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キセキが起きるその場所へ  作者: あかり
第六章:未来への道標
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Ep.3


「今は忘れよう。平常心平常心・・・」

 コウヤさんに言われた言葉を心の片隅に残しつつ、わたしはただそれだけを呪文のように唱えつづけていた。


 ソファーの上に座り、日記を中途半端な状態で開いたまま同じ事を呟きつづけるわたしを、セピアが黙って見つめ続ける。

 きっと彼もわたしの行動をおかしいと思っているんだろう。


 このまま呪文を唱え続けるわけにもいかないので、日記を読むことにした。


 頭を軽く振って、雑念を追い払う。

 金色の糸の栞を手で持って、読みかけのページを開き、その中にある文字達をゆっくり目で追う。


 そこには母がどんな風に生活していたかが、事細かに書かれてあった。


『タキトさんの勧めで、城の中にある病院のような場所の手伝いをするようになった。簡単に言えば看護婦のようなもの。もちろん、私はまったくのド素人で、医療関係のことなんてまったくわからなかった。だから、最初は戸惑ってばかりだった。でも、他の皆さんがやさしく教えてくれるから、すぐに馴染めた。ここの人達は城のどんな人達よりやさしい。それは多分、皆さんがいつもやさしく患者さん達に接しているからだと思う。そんな心の広い皆さんに憧れた』


 その文を読んでふと思ったことがあった。

 それは、母は生前看護士として働いていたこと。

 彼女はその仕事が大好きで、時々父と働いている姿を見に行く事があったけれど、その時もとても楽しそうに動き回っていた母の記憶。

 この仕事が母の天性の職なんだろかと、幼心に思っていたこともある。

 だから、ずっと昔からこの仕事がやりたかったんだろうなぁと漠然と思っていたけれど。


 違ったようだ。


 この日記には、医療関係についてはまったく無知だと書いてある。

 母が始めてこの世界に来た時は確か、もうすでに二十は越えていたはずで。そうなれば、必然的に知識くらいはあって当然だ。

 けれどそんな事はなかった。つまり、母が看護士を目指し始めたのはこの世界に来た後だという事で。しかもわたしを産んでからということになる。


「・・・・」

 わたしは今十九歳。もうすぐ二十になる。


 未来なんてまったく見えていなくて、少しだけ焦っていた。

 しかし母も、この世界に来て生き方を変えて、それから楽しそうに暮らしていた。

 だったら娘のわたしにも出来るんじゃないだろうか。

 母がこの世界で看護士の道に目覚めたように、わたしのここで何かやりたいことを見つけられるかもしれない。


 少し胸を躍らせつつ、更に読み進めた。


『この世界では、小さい戦争がたくさん起きていた。私の居た世界も確かに戦争をしていたけれど、それはもう過去のことで。自分が身をもって体験するなんて思わなかった。傷ついた騎士を何人も見てきたけれど、その度に胸がざわついた。人が傷つくのは、本当に嫌だ。身体と心両方に置いて、人は健康に生きていかなくちゃいけない。それが、サンダ―ソン先生の口癖で、そのために細やかなお手伝いをするために医療は存在するのだといつも言っていた』


 サンダ―ソン先生とは誰のことだろう。

 多分、母がついて仕事をしていた医者の先生かな。

 しかしこの先生、随分と壮大なことを言う人だ。当たり前の事といえば確かにそうだけれど、それが現実で実現する事はまずありえない。


 どう人ががんばっても、中外全部が健康なんて無茶な話だ。

 自然とそう思ってしまうのは、悲しきかなわたしのこれまでの人生のせい。


「・・・戦争、やっぱりあったんだ」  

 母が居た時も戦争はあったんだ。しかも、起こっている最中のようである。


 人は何度も同じ事を繰り返す生き物なのだということを、改めて思い出させられる。ようやく決着のついたこの戦争も、八年前に始まったとコウヤさんに聞いていたから。


 わたしがこの世界に来た時は、すべての決着がついた後だった。


 それでも、旅をして、破壊されている町や村を見ているおかげで戦争がどんなに悲惨なものかはよくわかっているつもりだ。

 知っているからこそ出来る事はないんだろうか。

 少しだけ将来の事について考える事が出来たところで、わたしは日記を引出しの中に戻して、セピアと共に移動車の外に出た。


 今日の分の劇をすべて終えてしまっている男性の皆さんは、近くにある温泉に行ってしまって、今は居ない。


 つまり、わたしは移動車の留守番というやつだ。

 でも、ずっと移動車の中に居るのも退屈で。


 今回訪れた村は山に面している気候の緩やかな所。こういう所は、夕方になると夕日も綺麗に見えて、尚且つすごく涼しくなる。

 そんな居心地の良い時間帯に外に居ないというのはやっぱり勿体無い。


 外に出れば、涼しい風が一気にわたしの体を包み込んだ。ともすれば寒気さえ感じるその風は、しかし冬の訪れを報せるには十分のもので。

 もしここが日本なら、紅葉が見ごろだろうなと、オレンジ色に染まる空を見上げつつ思ってみたりもした。


 もちろん、この世界の木々の葉も赤や黄色に色を変えているから、それはそれで綺麗なんだけれど。秋といったら紅葉だと思ってしまうわたしは、やっぱり根っからの日本人である。


 さて、外に出たはいいものの、留守番である以上移動車を離れるわけには行かない。

 というわけで、いつもお世話になっているお馬さん達を労ってあげる事にした。


 移動車の後ろから人参を三本取り出して、前の方に回る。


「いつもがんばってくれてるご褒美だよ」

 そういいつつ馬の前に人参を差し出せば、すごく食いついてきた。・・・うん、いい食べっぷりだ。


 最後の方はわたしの手も一緒に食べてしまいそうな勢いだったので、思わず人参を離してしまったけれど、その前にほぼ完食していたので、問題はない。


 みんなが食べ終わった後、鬣を整えてあげる。

 こういう時じゃないと、出来ないからね。


 馬達と戯れているわたしを見守るように、セピアが正面に伏せをした状態でこちらを眺めていた。それはまるで、子供を眺める保護者のような図。


 夕日がわたしやセピア、そしてお馬さん達を自分と同じ色に染めようとしているかのように輝きを増した。

 影もその輝きに比例するように長くなって。


 馬さん達を一通り労わった後、自分の影を追いつつゆっくりと移動車の周りを歩いた。すると、中くらいの影が一つ、こちらに走ってくるのが見えた。


 その後に続くように見えてくるいくつもの長い長い影。


「お姉ちゃん!」

「おかえり」

 もちろん、最初に走ってきた影の主は二―ルくん。彼に比例するように影もそんなに大きくない。

「留守番、大丈夫だったか?」

「うん」

「すまないな、一人残していってしまって」

「ううん、いいよ」 

 後ろ影はサンジュ父さんやバーントさん達。彼らは大きいから必然的に影も大きくなる。


 みんなそれぞれにタオルを頭に被ったりしている。こっちの世界には電子機具がないから、髪とかは全部自然乾燥なんだ。


 サンジュ父さんやカイン、ルイさんなんかは普通にタオルを頭に被せたままだけど、バーントさんとコウヤさんは肩にかけている。

 ちなみにわたしは肩に掛けるタイプだ。だいぶ前に切った髪は、今は肩に少しかかるくらいの微妙な位置まで伸びてきていた。

 その髪から滴り落ちる雫が服にかからないようにするために、タオルでガードするというわけだ。一応考えた上での行動であることを忘れないでほしい。


「それじゃあ、今度はわたしが入ってくるね。セピア!」

「ガフッ」

 いつものようにセピアに護衛を頼む。

「気をつけてな」

「うん」


 サンジュ父さんの呼びかけに大きな声で返事を返して、みんなが戻ってきた道を今度はわたしが進んでいく。


 さっきどうしてもルイさんの顔が見る事がなかったけれど、大丈夫かな。気づかれなかったかな。


 なんとなく気恥ずかしさと居心地の悪さが重なったせいで、目線を合わせられなかった。ルイさんの視線はこっちに向いていたようだったけれど。


「・・・・はぁ」

 衣類をすべて岩の上に積み重ね、誰がくるかわからないので念のためにタオルでそれらを覆い隠した。それからゆっくりと温泉に足を入れ、温度を確かめた後、一気にお湯の中に飛び込んだ。

「・・・・・・・・ふぅ」

「ワフ」

 例にもれず、セピアも温泉の中に入ってくる。


 お湯加減がちょうど良いせいか、いつも以上に彼の目はトロンとなってしまっているようだった。

 その様子にいつもの事ながら笑いが零れる。


 温泉に一人でのんびり浸かるのもいいかもしれない。でも、やっぱり誰かと一緒に和んだ方が精神的癒しには効果絶大だと思う。セピアはかわいいから尚更。


 人工的なことが何一つない天然温泉のせいか、ちょうどいい具合にお湯も白く濁っている。その中で思いっきり腕と足を伸ばして今日一日の疲れをとることに専念した。


 途中、両手でお湯をすくって軽く顔を洗った。


 断言してもいい。

 この世界に来て化粧やこれといった肌の手入れもしていないが、それでも元の世界に居た頃より自分の肌が生き生きしてきたことがわかる。

 それはきっと、自然体で日々を過ごしている事と、こうやって自然の温泉に時々浸かっているからだろう。規則正しい生活は必要不可欠などだと改めて実感させられる。


 一旦温泉から出て、持ってきた石鹸で軽く体を洗い、髪を洗う。


 髪が短いから洗うのも楽だ。けれど、最近はまた伸びてきたので、そろそろ切ろうかとも考えている。一度短い方が楽などだと実感してしまうと、伸ばす必要性もあまり見当たらない。


 またルイさん辺りにでも頼んでみようか。


 桶のようなもので最後に濯ぎを済ませて、もう一度温泉に浸かった。


「次はセピアだね」

 わたしが体を洗うところを見ないようにするためか、反対側を優雅に泳いでいたセピアにそう声をかけた。


 すると嬉しそうにこちらに戻ってきた。もちろん、彼の泳ぎ方は犬掻きである。

 狼は元々犬の祖先とも言われているし、深く気にしちゃいけないところなんだけれど、セピアの容姿は確実に犬とは違う。いや、フサフサの毛も長い尻尾も耳は、犬のようなんだけどね。


 しかし、わたしの腰ほどまである大きな体躯や、なにより鋭すぎるといってもいいその牙や爪は、そう考えても犬には当てはまらない。


 つまり、セピアの泳ぎは『狼掻き』になるんだろうな。


「ガウッ」

「!・・・・あ、ごめんごめん」


 また思考が変な所に飛んでいってしまっていた。


 セピアに上がるように促して、わたしは上半身だけをお湯から出す。

 ここでも律儀に彼は目を閉じて大人しくなった。その様子がどうにも気高い剣士にも重なって見えて笑いが零れる。


 石鹸を使ってセピアの体を泡で覆い尽くした後、軽く揉んであげると、気持ち良いらしく嬉しそうに尻尾を振った。ここは犬みたい。

 それから桶でお湯をすくって思いっきり洗い流してやる。


 すべて終わった後、わたし達は再び温泉に戻った。


 しばらく少し熱いと感じる温泉を満喫して、ようやく上がった。セピアが警戒するように周りを見渡している中で、さっさと服を着替える。


 それから、みんなの待つ移動車に戻ろうと歩き出す。

 しかし、すぐにそこに辿り着くことは出来なかった。


 なぜなら、途中で木の幹に倒れている少女を見つけたから。


「だ、大丈夫ですか!?」


 慌てて駆け寄って、うつ伏せの彼女の体を仰向けにさせ、息の根があるか確認した。脈はあるし、息もある。ただ、酷く弱っているようで呼吸が浅い。

 少女は気を失っているようでわたしの言葉に反応してはくれなかった。


「と、とにかく運ばないと・・・」

 しかし、自分は女で、同じような背格好の人間を担いでいけるほど力があるはずもなく。


 背負えばなんとかなるかとも思ったが、気を失っている以上、バランスを保てる自信もない。


 そうなれば、選択肢は一つ。

「セピア、とりあえず誰か連れてきて」

 わたしの言葉に答えるように、彼はすぐさま走り出した。


 本気になったセピアの足は、人間では追いつくことも出来ないほど速い。彼の姿はあっという間に見えなくなってしまった。


 意識のない少女と二人残されたわたしは、とりあえず少女の顔を拭いてあげる事にした。

 うつ伏せに倒れていたから、顔の所々に土がついているのだ。

 肩に掛けていたタオルをとって、軽く土を取り払った。


「・・・おぉ、美人だ」

 呑気な声が零れた。


 余裕が出てきたからか、何もすることがないからか、わたしの注意は自然と少女の容姿に移ってしまっていた。

 染み一つない真珠のような肌。長い睫毛は影を作るほど長く、一目で美少女であることがわかる。着ているマントのフードは脱げかかっていて、金髪の波打つ髪が惜しげもなく外気に曝されていた。


 眠っている姿だけでこんなに綺麗だと、起きたときは如何ほどだろうかと、つい考えてしまう。


 あぁ、しかしなんだってわたしと関わりを持つ人はこんなに美人が多いんだろう。

 細い糸をいくつも束ねたような髪を無意識の内に触っていた。だって、すごく気持ちがいいんだもん。サラサラと音がしてきそうなその髪が素直に羨ましいと思った。


 そして、その白い肌も。

 少し見ただけで、枝毛があるとわかる自分の髪を触りながら溜息がでた。それから、肌に手を当てて再び溜息が出る。

 たとえこの世界に来て肌の調子が良くなったとしても、中学高校で出来たニキビの小さな痕や染みはそう簡単には消えてくれるわけがない。

 

 己の隣で眠り続ける少女を見つけながら、考えていた。


 ―――こういう綺麗な女の子が、ルイさんにはお似合いなのに。わたしは、仲間として彼の隣に並んでいるのが精一杯で、それ以上はきっと無理だ。

 

 その時、本当に少しだけ、胸が痛んだ。





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