Ep.10
「娘さん・・・・ですか」
「あぁ」
旦那さんは、頷いて見せた。
奥さんが何故かわたしの頬に手を当てて、目に涙を浮かべた。わたしが泣かしたわけでもないのに、すごく切なくなる。
「生きていたら、ちょうどあなたと同い年ぐらいかし・・・ら・・」
どうやって返事を返したらいいのか分からなかった。しかし、人間の心とは裏腹に、わたしの脳内にあった疑問が、そのまま口について出ていた。
「・・・娘さんは、どう・・・・して?」
わたしの失礼な質問に怒った様子も見せずに、旦那さんが答えてくれた。
「幼い頃に、馬車に跳ねられて、即死さ」
「!」
わたしは思わず後ろに居るリディアスを見た。しかし彼の視線はわたしには向いておらず、何を考えているかも判断のしようがない。どういうつもりなのかさえ。
「あの時、ワタシ達が庇いさえすれば、あの子は助かったのに・・・・」
奥さんが、顔を覆ってしまう。
亡くなった娘さんを思い出しての涙なのだろう。
この人達も一緒だ。
けれど、決定的に違うもの。それは。
「・・・・・あなた達は、後悔、されているんですか?」
娘を、死なせてしまった事に。
わたしは後悔をしている。
両親を死なせてしまった事に。
「もちろんだよ。あの子には、まだ、未来があったんだ」
そう答えた旦那さんは、わたしをしばらく見つめた後、何かを悟ったかのような顔付きになった。年齢の功か、はたまたわたしの表情がわかりやすかったせいか。
「君も・・・もしかして」
彼は、もしかしたら、わたしの気持ちをわかってくれるかもしれない。どうしようもない後悔に苛まれるこの気持ちを。
同じような気持ちを味わっているからこそ、分かり合える事。
いつの間にかわたしは、初めて会ったばかりのその夫婦に、自分の気持ちをさらけ出していた。
「わたしのせいで、父と母は亡くなりました。わたしが飛び出して、死にそうになったわたしを二人は庇って死んだ。・・・・きっと両親は、わたしを怨んでいる」
すると、先ほどまで泣いていた奥さんが、顔を覆っていた両手を外しわたしの方に真っ直ぐに見つめてきた。
その目は、涙のせいで充血しているけど、瞳は先ほどよりも落ち着いた色を見せている。どこか、「母親」を感じさせる目つきだ。
「あなたの両親が、もし、あの時、あなたを庇う事なく今も生きていたら、きっとワタシ達のようになっていたはずよ」
どうしてだろう。他の人達に同じ事を言われても、全然納得なんて出来なかったのに、彼女に言われたら、すごくあっさりと受け止められた。
それは、二人は「ワタシ達のように」と付け加えたせいだろうか。
「でも、もし、あの時、わたしが飛び出しさえしなければ・・・・」
「もしも、なんて、考えても仕方がないのよ」
「・・・・・・」
その通りだと思った。「もしも」なんて、考えるだけ無駄なんだ。
「あなたはまだ若い。これから先、たくさんの未来が待っている。その未来を守れた君のご両親は、きっと君を怨んでなどいないよ」
「・・・・その未来を守りきれなかったワタシ達を、娘は怨んでいるでしょうね」
奥さんが寂しげに、娘さんのお墓を振り返った。
それは違う。
「それは違うと思います。・・・・娘さんは、絶対あなた達を怨んではいないと思います。自分のせいで、大好きな両親が居なくなったら、きっと娘さんは、どうしたらいいのかわからなくなる。・・・・ただ、自分を責め続けるだけで、これからを過ごすはずです。・・・・・大好きな両親を死なせてしまった自分に、幸せになる資格なんかないって」
だから、今のわたしが居る。
夫婦は、黙ってわたしの言う事を聞いてくれた。
それから、奥さんの方がそっとわたしの手をとって、自分の手を重ね合わせた。
手の平から伝わる人の体温が、とても気持ちいい。
「あなたも、思っているの?・・・・自分に、幸せになる資格はないって」
「・・・・はい」
素直に頷いた。そして、それと一緒に、今の気持ちも告げてみた。
「けど、今は、たくさんの出会いをして、少しずつ幸せになりたいって思うようになってきました。・・・・それは、いけないことでしょうか」
「そんな事、あるわけがないじゃない」
奥さんは、少し語調を強くした。
「親が、自分の大切な子どもを守りたいと思うのは、本能よ。あなたのご両親はその本能に従って、あなたを守って亡くなった。・・・・じゃあ、残されたあなたの役目はなんだと思う?」
「・・・え・・・と」
いきなり質問か。
わたしは言葉に窮してしまう。そんな事、考えた事すらなかった。―――役目って。
わたしはただ、二人への罪滅ぼしだけを考えて生きてきたから。
「それはね」
旦那さんがわたしの頭に手を乗せて来た。
この答えが、これからの私の道しるべになってくれる。そんな気がした。
「君の両親が命を掛けて守ってくれたその命と未来を、次の世代に繋げていく事なんだよ。君のご両親が、君にしてくれたようにね。・・・・今度は君自身が、君と君の子どもを守っていくんだ」
その言葉が、すっ、と胸の奥に入ってきた。
なんだろう。すごく単純でシンプルな言葉なのに、すべてがそこに詰まっている。そんな気がした。
母と父の笑顔が、浮かんでは消えていく。
―――お母さん、お父さん。
わたしの今までの考えは、全部間違っていたのかなぁ。
二人の夫婦の顔が、両親に重なった。
自分と同じ境遇で、しかし、二人は逆に娘を守りきれなかった。
もしも、わたしがあの時死んでいたら、父も母も、こんな風に後悔をしていたのかな。
わたしの未来を守りきれなかった事を、悲しむのかな。
「わたしに出来ることは・・・・・・・・・二人の分まで、未来を・・・・幸せな未来を歩む事なんでしょうか。それだけで、いいんでしょうか」
「あぁ」
「そうよ」
二人は、頷いてくれた。
確信めいたその反応を、素直に信じたいと思えた。
両親の本当の気持ちなんてわからないし、確かめようもないけれど。
今は、この言葉を信じたいと思った。
都合がいいのかもしれないけれど、この言葉で、わたしは前に進める気がした。
最初に会った不思議な老婆が言っていたように、今までのわたし償いは、きっと間違っていたのだ。
脳裏に張り付いて消えない紅い記憶がどんどん薄れていく。
なぜ忘れていたんだろう。あんなに好きだった、二人の笑顔を。
わたしはその時、自分の胸を絞め続けていた何かに罅が入った音を確かに聞いた。
それと同時に、胸の奥に広がる暖かな温度も確かに感じ取っていた。




