Ep.5
翌朝になっても、少女は一向に目を覚ます気配を見せなかった。
「よほど疲れていたんだろうね」
時々脈を測るルイさんが、そう言った。つまり、特に心配をすることはないということだ。
朝食を食べ終え、バーントさんとサンジュ父さんは村の方にあいさつ周りに行ってしまい、カインは朝の稽古で外に居る。
わたしは二―ルくんを膝の上に乗せて、ゆったりとした時間を過ごしていた。
セピアはまだ眠り込んでいるし、ルイさんとコウヤさんは、出発の準備で外に出ている。
「よかったね、また大好きなカラナールに行けるよ」
わくわくしながら言えば、ニールくんもそのわくわくが移ったように笑顔になる。
「また、みんなで市場に買い物に行こうね」
「え?あ、・・・・・うん」
「お姉ちゃん、今度は迷子にならないように気をつけなきゃね」
膝の上に上半身を預けながらにっこり笑った二―ルくんの笑顔が凄く眩しい。この言葉をすべて無邪気故と受け取ってもいいものか。
向かいのソファーの少女を眺めながら、二―ルくんと談話をしていると、ふい少女がゆっくりとその瞳を開いた。
「あ、目開けた!」
わたし同様すぐに気づいた二―ルくんが少女を指差して声を上げた。
その声の大きさに、少女が吃驚したようだ。上半身を起こすと、肩を大きく上げて少し怯えたようにこちらを見つめてきた。毛布を胸元に引き寄せているものの、その手は微かに震えている。
いかん、少し恐がらせてしまったようだ。
「だめだよ二―ルくん、人を指差したら。吃驚するでしょ」
そう諌めつつ、彼を膝の上から降ろして、わたしは少女の傍らに移動した。
彼女は毛布を口元まで持ち上げ、ただ目だけでここがどこなのか訴えてくる。
いきなり知らない場所にいて、しかも知れない人間が目の前に居た時の心許無さをわたしはよく知っている。
だから、やさしく笑いかけて彼女を落ち着かせようと試みた。
「こんにちは。わたしはマツリ。ここはわたしが仲間達と一緒に住んでいる移動車の中だよ」
「・・・・移動車?」
「そう。君が、昨日森の中に倒れてたのを見つけて、ここに運んできたの」
「・・・・」
あくまでも静かに状況説明をするわたしに、少女は少しだけ気を許してくれたようだ。毛布を口元から離した。
そこで、一番必要なことを聞いてみる。
「名前はなんていうの?」
「・・・リファ、といいます」
ようやく少女の名前を聞き出せた。
「リファか。この子はわたしの仲間の一人、二―ルくん」
とりあえず紹介だけしておこう。
そう言って二―ルくんを指差せば、彼は大きな笑顔をリファに向けて頭を下げた。
「こんにちは、二―ルです」
「こ、こんにちは」
リファもつられるように頭を下げる。
それから足元に視線を移せば、いつの間にか起きていたらしいセピアとバッチリ目が合った。
「こっちがセピア。見た目は恐いけど、すごく大人しいんだ」
セピアは静かにリファも見つめ続けるだけで、吼える事も体を動かす事もしなかった。彼女を見定めていると言ってもいい。
「他にも居るんだけど、みんな外に居るから、戻ってきた時に紹介するね。その時に、君が誰なのか説明してもらってもいい?」
リファは小さく頷いた。
彼女の瞳は、金色だった。髪の色と同じその綺麗な瞳に、同じ女でも一瞬心奪われそうになる。
「!」
すぐに頭を振ってそんな邪見を捨て去る。いかんいかん、仮にも同じ女なんだから。だけどあの瞳の色は羨ましいな。
突然動きを止めたかと思えば、高速で頭を振るという原因不明の行動をしているわたしと、そんなわたしは不思議そうに見つめているリファと二―ルくん。
でも、突っ込みが不在なものだから、わたしは自分が不可解な行動をしていることに全然気がつかなかった。
気がついたのは、突っ込みの声が聞こえてから。
「・・・何をしているんですか」
その冷静な声音にはっと我に帰った。
「コウヤさん。・・・に、みんな」
いつの間にか移動車の中に戻ってきていた皆さんは、揃いも揃って変な顔でわたしを見つめていた。
「頭を、どうかしたのか?」
カインが奇妙な表情のままそう問い掛けてきた。思いっきり引いている顔だ。
どうやらわたしは、両手を頭に置いたまま思い切り左右に振っていたらしい。
雑念を追い払うためとはいえ、それは些かやりすぎだと客観的に思った。一歩間違えれば発狂したとも取れるかもしれない。
「あ、いえ、気にしないでください。・・・それよりも、リファが目を覚ましました」
今更のことだが、一応報告した。無意識に敬語を使っていた。
「リファっていうのか」
カインが言った。
リファは、いきなり出てきた男達に吃驚したようで、その動きを止めてしまっていた。ただ、無意識のうちにわたしの服の袖を握っている。
そこにかわいらしさを見いだしてしまったわたしは、再び頭を振る。
「マツリ」
サンジュ父さんの呆れた声のおかげで、今度はすぐに我を取り戻せた。
いつの間にか、みんな場所を移動して、リファやその隣に居るわたしと向かい合わせの位置に立っていた。
バーントさんとサンジュ父さんは反対側のソファーに座り、サンジュ父さんの膝の上に二―ルくん。その後ろに、コウヤさんとカイン、ルイさんが立つ。
さて、ここで紹介をしておこうか。
わたしはリファと仲間達を交互に視線を動かしながら説明を始めた。
「とりあえず、仲間の紹介だけしておくね。この人がサンジュ父さん。この一座の団長で、みんなは団長って呼んでる。見た目は恐いけど、すごく良い人」
一言コメントを付け加えれば、サンジュ父さんが半眼のままこちらを見てきた。
「マツリ、一言多いぞ。」
「本当の事だもん。別に悪い事言ったわけじゃないでしょ」
サンジュ父さんの言葉に笑顔で弁解しておく。
「それから、この人がバーントさんで、頭がよくて頼りになる人。その後ろに居る黒い髪のお兄さんがコウヤさん。いつも静かだけどやさしい人だから」
「始めまして」
コウヤさんがそう言って頭を下げる。バーントさんは静かにリファを見つめつづけている。その様子は先ほどのセピアと重なった。
彼らは似た者同士なのだ。ある意味。人間と狼だけ。
うーん、バーントさんが狼っぽいのか、はたまたセピアが人間寄りなのか、悩むところだ。
「その隣にいるのがカイン。生意気な人だけど、腕はたつよ。それからルイさん。お医者様なんだ」
「お前は余計なことを」
カインが口元を引き攣らせたが、この際どうでもいい。
城から出て少しの間、カインとは気まずい空気が流れていたけれど、もうすっかり元に戻った。ちゃんと言い合いも出来る。
「こんにちは」
ルイさんも対女性用とも思われる人の良いキラキラの笑顔をリファに向けた。
案の定というか、その笑みを見たリファは頬を赤くしてその笑顔に魅入ってしまったようである。
「はぁ」
額に手を当てて溜息をつく。
この子が彼の裏を見たら、一体どう思うんだろう。そう思ったら、なんとなくかわいそうに思った。
「まず脈だけ見せてもらおうかな」
お医者様らしく、ルイさんがこちらにやってきた。
診察しやすいようにわたしは少しだけ脇に避けて、彼の動作を見守った。
リファの手を取って、手首に指を当てる。目を瞑って脈の動きに集中するルイさんを、真っ赤な顔をして見つめるのは、もちろんリファちゃんである。
その状態で正確な脈をとれるのか些か疑問ではあったけれど、突っ込む事はしない。
それから聴診器のようなもので心臓の動きを確認したルイさんはリファさんを見つめて診断結果を発表した。
「脈も安定しているし、しばらく安静にすればすぐに元に戻るよ」
「あ、じゃあわたし何か元気の出るもの作ってこようか」
栄養を取らなければいけないんだということを思い出して、立ち上がった。けれど、バーントさんに静止された。
「その前に聞いておきたい事がある。マツリ、彼女の傍に居ろ」
「あ、うん」
ルイさんはカインの隣に戻った。わたしもリファの隣に戻った。
その最中も、リファの視線はルイさんに向いたままだった。
・・・・はっはぁーん。
すぐにピンときた。
リファさんはきっと、一目惚れをしたんだな。ルイさんに。
確かに分からなくもない。だって、彼の容姿は誰が見たって綺麗としかいいようがないし。
「・・・・」
そこで少し現実を思い出した。
ルイさんとの会話を。複雑な気分になった。
何が、というわけではない。だっていまだにルイさんがわたしを好きだという現実が受け入れられないから、そこまで考えが回らない。
でも、本人に聞き返すことの出来ない疑問だから尚更複雑になっていって。
「マツリ、いい加減自分の世界に入るのは止めてくれないか」
「!」
バーントさんの声で現実に戻ってきた。
視界にはこれまた奇妙な顔をした皆様。
「・・・えっと、ごめん」
それ以外に弁解の余地はない。
バーントさんは気を戻すように小さく咳払いをした。
「リファ、と言ったな。最初に聞いておきたい。・・・君は何故あんな場所に倒れていた?」
「・・・・」
さすがは王の右腕。
質問が早いと言うか、すぐに確信を突くような質問を投げかけるというか。
しかし、今にして思えば、わたしが最初に彼らに会った時も、一番にそれを聞かれたっけか。
あの頃の自分を思い出し、少し遠い目になる。
何度も言う事だけれど、ここに来たばかりの頃を思えば、こうして今みんなと旅をしていることなんて予想すらできなかった。
というか、本当の話、生きている事自体が奇跡みたいなものなんじゃないだろうか。こんな、右も左もわからないような異世界で五ヶ月も過ごしているのに。
がんばったなぁ、自分。ほんと、よくやったよ。
今までのことを反芻して、思わず溜息がこぼれそうになった。
「・・・・ワタシは元々ある街の教会に住んでいました」
リファが生い立ちについて説明をはじめた事により、わたしはその意識を彼女の方に向ける。
「元々あまり交通手段がなかったその街は、戦争によって更に不便になりました。ある日、牧師様から使いを頼まれたワタシは、ある馬車に乗せてもらいその目的地に行こうとしたんです。・・・でも」
「途中で降ろされたと」
バーントさんが指摘をすれば、リファは素直に頷いた。
「その馬車の最終地点はわたしの目的地のだいぶ手前で。無理を言うわけにもいかず、少しの間歩いていこうと思っていたんです。けれど途中で、持ってきていた食料もなくなり、喉も乾いて。そうしたら、森の奥から水の流れる音がしたと思って、中に入ってみたんです。・・・でも、途中で意識が朦朧となって、その先はまったく」
「つまり、倒れたんだな」
リファの話を完結されせるために、サンジュ父さんが付け加える。
その話を隣で聞いていたわたしは、思わず彼女の肩に手を乗せていた。
「がんばったねぇ」
労いの言葉をかけてやれば、少女は花が綻んだように笑った。
こう言った笑顔は、彼女や、城に居るわたしの親友達にこそ相応しい。わたしには絶対に出来ない笑顔だと思う。
そこまで考えて、またもや自己嫌悪に陥りそうになった。
「それで、目的地はどこだったんだ?」
カインが質問をしてくれたから、我を失うほど深く考えずにすんだけれど。
それにしても、カインは本当に人見知りが激しいんだな。今も、ちょっと冷たい目でリファを見つめている。最初のわたしに対するそれとまったく同じ。
やれやれと肩を竦めながら、わたしもリファの返答を待った。
「カラナールに、行きたいんです」
彼女はそう言った。




