Ep.21
歩きながら、それでも視線は手元の日記に釘付けで。
日記を手にして、わたしは自室に戻った。
深い赤色の表紙に、金の背表紙。厚さも結構あった。少し捲って中を見れば、そこにぎっしりと書かれた文字が見えた。それはすべて日本語で、この持ち主が紛れも無い自分の母なのだと実感した。
夕食はもう食べてきたを伝えていたので、ジュエリはもう今日は来ないだろう。
これで、ゆっくり読むことができそうだ。
さっそく読むことにする。知りたかったんだ。母が何を思いながらこの世界での時を過ごしたのか。今のわたしみたいな事を考えていたのだろうかと。
ソファーに腰をかければ、当然のようにセピアもソファーの上に乗っかって、わたしの隣に座った。
日記には、金の糸で作られたしおりが挟まっていた。それは、本そのものから出ているようで、これをページの間に挟んでおけば、きっとすぐにどこまで読んだかがわかる。
最初のページを開いた。
『今日、タキトさんにこの日記を貰った。自分は、私の相談をすべて聞いてあげられるほど傍には居られないから、せめて、どこかにその苦しみを捌けだせる所があった方が良い、そう言って。彼には、初めて逢った時から本当に世話ばかりかけてしまって、申し訳ないと思っている。彼のお母さんもとても良くして下さっていて・・・・この世界で拾ってくれたのが彼で、本当によかった』
日記の書き出しは、こんな感じだった。
日付欄には何も書いていない。多分、日付がわからなかったんじゃないだろうか。この世界にもちゃんと日付というものが存在するらしいのが、なんとなく元の世界と混ざってしまいそうだから、聞いていない。でもその代わり、ページの右上には、小さく『冬』という字が書いてあった。
なるほど、この日記は父が母に渡したプレゼントみたいなものなのか。
それに、母はランジェラ様とも顔見知りだったんだな。色々お世話になったと書いてあるから。
少しずつ、日記を読み進めていった。
最初の方は、やっぱり日本や祖母を恋しく思う気持ちばかりが書かれていた。
『どうして、私がこんな身も知らぬ場所へと来てしまったんだろう。母は大丈夫なんだろうか。父が亡くなってから、母の生きる支えになっていたのは私だけだったのに』
お母さんも、わたしと同じ事ばかり考えてる。
それを知って、少しの苦笑が零れた。
わたしの笑みに反応してか、隣で眠りかけていたセピアがわたしの膝の上に頭を乗せてきた。条件反射のようにその頭に手を置いて、撫でてやる。
片手で日記を、そしてもう片方の手でセピアの頭を撫でながら、日記を読み続ける。
綺麗で、聡明だった母も、わたしと同じように苦労していたようだった。
赤裸々に綴られている文字の数々。それは、城に入ってどんなに彼女が肩身の狭い思いをしたのかも書かれていた。
『メイドの皆さんは、やっぱり少しよそよそしく私に接してくる。それはきっと、私が王やエカエラと親しくしているから。それに・・・・タキトさんと仲良くしているから。彼は女性達の間でも人気が高いと聞いている。それに、この城の人達は皆私が空から降ってきた事を知っているから。表面では、皆その事について問題視していないように振舞っているけれど、私にはわかる。城の中ですれ違う人々が私を卑しい目で見てくる事ぐらい。メイドの皆さんも、影ではある事無い事噂しているみたいだ。・・・・・城に来てから、エカエラぐらいしか話相手が居ない。すごく、寂しくて、悲しい』
「・・・っ」
わたし以上に辛かったであろう状況を読んでいると、涙腺が緩くなってきた。
今のわたしにはセピアが居てくれる。確かに、城の人達は得体の知れない娘であるわたしによそよそしく接してくるが、アイシャやシナちゃん達が居てくれるから、そんなに寂しく思わないのも本当だ。
けれど、母の場合、エカエラ様しか頼る相手が居なかった。
一番頼りたい未来の夫には、どうしても近づけなくて。
どれだけの思いで、ここでの日々を暮らしていたのだろうか。考えても余りある。
それから数ページは、母の苦しい思いだけが書かれていた。その一言一言を読み逃さないように目を動かしていたが、ある一ページでその思いも消えていた。
『今日、初めて学者さんに会った。ユリオス・ロンザルオさんという方。眼鏡に白衣のよく似合うその人は、初対面であるはずの私を見て、屈託ない笑みをくれた』
「ロンザルオ・・・?」
なんで急にこの名前が出てきた。
母はあの家系の人と顔見知りだったの?
全然話が掴めない。とりあえず読み続けて、頭を整理しようと思った。
『ユリオスさんのお爺さまは、異世界について研究していた人なんだそうだ。父もその研究を受け継ぎ、そして彼もまた、異世界について研究しているらしい。だから、私に会えた時、とても感動したんだと教えてくれた。彼に誘われて、お家にお邪魔した。正直いうと、学者さんのお家だからすごく本ばかりある暗い感じの家なんだろうと思っていた。でも、実際に訪れた場所は、綺麗な花が咲く品のあるお屋敷だった』
今日わたしが行ったあの家の事だと、直感的に感じた。
『ユリオスさんは笑顔で家族を紹介してくれた。奥さんのイシュアさんもとても綺麗な方で、思わず目を瞠るほど綺麗な青い髪をしていた。彼女も、ユリオスさんの奥さんなだけはある。私が異世界の人間だと知った時も、あっさり流してしまった。「今度一緒にケーキでも焼きませんか?」と聞かれた時は、物凄く戸惑ってしまった。彼らの三人のお子さんも、かわいらしかった。お兄ちゃんの方はお父さん似で、弟さんと妹さんの方はお母さん似。弟さんもまだ生まれたばかりの妹さんも青い髪をしていた』
「青い、髪」
青い髪をしている人間は、そう居ないのではないだろうか。
わたしが知っている人物はただ一人。でも、まさか、そんなはずはない。
カシギだって紫の髪色なんだし、わたしが会った事がないだけで、実は結構居るんではないだろうか。カインも深緑だし。
でも、この上の息子さんが、わたしの探している人だということは察しがついた。
『ロンザルオ一家は、暖かく私を迎え入れてくれた。どちらも私より歳上で、大人で。その日は結局進められるがままに一泊していった。その夜、イシュアさんとまだ幼かった髪の青い息子さんと一緒に寝た。けれど、イシュアさんがあまりにもやさしく笑ってくれる人だから、私は思わず今までの苦しみをすべて打ち明けていた。彼女はそれを黙って聞いて、そして最後に、抱きしめて言ってくれた。「辛かったでしょう。でも、もう大丈夫です。また何か辛い事があれば、すぐにここにいらっしゃい。私達はいつでもあなたを歓迎します」って。涙が出てきた。息子さん達が居るにも関わらず、私はイシュアさんに抱きしめられたまま泣き続けた。途中で手の平にぬくもりを感じて顔をやれば、弟さんがその小さな手で私の手を握ってくれていた。また、涙が溢れた』
母のその思い、わたしにもよくわかった。
もしも、母がイシュアという人のおかげで苦しみから抜け出せたのなら、わたしはきっと旅のみんなのおいかげでこうして暮らしていけている。
イシュアさんの胸で泣いた時の母の気持ちは、わたしが旅の一行に連れ戻された時サンジュ父さんの胸で泣いた時と類似しているんだと思う。
あんなに人が傍に居て安心した事は、なかった。
「会いたい、ね」
思いのままに言葉が零れていた。
それを聞き止めたセピアがこちらを見上げてきた。
「サンジュ父さん達に、会いたいね」
セピアを見つめて、わたしは小さく笑った。
「お母さん達にも、会いたい、ね」
思うことだけは、やめられない。
「・・・ふぅ」
結局、寝る直前まで日記を読む手は止まらなかった。
けれど、途中何度も母の思いに共感して考え込んでしまったせいか、まだまだ始めの方。後数百ページはありそうな予感がする。
少し、元気が出た。
わたしと同じような経験をした母は、わたしと同じように苦しんでいた。
それでも、わたしの覚えている母の顔はいつもやさしげな笑顔で溢れていて。もしあの笑顔が、この苦しい時期を乗り込んで生まれたものなのだならば、きっとわたしも将来は笑顔で過ごせるんだろう。
この時期を乗り越えさえすれば。
「セピア」
「クゥ―ン」
寝巻きに着替えて、ベッドの上に潜り込む。日記はベッドの隣の棚の上に乗せた。
わたしが毛布の中に入れば、セピアがその上に乗ってくる。
最近はこうして寝るのがわたし達の主流になってきている。
大きなベッドは、時々わたしにどうしようもない孤独感を与えるので、そういう時、セピアが居てくれると助かるんだ。
上半身を起こしてセピアにお休みのハグをする。
「明日も、がんばろう」
それは、きっと今一番自分に言い聞かせたい言葉。




