Ep.8
彼の姿が完全に見えなくなっても、わたしはそこに立ち尽くしたままだった。
リディアスは、本当になんなんだろう。ようやく口を開いたと思ったら、驚くほど流暢に喋って、かと思えば意味のわからないことばかり言って。
「マツリ」
「!?」
そうだった。ルイさん、すごく怒ってたんだった。手首を掴まれ、名前を呼ばれたところで、今直面すべき問題を思い出した。
どう足掻いても、向かい合うしかないみたい。
「マツリさん」
そして、問題その二。
コウヤさんもいつも以上に厳しい顔付きでわたしを見ていた。・・・二人とも、いつの間に。
「・・・彼とは、もう、関わらないでください」
「え?」
「彼は、危険です」
コウヤさんが頭ごなしに人を判断するなんて、珍しい。
「で、でも!わたしの事なんども助けてくれたいい人だよ」
必死でリディアスを弁護する。
彼が居なければ、わたしはココには居ない。そう思えるたくさんのことがあった。
ルイさんが完全に表情を消した。
「コウヤ、彼女は私が送っていくよ。君はバーント達に知らせてくれ」
「・・・ルイ」
「頼むよ」
コウヤさんの返事も満足に聞かないまま、ルイさんはわたしの手首を掴んだまま歩き出した。成す術もなく、わらしは引きずられるがままに歩いた。
連れて来られたのは、わたしの部屋。
どうやら送ってくれたらしい。
でも、帰る様子を見せないルイさんは、わたしと一緒に部屋に入った。
「マツリ」
部屋に入って、扉を閉めたルイさんが、わたしを見た。
その麗しい顔には、なんの表情もなくて。
怒っているわけでもなくもかといって怒っていないわけでもない。底知れぬ何かが、ルイさんを包み込んでいる気がした。
急に怖くなった。
知らない人を見ている気がする。こんな人、わたしは知らない。
「・・・・ルイ、さん?」
心なしか、自分の声が震えている気がした。
「マツリ、私は何度も言ったはずだね。あまり無謀すぎるのは考え物だと」
ルイさんが近づいてきた。
言い知れぬ恐怖を持っていたわたしは、彼がわたしに近づくのと比例するように、後方に下がる。
それを何度か繰り返していると、お約束のように壁に背中をぶつけた。逃げ場がなくなったことを直感して、ルイさんを見た。
目の前には、まったく表情のない、冷たい瞳をしたルイさんが立っている。
なんで、こんなに怒ってるんだろう。わたしが、無断で城の外に出たから?はっきりした素性もわからないリディアスと会っていたから?
「私の言う事、わかっているのかい?」
ルイさんが両手を壁につけて、完全にわたしの動きを封じた。頭の隣に手があるのなら、動けなくなるのも当然だ。
追い詰められるって、こういう事をいうのかな。
「怪しい奴に、あんなに無防備に接して」
「リ、リディアスはいい人だよ!」
「人はね、たくさんの顔を持っているんだよ。命の恩人ってだけが、彼の顔じゃない。それとも君は、彼の全てを知っているとでも?」
「・・・・・それ、は」
「その人のすべてを知っていると思う人間は、傲慢だよ。愚かな人間の象徴だ」
ルイさんが、吐き捨てるよう言った。
その時、本当に小さくだが彼の表情が歪んだような気がした。
「マツリは、そんな愚かな人間になりたいのかい?」
「・・・・・」
「違うよね。じゃあ、もう、リディアスには会わないでおくんだ。わかったかい?」
小さな子供に言い聞かせるようなその言葉達に、すごく反発心を憶えた。なんでルイさんにそんな事指図されないといけないの。なんで、自分の会いたい人に会っちゃいけないの。
「マツリ」
「い、や」
「・・・なに?」
「なんで、ルイさんに言われなくちゃいけないの。わたしは、自分がしたいと思うことをするよ。絶対にみんなには迷惑はかけない。だったら、良いでしょ」
唇に乗った言葉達が震える。
「ルイさんには、わたしが誰と会おうと関係ないでしょ?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイさんの瞳の奥でなにかが揺らいだように見えた。
何かが壁に強くぶつかった音をすぐ傍で聞いた。
「マツリ」
ルイさんの拳が頭のすぐ隣にあった。さっきの鈍い大きな音は、ルイさんがその拳を壁にぶつけた音。その迫力は凄まじく、壁に罅が入ったのかと思った。
「・・・っ」
怖い。ルイさんが、怖い。
彼の手が壁から離れたと安心した瞬間、わたしの体も壁から離れた。
「・・・・!?」
強く腕を引かれ、そのまま体がはベッドの上に倒される。
「関係ないって、本当にそう思ってるのか、君は」
「・・・・」
驚いて目を見開けば、見えるのはルイさんの苦しげな表情。その表情と比例するように彼の声も苦しそう。けれど、わたしにはまったく状況を把握できない。
なんで、彼が苦しむ必要があるの。わたしはただ、自分のやりたい事を、みんなに迷惑がかからない範囲でするって言っただけなのに。
彼に掴まれたまま、頭の上に固定された右手首が悲鳴をあげる。
「君が、そうだから・・・」
ルイさんの言葉が不自然に途切れた。
緊迫した空気に圧倒されて息ができない。どうにかこの状況を打破しようと彼の名を懸命に紡ぐ。
「・・・ル・・イッさ・・・・」
その声が聞こえたのだろう。掴まれたままだった手首の圧迫感が弱まった。
「マツリ、お願いだから」
ルイさんの体が、覆い被さってきた。
彼の顔がちょうどわたしの鎖骨辺りにきて、彼の髪がわたしの頬にかかる。
それから顔を上げたルイさんの顔は、こんな時に言っては何だけど、とても妖艶だった。大人の色気が垣間見えるその妖艶さは女性をも凌駕する。
「どう、したんです、か?」
恐る恐るわたしに覆い被さるように見下ろしてくるルイさんの頬に手を伸ばした。
状況的には、前に同じ事があった。でも、今は彼の纏う雰囲気がもっと重く張り詰めている気がした。あの時の彼と今の彼とでは、何かが決定的に変わっている。そう確信できるほどに。
わたしの手が頬に触れたとき、ルイさんの表情がまだ苦しそうに歪んだ。
それと同時に、彼がわたしから離れる。
まるで後悔の念に浸るように片手で自分の顔を覆って立っていたルイさんが、上半身を起こしてベッドの上に座ったわたしに顔を向けた。
それから弱々しく微笑んで謝罪をしてきた。
ルイさんのこんなに弱気な顔、見たことはない。わたしは、ただ彼を見つめる。
「すまないね、怖い思いをさせて」
「・・・」
「もう眠るといい。お休み」
お休みのあいさつをしたルイさんは、いつものルイさんだ。先ほどの怖いルイさんでもないし、かといって苦しげな彼でもない。
「・・・・お休みなさい」
室を出るとき、声をかけようとも思ったが、これ以上彼を引きとめたところで何が出来るというのだろう。わたしは大人しく、静かに出て行くルイさんを見送った。
いつもと違う表情をいくつも見せてくれたルイさん。
突然だったから、とても戸惑ってしまった。
まだR指定は入れなくてもいいよ。。。ね。。?




