Ep.3
血などの残酷描写がでてきます。苦手な方はご注意ください。
―――忘れかけていたことがあった。
―――決して、忘れては、いけないことだったのに。
その日、わたしはバーントさんと一緒に村を廻っていた。
ついて来るかと聞かれたので、暇だったわたしはそのお言葉に甘えたのだ。
村人達の働く様子などを眺めながら、バーントさんは手元にある本のようなものに何かを書き記していた。時々村人達に質問して、その答えも書き込んでいるようだ。
というのも、わたしは文字が読めないので、一体何を書いているのはよくわからない。
ルイさんには文字を習っているけれど、英語という異国語も頭に残っているため、そう簡単に憶えられるわけがない。
もちろん、今自分が憶えている範囲では、復習もしている。大学で取っていた教科をいくつか。いつ帰れるかわからないから、ちゃんと勉強はしておかないといけない。
それを素直に告白した時、笑顔で迫られた。「その、英語とやらで何か話してくれるかい?」と。そんなのむちゃに決まってるはずなのに、奴は簡単には放さなかった。
結局騒ぎを聞きつけた他のみんなもやってきて、みんなの前で英語を披露するはめになったのだ。
言った言葉は、「My name is Matsuri.I am from Japan」だ。直訳すると、「わたしの名前はマツリです」になる。
意味を聞かれたときは、適当に言った。「わたしの名前はまつりです。みなさんには本当に感謝しています」と言っておいた。
誰もわからないんだから、いいじゃないか、ちょとぐらい盛っても。
そんな事を思い返しながら、わたしはバーントさんの手元を覗き込んでいた。彼は、何も言わずに好きにさせてくれる。
「少しは読めるか?」
「まだ・・・かな。バーントさんの書く文字はまだ難しいよ」
「そうか、まだ筆記体は教えられていないのだな」
「でも、ちょっとなら読めるよ。・・・これは、「木」で、これが「村人」、でしょ?」
「まだそれくらいしか読めないのは難点だが、まぁ、時間をかければどうにかなるだろうさ」
バーントさんが、褒めてくれた。これが、彼なりの褒め方なのだと、団長に教わった。
うん、すっかり仲良くなれたみたい。
いい気分になって顔を上げたとき、わたし達の隣を、一家が通った。
「あら、旅のご一行の方ですよね」
母親らしき人が、わたし達を見つけると、柔らかい笑顔でそう尋ねてきた。
バーントさんがそれに答える。
「あのお芝居、すごくおもしろかったです。今度はいつやるんですか?」
わたしより一、二歳年下に見える少女が目を輝かせながら、今朝のお芝居の感想を述べてきた。
それにも、バーントさんが答えた。
「違うだろう。お前はあの女形の人を見たいだけだろうが」
父親らしき人が、娘をからかっていた。
「お父さんっ、そんなんじゃないから!!」
娘が顔を赤くしながら父親に反撃をしようとしていた。母親はそれを楽しげに見守っている。
三人の親子は、そのまま礼をしてわたし達の元を去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、わたしは立ち尽くしていた。
蘇る過去の記憶。
押し込めて、鍵をかけて、心の鎖でグルグル巻きにして、心の奥底に閉まっていた箱の存在を思い出した。
その箱の存在を忘れそうになっていた自分に愕然とする。
急に黙り込んだわたしを不審に思ってか、バーントさんが訝しげにこちらを見てきたが、その場はどうにかやり過ごす。
その後も、みんなに違和感を抱かせる事もなく時を過ごす。
けれどその夜、わたしは、夢を見た。
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アスファルトの地面を染めるのは、深紅の液体。
あぁ、まただ。
わたしは、黙ってその赤を見つめ続ける。最初はぼんやりとしていたその光景も、時間がたつにつれ鮮明になっていく。
そうして見えてくる、人肌。
赤の出所を辿っていけば、そこに倒れている、二人の男女。
着ている服の模様さえもわからないほどの真紅に染まった彼らは腕も足も、普通ならありえない方向を向いている。人はその光景に吐き気を憶え、目を逸らすだろう。
わたしは、そのどちらもせず、じっとその光景を見つめていた。
一人はわたしと同じ茶髪の男性。
そしてもう一人は、わたしと同じくせのある髪を持った女性。
重なり合うように倒れている二人の顔は、どちらもわたしを向いている。
開かれている瞳はこちらを見つめていて。
顔が赤で染まり、表情を隠している中、その瞳だけは爛々と輝いているようだった。その輝きの元は、きっと憎悪。
その視線は、鎖となってわたしの心を絡めとる。
動けない。視線を外せない。
『お母さん・・・お父さん』
ずっと繰り返してきた。この十年間、ずっと。
『ごめんなさい』
二人を染める真紅は、血。
わたしが、両親を殺したのだ。




