Ep.7
翌朝、わたしは布団の上で目を覚ました。
結局、和の心に触れたくなったわたしは、祖母の布団を拝借してきたのだ。良い感じだった、良い感じに眠れた。
枕元で騒がしく鳴り続けている目覚ましを止める。それから上半身を起こして、数分ボーっとした。
自分が今どこに居るのかちゃんと把握したところで、勢いをつけて起き上がる。そうしないと、また布団の暖かさの甘い誘惑に負けてしまいそうだったから。
眠気を吹き飛ばすために、まずは洗面所に向かい顔を洗った。
こうして、鏡の前に立って蛇口から水を出すのは、いつ振りだろう。果てしなく昔のように感じるのはわたしだけかな。・・・・って、わたしだけに決まってるか。
使い慣れた洗顔用品で軽く顔を洗った後、部屋に戻ってちゃんとした服に着替える。
今日は大学に行って、出席日数を聞いてこなければ。これでもし、日数が足りなくて留年って事になったらわたし泣くよ。いや、もうすでになってるかも。むこうの世界で過ごした時間は、もう二ヶ月は経ってるんだし。
その違いもちゃんと調べないといけないと思う。
コウヤさんとカインも、むこうの世界に帰らないといけないんだし、もし帰れたとしても浦島太郎になってしまったらそれはかなりキツイはずだ。
服を着替え終わって、まだ時間がある事を確認する。
朝食は作っていこう。
キッチンに入って、冷蔵庫の中を漁り、良さそうな食材を見つけてさっそく朝食作りに取り掛かった。
メニューは、スクランブルエッグのベーコン炒めとトースト。・・・・・・料理の才能の要らない料理だとは言わないでほしい。これぐらいしか、出来る食材がなかったんだから。
「・・・・おはよう、ございます」
「あ、おはよ・・・・」
三人分のトーストを焼いていると、コウヤさんが起きてきた。
彼に視線を向けたところで、わたしは不自然に言葉を切った。それどころか、不躾承知で目の前に立つコウヤさんを見つめた。
「マツリ、さん?」
わたしがじろじろと見ている事をいぶかしんだのだろう彼が、不思議そうに尋ねてきた。
「あ、いえ、なんでも」
急いで顔を逸らし、トーストの焼き加減を確かめつつ、それでもコウヤさんを盗み見る行動は止められなかった。
「コウヤさん、その、顔を洗ってきて。その間に朝食は用意しとくから」
「えぇ、それでは」
「・・・・」
静かにキッチンから去っていったコウヤさんの後ろ姿を見送ったわたしは、次の瞬間、頬を高潮させて床にしゃがみ込んだ。
「~~~っ」
やばい、やばいやばい。
コウヤさんの寝起きの顔があんなにかわいかったなんて知らなかった!!
いつもはストレートで真っ直ぐな髪の毛には所々寝癖がついていて、眼が合った時の瞳も、どこか眠気が含まれているようだった。声はちゃんと出ていたが、きっと彼は低血圧に違いない。
それに加えて、あのパジャマ。
すごく胸を突かれた。色んな意味で。
かわい過ぎるよコウヤさん!あれが、俗にいう『無防備』というものなのだろうか。
興奮冷め遣らぬ状態のまま、わたしは本人が聞いたらすごく微妙な表情をつくるであろう台詞を心の中で繰り返していた。
いつも、コウヤさんは旅の一行の中でも一番早起きをするので、見る機会がなかったんだ。
うん、決めた。これからは出来るだけ早く起きよう。それで、あの本当にレアとしかいいようのないコウヤさんの姿を拝もう。
この時点でわたしは変態に分類されてしまうのかもしれない。わたしは絶対に認めないけど。
「・・・・・・おい」
床で悶えていると、ふいに上からひどく困惑した声が聞こえた。
見ると、いつの間にか起きていたカインが半分以上引き気味な様子でわたしを見下ろしていた。
「何を、している?」
あー、完全に引かれた。
きっとここで、カインの中にあるわたしの株が少し落ちたはずだ。
ま、別にいいけどね。
わたしが気を取り直したところで、トーストが焼けた合図をする気持ちの良い音が響いた。
「―――信じられない」
「・・・・悪かった」
「ありえない。最悪、カインの馬鹿」
「だから、さっきから悪かったと」
「悪かったで済むなら、警察は要らん」
「マツリさん、警察とは?」
「役人みたいなものですよ」
「なるほど」
コウヤさんがわたしの答えに納得したように頷いて、再びトーストを齧った。
「・・・・ありえない」
わたしは再び同じ言葉を呟いた。
けれど、これは完全にカインに非があるため、いつもは短気な彼でもそう簡単に怒るような事はしない。ただ、恨みがましい目つきでわたしを見てくるだけだ。
その視線に答えるように、わたしは非難がましい目つきで彼を見た。
そんなわたしの前には、見るも無残に壊れたトースターがポツンと寂しく置かれている。
先ほどトースターが音を立てた事がカインをひどく驚かせてしまったようで、反射的に彼がテーブルから叩き落してしまったのだ。それも勢いよく。
わたしの反射神経では、その憐れなトースターを救い上げることが出来るはずもなく、トースターは鈍い音を立てて床に転がった。その直後に響いた音が虚しく聞こえたのは、わたしだけだろうか。
「最悪。これ、どれだけすると思ってるわけ?」
完全に破壊されてしまったトースターは、修繕するよりも買いなおした方が確実に安上がりにはなる。でも、それでも、かなりの出費になる事に変わりはない。
まったく、これまだ新しかったのに。わたしが、祖母が朝食の用意がしやすいようにと思って買ってきたものだったのに。
「・・・・・」
買い直す、必要はあるのかな。
自然と浮かんできたその言葉を、すぐさま自分の思考から振り落とす。わたし、なんてことを考えたんだろう。それじゃあまるで・・・・。
わたしの思考を掻き消すように、電話が鳴った。
「動かないで!壊さないで!!」
電話が鳴ると同時に机を離れたわたしは、すぐにカインに叱咤した。電話まで壊されたら溜まったもんじゃない。
ビクッと肩を揺らしたカインだったが、どうやら自制が効いたようだ。大人しく朝食を食べつづけた。
「はい、もしもし」
玄関の近くに置いてある電話をとって、当たり前のように応答すれば、懐かしい声が聞こえた。
『久しぶり、茉里ちゃん』
「透さん!」
ちょうど電話しようと思っていたのだが、グッドタイミングだ。
『やっと帰ってきたんだね』
「え?」
『志乃さんから、遠出していると聞いていてね。連絡が取れなかったから心配してたんだ』
「・・・あ、そうですか」
―――帰ってきた、という単語に異常反応をしてしまったが、どうやらわたしが思っているような理由ではないらしい。
『志乃さんのお見舞いには、行ったかい?』
「は、い。昨日・・・」
『お医者様から相談は?』
「それも、昨日・・・」
『よかった。私はいくら君達と親しくしていても赤の他人である事に変わりはないからね』
「そう、ですね」
『一応、それだけ確かめたかったんだ。・・・・・実は今、仕事の用事でアメリカに居るんだよ』
「アメリカ、ですか」
『後二週間ぐらいはこちらに居る事になるんだけれど、もし何かあれば連絡してほしい。僕に出来る事なら、なんでもするから』
「・・・・・・・・・・」
『茉里ちゃん?』
「・・・・・・あ、はい。はい、じゃあ、何かあったら電話しますね」
『待ってるよ』
「失礼します」
最後に断りを入れて、わたしは受話器を置いた。
透さんの声は、いつも通り良く響く、安心出来る声だった。確かに、安心出来た。でもそれは、会話の前半部分だけ。
後半部分は、もう、あからさまに動揺してしまった。
絶対に透さんに不審に思われた。
わたしがまだ小さい頃からわたしの事を知っている彼が、わたしの不自然な行動に気づかないわけがない。
今夜辺りにでも、また電話が掛かってくるんだろうなぁ。どう、言い訳したらいいんだろう。
でも、もし、本当のことを話せば、きっと彼は日本に帰ってきてしまう。お仕事の邪魔はしたくないし、わたしももうすぐ二十歳になって成人する。
もうそろそろ、人に甘えるのを止めて、一人で歩かないといけないと思うんだ。




