Ep.7
わたしの涙は、すぐには止まってくれなかった。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「・・・ぅん、大丈夫。ごめんね、急に」
心配そうに顔を覗かせてくるニールくんに涙でぐちゃぐちゃの顔を見られたくなくて、少し俯いたまま謝罪した。そんなわたしの顔を、セピアが舐めてくる。
いきなりこんな見知らぬ場所に放り出されて、すぐに、短時間だったけど人質にされて。誰もわたしの言う事を信じてくれなくて。
そんな絶望に染まった崖から落ちそうになったわたしを、寸前で思い留まらせてくれたのは、こんなにも小さい彼ら。
「・・・ったくよぉ」
少し落ち着きを取り戻した時、サンジュのおっさんの大袈裟な溜息が部屋全体に響いた。
他の男性の存在をすっかり忘れてしまっていたわたしは、急いで視線を上げた。顔はセピアの唾液でベトベトだが、今は気にしないでおこう。
わたしが顔を上げた事を確認したバーントさんは、わたしに向けていた剣をそっと下ろした。剣を仕舞わないのは、まだわたしを警戒しているから。
「お前さんは、一体どうしたい」
「団長?」
サンジュのおっさんの言葉に、カインさんがすばやく反応した。
わたしも思わず目を見開いてサンジュのおっさんを見つめる。その言葉は、まるで、わたしを―――。
「私は、賛成しませんね」
「同感だ」
ルイさんとバーントさんが反対の意を示した。彼らの表情はどこまでも硬い。
「彼女のような無気力な人間は、私達と共にいる資格はないのでは?」
コウヤさんが後を引き継ぐようにそう言った。
彼は唯一無表情で私を見ている。そのくすんだ緑色の瞳はどこまでも静かで、何かを試されている、そんな気がする。
無気力な人間、確かにそうかもしれない。
今の・・・いや、今までのわたしだって、未来になんの希望も持っていなかった。ただ漠然と、今という時を進んでいるだけ。だからこそ、自分自身の命に関しても、そんなに執着なんてしていなかった。
けれど、今は。
先ほどバーントさんに剣を向けられた時、ニールくんとセピアに助けられて、彼らのやさしさに触れて、祖母を思い出した。
わたしのたった一人の肉親。憎むべきはずのわたしを、今まで大切に育ててくれた、大切な、守るべき人。彼女の一人にしちゃいけない。おばあちゃんの所に、帰らないと。
「・・・・ぇり・・たい」
「なに?」
「わたし、自分の世界に、帰りたいです」
まっすぐサンジュのおっさんの目を見た。彼も、わたしを真っ直ぐ見つめてくる。
沈黙が続いた。
帰りたい。その方法はわからない。
けれど、今わたしに残された選択肢は二つだけ。
一つは、彼らに同行を申し込んで、その中で帰る方法を探す。そしてもう一つは、一人になって死ぬか。
こんな見知らぬ土地で、一人で生きていけると思えるほど、わたしは楽天的じゃない。残念ながら。
「わたしを、同行させてください」
「「「「「・・・・・・・・・・」」」」」
他の男性陣は、まだ厳しい目でわたしを見てくる。コウヤさんだけは、今だ表情が読めないので、何を考えているのかは不明だ。
彼らの気持ちを動かすには、素直に気持ちをぶつけるしかないと思った。
いつも人に流されるばかりで、自分の気持ちを素直に曝け出す事がないわたしにとって、それは本当に難しい事だった。けれど、今は、これしか生き残る方法がないのだ。それならば。
「・・・・わたし、元の世界に祖母が居るんです。祖母はわたし以外に親類縁者が居なくて。そんな彼女を一人残して、わたしだけ先に死ぬわけにはいかないんです。祖母は、わたしを大切に育ててくれました。ほんとなら、そんな事出来るはずなのに・・・・・やさしい愛情で、包み込んでくれました。わたしは、あの人の元に帰りたい。祖母はいつも言ってました。『茉里が居てくれるから、生きているんだ』って。だから・・・っ」
わたしが居なくなってしまったら、祖母は一人になる。
一人になってしまったら、もう若くはないおばあちゃんはきっと・・・。考えるだけで、ぞっとした。
「お願いします!わたしをあなた達と一緒に行かせて下さいっ。少しの間だけでもいいんです。もし、この国の事がわかって、なんとか暮らしていけるようになれば、絶対に独り立ちしますから、だから、お願いします!!」
わたしは深く頭を下げた。
ここは土下座くらいしなければいけない場面なのだろうが、あいにくわたしの体はそこまで快復しきってはいない。だから、言葉で精いっぱい伝える。
せめて、この世界で生きていくだけの経験を積めたら、後は自分自身でどうにかする。
祖母を、一人置き去りにしてはいけない。わたしは、彼女に負い目があった。だから、いつもどこか一歩置いて生活していた。祖母はその事に気づいていたようだけれど、何も言いわず、ただ寂しく笑っていた。それが申し訳なくて。今更のように後悔した。
彼女の優しさは、こんなにもわたしを助けてくれていたのに。
本当に苦しくて、遠く離れてしまって、ようやくわかった。
今は、おばあちゃんに心のそこから謝りたい。そして、自分から彼女に歩み寄っていきたいと思う。急には無理かもしれないけれど、少しずつでいいから。
「お願いしますっ!」
こんなに必死になったのは人生の中でも初めての体験だ。
その必死さが伝わったのかもしれない。サンジュのおっさんの溜息が聞こえた。
「・・・・・・バーント」
顔を上げれば、すっかり困り顔のサンジュのおっさんが見えた。完全に弱り果てている。まぁ、異世界から来たとかなんとか意味のわからないことを言っている年頃の娘が、急に必死になって頭を下げて同行させてくれと言っているのだ。きっと彼にとっては初体験だろうから、対処の仕方に困るのも無理はない。
サンジュのおっさんに名前を呼ばれたバーントさんといえば、なんだか良くわからないがさっきよりは表情がましになった。それでもただ黙ってわたしを見ている。
うーん。わたしの初めてといえるこの誠意は、皆様には伝わらなかったのだろうか。もしそうだとすれば、悲しすぎる。虚しすぎる。
わたしの気分が再び崖から転げ落ちる準備を始めた頃、サンジュのおっさんが立ち上がった。
それに習うように、他の皆様も立ち上がる。
これはつまり、わたしをここに置いていくと言う事なのだろうか。
その意図がわからず、ポカン、と男性達を見上げた。隣の二―ルくんも困惑した様子でお兄様方(二名のおっさんを含む)を見上げた。
みんなはなにやら準備を始めた。
ニールくんはそこで自分のやるべき事を思いついたらしく、パッと私から離れて、もう一つの部屋に駆け込んでいった。その時、なんとなく物悲しい気持ちになったのはわたしのせいなんかじゃない。
セピアは何もせずわたしの傍に居てくれた。
みんなが忙しなく動き回っている間、わたしはただその様子を見守るしかなかった。
で、結局返事はどうなったんだろう。
誰も、何も言ってくれないんだが。
「・・・・」
むちゃくちゃ切なくなった。あぁ、わたしは、ここで十九年の人生を終えるのか。
おばあちゃん、ごめんなさい。もう、一生帰れないかも。
やっぱり、慣れない事はしない方がいいのかもしれない。あんなに必死にお願いして、でも結局スルーされて。
後に残ったのは、恥かしさと物悲しさ。
「はぁ・・・・・」
誰にも気づかれないくらいに本当に小さく、わたしは溜息をこぼした。俯いて、今胸の中にある感情をやり過ごそうとする。
残るのは、祖母への言い知れない罪悪感。せめて、せめてもう一度会って、大好きと、素直に言いたかった。
それも叶わないのかもしれない。
わたしがそう思った時、急に何かを被せられた。そのせいで、眼前が真っ暗になる。
「わっ」
急いで顔を覆っている何かを手に取った。
それは、マント。サンジュのおっさんやみんなと一緒の。
「・・・・・」
「着ろ」
そう言われて、顔を上げれば、カインさんが非常に複雑な顔をしながら私を見下ろしていた。
言われるままにとりあえず、マントを頭から被る。
腕は辛うじて動くので、少し手間取ったものの、なんとか着る事ができた。
このマントは、かなり性能が良さそうだ。首のところをブローチのようなもので留める。内側には、いくつかのポケットらしき袋も装備されていた。しかも軽い。
「うわっ」
着終わったと思った途端、今度は変な浮遊感がわたしを襲った。この頃は何でも突然が多いが、これについては慣れることは一生ないと思われる。
「・・・・あの~」
「しっかり掴まってろ。落ちるのはお前の勝手だからな」
「は、はい」
わたしを横抱きに抱きかかえたカインさんは、冷たくそう言うと、そのまま歩き出した。わたしは彼に言われた通り、彼の首にしっかり掴まる。
でも、どうして。
カインさんはわたしを抱えたまま小屋を出た。セピアもカインさんの後に続いた。
わたし達を待ち構えていたのは、大きな一台の馬車らしきもの。アニメやなんかでお目にかかる物とひじょうに似通ってはいるが、こちらの方が少し大きく、しかも形は長方形だ。色は地味な茶色でなんの変哲もない。パッと見はキャンピングカーに近い。
その周りに、おなじみの面々が立っていた。
「えーと」
カインさんに掴まりながら、今だ情況把握が出来ていないわたしは、とりあえず誰かに説明を求めたくなった。
するとサンジュのおっさんが、長方形馬車の扉を開けて、そこに向かって顎をしゃくった。
「入れ」
「・・・・・」
とりあえず、もう少し説明をお願いしたい。
「同行を許すって事だよ。君も、私達と一緒においで」
ルイさんがサンジュのおっさんの隣で苦笑いを浮かべた。表情は柔らかいが、その瞳は冷たい。彼は、わたしが同行する事に賛同はしていないのだ。
「俺達は、野蛮人じゃねぇ。あんなに泣き出しそうな顔で頭下げられたら、断れねぇだろうが」
サンジュのおっさんが笑った。彼は、わたしを受け入れてくれたようだ。
「君も年頃の娘だし、怪我人だ。放って置くこともできないんだよ」
「拾ったのはオレ達だ。途中で捨て置くことは出来ない」
ルイさんの後を引き継ぐように、カインさんが言った。
彼らの理由がどうであれ、一緒に居る事は許してもらえた。
ニールくんが笑顔で、カインさんの元に駆け寄ってきた。それは必然的に、わたしの元に来ると言う事になる。
「よろしくね、お姉ちゃん!」
「うん、よろしくね」
自然と、笑顔が零れた。