Ep.11
「マツリ、どこ行ってたんだ」
「ごめんなさい。ちょっと散歩に・・・」
「散歩~?」
サンジュのおっさんがどこかオーバーリアクション気味に目を丸くした。なんだ、わたしが散歩に行くのはそんなに珍しいのか。そりゃあ、まぁ、あんまり出歩く事はないけど。
「マツリさん、今日はお風呂を使わせてもらえるそうですよ。ぜひ、行ってきてはどうですか?」
コウヤさんがやってきた。
けれどわたしは首を振る。
「いいえ、大丈夫です。別に何もしてませんし、皆さん行ってきてください。わたし、その、もう少し散歩に行ってきます」
コウヤさん達に意味もなくお辞儀をすると、彼らからの返事を聞くより前にわたしはその場に背を向けて歩き出した。
これではただ逃げているだけだと、彼らの元を去ってから気づいて、小さく自嘲した。しかも、かなり不自然だった気もする。
結局わたしはお風呂には入らず、夕食もそこそこに眠りについた。
そしてその夜、久しぶりに悪夢に魘された。
● ● ● ● ● ● ●
朝起きて、いつも通り身なりを整えると、わたしは自然と昨日の場所に足を向けていた。
「やっぱり来たね」
老婆は居た。
わたしに背中を向けたまま、それでも彼女にはわたしがやってきた事がわかったらしい。
わたしが傍に寄るために歩を進めれば、ゆっくり立ち上がってこちらを向いた。
「わたしが過去に捕らわれてると、あなたは言いました」
用件も何も言わず、わたしは思ったことを単刀直入に口にした。老婆は、吃驚した様子もなく、ただ静かにこちらを見てくる。
「そうです。わたしは、過去に捕らわれてる。けど、それは必要な事なんです。わたしは、未来を見ちゃいけない」
「・・・どうして?」
「人殺しだから」
きっぱりと言い切った。
そう、わたしは人殺しなのだ。
「・・・・・」
「人殺しが、悠々と生きて、明るい未来を描いてもいいんですか?・・・・わたしは、違うと思っています。いつまでも、自分のしたことを忘れないで、償い続けないといけない」
かなりの屁理屈だと思っている。
何も知らないであろうこの人に、こんな言葉を吐いて。
ただ黙ってわたしの言葉に耳を傾けていた老婆が口を開いた。
「お前さんは、すべてを押し込みすぎているんじゃないかい?人は過ちを犯す。その中には、確かに許されないものをあるだろう。それなりの悔いの仕方もあるだろう。・・・・では、お前さんのしていることは、本当にその相手の供養になっていることなのかい?」
「・・・・・・・そんなの、知りません。知りたくても、相手はもういないんです。分かるわけないじゃないですか」
この老婆は、本当はわかってるんじゃないか。全て。
「分からないからと考えることを放棄するのは、逃げじゃないのかい?」
老婆は、砂山達に視線を移した。
「彼らは、対した理由もなく、ただ戦争に巻き込まれて死んでいった。人々は、彼らの代わりに、今一生懸命未来を繋いでいこうとしている。それが、彼らの供養になるからだ」
「それは、人々になんの罪もないからじゃないですか?・・・・わたしは、わたしにはあります。罪が。一生背負っていかないといけないぐらい重い、ものが」
「お前さんは」
「だって・・・」
ヤバイ。歯止めが利かなくなってきた。
だめだ、ここで終わらせないと、止まらなくなる。また、自分を抑えきれなくなる。
わたしは両手を強く握り締める事で、理性を留めた。
昔の事に触れられると、わたしは理性を簡単に手放してしまうのだ。
けれど、言いかけた言葉をきちんと終わらせるために、わたしは続けた。
「だって、誰もわたしを責めてくれないんですよ」
老婆は、最後まで、痛ましそうな目でわたしを見つめてきた。
その目が、祖母と重なり、なんだか泣きそうになった。
サンジュのおっさん達の所に戻ったのは、ちょうどお昼を過ぎた頃だった。
その頃には、わたしの気持ちも治まっていたから、特に支障はなかった。その事に少しほっとする。こんな所に放り出されるのはいやだ。あの老婆の近くにはもう行きたくない。
彼女は、彼女の言葉は、とても危険だ。
「マツリさん」
「あ、コウヤさん」
移動車の中でぼんやりと考え事をしていると、コウヤさんに声を掛けられた。
「お風呂に、入ってきてください。今のあなたの顔はとても疲れきっていますよ」
「・・・あははは、すみません。じゃあ、お言葉に甘えて」
一緒に行ってくれるのだろう。セピアが移動車の前に居た。
他のみんなの姿が見えない。
「あの、他の人達は?」
「村の様子を見に行かれていますよ。私も、この後もう一度行ってきますので」
「そうですか」
やっぱり、わたしはただの足手まといだ。
セピアの案内の元、辛うじて残っている建物の中に入った。壊れる心配はないのだろうが、壁には小さな罅がいつくも入っていた。
ここは、元は旅館だったようだ。
「マツリさん、ですね?」
「は、はい」
建物の中に入ると、一人の女性が出迎えてくれた。中年の女性だが、物腰は綺麗で、雰囲気的に女将さんのような感じがした。
「バーント様からお話は伺っています。どうぞ、ゆっくりしていてくださいね」
「ありがとうございます」
彼女に連れられて大浴場にやってきた。
湯気がホカホカしていて、見るからに気持ち良さそうである。実に二週間ぶりに暖かいお湯に浸かる事が出来るのだ。
けれど、わたしの気持ちは盛り上がってくれなかった。
「それじゃあ、ごゆっくり」
わたしとセピアを残して、女将さんは浴場から出て行ってしまった。
残されたわたしは、元の世界で温泉に入るように服を脱いで、お湯のかからない場所に置いた。そして、移動車から持ってきておいた洗面器の入れ物で一度体を洗い流す。
それから、ゆっくりと足から順にお湯に体を沈めていった。
「ふわぁ~」
温くもなく熱くもない、そのなんともいえない湯加減に、体も心も溶かされていく感じがした。自然と口から漏れるのは、間伸びた声。
こんな声を出したのは、本当に久しぶりだ。
いつも色々な緊張を強いられているし、バーントさんには弱音を吐くなと言われている。だから、正直いつもギリギリなんだ。
しかも、あの不思議なおばあさんに、今まであえて知らない振りをしていたところを指摘されてしまった。もう、なんだか色々疲れた。
今だけはすべて忘れたかった。頭の高さまで、一気にお湯の中に浸かる。そしてそのまま一気に顔を出した。
その時の勢いで、風呂に入りきらなかったお湯が、浴場全体に広がった。
「クゥ・・・」
「・・・・ははは」
少し離れた場所で同じく湯に浸かっていたセピアも、なんだか気持ち良さそうに漂っている。その緊張感のない顔に、笑いが零れた。
わたしも、目を閉じて湯の温かさに身を任せた。
● ● ● ● ● ● ●
「・・・り、茉里」
「・・・ん」
突然誰かに揺り動かされる事で、わたしは唐突に目を覚ました。
意識がさっと浮上する。
目を覚ました先に居たのは。
「・・・おばあ・・・ちゃん?」
そんなまさか。
「なんで、居る・・・の?」
「おや、おかしな事を言う子だね。・・・・・ほら、早く起きるんだよ。大学に遅れて小言をもらうことになるよ?」
「え?」
気がつけば、わたしはベッドの上に居た。
「・・・・・・・・」
しばらくの間、呆然としてしまった。
今までの出来事は、全部夢だったの?
でも、そうだ。あんな事、現実で起きる事はないよ。・・・・なんだか、ほっとした。
おばあちゃんが、いつものように割烹着姿でわたしを見ている。その後、いつもの笑顔でおかしそうに笑った。
その笑顔がいつになく胸に染みた。
「おばあちゃん・・・」
「ん?」
「あのね」
今こそ、この胸の内を素直に曝け出す時だ。
そう決心を決めて顔を上げようとした時、遠くから声が聞こえた。その声は、わたしを呼んでいる気がした。
『・・・マ・・・ツリ』
透き通った声だった。高くもなく低くもない、性別すらわからない声。それでも、とても安心する声音だった。
● ● ● ● ● ● ●
「・・・さん・・・マツリさんっ」
わたしは、再び誰かに肩を揺り動かされる事で目を覚ました。
そこに居たのは、心配そうな顔付きの女将さん。
「・・・・」
「大丈夫ですか?大分長い間入って居られたようですが・・・」
「だい、じょうぶ、です」
わたしはお湯に浸かったまま、眠り込んでしまっていたらしい。入りすぎたせいか、体がむちゃくちゃ熱いんだが。
手伝うという女将さんの申し出を断って、わたしはお湯から出ると持ってきた石鹸で体と髪をさっと洗い、そして服を着て身支度を整えた。体はすっかり疲れもとれ、だるさもなくなったのに、気持ちはすっかり落ち込んでしまった。
なんで、あんな夢を見てしまったんだろう。
確かに、この世界に来たときから、わたしの精神は常に不安定だ。しかしこの村に来て、それが増した気がする。
だから、あんな夢を見るようにもなるんだ。
日本を思い出させる夢は今のわたしには悪夢以外の何ものでもない。夢は所詮夢。目を覚ませば、そこにあるのは現実。その違いに落胆なんてしたくないのに。
マントを羽織り、浴場を出て、建物の入り口に向かった。
「・・・ルイさん?」
女将さんと一緒に入口に立っていたのは、見間違いようもない、ルイさんだった。
それを意外に思い、わたしは途中で歩みを止めた。一人で帰るものとばかり思っていたし、もし迎えが来るとすればそれはコウヤさんだろうと予想していたためだ。
「そこに突っ立ってないで、行くよ」
「あ、はい!」
「また、いらして下さいね」
女将さんのやさしい言葉に見送られて、わたしはその場を後にした。
わたし達の間に、会話なんてなかった。
ルイさんは黙々と前を見つめたまま歩き、わたしはセピアと並んで彼の後に続く。歩くたびに体の熱を奪っていく夜風が、少し気持ちいい。
セピアも、目を細めて風を感じているようだった。
それにしても、どうしてルイさんが迎えに来てくれたんだろう。なんでまた、あまり快く思ってない存在であるはずのわたしを迎えになんか。どう考えてもおかしい。
彼の後ろ姿を、疑問符を浮かべながら見つめた。彼が歩くたびに、金髪に近い栗色の髪が揺れる。その様子を、ただぼんやりと見つめながら歩いた。
結局、長方形馬車に辿り着くまでの間、わたしもルイさんも口を開く事はついぞなかった。