Ep.10
電話をとって、看護婦さんの声を聞いた後は、朦朧としか覚えていない。
受話器を取り落としたわたしに代わってコウヤさんが電話口で喋っていた事と、カインがすぐに出掛ける準備をした事。
二人がタクシーを捕まえて、わたしを引きずって病院に向かったこと。
そして今、わたしは、病室に居る。
ほんの数時間前まで、おばあちゃんが座っていたベッドには、まだおばあちゃんが居た。その顔に、白い布を掛けた状態で。
「・・・ ぉばぁ・・・ちゃん?」
震える指でその布を取れば、祖母の顔を見ることが出来た。
微笑みを浮かべた、安らかな寝顔。
触れた頬は、まだ、温かかった。
「・・・・どうして、わたしが来たのに、起きてくれないの・・・?」
布を持つ手が、体が、どうしようもなく震える。
なんで、こんな布がかけてあるの?
「相良さん・・・」
看護婦さんが、少し口篭もりながら、わたしを呼んだ。その一言で、すべてを説明しようとしているかのようだった。
「・・・・」
わかってる。わかってるよ。・・・・何が起こったのか、ちゃんと理解してるんだよ。
でも、でもね。
「お・・・ばあ・・・・ちゃん!!」
こうやって縋って泣く事ぐらい、許されるよね。
祖母の遺体の胸に覆い被さって、わたしは泣いた。
「おばあちゃん、おばあちゃん、おばあちゃん・・・っ」
前に、こうして名前を繰り返し呼んで泣いた時、彼女はその皺くちゃな手でわたしの頭を撫でてくれた。でも、もう、その手は、どこにもない。
もう二度と、戻ってこない。
ただ、わたしの虚しい鳴き声が病室に響き渡るだけ。
「ねぇ、なんで?・・・・なんでみんな、わたしを置いていくの・・・・っ」
母も父も逝った。
そして今、祖母が、逝ってしまった。
やり切れない侘びしさだけが、わたしの中に存在していた。
● ● ● ● ● ● ●
祖母の葬式は、ひっそり行なわれた。
親類縁者と、マンションの住人数名。そして、祖母の話仲間だった老人達が何人か。
喪主は、一応建前的にわたしが勤めた。
初めてだったからよくわからなかったけど、そこは、稔さんと透さんがフォローしてくれたので助かった。
結局、稔さんから祖母事を聞いた透さんは、アメリカの仕事を早めに終わらせて帰って来てくれたのだ。彼の顔を見たとき、申し訳なさでいっぱいになった。
もちろん、コウヤさんもカインも参列してくれた。
コウヤさんの髪はどうにか誤魔化せたけど、カインはそうもいかない。帽子を被るわけにもいかなかったので、仕方なく洗えば落ちるスプレーで髪を黒に染めた。
お坊さんがお経を唱えている間、二人は後方で神妙な顔で黙想していた。
本当に、二人共適応性が高い。
「茉里ちゃん、ここは僕と稔に任せて、少し休んできなさい」
「でも」
「そんなに青白い顔で立たれてたら、逆にこっちが参る」
「・・・・はい」
透さんと稔さんにそう言われて、わたしは仕方なく会場をでる。
そこで、何人かの親類と顔を合わせた。
祖母は別に嫌われてたわけじゃないから、みんな心から彼女の死を悔やんでいた。それだけが救いだ。祖母は人々に惜しまれている。
「茉里ちゃん、気を落とさないでね」
「何かあれば言ってちょうだい。何でもするから」
「本当よ」
会えばみんな、同じ事を繰り返す。
誰もがただ言うだけで、行動に移してくれる人なんてどこにも居ない。
だってそうだ。わたしはもうすぐ二十歳になる。成人する。
一人で生きていける年だ。
「茉里ちゃん、困ったことがあったらすぐにいいなさいね?」
だんだんその言葉達が五月蝿くなってきたから、わたしは寺の端に逃げた。
ひっそりしたそこは、何の物音もしない。
渡り廊下に立って、空を見上げてみた。
曇り空。
日の光もない、けれど雨も降っていない。そんな微妙な天気。
でも、おばあちゃん、曇りは好きだって言ってたっけ。
『曇りは、全部を持っているんだよ。・・・・いっぱいある雲の上には青空が広がっている。でも、その下は雨。どうだい?そんな天気を作り出す雲が集まって出来るのが曇り空だ。雨になるか晴れになるかは、彼らの自由なんだよ』
発想が妙に子供らしくて、わたしは笑ったんだ。
そのおばあちゃんは、ちゃんと雲の彼方に逝ったのだろうか。・・・お母さんとお父さんに、会えたのだろうか。
初七日の後も、お通夜の後も、わたしは泣かなかった。
泣くのは、おばあちゃんが死んだあの日だけで十分だったから。
祖母は、安らかに逝った。看護婦さんに聞いた話だと、死に際まで微笑んでいたらしい。
『自分は幸せだった。・・・・ありがとうね茉里』
それが、最後の言葉だったと、看護婦さんに聞いた。
おばあちゃんは幸せに逝った。だから、わたしが泣く必要なんてない。
「・・・・マツリ」
カインの声が後ろから聞こえた。
躊躇いを含んだ彼らしからぬ小さなその声は、でもしっかりとわたしの耳に届いた。
「泣いても、いいだぞ」
「・・・・・」
振り返って、彼を見た。
顔を歪ませた彼は、わたしを見つめている。
「泣く必要なんて・・・どこにも、ない」
思うんだ。
泣いたら、きっと祖母も困ってしまいう。
だから、わたしは泣かない。
「わかってる」
カインがそっと傍に寄ってきて、わたしの肩に手を回した。そのまま彼の方に寄せられて、その後背中をゆっくりと撫でられる。
「大丈夫、だから」
「・・・・・・」
目頭が熱くなってきた。
おばあちゃんは、安らかに逝った。
もう、苦しむことはないんだよって、そう、別れの言葉で告げた。
・・・・・・でも、やっぱりね。
もう少しだけでも、一緒に居たかったの。少しは変わったわたしの事を、傍で見守っていて欲しかった。
わたしはまだ彼女に、十分に甘えたわけじゃない。
まだまだ、言いたい事、伝えたい事が山ほどあったんだよ。




