「俺が奴らの注意を引く!
その間に逃げろ!
屋敷に辿り着いた者はこの事を伝え、決して交戦するなと伝えろ!」
「た、隊長?!」
隊員の一人が俺を止めようとする。
「俺のことは心配するな!」
「しかし!」
「大丈夫だ。暫く引き付けたら俺も必ず逃げ延びる。
死ぬつもりは毛頭ない」
そう言って作り笑いを浮かべると、転がっていた石を幾つか拾うとミノタウロス達に投げつけて挑発する。
「醜い牛の化け物が!
人間様に楯突こうとは100年早い!
悔しかったら掛かって来い!」
そう言って俺は真っ赤なマントを翻して走り出す。
人語を解するとは思えないが、思い違わず奴らは俺を追って来た。
こうして奴らと俺との命をかけた追いかけっこが始まった。
そして現在、俺は10匹のミノタウロスに追い掛けられている。
奴らの数が増えている理由?
そんなのは知らん!
と言うか角を曲がる度に遭遇して必死に逃げてたらこうなっていたんだ!
正直、人生でこれほど必死に走ったことは未だ嘗てなかった。
既に心臓の鼓動は耳に痛いほど響き、爆発しそうだ。
これだけ走っているのに奴らを撒くこともできない。だが、幸か不幸か追いつかれることもない。
地獄の追い掛けっこ…って、追い付かれることもない?
………
ひょっとして甚振られてるのか?
そんな愚かな考えが頭を過ぎった瞬間、足が縺れて倒れた。
終わった。
そう思った瞬間、一体のミノタウロスの突進を喰らい宙を舞った。
視界が回り訳がわからないまま地面に叩きつけられると、鈍い痛みと共に呼吸ができず喘いでしまう。
それでも必死に生き延びようと辺りを見回すと、ミノタウロスの牛面に歪な笑みが浮かんでいた。
その瞬間、遊ばれていたのだと自覚する。
それと共に自分が助からないことも理解できた。
そして醜い笑顔を貼り付けたままミノタウロスが前足を地面につけ、地面を引っ掻くように前足を動かす。
奴の愉悦が混じったような嫌らしい咆哮が耳に入り、嫌悪感が刺激される。
こんな、こんな街中でありえない魔物に殺されるのか。
俺の最後はこんな惨めな終わり方なのか。
そう思うと、悔しさで涙が出てきた。
声も出せずにただ震えることしかできない俺に止めを刺そうと突進を始めた。
これで終わりなのか…
スローモーションのように見えるミノタウロスの動きを、呆然と、どうする事もできず、その鋭い角が俺のどこに刺さるのか。
それとも甚振るためにわざと外すのか。
そんな事しか頭に浮かばず絶望が俺の心を支配し始めた頃、猛然と迫っていたミノタウロス達が急に弾かれたように動きを止めた。
何が起こったのか理解できず、只々ミノタウロス達を見ていると、急に反転して走り去っていった。
「な、何が起きたんだ…」
暫く呆けたようにしていた俺が誰に問い掛けた訳でもなく、ただ口から零れた言葉に思いも寄らない返事があった。
「おや、無事だったんですねぇ、意外としぶとい」
「何を言っている?」
「いやいや、赤マントで牛を挑発して生き延びるなんて、中々の勇者ですよ。
いや、騎士様でしたっけ?
あなたは王都から来た騎士様ですよね?
お仲間さん達と一緒じゃぁなかったんですか?」
軽い口調ではあるが、こちらを嘲り、嫌悪しているだろう事を微塵も隠そうとしないその男の言動に普段であれば激昂し、拳を叩きつけていただろう。
だが、命の危機に晒され、敏感になっていた俺の本能はただ一つの、明確で的確な答えに辿り着いていた。
即ち、『この男には逆らうな!』だ。
俺は自身の生物的な本能に従い、愚かな感情を完全に捨て去り、男の質問に答えた。
こうして俺は男の怒りを買うことなく生き残り、命があることに感謝した。