Ep.5
わたしという人間は、そう簡単には死ねないようにできているようだ。
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「・・・・・・ぅっ」
浮上した意識と共に、わたしを襲った鋭い痛み。
体中が隅々まで痛くて、目でさえまともに開けられなかった。こんな痛みを感じたのは、十九年生きてきて始めての事だ。それでも、自分の居場所を確認したくて、半ば強引に瞳を開ける。
体が叫び声をあげている。私もまた、声にならない悲鳴をあげた。
私は地獄に来てしまったのだろうか。
「・・・気づいた」
開いた視界の先にいたのは、灰色の髪をした男の子。
「!!」
そこで、朦朧としていたすべての意識が一気に浮上した。
体が拒否するのもすべて無視して、わたしは勢いづけて上半身を起こした。その拍子に、どこかが鈍い音を立てて割れたような気がしたが、そんな事、気にしてなどいられない。
上半身を起こしたついでにと、無理矢理足を踏ん張って体を立たせる。わたしの上に掛かっていたのだろう薄い毛布が体から滑り落ちた。
一瞬は立ち上がった身体だったが、すぐに足が悲鳴を上げ床に倒れ伏した。
限界なのはわかっていた。動ける状態でないことも。
「お姉ちゃんっ!」
男の子が焦った青い顔をしてわたしの体に触れようとしたが、わたしはその手から逃れるように身を捩る。彼が何者なのか知らない。人間なのか、それすらもわからないのだ。
もう、自分以外、信用は出来ない。
腕の力で床を這いずるように進みながら、わたしは自分の現在地を確認する。
小さな木造建ての小屋のようだった。
わたしの居る場所は、暖炉のある暖かな部屋。窓は締め切られていて、部屋にはわたしと男の子しか居ない。
逃げるなら、今だ。
あの、怖い男達から、逃げる事が出来るのは。
部屋にある扉は二つ。どれかが、あの男達の居る場所に繋がっているのだろう。いや、もしかしたら両方かもしれない。
ならば、逃げ出せる場所はただ一つ。
「お姉ちゃんっ!体が、体が壊れちゃうよぅ!!」
壁を支えにするように立ち上がる。
男の子の悲痛な叫びを背後に聞きながら、わたしは窓を開けようと体に力を入れた。その時、踏ん張った左の足首が不自然に歪み、自由に動かす事すら出来なくなってしまったが気になどしていられない。さっきから、何度も体験している感覚だ。そのうち慣れるだろう。
「ニールっ、女が・・・・!?」
男の声が背後から聞こえ、その後を何人かの気配が続く。
男の声は不自然に途切れ、息を呑む気配が伝わってきた。
見つかった。
ここで、何かしないと、苦しい嫌な現実と向き合わなければなければならなくなる。そんなの、嫌だ。
必死で力を込めているのに、窓が開かない。
これは、叩き割るしか方法はない。そう、直感的に閃いたわたしは、辺りを見回した。
あいにく、男達は唖然とわたしの様子を見ているようで、動く気配を一向に見せないのが救いだ。今のうちに手近なもので窓を割ればいい。そしてそこから逃げれば。
後はなるようになる。いっそ、の垂れ死んでしまおうか。
わたしは足元に転がっていた拳サイズの石を見つけた。
それをすぐに手に取る。
「ま、待てっ!」
「・・・・っ」
窓に向かってその石を叩きつけようと腕を大きく振りかぶった瞬間、誰かに背後から拘束された。
そこで蘇る、人質代わりにされた記憶。
「いやだぁぁぁぁぁっ」
身を捩って逃げようとした。
腕を振って、足をばたつかせて、どうやってでもいいからその大きな手から逃げようとした。
いやだいやだいやだいやだ。
どうしてわたしだけ、こんな怖い思いをしなくちゃいけない。どうして、なんで。
怖い思いなんて、あの時だけで十分だったのに。
そんな疑問を抱きながら、体を必死で動かした。
その度に鈍い音が体の中から聞こえて、どんどん思い通りにならなくなっていく。それでも、拒絶は止めなかった。
「・・・・まずいっ、ルイ!!」
わたしを捕まえていた男が小さく何事か囁いた後、大声で誰かの名前を叫んだ。
また、誰かがくる。
恐怖に身を竦ませた刹那。
首の後ろに衝撃を受けたわたしは、何かを考える前に、自分の意識を手放した。
● ● ● ● ● ● ●
「はぁ~・・・」
「どうします、彼女」
「どうするも何も」
「こんな状態では、何も出来ません」
「・・・・まったく、余計な面倒事ばかりが増えていく」
誰かの声が、すぐ傍から聞こえた。
けれど、妙に体が熱っぽくてだるいわたしは、目を開けずに、会話だけを聞いていた。
いや、聞いていたわけでもない。
ただ、彼らの言葉が耳に入ってくるのだ。
「う・・・うぅ」
「ニール、もういい加減泣き止め」
「だって・・・だって・・・」
「泣くのも無理はないよ。私も、あれを見たときは、ちょっとぞっとした」
「・・・・ぅ、ルイ・・・」
「体中の骨が折れ続けてるのにも関わらず、窓を打ち破ろうとするなんて。普通じゃ考えられないよ」
「あの時、カインが彼女の動きを止めなかったら、もっとひどい光景になっていただろう」
「・・・・うっ、うく、うぅぅぅ」
「あー、だから泣くなって。バートンも、余計な事は言わないでくれ、頼むから」
「はぁ・・・・・・・・・・・・」
「団長、かなり疲れていますね」
「当たり前だろ。・・・で、ルイ、そいつの具合は?」
そこで、誰かの手が、わたしの首筋に当たった。
ひんやりとした、冷たい手。
その手が、首から胸元、腕、手首を順々に触っていく。
もう、対抗する術さえ持たない。
さっきの会話の中にあったように、わたしの体中の骨は、すべてボロボロだ。指一本でさえ、動かすこともままならない。
「・・・・両手両足の骨が部分的に砕けて、折れてる感じだね。直るとしても、一月以上は掛かるかな」
「「「「「・・・・・・・・・・」」」」」
変な空気が流れた気がした。
「ありえん」
「まぁ、あれだけ無茶をすれば、それくらいにはなるさ。荷台から落ちた時も、セピアが落下する直前に受け止めなかったら、彼女は確実に死んでいた」
一番近くで聞こえてくる声が、呆れた口調でわたしのこれまでの馬鹿な行動をおさらいしてくれた。
そうか、わたしは結局荷台から落ちた時、誰かに助けてもらったのか。どうりで生きているわけだ。
「その後に、これだ。まったく、何考えてるんだか」
その呆れた声音で発せられた言葉達は、明らかにわたしに向けられている。
こいつ、誰かは確認できないが、絶対わたしが起きてる事に気づいてるな。
さきほど、自分でもどうかと思うほどに暴れてしまったせいで、今はどことなく落ち着いていられた。とりあえず、今ここに居る男の人達は、そんなに悪い人達でもなさそう。
こんなに怪我をしてボロボロのわたしを、殺すこともせずに、介抱してくれているのだから。
「だが、これから一体どうする」
「私達にも仕事があるぞ」
「・・・・・けれど、こんなにボロボロな女性を放って置くわけにもいかないでしょう」
「問題はそこだな」
KYのおっさんの声が聞こえた。
彼の声だけは、他と違って深いどっしりとしたものがあるので、自然と憶えてしまったのだ。こんな自分がなんだか憎いな。よりによって、なんでおっさんの声なんかを。
「はぁ・・・」
「おや、起きたかい?」
ゆっくり息を吐いて、少し目を開けた。
そこで、誰がわたしの傍に居たのかわかった。
薄目を開けたわたしの眼前に現れたのは、あの最恐のお兄さんだった。
ドアップだったせいで、思わず体が仰け反ってしまいそうになったが、体が自由に動かせないため、失敗に終わる。
「脈を計るよ」
お兄さんがわたしの首にそっと手を寄せた。
そこは微かに布が巻かれている感じがした。そうだ、剣が当たったせいで、少し切れたんだった。
なんだか、本当にボロボロだなぁ。
ここまで来ると、笑えてきた。
「今は、まだ、寝てると良い。・・・大丈夫、私達は何もしないから」
お兄さんの手のひらが、目の上に乗せられた。
心地よい温度が、伝わってくる。
今度は、特に苦しい思いをする事もなく、わたしはゆっくりと眠りについた。