Ep.32 ルイ視点
人攫い、戦闘、流血などの残酷描写を含んでいます。
ご注意ください。
人攫い集団の拠点は、人里離れた森の中にある一つの建物だった。
その建物には窓がなく、見てくれはただの大きな長方形の茶色の箱。もし、入る扉がなければ、誰も中に人間が居るとは思わないだろう。
この中に、マツリが居る。
この、太陽さえも当たらない、暗い場所に。
私の脳裏に、笑顔で笑うマツリの姿が蘇る。少し意地の悪いことを言うと怒り、からかえば驚きと恥かしさを表す、大切な少女の姿が。
その瞬間、何かが胸の中で弾け飛んだ気がした。
団長を筆頭に、建物の中に押し入る。
中は、真っ暗な闇に覆われていた。鼻につく香りは、今まで嗅いだ事のない異臭。
けれど、医者の私にはすぐにわかった。これは、人の焼ける匂い。
「いいか!歯向かえば殺せっ、だが、必要以上の殺生は止めろ!」
団長のその言葉を合図に、中に入った人間が四方八方に散らばった。
人を焼く匂いを脳裏で把握したその時、私の理性は粉々に砕け散っていた。
一目散に階段を駆け上がる。
手持ちの武器は槍。
いつもは殺生をしないために素手を使うものの、今回はわけが違った。
己の大切な少女が、この狂気に満ち溢れた建物の中に閉じ込められている。
今まで、どんなことがあっても開く事のなかった、私の心の奥の扉が、階段を一段一段上がるたびに静かな音をあげて開いていくのがわかった。
この扉が開けば最後、私は、私ではなくなる。
いや、これが今までひた隠しにしてきた本当の自分なのかもしれない。
嫌悪感さえ憶えるほどに残酷で、恐ろしい自分。理性がなくなり、己の本能のままに動く、まさに、化け物。
それをわかっていたからこそ、今まで閉じてきた。
けれど今は、もう、抑えきれない。
視界に人の姿が入った。その気配を察し、それが男だとわかった時点で槍の先を容赦なく相手の横腹に突き刺す。
力を入れすぎたせいか、槍は男の体を貫通した。
引き抜けば、大量の血が飛沫をあげて噴出し、私の体に付着した。
後ろからの剣を紙一重でかわし、横一文字に槍を振るう。
人攫いの集団は、かなりの人数を雇用しているようだった。次々と現れる人間を切り殺して、気がついた時には一面血の海と化していた。
下を見れば、真っ赤に染まった己の手と、足元に散らばる人間の死体。
首が切り落とされた者、腕がもぎ取られた者、体が二つに分かれた者。・・・・・すべて私がやったのだ。
肩で小さく息をしつつ体制を整えて居れば、大きな怒号と数人の足音が後ろから聞こえた。
「きさま・・・っ!」
その声が女のものだと瞬時に悟り、捕らえられている少女達かどうかを確認するため素早く距離を置いた。
どれも、若いとは言えない年頃の女性達で、皆手にはナイフや短剣などの武器を持っている。
敵だと分かれば情けは要らない。
「ぐわぁっ!」
「ガッ」
「・・・・っ」
例え相手が女子供であったとしても、私の大切なものに危害を加える者ならば容赦などしない。
軽い動作で女達の攻撃をかわし、一瞬で死ねるように急所を狙った。
彼女達は次々に倒れていく。
一人の女の首から噴きだした血飛沫が顔面に直撃する。
思わず目を閉じて液体が瞳の中に入るのを阻止した。敵はすべて切り倒した後なので、誰も向かってくるものは居ない。
手の平で顔を拭えば、生臭い鉄の匂いが私を包み込み、そして、すべてが赤く染まった。
私は、化け物だと思った。
しかし今はそんな事を考えている場合ではない。
「マツリ・・っ!」
彼女の無事な姿を確かめるまで、理性を戻すことなど出来ないのだ。
・・・いや、彼女の無事がわかっても、私は理性を取り戻す事ができるのだろうか。
それから幾人もの人間をこの手にかけた。
医者は、本来なら人を救うことが仕事だ。どうすれば人を救う事ができるのかよく知っている。しかし、それは、間逆の意味をとるなら、誰よりも人の死について詳しいことにもなる。
私はよく知っていた。
どうすれば、人は何の苦しみも感じることなく死ねるのかを。どうすれば、人は苦痛を味わいながら死ぬのかを。
一番上の階に続く階段を上りきった時、一つの部屋から明りが洩れていることに気づいた。
近づくにつれて聞こえてきた、少女の声。
「い、イヤァァァァァァァァァァ!!!!」
「・・・・っ」
悲痛なその叫びを聞いた途端、私の体は自分でも驚くほどの速さで動いていた。
部屋の扉を開け放ち、視界に入った男の背中に無我夢中で己が持っていた槍を突き立てる。その一連の動作の間、私は何も考えていなかった。
ただ、体の動くがままに。
男の体が動きを止め、ゆっくりと傾き、そしてベッドの上に呆気なく崩れ落ちた。
「・・・・」
ボロボロになった少女が、目を見開いたままこちらを見てくる。
「ルイ、さん・・・・」
酷い有り様だった。
顔は所々腫れ上がり、着ている服もボロボロで。足には枷までがつけられていた。そして、全身に受けた返り血。
「マツ、リ・・・」
どれだけ、恐怖を感じていたことだろう。
こんな所で、こんな風になるまで。
一つだけ安心したのはマツリの瞳から、色がなくなっていなかったという事。私の瞳はもう、凍りついてしまっていて、当分は溶けそうにない。
あれほど、彼女を辛い目に合わせないように気をつけてきたはずなのに。
彼女が髪を切ってしまった時、ようやく彼女の苦しみに気づいて。それからは、できるかぎり悲しい思いをさせないように気をつけてきたつもりだったのに。
私は。
体が小さく震える。
「・・・・・・」
改めて知った己の狂気が、恐くなった。
私は、一体。
自問自答を繰り返していると、誰かの手の平に頬を包み込まれた。
小さく痙攣するその手は、けれどとても暖かい。
「ルイ、さん」
「・・・・・っ」
目の前にある、マツリの顔。
いきなりのことに思考が止まった。彼女が傍に来ていた事に、まったく気がつかなかった。
しばらく見つめ合っていると、急に彼女がその痛々しい傷のある顔に笑みを浮かべた。
「助けに来てくれて、ありが、とう・・・・・・」
「!」
どうして彼女は、こんなにも。
マツリが静かに目を閉じて、私の方に倒れ込んできた。
もう、限界だったのだろう。
力尽きたその細い体を、己の腕に受け止め、抱きしめる。
「・・・・・・・っ」
旅をしていた時は、あんなに脆く弱い少女だったのに。
なにかあればすぐに涙を流し、己の考えに塞ぎ込む娘だったのに。
目が霞む。
守るべき対象であった少女は、いつの間にか誰よりも強くなっていた。己を犠牲にしてまで大切な者を守る、芯の強い女性に。
どんな状況においても瞳の輝きを失わない、眩し過ぎる少女は、血に塗れた化け物と化した私を見て、ありがとうと言ってくれたのだ。笑いかけてくれたのだ。
意識を失った彼女を抱きしめた私の頬を、何か熱いものがいくつも伝っていく。
―――どうして、異世界からやってきた少女は、こんなにも暖かいのだろう。
ともすれば声をあげそうになるのを必死に堪えて、歯を食いしばった。
嗚咽が、洩れた。
ようやく、己が還ってきた。
● ● ● ● ● ●
マツリを抱えて一階に降りた時には、決着はすでについていた。
外に待機していた兵達は建物の中の鎮圧に当たっていて、一箇所には数十人の若い娘達が集まっていた。
彼女達が攫われていた少女達だろう。
その周りに団長達が集まっていて、皆少なからず返り血を浴びて、その体は赤く染まっていた。
「マツリッ!」
真っ先に駆け寄ってきたのはアイシャレラだった。
王子が言うように、彼女の腕は相当なものらしい。顔に切り傷を受けただけで、他に外傷は見当たらない。
「大丈夫、意識を失っているだけだよ。すぐに城に帰って治療すればすぐに直る」
「よ、かったぁ」
アイシャレラが泣きそうな顔で笑った。
その肩に、ぎこちない動作でシュリル王子が手を置いた。
団長達も安堵した表情をしていた。
コウヤがやってくる。
「ルイ、後のことは私達に任せて、あなたはマツリさんを。・・・二―ルも待っています」
「わかった」
彼の言葉に従って、私はマツリと共に城に戻った。
旅の中でも、彼女の傷の手当ては私がやってきた。だからよくわかる。マツリの治癒能力は異常高い。それは、他の人々が異様に思ってしまうほどに。
一番大きな医務室に彼女を寝かせ、女性の医師の力を借りて体全体に包帯を巻いた。
特に頭の傷はひどく、少しの間痛みが伴うだろう。
傷の手当てはすべて終えた。
外傷意外に特に異変は見られず、後は本人の意識が戻るのを待つだけとなった。
翌日、マツリの病室を覗けば、カシギが彼女の手を握ったまま項垂れているのが見え、足を止めた。
シュリル王子も後悔に苛まれていたが、カシギもまた、己の冒した失態に誰よりも恥じ入っていたのだ。
眠りつづけるマツリの手を握り、その手に額を押し付けて謝罪をしているようにも思えた。
「・・・・・」
胸がざわついた。
マツリがリディアスと共に居た時に感じたモノと同じ。
己の仕事を終えて、再び室に入れば、もうすでに誰も居なかった。
少女の眠るベッドの傍に立ち、じっとその寝顔を見つめる。
今すぐに目を覚まして、笑顔で自分の名を呼んで欲しいと願うのは私のわがままだろうか。
前々から、彼女には好意を抱いていた。それは、異性に対するそれと同じ。
けれど、それでも私が一番優先して守るべきは口の利けない妹で、マツリは別世界の人間なのだと言い聞かせてきた。
理性で自分を抑えてきた。
しかし、もう、その理性は効きそうにない。
眠る少女に覆い被さるように顔を近づけた。
とても愛らしく、綺麗だと思う。
自然と体が動き、その唇に己のモノを寄せていた。ゆっくりと重なったそこから、暖かな体温を感じた。
今まで何度も女性達と体を重ねてきたが、ほんの少しの間唇を重ねただけでこんなに心が満たされたのは始めてだ。
この少女を想う心は、本気なのだと思う。
年の離れた己の妹と同じ歳である若い少女を前に、私は白旗を振った。
これから先、私が本当の意味で彼女に勝てることはないだろう。
勝てるのは見かけだけで、本心ではいつも負けるのだ。
それもまた、悪くはないと思える私は、どうかしている。
苦笑いを浮かべた。
早く目を覚まして、私に笑顔を向けてほしい。
「愛してる」
この言葉を、目を覚ましている少女に告げた時、彼女は、どんな表情を見せてくれるのだろうか。
―――それから三日後、マツリが目を覚ました。




