Ep.17
二―ルくんと、似たような子達なのだろう。この村で生きる子供達は。
今日から数日滞在する事になった小さな家に荷物を置いたわたし達は、牧師様の正式な案内の上で教会に足を踏み入れた。
どうやらわたしが最初に通されたのは、子供達専用に作られた別棟だったらしい。
牧師様と一緒にやってきたそこは、本当に普通の教会で、真っ白な部屋の真中に赤い細い絨毯、それを挟むように並ぶ細長い椅子、そしていつも教会をいって連想する神様の像が置いてあった。
ガラスにも神々の肖像画が施されていて、すごく神聖な場所だと思った。
あまりに神聖すぎて居づらくなってしまったわたしは、カインを呼んでくるという口実と共に教会から抜け出した。
なんでこんなに悲しくなるのかわからない。
けれど、あのままあそこに居ればきっとわたしは泣いてしまう。意味もなく、泣いてしまうだろうと思った。
「カイン、みんな教会の本堂に居るから」
「あぁ」
「わたしが子供達の相手するから、行ってきて。何か、大切な話、するみたいだし」
きっと子供達関連の話なんだろう。
小さくお礼を言って、カインは行ってしまった。
残されたわたしは、ジュリちゃんの隣に腰を降ろして、目の前で大騒ぎをしながら遊ぶ子供達を眺める。
砂場のような所でトンネルらしいものを作っている子供達が居れば、傍の原っぱで追いかけっこをしている子供達もいる。少し大きな女の子達は、日陰の下でままごとをしているようだった。
その中で、二―ルくんは追いかけっこをしていた。
一生懸命走って、自分に触れようとする子供が来たらすぐに身を捩って逃げて、キュシュくんやレンくん達と大きな口を開けて笑い合って―――
二―ルくんと彼らは同じだ。だから、こんなにすぐに打ち解けあって、遊んでいる。
わたしもこの世界に来た時は、彼らと同じだった。同じだと思っていた。
でも違う。
わたしは彼らより恵まれていて、そして、彼らより不幸の中に居た。
そう、思い込んでいた。
けれど、一度その考えを打ち破った先にあったのは、何よりも尊いものだった。
「おねえちゃん?」
ジュリちゃんの声が聞こえて、わたしは隣に顔を向けた。
人形を両手で抱えている彼女が、不思議そうに見上げてきていた。
その瞳に一点の曇りもない。
たとえ彼女が無意識の内に両親の面影を探していても、それを彼女は知らない。
そう、子供達は親を知らない。何が幸福で、不幸かも知らない。
ただそこに居て、こうして暮らしてきて、今居るその場所が一番だと思っているから。だから、彼らは無邪気に笑えるのだろう。
たくさんの仲間達と、彼らをハラハラとした顔つきで見つめている村の人達と、リファと牧師様達に囲まれて。
走り回っていた男の子の一人が、何かに躓いて派手にこけた。
顔面から地面に衝突してしまう。
わたしは急いで立ち上がった。
すぐに手当てをしないと、彼は痛みで泣いてしまうだろう。
男の子の元へ向かおうとした時、一人の女性がすごい勢いで走り寄ってきた。
すぐに自分の持っていたハンカチで男の子の顔と擦りむけた膝を拭いて、笑う。彼の頭を撫でて、何かを言った。
すると、先ほどまで痛みで泣きそうになっていた男の子の表情が変わる。
一生懸命泣くのを堪えて、そして笑顔を作った。
「あの女性は、彼のお母さんではないんです。ただ、この村に住む女性で、この教会の支援者でもある方なんです」
後ろから声がした。
リファだった。
彼女はわたしの隣に歩いてきて、女性と男の子を見つめている。
「周りに居る村の人達はみんな、それぞれの家庭があって、自分の子供が居る人達も居ます。けれど、いつもこうして教会の子供達を心配してくれる。誰かが熱を出せば、すぐに駆けつけて一晩中看病してくれたり、子供がかんばって良い事をすれば、自分の事のように喜んで褒めてくれる。・・・・自分には、なんの縁も所縁もない子供達なのに」
リファの声はいつにも増して透き通って聞こえた。
きっと同じ事を、リファも体験してきたに違いない。
だから、こんなに愛情に溢れた声音で語ってくれるのだろう。
「彼らは一度も子供達を見捨てた事はありません。悪い事をしたら叱って、良い事をしたら褒める。必要な時は駆けつけてくれて、ワタシ達が落ち着くまでずっと一緒に居てくれる」
「なんでだと思います?」とリファが言った。
わたしが言葉に窮していると、彼女は笑ってわたしを見た。
瞳と瞳が交差する。
「何も出来ないからです。人間は基本、とても無力な生き物だから」
「・・・・無力、だから」
無力という言葉は、ネガティブな意味しかないはずだ。人は無力という言葉の前に屈することが多々ある。それが、どうしたら。
「そうです。彼らにはお金も無ければ、自分の子として、教会の子供達を養っていく自信もない。私達のような子供を見て、己が無力だということを痛感していることでしょう。だからこそ、一瞬一瞬、今出来ることをしてくれるんです。大きな事が出来ない代わりに、小さな、できる事をしてくれている。・・・それが、一緒に居てくれることなんです。ワタシ達にとって、誰かが一緒に居てくれる、心配してくれる、それが何よりも大事な事なんです」
「誰かが、居てくれる、事」
脳裏の奥に、祖母の顔が蘇った。そして、透さんや稔さんの顔も。そして、仲間達の顔。
そう、わたしの傍には必ず誰かが居てくれた。
すごくすごく落ち込んでも、顔を上げると確かに誰か居てくれて。きっと一人にならないように、祖母はわたしを引き取ってくれたんだろう。
疎んじもせず、静かにわたしを受け止めてくれたのはきっと。
「だって、子供はみんなの宝でしょう?」
リファはそう言って笑った。
すとん、と、何かが胸の奥に落ちてきて、そして、おさまった。
大層な事なんか出来ないかもしれない。わたし一人では無力で、ただ、自己満足のためだけに、生きるだけなのかもしれない。
それでもいい。
こうして、子供達の笑う姿を見ることができるなら、その手伝いができるのならば、やってみたいと思う。
地球という生命が生きる貴重な星で、置き去りにされる幾つもの小さな命。
祖母がわたしに、その未来を繋いでくれたのなら、わたしも、その未来を繋げなければいけない。
母がそうしたように。
わたしは目を閉じて、自身に問い掛けた。
お母さんは、どうして元の世界に戻ったのだろう。おばあちゃんだけのことじゃない。強制的に帰ったわけでもない。きっと彼女は、心のどこかで元の世界に戻ろうと決意したのだと思う。
生前の母はとても生き生きとしていた。
なんで。
看護婦なんてありふれた役職の中で、いつも忙しくて疲れていたはずなのに。
お母さんは、この世界で一体何を見て、何を決めたんだろうか。
―――それが、今のわたしと似ているのなら、少し嬉しい。
わたしは静かに目を開けた。
近くから聞こえる子供達の楽しそうな声音と、そんな彼らを見守る村人達の心配そうだけれど愛情に溢れた表情。
何が出来るか、何が出来ないかなんて問題じゃない。
結局は、何がしたいかなんだと思う。
出来るか出来ないかを考えるのは、何かをしたいと決めた後にでてくる疑問。
ならば、わたしがしたいこと、それは。
助けになりたい。微力でもいい。一斉に何百人もの子供達を救う事は絶対に無理だ。
それでも、たった一人でも笑ってくれるなら、そこから、たくさんの輪が広がってくれるなら。
―――そこに彼らの幸せがあるのなら。
それでいい。
それが、いいのだ。